悪役令嬢は婚約破棄に狂喜乱舞する!

猫宮かろん

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「……腹が減った。のどが渇いた。ここから出せ!」

地下の特別室(という名の牢獄)から、カイル王子の悲痛な叫びが響いていた。

鉄格子の向こうで、彼は白いタキシードをヨレヨレにし、力なく床に座り込んでいる。

「ミリオネはどこだ! あいつなら、きっと私に極上のワインを持ってきてくれるはずだ!」

「呼んだ?」

私は鉄格子の前に立った。

手にはワインではなく、分厚い紙の束を抱えている。

「おお! ミリオネ! 来てくれたか!」

カイルがパッと顔を輝かせ、格子にすがった。

「やはり君は私を見捨てなかったんだな! さあ、鍵を開けてくれ! そして食事を! 昨日のスープは味が薄すぎた!」

「食事の話は後よ」

私は冷淡に言い放ち、抱えていた書類の束をドサリと床に置いた。

ズシン、と重い音が響く。

「……なんだそれは? 愛の詩集か? それとも、私との思い出アルバムか?」

「請求書よ」

「……は?」

「聞こえなかった? せ・い・きゅ・う・しょ」

私は書類の一枚目を抜き取り、格子の隙間から彼に差し出した。

「カイル・ド・ロゼリア殿下。貴方に、これまでの未払い賃金および精神的苦痛に対する慰謝料を請求します」

「……い、慰謝料?」

カイルがポカンと口を開けたまま、紙を受け取る。

そこに書かれた数字を見て、彼の目が飛び出そうになった。

「ご、五億ガルドォッ!? なんだこのふざけた金額は!」

「ふざけてないわ。適正価格よ」

私は冷静に内訳を読み上げ始めた。

「まず、項目一。『王太子業務代行費用』。貴方がサボった公務の書類作成、予算折衝、外交文書の添削。これら三年分。深夜手当と休日出勤手当を含みます」

「そ、それは……君が好きでやっていたことだろう!?」

「好きで残業する人間がどこにいるのよ。次、項目二。『危機管理コンサルティング料』。リリィがやらかしたトラブルの尻拭い費用です。教科書の弁償、お茶会での失言フォロー、ドレスの修繕費……これらは特別危険手当として三割増しです」

「ぐぬぬ……」

「そして項目三。これが一番高いわよ。『精神的苦痛に対する慰謝料』」

私はニッコリと笑った。

「貴方の自作ポエムを聞かされた時間は、私にとって拷問でした。一節につき金貨一枚。さらに、デートのたびに遅刻された待機時間、及び『君は可愛くない』というモラハラ発言へのペナルティ。……全部合わせて、五億ガルドです」

「ば、馬鹿な……! そんな金、払えるわけがないだろう!」

カイルが紙を震える手で握りしめる。

「それに、私は王子だぞ! 未来の国王だぞ! こんな紙切れ一枚で……!」

「あら、紙切れ一枚で国を傾けたのは誰だったかしら?」

私が冷ややかに指摘すると、カイルは言葉を詰まらせた。

そこへ、背後からアレクシスがゆっくりと歩いてきた。

「……支払いが難しいようだな、カイル殿下」

「皇帝! 君からも言ってくれ! これは横暴だ!」

「いや、正当な請求だ。帝国の法律に照らし合わせても、ミリオネ嬢の労働は搾取されていたと認定できる」

アレクシスは楽しそうに、カイルの前に一枚の羊皮紙を広げた。

「そこでだ。現金がないなら、現物支給でも構わんぞ」

「げ、現物……?」

「ロゼリア王国の国境付近にある『鉱山』の採掘権。あれを帝国の管理下に譲渡するなら、この借金を肩代わりしてやってもいい」

「なっ……! 領土を売れと言うのか!?」

「嫌なら、ミリオネに五億払え。今すぐ、ここで」

アレクシスと私。

二人の「取り立て屋」に挟まれ、カイルは青ざめた。

「くっ……くそぉ……! どうしてこうなった……!」

「自業自得よ」

私は格子の隙間から、もう一本のペンを差し出した。

「さあ、選んで。鉱山を差し出すか、それともここで一生、借金のカタとして強制労働に従事するか」

「きょ、強制労働……!?」

「帝国の地下水路掃除は人手不足なの。三十年くらい働けば、元金くらいは返せるんじゃない?」

「嫌だぁぁぁ! 暗いのも汚いのも嫌だぁぁぁ!」

カイルが頭を抱えて泣き叫ぶ。

「払う! 払えばいいんだろう! 鉱山でも何でも持っていけぇ!」

「言質(げんち)とったわよ」

私はすかさず、譲渡契約書を差し出した。

「はい、サイン」

「ううう……ミリオネ……君は悪魔だ……」

カイルは涙ながらにサインをした。

その手は震え、筆跡はミミズが這ったようだったが、契約としては有効だ。

「毎度あり」

私は契約書を回収し、ポンと指で弾いた。

「これでチャラにしてあげる。優しい私に感謝してね」

「……覚えていろ……! いつか必ず、この屈辱を……!」

「はいはい。負け犬の遠吠えは有料オプションよ。聞きたければ追加料金払って」

私が背を向けると、カイルはガクリと膝をついた。

「……リリィ……会いたいよぉ……」

「あ、リリィなら今、裏の畑でトマトと格闘してるわよ。あなたよりよっぽど生産的ね」

私は捨て台詞を残し、アレクシスと共に地下牢を後にした。

階段を上がりながら、アレクシスが喉の奥で笑った。

「……見事な手際だ、ミリオネ。これで我が国は、労せずしてロゼリアの重要資源を手に入れた」

「当然よ。タダで転ぶ私じゃないわ」

私は契約書をヒラヒラと振った。

「あの馬鹿王子の労働力なんてたかが知れてるけど、鉱山なら国益になるわ。これで私の『マンゴー食べ放題』の権利も永久保証してよね」

「ああ、約束しよう」

アレクシスは私の肩を抱き寄せた。

「しかし、カイルも哀れだな。愛だの恋だの言っている間に、国の一部を切り取られるとは」

「勉強代としては安いくらいよ」

私は鼻で笑った。

「さて、次は聖女リリィの様子でも見に行きましょうか。あの子、本当にトマトを作れるのかしら」

「君が与えた試練だ。見届けてやれ」

私たちは明るい日差しの中へと戻っていく。

地下の暗闇に残されたカイル王子の「ちくしょぉぉぉ!」という叫び声は、もはや心地よいBGMでしかなかった。

だが、この時の私はまだ知らなかった。

カイル王子が、ただ泣き寝入りするような男ではないことを。

彼の中に眠る、ある種の「しぶとさ(逆ギレ)」が、最悪の形で爆発する瞬間が近づいていることを。
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