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「総員、起床! 現在時刻は六時〇〇分! 朝の活動(モーニング・ルーティン)を開始します!」
数年後の北の辺境。
爽やかな朝の光が差し込むグラン辺境伯邸に、ネリネの凛とした号令が響き渡った。
「ママ、うるさーい」
「あとごふん……スヌーズ機能を作動させる……」
ベッドの毛布からモゾモゾと這い出してきたのは、二人の小さな子供たちだ。
四歳になる双子。
銀髪でやんちゃな男の子、レグルス。
金髪で少し目つきの鋭い(母親似の)女の子、スピカ。
ネリネは腰に手を当て、懐中時計をパチンと鳴らした。
「二度寝は却下します。レグルス、貴方の今日のタスクは『剣術ごっこ』ではなく『お片付け』です。スピカ、貴方は『二度寝の権利』を主張する前に、昨夜の絵本の読み聞かせ延長分(残業)を清算しなさい」
「えー、ママ細かいー」
「けいやくしゃかい、きびしい……」
子供たちはブツブツ言いながらも、テキパキとベッドメイキングを始める。
その動きには無駄がない。さすがはネリネの英才教育を受けているだけある。
そこへ、ドタドタと豪快な足音が近づいてきた。
「おーい! みんな起きてるかー!」
扉を開けて入ってきたのは、相変わらず熊のように大きく、そして以前よりも少しだけ髭に貫禄がついたシリウスだ。
「パパ!」
「高い高いしてー!」
子供たちがシリウスに飛びつく。
「よしよし! 今日も元気だな! レグルス、タックルの腰が入ってないぞ! スピカ、そこは関節だ、痛い!」
シリウスは二人の子供を両腕にぶら下げ、豪快に笑う。
「シリウス様。朝から心拍数を上げすぎです。子供たちが興奮して朝食の摂食効率が落ちますわよ」
ネリネが呆れつつも、愛おしそうに夫と子供たちを見る。
「ははっ、いいじゃないか。朝はこれくらい賑やかな方が目が覚める」
「……まあ、目覚まし時計(アラーム)代わりとしては優秀ですわね」
ネリネはふふっと笑い、夫の頬に「おはよう」のキスをした。
これが、今の辺境伯家の日常だ。
***
朝食後、ネリネは執務室へと向かった。
かつては書類の山で埋もれていたその部屋は、今では整然と片付き、窓からは美しく整備された領地が一望できる。
「ネリネ様! 今月の月次報告です!」
執務室に入ってきたのは、すっかり「敏腕秘書」の風格を漂わせるミモザだ。
「報告を。サマリー(要約)だけで結構です」
「はい! 温泉リゾート『北の湯』の来客数、前年比一二〇%増! 特産品のクリームと新作の『熊肉ジャーキー』も完売! 王都からの観光客が金を落としていく音が止まりません!」
ミモザがホクホク顔で報告書を渡す。
「素晴らしい。損益分岐点は完全に超えましたね。……で、王都支店の方は?」
「ギル店長(元王子)からも手紙が来てます。『皿洗いから店長に昇格した。今は新メニューの開発で忙しい。今度、子供たちにオモチャを送る』だそうです」
「ふむ。あの無能王子が、立派な納税者になりましたか」
ネリネは満足げに頷く。
ギデオンは王都の下町で、その体力と根性を活かして大衆食堂を繁盛させているらしい。
たまに「僕の筋肉を見てくれ」という暑苦しい手紙が届くのが玉に瑕だが。
「平和ですねぇ……。あの日、雪の中で行き倒れてたのが嘘みたい」
ミモザが窓の外を眺める。
外には、湯煙が立ち上る温泉街と、活気あふれる市場、そして楽しそうに行き交う人々の姿がある。
かつて「最果ての地獄」と呼ばれた場所は、今や「北の楽園」として国内外に知れ渡っていた。
「平和? いいえ、これは『恒常的な努力の結果』です」
ネリネはペンを回す。
「システムは維持管理(メンテナンス)しなければ腐ります。幸福も同じ。常に最適化し続けなければ、すぐに陳腐化しますわ」
「相変わらず厳しいなぁ。……でも、そんなネリネ様が一番幸せそうですよ?」
ミモザに指摘され、ネリネは少し顔を赤くした。
「……当然です。私は自分が幸せになるために、全リソースを投資したのですから。回収フェーズに入っただけです」
***
夕暮れ時。
ネリネは仕事を終え、屋敷の裏手にある丘へ登った。
そこには、シリウスと子供たちが待っていた。
「ママ、遅いー!」
「パパが『ママは働きマンだから』って言ってたー」
「……シリウス様? 子供に変な言葉を教えないでくださる?」
ネリネがジロリと睨むと、シリウスは「おっと」と肩をすくめた。
「事実だろ? ……ほら、ここ座れよ」
シリウスが隣のスペースを空ける。
ネリネは草の上に腰を下ろした。
眼下には、黄金色に輝く小麦畑と、夕日に染まる屋敷が見える。
「……大きくなったな、何もかも」
シリウスが呟く。
「畑も、街も、子供たちも」
「ええ。初期投資は大正解でしたわ」
「お前はまだ、俺たちを『投資対象』として見てるのか?」
「もちろんです。……ただし」
ネリネはシリウスの肩に頭を預けた。
「この投資には、満期(ゴール)がありません。一生かけて、複利で膨らんでいく『愛』という配当を受け取り続けるつもりです」
「……難しくてよく分からんが」
シリウスは笑い、その太い腕でネリネと、膝の上に乗ってきた子供たちをまとめて抱き寄せた。
「要するに、ずっと一緒にいるってことだろ?」
「翻訳すれば、そうなりますね」
レグルスとスピカが、二人の間でキャッキャと笑う。
「パパ、ママ、大好きー!」
「ボクもー!」
子供たちの体温。
夫の逞しい腕。
そして、自分が作り上げた豊かな景色。
ネリネは目を閉じ、胸いっぱいに広がる幸福感を噛み締めた。
かつて、全てを失い、断罪された悪役令嬢。
彼女は計算と合理性だけを武器に、この辺境へやってきた。
でも、最後に手に入れたものは、どんな計算式でも表せない、温かくて、不確かで、愛おしい「奇跡」だった。
「……ねえ、あなた」
「ん?」
「愛とは、世界で最も非合理的で、コストがかかり、リスクだらけの感情です」
ネリネはシリウスを見上げ、悪戯っぽく微笑んだ。
「ですが……投資する価値は、無限大(プライスレス)ですわね」
シリウスは優しく彼女の髪を撫でた。
「ああ。俺もそう思う」
夕日が沈み、一番星が輝き出す。
合理的で、騒がしく、そして最高に愛しい日々は、これからも続いていく。
「さあ、帰りますよ! 夕食の準備です! 今日のメニューは熊肉ハンバーグ、栄養バランスを考慮して野菜多めです!」
「えー、肉がいいー!」
「野菜も食べないと強くなれんぞ!」
「帰ったら手洗いとうがい! 風邪によるダウンタイムは許しません!」
家族の笑い声が、北の空に溶けていく。
悪役令嬢ネリネの物語は、ここで一旦幕を閉じる。
だが、彼女の「幸せの計算」は、きっと永遠に続いていくことだろう。
数年後の北の辺境。
爽やかな朝の光が差し込むグラン辺境伯邸に、ネリネの凛とした号令が響き渡った。
「ママ、うるさーい」
「あとごふん……スヌーズ機能を作動させる……」
ベッドの毛布からモゾモゾと這い出してきたのは、二人の小さな子供たちだ。
四歳になる双子。
銀髪でやんちゃな男の子、レグルス。
金髪で少し目つきの鋭い(母親似の)女の子、スピカ。
ネリネは腰に手を当て、懐中時計をパチンと鳴らした。
「二度寝は却下します。レグルス、貴方の今日のタスクは『剣術ごっこ』ではなく『お片付け』です。スピカ、貴方は『二度寝の権利』を主張する前に、昨夜の絵本の読み聞かせ延長分(残業)を清算しなさい」
「えー、ママ細かいー」
「けいやくしゃかい、きびしい……」
子供たちはブツブツ言いながらも、テキパキとベッドメイキングを始める。
その動きには無駄がない。さすがはネリネの英才教育を受けているだけある。
そこへ、ドタドタと豪快な足音が近づいてきた。
「おーい! みんな起きてるかー!」
扉を開けて入ってきたのは、相変わらず熊のように大きく、そして以前よりも少しだけ髭に貫禄がついたシリウスだ。
「パパ!」
「高い高いしてー!」
子供たちがシリウスに飛びつく。
「よしよし! 今日も元気だな! レグルス、タックルの腰が入ってないぞ! スピカ、そこは関節だ、痛い!」
シリウスは二人の子供を両腕にぶら下げ、豪快に笑う。
「シリウス様。朝から心拍数を上げすぎです。子供たちが興奮して朝食の摂食効率が落ちますわよ」
ネリネが呆れつつも、愛おしそうに夫と子供たちを見る。
「ははっ、いいじゃないか。朝はこれくらい賑やかな方が目が覚める」
「……まあ、目覚まし時計(アラーム)代わりとしては優秀ですわね」
ネリネはふふっと笑い、夫の頬に「おはよう」のキスをした。
これが、今の辺境伯家の日常だ。
***
朝食後、ネリネは執務室へと向かった。
かつては書類の山で埋もれていたその部屋は、今では整然と片付き、窓からは美しく整備された領地が一望できる。
「ネリネ様! 今月の月次報告です!」
執務室に入ってきたのは、すっかり「敏腕秘書」の風格を漂わせるミモザだ。
「報告を。サマリー(要約)だけで結構です」
「はい! 温泉リゾート『北の湯』の来客数、前年比一二〇%増! 特産品のクリームと新作の『熊肉ジャーキー』も完売! 王都からの観光客が金を落としていく音が止まりません!」
ミモザがホクホク顔で報告書を渡す。
「素晴らしい。損益分岐点は完全に超えましたね。……で、王都支店の方は?」
「ギル店長(元王子)からも手紙が来てます。『皿洗いから店長に昇格した。今は新メニューの開発で忙しい。今度、子供たちにオモチャを送る』だそうです」
「ふむ。あの無能王子が、立派な納税者になりましたか」
ネリネは満足げに頷く。
ギデオンは王都の下町で、その体力と根性を活かして大衆食堂を繁盛させているらしい。
たまに「僕の筋肉を見てくれ」という暑苦しい手紙が届くのが玉に瑕だが。
「平和ですねぇ……。あの日、雪の中で行き倒れてたのが嘘みたい」
ミモザが窓の外を眺める。
外には、湯煙が立ち上る温泉街と、活気あふれる市場、そして楽しそうに行き交う人々の姿がある。
かつて「最果ての地獄」と呼ばれた場所は、今や「北の楽園」として国内外に知れ渡っていた。
「平和? いいえ、これは『恒常的な努力の結果』です」
ネリネはペンを回す。
「システムは維持管理(メンテナンス)しなければ腐ります。幸福も同じ。常に最適化し続けなければ、すぐに陳腐化しますわ」
「相変わらず厳しいなぁ。……でも、そんなネリネ様が一番幸せそうですよ?」
ミモザに指摘され、ネリネは少し顔を赤くした。
「……当然です。私は自分が幸せになるために、全リソースを投資したのですから。回収フェーズに入っただけです」
***
夕暮れ時。
ネリネは仕事を終え、屋敷の裏手にある丘へ登った。
そこには、シリウスと子供たちが待っていた。
「ママ、遅いー!」
「パパが『ママは働きマンだから』って言ってたー」
「……シリウス様? 子供に変な言葉を教えないでくださる?」
ネリネがジロリと睨むと、シリウスは「おっと」と肩をすくめた。
「事実だろ? ……ほら、ここ座れよ」
シリウスが隣のスペースを空ける。
ネリネは草の上に腰を下ろした。
眼下には、黄金色に輝く小麦畑と、夕日に染まる屋敷が見える。
「……大きくなったな、何もかも」
シリウスが呟く。
「畑も、街も、子供たちも」
「ええ。初期投資は大正解でしたわ」
「お前はまだ、俺たちを『投資対象』として見てるのか?」
「もちろんです。……ただし」
ネリネはシリウスの肩に頭を預けた。
「この投資には、満期(ゴール)がありません。一生かけて、複利で膨らんでいく『愛』という配当を受け取り続けるつもりです」
「……難しくてよく分からんが」
シリウスは笑い、その太い腕でネリネと、膝の上に乗ってきた子供たちをまとめて抱き寄せた。
「要するに、ずっと一緒にいるってことだろ?」
「翻訳すれば、そうなりますね」
レグルスとスピカが、二人の間でキャッキャと笑う。
「パパ、ママ、大好きー!」
「ボクもー!」
子供たちの体温。
夫の逞しい腕。
そして、自分が作り上げた豊かな景色。
ネリネは目を閉じ、胸いっぱいに広がる幸福感を噛み締めた。
かつて、全てを失い、断罪された悪役令嬢。
彼女は計算と合理性だけを武器に、この辺境へやってきた。
でも、最後に手に入れたものは、どんな計算式でも表せない、温かくて、不確かで、愛おしい「奇跡」だった。
「……ねえ、あなた」
「ん?」
「愛とは、世界で最も非合理的で、コストがかかり、リスクだらけの感情です」
ネリネはシリウスを見上げ、悪戯っぽく微笑んだ。
「ですが……投資する価値は、無限大(プライスレス)ですわね」
シリウスは優しく彼女の髪を撫でた。
「ああ。俺もそう思う」
夕日が沈み、一番星が輝き出す。
合理的で、騒がしく、そして最高に愛しい日々は、これからも続いていく。
「さあ、帰りますよ! 夕食の準備です! 今日のメニューは熊肉ハンバーグ、栄養バランスを考慮して野菜多めです!」
「えー、肉がいいー!」
「野菜も食べないと強くなれんぞ!」
「帰ったら手洗いとうがい! 風邪によるダウンタイムは許しません!」
家族の笑い声が、北の空に溶けていく。
悪役令嬢ネリネの物語は、ここで一旦幕を閉じる。
だが、彼女の「幸せの計算」は、きっと永遠に続いていくことだろう。
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