婚約破棄?これからは、推しの殿下のトップオタクとして生きていきますわ!

黒猫かの

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「……なあ、リリアン。私は、間違ったことはしていないよな?」

 王宮の庭園、美しいバラに囲まれた東屋で。
 ヴィルフリート殿下は、ティーカップを手に持ったまま、虚空を見つめて呟きました。

「えっ? はい、もちろんですよ、殿下。メメル様はあんなに恐ろしい嫌がらせを私に……。婚約破棄は当然の報いですわ」

 リリアンは精一杯の愛らしさで微笑み、殿下のカップに紅茶を注ぎ足しました。
 しかし、殿下の眉間の皺は深くなるばかりです。

「そうだよな。あいつは私の婚約者という立場を利用して、私の周囲を嗅ぎ回り、私の私物を収集し、挙げ句の果てには私の寝顔をスケッチしていた。……あれは、間違いなく悪女の所業だった」

「……はい、聞いているだけで震えが止まりません」

「だが……。あの日、私が婚約破棄を告げた時の、あいつの顔が忘れられないんだ」

 殿下は、脳裏に焼き付いたメメルの表情を思い出しました。
 絶望でもなく、怒りでもなく、ましてや悲しみでもない。

 それは、真夏の太陽よりも眩しく、百合の花よりも清らかな……「救済を得た聖女」のような、一点の曇りもない満面の笑み。

「あんなに嬉しそうな顔をされると、まるで私が……あいつに最高のご褒美をプレゼントしてしまったような気分になる。私はあいつを罰したはずなのに、なぜ私の方が敗北感を味わっているんだ?」

「それは……メメル様が、ショックのあまり現実逃避されているだけですよ。きっと、お屋敷に帰って一人で泣いているはずですわ」

 リリアンがそう慰めた、その時でした。

「お言葉ですが、リリアン様。お嬢様は昨夜、過去最高に高い血圧とアドレナリン値を叩き出し、鼻歌交じりに殿下の祭壇を三倍の大きさに拡張しておりました」

 ガサリ、と茂みが揺れ。
 執事のセバスが、どこからともなく現れて深々と頭を下げました。

「うわあああ!? また貴様か! ここは王宮の、それも私のプライベートな庭園だぞ! なぜ公爵家の執事が当たり前のように庭師のふりをして潜んでいる!」

「失礼いたしました。お嬢様が『殿下のティータイムの背景に、黄色い花が足りない気がするわ』とおっしゃったので、急ぎパンジーを植えに参った次第です」

「……余計なお世話だ! というか、メメルはどうした! あいつはどこにいる!」

 殿下が周囲を警戒するように見回すと、セバスは静かに指を指しました。

「あちらの、時計塔の三階部分をご覧ください。あそこで不自然に反射している光が、お嬢様の『遠見の魔道具』にございます」

 殿下が目を凝らして時計塔を見上げると、そこには確かに、キラリと光るレンズのようなものが見えました。
 そして、風に乗って微かに、しかし確実に「尊い……ッ!」という叫び声が聞こえてきた気がしました。

「……あいつ、あんな遠くから監視しているのか? 私の視界に入るなと言ったからか?」

「左様でございます。お嬢様は『殿下という太陽を直視するのは、もはや畏れ多い。これからは反射光(リフレクション)を愛でる月になる』と、独自の哲学を開眼させておいでです」

「意味が分からん! 月になるなら、夜だけにしてくれ!」

 殿下は頭を抱えて座り込みました。
 これまで、多くの令嬢が彼を誘惑しようと近づいてきました。
 媚を売る者、涙を見せる者、家柄を盾にする者……。

 しかし、「婚約破棄されて、より一層元気に、遠くから拝み倒してくる者」など、前代未聞です。

「リリアン。……私は、あいつに『二度と顔を見せるな』と言った。それは、あいつが私に恋い焦がれて、苦しむ姿を想像していたからだ。だが、あいつは苦しむどころか、今の方が人生を楽しんでいるように見える」

「殿下……。そんな、メメル様のことばかり考えては、彼女の思う壺ですわ」

「わかっている。わかっているんだが……。あいつが私を見ない(物理的には見ているが、婚約者として接してこない)ことが、これほどまでに落ち着かないものだとは……」

 殿下は、自分の中にある奇妙な「独占欲」のようなものに気づき、戦慄しました。
 あんなに不気味で、あんなにストーカー気質だった女なのに。

 いざ「婚約者」という公的な絆が切れて、彼女が「自由なファン」という制御不能な存在になった途端、自分の方が彼女の掌の上で転がされているような……そんな錯覚に陥るのです。

「……セバス。メメルに伝えろ。そんな遠くからコソコソせずに、用があるなら正々堂々と来い、とな!」

「殿下、それは『ファンレターの返信』と受け取ってよろしいでしょうか?」

「違う! 苦情だ、ただの苦情だ!」

「承知いたしました。『殿下、ツンデレの極致へ』というタイトルでお伝えしておきます」

「タイトルをつけるなと言っているだろう!」

 殿下の叫び声に、時計塔のレンズが一段と激しく光りました。
 おそらく、メメルが感激のあまり魔道具を振り回しているのでしょう。

 ヴィルフリート殿下は、自分の人生が、この「婚約破棄」を境に、取り返しのつかない迷路に迷い込んでしまったことを予感せずにはいられませんでした。

「……リリアン。あいつのあの笑顔……。本当は、私が振られたんじゃないのか?」

「殿下! しっかりしてください! 振ったのは殿下の方ですわ!」

 春の風が、メメルの歓喜の叫びを、優しく、しかし執拗に殿下の耳へと運んでくるのでした。
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