婚約破棄、取り消せませんわよ?

黒猫かの

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「閣下。単刀直入に申し上げます。この領地は『貧乏』です」

ピカピカに磨き上げられた屋敷の会議室。

ネリネは、巨大な世界地図と財務諸表を黒板に貼り出し、指示棒でバンッ!と叩いた。

円卓に座らされているのは、領主シリウス、騎士団副団長のボルグ、そして前回拾ってきたエルフの少女(名前はポポに決まった)である。

「び、貧乏……いや、食うには困ってないぞ? 魔獣の肉はあるし」

シリウスが反論するが、ネリネは冷ややかな目で却下する。

「エンゲル係数が高すぎます。肉があっても、武器のメンテナンス費用、魔法薬の購入費、そして冬の暖房燃料……現金(キャッシュ)が圧倒的に足りていません。このままでは、冬が来るたびに騎士たちが凍え死ぬ『自転車操業』ですわ」

「うぐっ……痛いところを」

「そこで! 私が提案するのが『特産品開発プロジェクト』です!」

ネリネは卓上の布をバサリと取り払った。

そこには、いくつかの小瓶が並んでいた。

中には、キラキラと輝く半透明の液体や、若草色のクリームが入っている。

「これは?」

「先日狩ったフレイム・グリズリーの脂と、ポポが森で見つけた薬草『雪解け草』を調合した、特製保湿クリームです。名付けて『北の乙女の柔肌クリーム(仮)』」

ネリネは自らの手の甲にクリームを塗り、見せつける。

「見てください、この浸透圧。乾燥した北の風にも負けず、肌がモチモチになります。王都の貴族女性なら、小瓶一つに金貨一枚は出すでしょう」

「き、金貨一枚だと!?」

ボルグが椅子から転げ落ちそうになる。

「熊の脂なんて、いつも捨ててたぞ……!」

「資源の廃棄ロスです。もったいないオバケが出ますわよ」

ネリネは呆れる。

「さらに、こちらの液体は『氷狼(アイスウルフ)の牙』を粉末にして溶かしたもの。微弱な冷気を発するため、夏場の『携帯クーラー』として売れます」

「なるほど……お前の頭の中はどうなってるんだ」

シリウスが感心半分、呆れ半分で唸る。

「すべては『効率』です。あるものを使い、付加価値をつけて高く売る。商売の基本ですわ」

その時、部屋の扉がノックされた。

「閣下! 王都の商会から、商人が到着しました!」

「来たか。通せ」

現れたのは、でっぷりと太った男だった。

高そうな服を着ているが、その目は卑しく光っている。

王都の大手商会『金金(カネガネ)商会』の支店長、ボッタクリスだ(本名)。

「へっへっへ。シリウス辺境伯閣下、遠路はるばる来て差し上げましたよ。今回も魔獣の素材を買い取って欲しいとか? まあ、ウチ以外にこんな田舎に来る物好きはいませんからなぁ」

ボッタクリスは、シリウスに対して慇懃無礼な態度をとる。

彼は足元を見ていた。

他の商会が寄り付かないこの地では、価格決定権は自分にあると確信しているのだ。

「ああ。今回は新しい商品がある。これを見てくれ」

シリウスがクリームの瓶を差し出す。

ボッタクリスはそれを手に取り、蓋を開けて臭いを嗅いだ。

そして、鼻で笑った。

「フン。なんですかこれ? 田舎臭い薬ですな。熊の脂? 野蛮な臭いがプンプンしますよ」

「なっ……!」

ボルグが怒りで立ち上がろうとするが、ボッタクリスは続ける。

「まあ、せっかく作ったようですし、同情で買い取ってあげましょう。小瓶一つにつき、銅貨五枚。これでどうです?」

「銅貨五枚!? ふざけるな! 容器代にもならねぇぞ!」

シリウスが机を叩く。

しかし、商人はニヤニヤと笑うだけだ。

「嫌なら結構。他に売り先があるなら、そちらへどうぞ? ……まあ、あるわけないでしょうがねぇ!」

「ぐぬぬ……」

シリウスが拳を震わせる。

辺境の武人は、剣の腕はあっても、商売の駆け引きには弱い。

そこをつけ込まれているのだ。

完全に商人のペースだった。

――その時までは。

「あら。銅貨五枚とは、ずいぶんと『夢見がち』な価格設定ですこと」

凛とした声が響いた。

それまで黙ってポポにお菓子を与えていたネリネが、ゆっくりと立ち上がった。

「あん? 誰だね、君は。ここは男の仕事場だぞ、お嬢ちゃん」

商人が蔑むような目で見る。

ネリネは優雅に扇子を開き、口元を隠して笑った。

「お初にお目にかかります。わたくし、この領の財務顧問を務めております、ネリネと申します」

「ネリネ? はて、どこかで……」

「それはさておき。ボッタクリスさん、貴方はこのクリームの成分分析もせずに値付けをしましたね? プロとしていかがなものかしら」

ネリネは商人の手から小瓶を奪い取ると、光にかざした。

「ここに使われている『雪解け草』は、王都の錬金術師ギルドでも希少素材指定されているSランク薬草。市場価格は乾燥葉一枚で金貨三枚。この瓶にはそれが三枚分凝縮されています」

「なっ……!?」

商人の顔色が変わる。

「そ、そんな雑草がSランクなわけが……!」

「知らないのですか? 最新の『王立薬学ジャーナル』三月号に論文が掲載されていますわよ。アンチエイジング効果が認められたと。商人なら情報のアップデートは常識でしょう?」

ネリネは畳み掛ける。

「原価だけで金貨十枚相当。それに加工費、ブランド料、そして私の技術料を上乗せすれば、卸値は金貨十五枚が妥当。それを銅貨五枚? ……詐欺罪で訴えられても文句は言えませんわね」

「ぐ、ぐぐぐ……!」

商人は脂汗をかき始めた。

この小娘、ただの飾りではない。

知識量が違う。

「そ、それに! ウチは運搬のリスクも負っているんだ! こんな危険な場所まで来る手間賃を考えれば……!」

「リスク? おかしなことを仰いますね」

ネリネは懐から一冊の帳簿を取り出した。

「調べさせていただきました。貴方の商会、帰りの荷馬車に『岩塩』を隠して運んでいますわよね?」

「ひいっ!?」

「国境付近での岩塩の無許可採掘および持ち出しは、重罪です。貴方は『魔獣素材の買取』を表向きの理由にして、実は密輸で暴利を貪っていた。……違いますか?」

シーンと静まり返る会議室。

シリウスとボルグが、恐ろしいものを見る目で商人(とネリネ)を見ている。

「な、ななな、なぜそれを……!?」

「商会の動きと、馬車の車軸の沈み具合を見れば計算できます。積載量が申告書と合いませんもの」

ネリネは帳簿をパタンと閉じ、冷徹な死刑宣告を下した。

「さて、どうします? この件、シリウス閣下の名で王都の監査局に通報してもよろしいのですが?」

「ま、待ってください! それだけは!」

商人はその場で土下座した。

「な、何でもします! 言うことを聞きますから!」

「何でも? 良い心がけです。効率的な交渉ができそうで安心しました」

ネリネはニッコリと微笑み、あらかじめ用意していた分厚い契約書をドンと置いた。

「では、この『独占販売契約書』にサインを。条件は、売上の七割を辺境伯家へ還元。運搬コストは全額商会持ち。さらに、今後一切の不当な買い叩きを禁止します」

「な、七割!? そ、そんな無茶な!」

「嫌なら通報です。岩塩の密輸が見つかれば、貴方は鉱山送りの強制労働。どちらが『マシ』な未来か、計算するまでもありませんわね?」

「ヒィィィッ! サインしますぅぅッ!」

商人は泣きながらペンを走らせた。

こうして、不利だった交渉は、ネリネの圧倒的な情報戦と脅迫――もとい、巧みな話術によって大逆転勝利に終わった。

商人が逃げるように去った後、会議室には静寂が戻った。

「……勝った」

ボルグが呆然と呟く。

「俺たちが何年も舐められ続けてきた相手に……完勝だ」

シリウスは腕を組み、ネリネを見つめた。

「お前……本当に悪役令嬢だったんだな」

「失礼な。正当な商行為です」

ネリネは契約書をチェックし、満足げに頷く。

「これで販路は確保しました。初年度の売上予測は金貨五千枚。これで冬の暖房費どころか、騎士団の装備を一新し、さらに温泉施設の建設まで視野に入ります」

「お、温泉……?」

シリウスの目が輝く。

辺境の男たちにとって、温かい風呂は夢のまた夢だった。

「はい。この屋敷の地下に熱源反応があります。掘れば出ますわ。労働後の入浴は疲労回復効率を三〇%向上させますから、必須設備です」

「ネリネ様ぁぁぁッ!!」

ボルグが感涙にむせび泣きながら、ネリネにすがりつこうとした(シリウスに止められた)。

シリウスは、小さく息を吐き、口元を緩めた。

「……かなわんな。剣でも口でも、お前には勝てそうにない」

「あら、勝負していたのですか? 私たちはパートナーでしょう?」

ネリネは小首をかしげる。

シリウスは少し顔を赤くし、そっぽを向いた。

「……ああ、そうだな。頼りにしてる」

その言葉は、どんな契約書よりも重く、そして温かい信頼の証だった。

ネリネもまた、扇子で口元を隠しながら、ふふっと笑った。

(チョロいですわね、閣下。でも、そんな素直なところも……悪くありませんわ)

こうして、辺境の貧乏脱却計画は、ロケットスタートを切った。

王都の令嬢たちが「北の乙女クリーム」を求めて行列を作る未来は、もうすぐそこまで来ていた。
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