悪役令嬢は婚約破棄に狂喜乱舞する!

猫宮かろん

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これは、ガレリア帝国皇帝である私、アレクシス・フォン・ガレリアの視点による記録である。

場所は皇城の執務室。

大陸で最も厳重なセキュリティと、最高機密が飛び交うこの部屋に、現在、異物が混入している。

「……んぐ、むぐ。……このクッキー、ちょっとパサパサしてない?」

部屋の隅にある最高級革張りソファ(客用)を占拠し、寝転がりながら菓子を貪る女。

元・隣国の公爵令嬢、ミリオネだ。

彼女は行儀悪く足を組み、天井に向かって文句を言っている。

「水分を持っていかれるわ。これを作ったパティシエは砂漠出身かしら? アレク、紅茶。ミルクたっぷりで」

私の側近たちが、一斉に息を呑む音が聞こえた。

「き、貴様……! 皇帝陛下を給仕係のように……!」

近衛隊長が剣の柄に手をかけそうになるのを、私は片手で制した。

「構わん」

私は羽ペンを置き、手元のベルを鳴らす。

「紅茶だ。最高級の茶葉で、ミルクは温めてから入れろ。砂糖はスプーン三杯だ」

「は、はい! 直ちに!」

侍従が慌てて飛び出していく。

私は再び書類に目を落とし、口元だけで笑った。

「……面白い」

そう、面白いのだ。

私の周りには、常に私の顔色を伺う人間しかいない。

「陛下のおっしゃる通りです」

「素晴らしいご判断です」

そんな言葉ばかりを聞かされ、私は慢性的な退屈という病に侵されていた。

だが、この女は違う。

彼女は私を「皇帝」ではなく、「便利なコネを持つ金づる」程度にしか認識していない。

その不敬極まりない態度が、私にとっては新鮮な酸素のように心地よかった。

「あーあ、暇ね。ねえアレク、この部屋、窓が少なくて陰気くさいわよ。監獄?」

ミリオネが、今度は部屋のインテリアにケチをつけ始めた。

「セキュリティのためだ。窓が多いと狙撃される」

「狙撃? 人気ないのね、あなた」

「……否定はしない」

「ま、これだけ無愛想なら仕方ないか。顔が良いのが唯一の救いね。あ、紅茶ありがとう」

運ばれてきた紅茶を一口飲み、彼女は満足げに息を吐く。

「ふぅ……生き返った。で、いつまでここにいればいいの? 私の部屋のベッドが私を呼んでいるのだけど」

「私が仕事を終えるまでだ」

「はあ? なんでよ。私は置物じゃないのよ」

「君がいると、仕事が捗るんだ」

「意味不明よ。邪魔してる自覚はあるけど、役に立ってる自覚はゼロね」

彼女は呆れたように肩をすくめた。

だが、これは事実だ。

彼女がソファでゴロゴロしている音――衣擦れの音や、ページをめくる音、時折漏れる独り言――が、殺風景な執務室に奇妙なリズムを生んでいる。

私は彼女を観察する。

今日の彼女は、私が用意させた深紅のドレスを着ているが、その着こなしは独特だ。

コルセットを緩め、靴は脱ぎ捨てられ、髪も適当に纏めているだけ。

一言で言えば「だらしない」。

しかし、その姿には一切の迷いがない。

「私は楽をするために全力を尽くす」という強固な信念が感じられるのだ。

その徹底した合理主義は、ある種の芸術ですらある。

「……ねえ」

不意にミリオネが声を上げた。

手には、暇つぶしに渡しておいた新聞がある。

「この『東部開拓計画』の記事、何これ? バカなの?」

側近たちが再び「ヒッ」と震える。

それは私が主導している重要政策の一つだ。

「……どこがバカなんだ?」

私は興味深く尋ねる。

「開拓地に『娯楽施設』を作る予算がゼロじゃない。作業員のモチベーションを舐めてるの?」

彼女は新聞をバサバサと振った。

「人間はね、パンと水だけじゃ働かないのよ。『週末の酒』と『賭け事』と『色恋』があって初めて、過酷な労働に耐えられるの。この計画書を作った役人は、人間をゴーレムか何かと勘違いしてるんじゃない?」

「……なるほど」

「娯楽がない閉鎖空間に男たちを詰め込んだら、一ヶ月で暴動が起きるわよ。私なら、まずは酒場と簡易カジノを作るわね。そうすれば、支払った給料をその場で回収できて、資金繰りも良くなる。一石二鳥よ」

私は目を見開いた。

彼女の言い草は悪党のそれだが、指摘は驚くほど的確だ。

事実、先週届いた報告書には、現地での作業員の逃亡や喧嘩が多発していると書かれていた。

「……宰相」

私は控えていた老臣を呼んだ。

「は、はい」

「聞いたか? 直ちに計画を修正しろ。開拓地に酒場と娯楽施設を建設する。運営は国営にして、利益を建設費に回せ」

「し、しかし、そのような不謹慎な……」

「暴動が起きて工事が止まるよりマシだ。彼女の言う通り、効率が悪い」

「……はっ! 仰せのままに!」

宰相が青ざめた顔で部屋を出ていく。

ミリオネは「ふーん」と鼻を鳴らし、再びクッキーに手を伸ばした。

「ま、私が現場監督なら、もっとエグい搾取システムを作るけどね。給料を専用通貨で払って、その店でしか使えないようにするとか」

「……悪魔だな」

「経営者と言ってちょうだい。……あ、このクッキー、二枚目は意外といけるわね」

私は込み上げる笑いを噛み殺した。

彼女は無自覚に、帝国の抱える問題を解決していく。

「悪役令嬢」と聞いていたが、彼女の本質は悪ではない。

「極端な合理主義者」だ。

感情論や体裁を排除し、利益と効率だけを追求するその姿勢は、冷徹と呼ばれる私と似ているようで、決定的に違う。

私は「国のために」非情になるが、彼女は「自分のために」非情になる。

その突き抜けたエゴイズムが、見ていて清々しい。

「ミリオネ」

私は呼びかけた。

「なによ」

「こっちに来い」

「嫌よ。歩くのが面倒だわ。用があるならあなたが来なさいよ」

「……」

側近たちが「処刑だ……今度こそ処刑だ……」と震えている気配がする。

私は席を立ち、彼女のソファまで歩いていった。

そして、彼女の隣に腰を下ろす。

「近いわよ。暑苦しい」

「君の意見を採用した報酬だ。何か欲しいものはあるか?」

「報酬?」

彼女の目が、現金の輝きを帯びた。

「そうね……。じゃあ、肩揉み」

「……は?」

「最近、ベッドが良すぎて寝過ぎちゃって、肩が凝るのよ。あなたが揉んで」

側近の一人が泡を吹いて倒れた音がした。

皇帝にマッサージを要求する人間など、有史以来、彼女が初めてだろう。

だが、私は怒りを感じるどころか、その状況を楽しんでいた。

「……いいだろう」

私は彼女の背後に回り、その華奢な肩に手を置いた。

「え、本当にやるの? あなた、プライドとかないの?」

「君限定で放棄することにした」

「変な皇帝……あ、そこ! そこよ! うまいじゃない!」

「……剣を振っているからな。筋肉の構造は熟知している」

「もっと右! 強めに! ……あー、極楽……」

ミリオネは目を細め、猫のように喉を鳴らした。

無防備なうなじが見える。

その白さに、私は不覚にも見惚れてしまった。

彼女を手に入れたい。

側近としてではなく、もっと別の形で。

この奔放な小鳥を籠に閉じ込めるのではなく、私の庭で自由にさえずらせておきたい。

そのためには――。

「……ミリオネ。一生、ここで暮らす気はないか?」

私は揉む手に少しだけ力を込めて尋ねた。

彼女は気持ちよさそうに目を閉じたまま、即答した。

「条件によるわね。一日三食昼寝付き、公務なし、苦情処理なし、あと週に一度の高級エステ。これなら考えてあげてもいいわ」

「……交渉成立だ」

「えっ、本当に? 言質とったわよ?」

「ああ。書類を作成させよう」

私はニヤリと笑った。

彼女は気づいていない。

その条件を呑むということは、事実上の「皇后」として私の側に縛り付けられることと同義だということを。

「ふふ、チョロいわね、アレク」

「……ああ、チョロいな」

どっちがだ、と心の中で呟きながら、私は彼女の肩を揉み続けた。

執務室には、倒れた側近たちの呻き声と、ミリオネの満足げな寝息だけが響いていた。

観察日記、一日目。
対象:ミリオネ・ラ・ベル・フルール。
結果:極めて有能、かつ極めて怠惰。
所感:……可愛い。
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