塩対応の悪役令嬢は砕けない!

猫宮かろん

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「お嬢様、実家の旦那様から手紙が届きました」

ロースト公爵領での滞在も三日目を迎えた朝。

朝食の席で、ソルトが一通の封筒を差し出した。

封蝋には、見慣れたナッツ家の紋章(割れた殻のデザイン)が押されている。

私はトーストにたっぷりとバターを塗りながら、その手紙を受け取った。

「お父様から? 早いわね。何か忘れ物でもあったのかしら」

「『至急』と書かれています」

嫌な予感がする。

私はナイフを置き、ペーパーナイフで封を切った。

中に入っていたのは、父の豪快な筆跡で書かれた一枚の便箋だった。

『カシューへ。

 元気にやっているか?
 こちらは今朝、ロースト公爵から大量の荷物が届いて大騒ぎだ。
 
 ・最高級スモークチーズ 樽10個分
 ・ヴィンテージワイン 50ケース
 ・幻の岩塩 3トン
 ・その他、珍味の数々
 
 これらは全て「結納金(仮)」だそうだ。
 あまりに美味そうだったので、家族会議の結果、全会一致で受け取ることにした。
 
 よって、お前はしばらくそちらに「滞在」することになった。
 期限は無期限だ。
 
 戻ってくるなとは言わんが、チーズを食べきるまでは帰ってくるな。
 
 父、ピスタチオより』

私は手紙を握りつぶした。

クシャッ、という乾いた音が食堂に響く。

「……お嬢様?」

「ソルト。私、売られたわ」

「人聞きが悪いです」

「見てよこれ! チーズ樽10個と岩塩3トンで、娘を売ったのよあの親父!」

「……妥当な価格かと」

「貴女まで敵なの!?」

私は頭を抱えた。

ナッツ家の人間が食に弱いことは知っていた。

知っていたが、まさかここまでチョロいとは。

「チーズを食べきるまで帰るなって、何年かかると思ってるのよ……!」

「計算上、毎日食べ続けても5年はかかりますね」

「5年もここにいろってこと!?」

ダン! とテーブルを叩いて立ち上がる。

これは、あの男の仕業だ。

間違いなく、あの変人公爵が裏で手を回したに違いない。

「アーモンド公爵はどこ!?」

「旦那様なら、庭で燻製小屋の増築工事を指揮しておられます」

「行ってくるわ!」

私は朝食もそこそこに、庭へと駆け出した。

   *   *   *

庭に出ると、大工たちの威勢のいい声と、金槌の音が響いていた。

その中心で、図面を片手に指示を出しているアーモンド公爵を見つけた。

「そこだ! 通気口の角度をもっと鋭角に! 煙の対流が味を決めるんだ!」

彼は真剣そのものだ。

公務でその熱意を見せてほしい。

私は大股で近づき、彼の背中を指でつついた。

「ちょっと、公爵様!」

彼は振り返り、私を見るなり満面の笑みを浮かべた。

「やあ、カシュー。おはよう。どうだ、新しい小屋は。完成したら、ここで君専用のジャーキーを作ろうと思っているんだが」

「いりません! それより、これ!」

私はしわくちゃになった父の手紙を突きつけた。

「実家に大量の貢物を送ったそうですね!?」

「ああ、届いたか。気に入ってもらえたかな?」

「気に入るも何も、父が『チーズを食べきるまで帰ってくるな』って言い出したんですけど!」

「それはよかった。ピスタチオ侯爵とは、手紙で何度かやり取りをしてね。実に話のわかる方だ。『娘は硬いですが、味は保証します』と太鼓判を押されていたよ」

「親父……!」

帰ったら、父の秘蔵のワインを全て酢に変えてやると心に誓った。

私は腰に手を当て、アーモンドを睨みつける。

「これはどういうつもりですか。外堀を埋めるなんて卑怯じゃありませんか?」

「卑怯? とんでもない。これは『誠意』だ」

彼は胸を張った。

「私は本気だと言っただろう。君を手に入れるためなら、チーズの1トンや2トン、安いものだ」

「物量作戦で来ないでください」

「それに、君だって嫌ではないはずだ。実家に帰れば、またあのマシュマロ女やピーナン王子の噂話に悩まされる。ここなら、美味しいものと、楽しい(変な)私しかいない」

「自分で『変な』って言いましたね?」

「自覚はある」

彼は悪びれもせず、一歩近づいてきた。

その瞳には、子供のような純粋さと、狩人のような狡猾さが同居している。

「カシュー。観念して、しばらく私の元で暮らすといい。君にとっても悪い話ではないはずだ」

「……」

痛いところを突かれた。

確かに、国に戻れば面倒なことばかりだ。

マシュ・マロが泣きついてくるかもしれないし、ピーナン殿下が復縁を迫ってくる可能性もある。

それに比べて、この領地は食事が美味しく、空気もいい。

公爵は変人だが、実害はない(求愛がうざいだけで)。

私は腕を組み、しばし考え込んだ。

そして、ふっと息を吐く。

「……わかりました」

「本当か!?」

「ただし!」

私が人差し指を立てると、彼は「ごくり」と喉を鳴らした。

「条件があります。あくまで『仮滞在』です。婚約者としてではなく、食客(居候)として扱ってください」

「食客……?」

「ええ。私はここで、ただ飯を食い、ただ酒を飲み、好きなように過ごします。貴方の『おつまみ』としての業務は一切しません」

要するに、ニート宣言だ。

これで愛想を尽かされるなら、それでもいい。

しかし、アーモンド公爵は斜め上の反応を見せた。

「素晴らしい……!」

「は?」

「『私が貴方の家計を食いつぶしてやるわ』という、そのふてぶてしさ! まさに大物だ! 普通の令嬢なら『何かお手伝いを』とか言うところを、堂々と『ただ飯を食う』と宣言するとは!」

彼は感動で打ち震えている。

「いいだろう! 望むところだ! 我が家の財力と、君の胃袋、どちらが先に音を上げるか勝負しようじゃないか!」

「……なんでそうなるんですか」

「ペッパー! 聞こえたか! 今日からカシュー様は当家の『VIP(ベリー・インポータント・パラサイト)』だ! 最高のもてなしをしろ!」

控えていた執事のペッパーが、恭しく一礼する。

「承知いたしました。厨房に『戦時体制』を敷くよう伝達します」

「戦時体制って何」

私は脱力した。

何を言っても、この男にはポジティブに変換されてしまう。

もはや才能だ。

「わかったわよ。後悔しても知らないからね」

「後悔などするものか。さあ、契約成立の握手だ」

差し出された手を、私はしぶしぶ握り返した。

彼の手は、ゴツゴツしていて温かい。

「よろしく頼むよ、カシュー。……これで君は、逃げられなくなった」

握った手に、きゅっと力が込められる。

その時だけ、彼の表情が「男」の顔になった気がして、私はドキリとした。

けれど、すぐに彼はいつものへらへらした笑顔に戻る。

「さて! 祝いの宴だ! 昼から飲もう!」

「働きなさいよ領主!」

こうして、外堀どころか内堀まで埋められた私は、なし崩し的にロースト公爵邸での同居生活を始めることになった。

「……とりあえず、夕食のメニューは私が決める権利をもらうわよ」

「どうぞどうぞ」

「厚切りステーキ。レアで。あとガーリックライスも」

「最高だ。君とは本当に気が合う」

並んで屋敷へ戻る背中を見ながら、ソルトが「似たもの夫婦ですね」と呟いたのを、私はあえて無視した。

私の『おつまみ溺愛生活』、本格スタートである。
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