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「……臭いわね」
城の正門前。
私はハンカチで鼻を覆いながら、目の前に引き出された二人組を見下ろした。
数日間の「強制労働体験」を終えたカイル王子と聖女リリィだ。
カイルはヘドロまみれの作業着、リリィは泥だらけのモンペ姿。
かつての煌びやかな衣装は見る影もなく、二人からは熟成されたドブと肥料の香りが漂っている。
「うぅ……手が……手が荒れちゃいましたぁ……」
リリィがささくれ立った指を見つめて泣いている。
「腰が……腰が砕けそうだ……」
カイルは杖代わりのモップにすがって立っているのがやっとだ。
「ご苦労様。二人とも、なかなか似合ってるわよ」
私が声をかけると、カイルがビクリと震えて顔を上げた。
「ミ、ミリオネ……! もう許してくれ! 十分に反省した! だから風呂に入らせてくれ!」
「お風呂? 残念ながら時間切れよ」
私は横に立つアレクシスに視線を送った。
アレクシスは重々しく頷き、一枚の書状を取り出した。
「カイル・ド・ロゼリア、およびリリィ・ホワイト。貴国より正式な返答が届いた」
「へ、返答……? 父上からか!?」
カイルの目に希望の光が宿る。
「そうだ。国王陛下はこう仰っている。『その愚か者二名は、我が国の恥である。鉱山の譲渡と引き換えに身柄を引き取るが、王位継承権は剥奪し、平民として再教育を行う』とな」
「……は?」
カイルが凍りついた。
「へ、平民……? 私が……?」
「ああ。君はもう王子ではない。ただのカイル市民だ」
アレクシスは淡々と事実を告げる。
「そしてリリィ嬢。君の『聖女』の称号も剥奪されたそうだ。『奇跡を起こすどころか、国庫を食い潰す災厄』と認定された」
「うそぉぉぉ!? 私、ただのお花好きの女の子に戻っちゃうんですかぁ!?」
リリィが絶叫する。
「おめでとう。念願のスローライフが待ってるわよ」
私が拍手すると、二人は膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……嘘だ……嘘だと言ってくれ……!」
「私のトマト……まだ赤くなってないのにぃ……」
絶望する二人をよそに、ガラガラと音を立てて一台の馬車がやってきた。
窓のない、鉄格子付きの護送車だ。
「さあ、お迎えが来たわよ」
私は護送車を指差した。
「あれに乗って、懐かしの祖国へお帰りなさい。あ、運賃は着払いだから安心してね」
「い、嫌だぁぁぁ! あんな豚箱みたいな馬車に乗りたくない!」
カイルが抵抗し、地面を這いずり回る。
「ミリオネ! 頼む! 慈悲を! 君なら何とかできるだろう!? 私を執事として雇ってくれ! 靴磨きでもなんでもする!」
「不採用よ。私の靴が汚れるもの」
私は冷たく一蹴した。
「それに、貴方には莫大な借金(国債)があるの。平民として馬車馬のように働いて、国に返しなさい。三十年ローンくらいで組んでもらいなさいね」
「鬼ぃぃぃ! 悪魔ぁぁぁ!」
衛兵たちが二人の脇を抱え、荷物のように護送車へと放り込む。
「きゃあ! 優しくしてぇ!」
「離せ! 私は……私は元王子だぞぉぉぉ!」
ドナドナと連行されていく元婚約者たち。
護送車の扉がガチャンと閉められ、重い錠が下ろされた。
「……ふう」
私はその光景を見届け、大きく息を吐いた。
「さようなら、私の黒歴史」
心の中で、カイル王子との過去の全てをゴミ箱アイコンに入れて「削除」をクリックした気分だ。
スッキリした。
もう、胸のつかえは何もない。
「……終わったな」
アレクシスが私の肩に手を置く。
「ああ。呆気ない幕切れだったわね」
「彼らのおかげで、我が国は鉱山を手に入れ、貴国との外交優位性も確立できた。ある意味、益虫だったのかもしれん」
「皮肉がきついのは私譲りかしら?」
私が笑うと、アレクシスも釣られて笑った。
馬車が動き出す。
格子の隙間から、カイルの手が伸びているのが見える。
『ミリオネェェェ! 愛してたぞぉぉぉ! あと五億ガルドまけてくれぇぇぇ!』
最後の一言で台無しだ。
私は笑顔で手を振った。
「二度と来ないでね! あ、借金の利子はトイチだから気をつけて!」
馬車は砂煙を上げて去っていった。
遠ざかる騒音と共に、私の波乱万丈な「婚約破棄騒動」は、これにて完全決着を迎えたのだ。
正門前には、再び静寂が戻る。
「……さて」
私は背伸びをして、アレクシスを見上げた。
「邪魔者は消えたわ。平和な日常の再開ね」
「そうだな。……だが、まだ一つ、解決していない問題があるぞ」
「問題?」
「私のプロポーズの件だ」
アレクシスが、逃がさないとばかりに私の腰を引き寄せた。
「外敵は排除した。あとは内政問題だ。……いつ首を縦に振るんだ? ミリオネ」
「……っ!」
そうだった。
最大の難敵は、目の前にいるこのハイスペック皇帝だった。
「……ま、まだ検討中よ! 福利厚生のチェックが終わってないの!」
「時間はたっぷりあると言っただろう。一生かけて口説き落とすつもりだ」
「……しつこい男は嫌われるわよ」
「君には好かれている自信がある」
「な、なんというポジティブシンキング……! カイルと同レベルじゃない!」
「一緒にするな。私は結果を出す」
アレクシスは私の額に軽く口づけを落とした。
「城に戻ろう。今日はシェフが新作のタルトを用意しているそうだ」
「……タルト?」
「ああ。季節のフルーツをふんだんに使った、宝石のようなタルトだ」
「……くっ、卑怯な手口ね」
私の胃袋を人質に取るなんて。
でも、悪い気はしない。
私は諦めたように、彼に身を預けた。
「……分かったわよ。タルトを食べながら、話の続きを聞いてあげる」
「感謝する、我が愛しき財務顧問殿」
私たちは寄り添って城へと戻っていく。
背後には、澄み渡るような青空が広がっていた。
もう、過去のしがらみはない。
ここから始まるのは、私の、私による、私のための「最高に自由で贅沢な人生」だ。
……たぶん、隣にこの皇帝がいる限り、退屈することだけはなさそうだけど。
城の正門前。
私はハンカチで鼻を覆いながら、目の前に引き出された二人組を見下ろした。
数日間の「強制労働体験」を終えたカイル王子と聖女リリィだ。
カイルはヘドロまみれの作業着、リリィは泥だらけのモンペ姿。
かつての煌びやかな衣装は見る影もなく、二人からは熟成されたドブと肥料の香りが漂っている。
「うぅ……手が……手が荒れちゃいましたぁ……」
リリィがささくれ立った指を見つめて泣いている。
「腰が……腰が砕けそうだ……」
カイルは杖代わりのモップにすがって立っているのがやっとだ。
「ご苦労様。二人とも、なかなか似合ってるわよ」
私が声をかけると、カイルがビクリと震えて顔を上げた。
「ミ、ミリオネ……! もう許してくれ! 十分に反省した! だから風呂に入らせてくれ!」
「お風呂? 残念ながら時間切れよ」
私は横に立つアレクシスに視線を送った。
アレクシスは重々しく頷き、一枚の書状を取り出した。
「カイル・ド・ロゼリア、およびリリィ・ホワイト。貴国より正式な返答が届いた」
「へ、返答……? 父上からか!?」
カイルの目に希望の光が宿る。
「そうだ。国王陛下はこう仰っている。『その愚か者二名は、我が国の恥である。鉱山の譲渡と引き換えに身柄を引き取るが、王位継承権は剥奪し、平民として再教育を行う』とな」
「……は?」
カイルが凍りついた。
「へ、平民……? 私が……?」
「ああ。君はもう王子ではない。ただのカイル市民だ」
アレクシスは淡々と事実を告げる。
「そしてリリィ嬢。君の『聖女』の称号も剥奪されたそうだ。『奇跡を起こすどころか、国庫を食い潰す災厄』と認定された」
「うそぉぉぉ!? 私、ただのお花好きの女の子に戻っちゃうんですかぁ!?」
リリィが絶叫する。
「おめでとう。念願のスローライフが待ってるわよ」
私が拍手すると、二人は膝から崩れ落ちた。
「そ、そんな……嘘だ……嘘だと言ってくれ……!」
「私のトマト……まだ赤くなってないのにぃ……」
絶望する二人をよそに、ガラガラと音を立てて一台の馬車がやってきた。
窓のない、鉄格子付きの護送車だ。
「さあ、お迎えが来たわよ」
私は護送車を指差した。
「あれに乗って、懐かしの祖国へお帰りなさい。あ、運賃は着払いだから安心してね」
「い、嫌だぁぁぁ! あんな豚箱みたいな馬車に乗りたくない!」
カイルが抵抗し、地面を這いずり回る。
「ミリオネ! 頼む! 慈悲を! 君なら何とかできるだろう!? 私を執事として雇ってくれ! 靴磨きでもなんでもする!」
「不採用よ。私の靴が汚れるもの」
私は冷たく一蹴した。
「それに、貴方には莫大な借金(国債)があるの。平民として馬車馬のように働いて、国に返しなさい。三十年ローンくらいで組んでもらいなさいね」
「鬼ぃぃぃ! 悪魔ぁぁぁ!」
衛兵たちが二人の脇を抱え、荷物のように護送車へと放り込む。
「きゃあ! 優しくしてぇ!」
「離せ! 私は……私は元王子だぞぉぉぉ!」
ドナドナと連行されていく元婚約者たち。
護送車の扉がガチャンと閉められ、重い錠が下ろされた。
「……ふう」
私はその光景を見届け、大きく息を吐いた。
「さようなら、私の黒歴史」
心の中で、カイル王子との過去の全てをゴミ箱アイコンに入れて「削除」をクリックした気分だ。
スッキリした。
もう、胸のつかえは何もない。
「……終わったな」
アレクシスが私の肩に手を置く。
「ああ。呆気ない幕切れだったわね」
「彼らのおかげで、我が国は鉱山を手に入れ、貴国との外交優位性も確立できた。ある意味、益虫だったのかもしれん」
「皮肉がきついのは私譲りかしら?」
私が笑うと、アレクシスも釣られて笑った。
馬車が動き出す。
格子の隙間から、カイルの手が伸びているのが見える。
『ミリオネェェェ! 愛してたぞぉぉぉ! あと五億ガルドまけてくれぇぇぇ!』
最後の一言で台無しだ。
私は笑顔で手を振った。
「二度と来ないでね! あ、借金の利子はトイチだから気をつけて!」
馬車は砂煙を上げて去っていった。
遠ざかる騒音と共に、私の波乱万丈な「婚約破棄騒動」は、これにて完全決着を迎えたのだ。
正門前には、再び静寂が戻る。
「……さて」
私は背伸びをして、アレクシスを見上げた。
「邪魔者は消えたわ。平和な日常の再開ね」
「そうだな。……だが、まだ一つ、解決していない問題があるぞ」
「問題?」
「私のプロポーズの件だ」
アレクシスが、逃がさないとばかりに私の腰を引き寄せた。
「外敵は排除した。あとは内政問題だ。……いつ首を縦に振るんだ? ミリオネ」
「……っ!」
そうだった。
最大の難敵は、目の前にいるこのハイスペック皇帝だった。
「……ま、まだ検討中よ! 福利厚生のチェックが終わってないの!」
「時間はたっぷりあると言っただろう。一生かけて口説き落とすつもりだ」
「……しつこい男は嫌われるわよ」
「君には好かれている自信がある」
「な、なんというポジティブシンキング……! カイルと同レベルじゃない!」
「一緒にするな。私は結果を出す」
アレクシスは私の額に軽く口づけを落とした。
「城に戻ろう。今日はシェフが新作のタルトを用意しているそうだ」
「……タルト?」
「ああ。季節のフルーツをふんだんに使った、宝石のようなタルトだ」
「……くっ、卑怯な手口ね」
私の胃袋を人質に取るなんて。
でも、悪い気はしない。
私は諦めたように、彼に身を預けた。
「……分かったわよ。タルトを食べながら、話の続きを聞いてあげる」
「感謝する、我が愛しき財務顧問殿」
私たちは寄り添って城へと戻っていく。
背後には、澄み渡るような青空が広がっていた。
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