悪役令嬢は婚約破棄に狂喜乱舞する!

猫宮かろん

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「ミリオネ様ぁ! ずるいです! 不公平です! 憲法違反ですぅ!」

翌朝。

私が優雅に朝のクロワッサンを(三つ目を)手に取ろうとした瞬間、ダイニングルームの扉がバーンと開かれた。

飛び込んできたのは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした聖女リリィだ。

彼女の後ろでは、衛兵たちが「す、すみません! 『トイレに行きたい』と泣き叫ぶので出したら、猛ダッシュで……!」と息を切らしている。

「……朝から騒々しいわね」

私はクロワッサンを置き、ナプキンで口を拭った。

「何が不公平なの? 囚人食のスープ、具が入ってなかった?」

「違いますぅ! お部屋です、お部屋!」

リリィが地団駄を踏む。

「昨日の夜、鉄格子の隙間から見えたんです! ミリオネ様のお部屋に、天蓋付きのベッドと、山のようなお菓子と、最新式の魔導マッサージチェアがあるのを!」

「……視力いいわね、あなた。野生動物並み?」

「ひどいです! 私とカイル様のお部屋は石造りで、ベッドは藁(わら)ですよ!? 背中がチクチクして眠れませんでしたぁ!」

リリィは私のテーブルににじり寄ってきた。

「交換してください! 私もフカフカのベッドで寝たいです! あと、その美味しそうなパンも食べたいです!」

彼女の手が、私のクロワッサンに伸びる。

ピシッ。

私は持っていたフォークで、テーブルの縁を軽く叩いて威嚇した。

「……お手」

「きゃっ!」

リリィが手を引っ込める。

「いい? リリィちゃん。よく聞きなさい」

私は彼女を諭すように言った。

「私はね、この国の『財務顧問』として働いているの。対価としてこの生活があるの。あなたたちは何? 『国を傾けた不法入国者』でしょう? 石の部屋があるだけ感謝してほしいわね」

「でもぉ……私、聖女ですよ?」

リリィが首を傾げる。

出た。伝家の宝刀「私、聖女ですよ」。

ロゼリア王国では、この一言で全ての理不尽がまかり通っていたらしい。

「聖女だから何? ここでは『聖女割引』は適用されないわよ」

「割引じゃなくてぇ、敬ってほしいんですぅ! チヤホヤして、美味しいものを貢いで、困ったことがあったら助けてくれる……それが聖女の扱いじゃないんですかぁ?」

「それは聖女じゃなくて『ペット』よ」

私は呆れてため息をついた。

「この国でご飯を食べたいなら、労働しなさい。あるいは対価を払いなさい。それがルールよ」

「労働……?」

リリィが嫌そうな顔をする。

「私、か弱いから力仕事は無理ですぅ。計算も苦手だしぃ……あ、そうだ!」

彼女がパッと顔を輝かせた。

「歌なら歌えます! お花に水をあげるのも得意です! これでどうですか!?」

「……市場価値ゼロね」

「ガーン!」

「歌はプロの歌手がいるし、水やりは庭師の仕事よ。あなたの素人芸にお金を払う物好きはいないわ」

私がバッサリ切り捨てると、リリィは「ううぅ……」と涙目になった。

しかし、この女はここからが強かった。

「……じゃあ、ミリオネ様のお世話係をやります!」

「は?」

「私、ミリオネ様のメイドになります! そうすれば、このお城にいられますよね!? ご飯も食べられますよね!?」

予想外の提案に、私は眉をひそめた。

「あなたにメイドが務まるとは思えないけど」

「できますぅ! 私、カイル様の靴下を履かせるのだけは得意なんです!」

「……どんな特技よ」

まあいい。

少し懲らしめるつもりで、私は意地悪く笑った。

「わかったわ。じゃあ、採用試験をしてあげる」

「本当ですか!?」

「ええ。とりあえず、そこのティーポットからお茶を注いでみなさい。一滴もこぼさずにね」

「任せてください!」

リリィは自信満々にティーポットを持ち上げた。

しかし。

「えいっ!」

ドバァッ!

「……」

「……あ」

カップに注がれるはずの紅茶は、見事な放物線を描いてテーブルクロスの上に湖を作った。

「……こぼしたわね」

「ち、違います! ポットが重かったんです! 私のせいじゃありません!」

「道具のせいにするな。不採用」

「もう一回! もう一回だけチャンスをください!」

リリィが泣きつく。

そこへ、背後から楽しそうな声がかかった。

「騒がしいと思ったら、新しいメイドの面接か?」

アレクシスだ。

彼は朝の公務を終えたのか、軍服姿で現れた。

「アレクシス様ぁ~!」

リリィがターゲットを変え、彼に駆け寄る。

「聞いてくださいぃ! ミリオネ様がいじめるんですぅ! 私、ただ美味しいパンが食べたいだけなのにぃ!」

彼女は上目遣いで、アレクシスの腕にすがりつこうとした。

しかし、アレクシスはヒラリと身をかわした。

「おっと。私の半径一メートル以内はミリオネ専用エリアだ。立ち入り禁止だぞ」

「えぇ~? ケチぃ~!」

「リリィ嬢。君がこの城に住みたい理由は分かった。要するに『贅沢がしたい』ということだな?」

「はい! 正直に言えばそうです!」

なんて正直な欲望だ。ある意味清々しい。

アレクシスはニヤリと笑い、私を見た。

「どうする? ミリオネ。彼女を飼うか?」

「お断りよ。餌代の無駄だわ」

私は即答した。

「でも、地下牢に置いておくのも五月蝿(うるさ)そうだし……」

私は少し考え、名案を思いついた。

「そうだわ。リリィちゃん、あなた『お花畑』が好きよね?」

「はい! 大好きですぅ!」

「この城の裏に、広大な土地があるの。そこをあなたにあげるわ」

「えっ! 土地を!? すごぉい!」

リリィが飛び跳ねて喜ぶ。

「そこで好きにお花を育てていいわよ。あ、ついでに野菜も育てなさい。自給自足よ。自分が食べる分は自分で作る。これなら文句ないでしょ?」

「わぁ……! 私だけの農園……! スローライフですねぇ!」

リリィは目を輝かせている。

彼女は気づいていない。

そこがただの「荒れ地」であり、これから開墾しなければならないという過酷な現実を。

「よし、決まりね。衛兵! この子を裏の『第三農場予定地』へ連れて行って! 鍬(くわ)と種を渡してあげて!」

「はっ!」

「やったぁ! ミリオネ様、ありがとうございますぅ! 私、立派なトマトを作って見返してやりますからねぇ!」

リリィは衛兵に連れられ、スキップしながらダイニングを出て行った。

嵐が去り、静寂が戻る。

「……たくましいな、あの子は」

アレクシスがポツリと言った。

「ええ。馬鹿と天才は紙一重って言うけど、彼女の場合は『馬鹿とポジティブ』が融合してるわね」

私は冷めた紅茶を飲み干した。

「でも、これで少しは静かになるでしょ。土いじりは精神安定に良いらしいし」

「……君は鬼だな」

「教育的指導よ。……さ、カイル王子の分も残さず食べて、午後からの仕事に備えましょうか」

「カイルはどうする?」

「彼は別メニューよ。リリィが作ったトマトができるまで、断食でもしてればいいわ」

私は新たなクロワッサンを手に取り、悪役令嬢らしい高笑い(心の中で)を上げた。

しかし数日後。

私たちは驚愕することになる。

リリィが、その謎の「聖女パワー(?)」を使って、荒れ地を一晩でジャングルのような豊作地帯に変えてしまうことを。

そして、大量のトマトを持って「見てくださいぃ! トマト祭りですぅ!」と城に雪崩れ込んでくることを、まだ知る由もなかった。
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