え、追放してくれるんですか?じゃあ退職金代わりにその冷徹宰相をください

黒猫かの

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それから、数年の月日が流れた。

王都の風景は、少しずつ様変わりした。

ピンク色に塗られかけた王城の壁は、シックなアイボリーに戻され、無駄な装飾が削ぎ落とされた街並みは、機能的で美しい景観へと整備された。

私の提案した『王都防災プロジェクト』も完了し、火災発生率は十分の一に激減。

カカオ豆の輸出で得た利益を元手に始めた『教育支援基金』により、優秀な人材が次々と育っている。

国は、かつてないほどの繁栄期を迎えていた。

その中心にある、宰相官邸の執務室。

今日も今日とて、そこには心地よいペンの音と、高速のタイピング音(魔導キーボード)が響き渡っていた。

「……閣下。南方の港湾拡張工事、進捗率が予定より二%遅れています。現場監督の尻を叩く必要がありますね」

「わかった。督促状を送ろう。……ナギー、こちらの『魔導列車』の導入計画だが、予算が少しタイトだ。君の魔法(節約術)で捻出できるか?」

「お安い御用です。車両の内装グレードを一つ下げて、その分を動力機関の強化に回せば、運行コスト削減で三年以内にペイできます」

「完璧だ。採用」

阿吽(あうん)の呼吸。

私、ナギー・ル・グランと、夫であり上司であるアイザック・ル・グランの連携は、結婚生活を経てさらに研ぎ澄まされていた。

もはや言葉すら不要。

眉の動かし方ひとつで、「お茶が欲しい」「肩が凝った」「あの大臣を黙らせろ」といった意思疎通が可能になっていた。

「……ふぅ。午前中の山場は越えましたね」

私はカップを置き、大きく伸びをした。

「お疲れ様、ナギー。少し休憩しよう」

アイザックが眼鏡を外し、優しげな目元で私を見る。

歳を重ねて、その美貌には大人の渋みが加わり、破壊力が増している。

相変わらず、直視すると心拍数が上がる(※医学的には恋)のが悔しい。

「そういえば、北から定期便が届いていましたよ」

私は引き出しから、泥汚れのついた封筒を取り出した。

差出人は『ノースエンド開拓村・村長クラーク&副村長ミルキー』。

「……またか。あいつらも筆まめだな」

アイザックが苦笑する。

「読んでみましょう。『親愛なるナギーへ。元気かい? こっちは最高だよ! 今年は「幻の黄金イモ」の栽培に成功して、隣村との品評会で優勝したんだ!』だそうです」

「イモで優勝か。王位継承戦よりよほど平和でいい」

「続きがあります。『ミルキーも元気だ。最近は「牛の気持ちがわかる通訳」として、獣医顔負けの活躍をしているよ。僕たちの子供も、泥んこになって走り回っている』……幸せそうですね」

添付された写真(魔導写真)には、真っ黒に日焼けして満面の笑みを浮かべる元王子と、相変わらず花冠を被った元令嬢、そしてその足元でじゃれ合う三人の子供たちが写っていた。

背景には、見渡す限りのジャガイモ畑。

かつて国を傾けかけた二人が、今や北の大地を支える立派な生産者になっている。

「人は変われるものですね」

「環境が人を作る、ということだろう。……もっとも、私たちが彼らをあの環境に放り込んだわけだが」

「感謝してほしいくらいです。おかげで彼らは『天職』に出会えたのですから」

私は写真を丁寧にしまい込んだ。

彼らの幸せを、遠くから祈る。

もう交わることのない人生だが、それでいい。

それぞれの場所で、それぞれの花を咲かせればいいのだ。

その時。

コンコン、と低いノック音がした。

「入りたまえ」

アイザックが声をかけると、扉がガチャリと開き、二人の小さな影が入ってきた。

「お父様、お母様。失礼いたします」

「『幼児教育支援法案』の草案、読み終わりました。誤字が三箇所ありましたので訂正しておきました」

現れたのは、銀髪の男の子と、黒髪の女の子。

私たちの子、リュカ(五歳)とエマ(五歳)だ。

双子の彼らは、それぞれアイザックと私に瓜二つで、そして恐ろしいことに……性格までそっくりだった。

「リュカ、エマ。いい子にしていたか?」

アイザックが目を細める。

「はい。家庭教師の先生が出した課題は、想定時間の半分で終わらせました」

リュカが眼鏡(伊達メガネ)をクイッと上げる。

「先生が『もう教えることがない』と泣いて帰ってしまいましたので、自習をしていました」

「……そうか。先生には特別手当を出しておこう」

「お母様」

エマが私の元へ歩み寄り、小さな手で一枚の紙を差し出した。

「おやつの配給について、交渉したいのです」

「交渉?」

「はい。現在、クッキーは一日三枚ですが、脳の活性化には糖分が必要です。計算の結果、あと一枚増やすことで、学習効率が一五%向上するというデータが出ました」

エマが真剣な眼差しで訴える。

その論理展開、私そっくりだ。

「……却下です」

私はニッコリと笑った。

「えっ」

「データが甘いです。糖分の過剰摂取は、夕食の摂取量低下を招き、栄養バランスを崩します。よって、クッキーの増量ではなく、『野菜スティック』への代替を提案します」

「そ、そんな……! 論理で負けた……!」

エマがガックリと項垂れる。

リュカが「甘いな、エマ」と肩をすくめる。

なんて可愛らしい、合理的な子供たちだろう。

「ふっ、ははは!」

アイザックが声を出して笑った。

「ナギーに勝とうなんて十年早いぞ。私だって口喧嘩では勝てないんだからな」

「お父様が弱すぎるのです。お母様に甘すぎます」

「違いない」

幸せな笑い声が、執務室に満ちる。

ブラックな職場だったはずのこの場所が、今では世界で一番温かい、私の居場所(ホーム)になっていた。

夕方。

子供たちをシッターに預け、私とアイザックはバルコニーに出た。

王都の街が、茜色に染まっていく。

美しい夕焼けだ。

「……綺麗だな」

アイザックが手すりに寄りかかり、ワイングラスを揺らす。

「ええ。今日の視程は良好ですね。明日の天気も晴れでしょう」

「相変わらず情緒がないな」

彼は苦笑し、私の方を向いた。

「ナギー」

「はい」

「私は、今が一番幸せだ」

唐突な言葉。

でも、彼の瞳は真剣だった。

「昔は、この国を回すことだけが生きがいだった。書類と数字だけが友達だった。……だが、君が来てから世界が変わった」

彼は私の上着の襟を直し、そっと髪を撫でた。

「君が隣にいてくれる。ただそれだけで、どんな激務も苦にならない。どんな難題も、君となら解決できると思える」

「……閣下」

「アイザックだ」

「……アイザック」

私は彼の胸に頭を預けた。

トクトクという心臓の音が、心地よいリズムで響いている。

「私もですよ。……貴方に出会えて、本当によかった」

婚約破棄されたあの日。

絶望ではなく、歓喜して飛び出したあの扉の向こうに、こんな未来が待っているなんて。

人生の収支決算は、完全に黒字だ。

いや、計算不能なほどの莫大な利益(ハッピー)を得た。

「愛しているよ、ナギー」

彼が私の顎を持ち上げ、優しく口づけをする。

夕日の中で、二つの影が重なる。

唇が離れると、彼は少し照れくさそうに、でも期待を込めた目で私を見た。

「……返事は?」

彼は知っている。

私が素直に愛の言葉を口にするのが苦手なことを。

だからこそ、こうしてねだってくるのだ。

私はわざとらしく、咳払いをした。

そして、いつものように眼鏡の位置を直しながら、クールに答えた。

「……知っています。愛の力は偉大ですからね」

「それだけか?」

「ええ。夫婦間の良好な愛情関係は、オキシトシンの分泌を促し、ストレスを軽減させ、結果として業務効率を著しく向上させます」

私は早口でまくし立てた。

「つまり、貴方が私を愛し、私が貴方を愛することは、国家にとっても最大の利益になるということです。……合理的でしょう?」

「……ははっ、全く」

アイザックは呆れたように笑い、私を強く抱きしめた。

「君というやつは……どこまでも素直じゃないな。だが、そこがいい」

「重いです、旦那様」

「我慢しろ。一生離さないと言っただろう」

彼の腕の中で、私は目を閉じた。

顔は見えない。

だから、今ならいいだろう。

私は彼の胸元に顔を埋めたまま、こっそりと口角を上げた。

悪役令嬢と呼ばれた女の、最高に意地悪で、最高に幸せな笑み。

(……ふふっ)

計画通り。

計算通り。

いや、計算以上の大勝利だ。

私はこの最高のパートナーと、最高に愛おしい仕事たちに囲まれて、死ぬまで幸せに暮らすのだ。

「……愛していますよ、アイザック」

聞こえるか聞こえないかくらいの、小さな声で呟く。

「……ん? 何か言ったか?」

「いいえ。明日の予算会議のシミュレーションをしていました」

「そうか。なら、続きはベッドの中で聞こうか」

「……残業代、弾んでくださいね?」

私は顔を上げ、彼の瞳を見つめ返した。

そして、ニヤリと笑った。

「覚悟しておいてください。私の請求書は、高いですよ?」

こうして、元・悪役令嬢ナギー・ル・グランの華麗なる転身と、愛と仕事に満ちた物語は幕を閉じる。

彼女の「ニヤリ」とした笑顔は、この国の繁栄の象徴として、いつまでも語り継がれることになるのであった。
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