歓喜!婚約破棄で田舎へ逃亡します!

黒猫かの

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あれから、五年という月日が流れた。


北の辺境、『常闇の城』。


かつては雷雲に覆われ、魔王の住処として恐れられていたこの場所は、今や大陸で最も平和で、そして最も『静かな』領地として知られていた。


「……セバスチャン、本日のスケジュールは?」


「午前中は領内の視察、午後は隣国の外交官との会談。そして十五時から十七時までは……」


「『聖なるお昼寝タイム』ですね。了解しました」


執務室で、私は手元の書類にサインをしながら頷いた。


五年の歳月は、私を少しだけ変えた。


かつての『悪役令嬢』としての尖った雰囲気は(多少)鳴りを潜め、今は『公爵夫人』としての貫禄と、母としての強さが加わっている。


「お嬢様……いえ、奥様。視察の前に、あちらの『怪獣たち』を鎮圧する必要がありますが」


セバスチャンが苦笑しながら、中庭の方角を指差した。


そこからは、ドカーン! バリバリッ! という、戦場のような爆発音が響いていた。


「……またですか。父親に似て魔力が有り余っているのね」


私はため息をつき、ペンを置いた。


「行きましょう。業務命令、『ママの雷(お仕置き)』を投下します」


***


中庭では、二人の子供と、一人の大男が追いかけっこをしていた。


「待てー! パパに捕まったらコチョコチョの刑だぞー!」


「きゃはは! パパ遅いー!」


「ボクの『風魔法』からは逃げられないよー!」


走り回っているのは、四歳になる双子の兄妹。


銀髪に赤い瞳を持つ兄の『レム』と、黒髪に私の瞳を受け継いだ妹の『シエスタ』だ。


そして、彼らを追いかけているのは、相変わらず健康優良児のような肌艶をした夫、シルベスターである。


「ふっ、甘いなレム! その程度の風魔法、パパの『魔王バリア』で……ぐわっ!?」


ドスッ!


シエスタが放った『重力魔法(小)』が、シルベスターの足をすくった。


魔王公爵、盛大に芝生に転がる。


「やったー! シエスタの勝ちー!」


「連携プレーだね! パパ、弱ーい!」


子供たちが無邪気に笑う。


この子たちは、恐ろしいことに両親の才能をハイブリッドで受け継いでしまった。


シルベスターの膨大な『魔力』と、私の『効率的な魔法運用術』。


結果、四歳にして城の庭師を泣かせるほどの破壊力を持つ『魔王予備軍』が誕生したのである。


「……こら。パパをいじめてはいけません」


私が庭に出ると、空気がピリッと引き締まった。


「「あ、ママだ!」」


双子が駆け寄ってくる。


「ママ! 聞いて! 今日こそパパに勝ったよ!」


「パパったら、ボクたちのフェイントにすぐ引っかかるんだもん」


「あら、すごいわね。でも、芝生を焦がしたのは誰かしら?」


私が視線を向けると、二人はサッと目を逸らした。


「……パパがやった」


「……うん、パパのせいにしよ」


「聞こえているぞ、小悪魔ども」


シルベスターが起き上がり、泥を払いながら苦笑した。


「カモミール、助けてくれ。こいつら、体力が底なしだ。俺の昼寝時間を削り取っていく」


「それは貴方が甘やかすからです。『高い高い』と言って成層圏まで飛ばすから、変な度胸がつくんですよ」


私はハンカチでシルベスターの顔を拭いてあげた。


「でも、いい運動になったでしょう? これで子供たちも疲れて……」


「全然! まだ遊ぶー!」


「眠くなーい!」


双子は目を爛々と輝かせている。


恐るべきスタミナだ。


これが『魔王の血』というやつか。


「……仕方ありませんね。セバスチャン、例のものを」


「はっ」


セバスチャンがワゴンを押して現れた。


そこに載っていたのは、プルプルと揺れる黄金色の物体。


「あ! 『夢見屋』のプリンだ!」


「わーい! 食べるー!」


子供たちの目が釘付けになる。


そう、これは私が開発し、王都の店にレシピを提供した『子供用・熟睡プリン(魔力消費促進成分入り)』だ。


「食べたら、ちゃんと歯を磨いてお昼寝すること。約束できる?」


「「はーい!」」


二人は競うようにプリンを平らげた。


そして、数分後。


「……ふわぁ……」


「……なんか……眠く……」


コテン。


二人は折り重なるようにして、芝生の上でスヤスヤと眠り始めた。


「……勝った」


私はガッツポーズをした。


「さすがだ、カモミール。完璧な手際だ」


シルベスターが感心したように拍手する。


「さあ、怪獣たちは鎮圧されました。私たちも『業務』に戻りましょうか」


「業務? ……ああ、あれか」


シルベスターはニヤリと笑い、眠る二人を軽々と抱き上げた。


「部屋へ運ぶぞ。……俺たちの寝室へ」


***


広大な寝室にある、特注の『ファミリーサイズ・ベッド』。


そこに、レムとシエスタを寝かせ、その両脇を私とシルベスターが挟む。


これが、ナイトメア公爵家の『川の字』スタイルだ。


「……ふぅ。やっと静寂が訪れたわ」


私は枕に頭を沈め、至福の吐息を漏らした。


「ああ。この瞬間のために生きていると言っても過言ではない」


シルベスターが私の手を握る。


その手には、結婚式の時に私が贈った銀の指輪が光っている。


「……幸せか? カモミール」


彼が小声で尋ねてきた。


私は天井を見上げた。


かつて、書類の山に埋もれ、王子の尻拭いに奔走していた日々。


「悪役令嬢」と呼ばれ、誰からも理解されず、孤独だった日々。


それが今ではどうだ。


愛する夫がいて、可愛い(けど手のかかる)子供たちがいて、そして何より――毎日八時間の睡眠が保証されている。


「……ええ。悔しいくらいに幸せです」


私は答えた。


「貴方はどうですか? 不眠症は?」


「完治した。……お前という特効薬のおかげでな」


シルベスターは子供たちの頭を撫で、そして私を見た。


「感謝している。俺に『眠り』を、そして『家族』をくれて」


「……お礼を言うのは私の方です。私に『居場所』をくれて」


私たちは微笑み合った。


サイドテーブルには、一通の手紙が置かれている。


差出人は『とある木工職人』。


中身は、『レム様とシエスタ様へ。新作の揺り木馬を送ります。元気に育ってください』という下手くそな字の手紙だった。


アレック元王子だ。


彼はあれから真面目に働き、今では街で評判の木工職人として、ささやかながらも充実した生活を送っているらしい。


ミナの方は……まあ、鉱山で『地下アイドルの女王』として君臨しているという噂を聞いたが、関わりたくないので忘れることにしている。


「……平和だな」


シルベスターがあくびをした。


「ええ。とても」


私もつられてあくびをする。


窓の外から、秋の柔らかな日差しが差し込み、部屋全体を黄金色に染めていく。


子供たちの規則正しい寝息。


シルベスターの温かい体温。


ふかふかの布団。


完璧だ。


これ以上の幸福など、この世に存在しない。


「……ねえ、シルベスター」


「ん?」


「私たちが死んだら、どうなるのかしら」


ふと、そんなことを口にした。


「天国でも、こうして一緒に寝られるかしら」


シルベスターは少し考えて、ニヤリと笑った。


「天国だろうが地獄だろうが、関係ない。俺は魔王だぞ?」


彼は私の手を強く握った。


「死神を脅してでも、お前の隣のベッドを確保してやる」


「……ふふっ。頼もしいわね」


「だから安心しろ。……永遠に、お前は俺のものだ」


「ええ。……永遠に、貴方の抱き枕でいてあげます」


意識が遠のいていく。


甘く、優しく、重たい睡魔が、私たちを包み込んでいく。


「……おやすみ、カモミール」


「……おやすみなさい、シルベスター」


そして、二人の可愛い天使たちにも。


「……おやすみ」


私の意識は、そこで途切れた。


そこにあるのは、闇ではない。


温かくて、安らかで、どこまでも続く『幸せな夢』の世界。


悪役令嬢カモミールと、魔王公爵シルベスター。


二人の物語は、これにて幕を閉じる。


だが、彼らの安眠の日々は、これからもずっと、ずーっと続いていくのである。
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