塩対応の悪役令嬢は砕けない!

猫宮かろん

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「な、なんですか、この料理はぁ……?」

ロースト公爵邸の晩餐会。

メインテーブルに着いたマシュ・マロが、皿を前にして引きつった声を上げた。

彼女の目の前に置かれているのは、可愛らしいキッシュでも、甘いソースのかかった鴨肉でもない。

真っ赤なソースが絡められた「激辛アラビアータ(悪魔風)」と、香草がこれでもかと乗せられた「パクチーとゴーヤのサラダ」、そして岩塩で固められた「魚の塩釜焼き」だった。

「お気に召しませんか? 当家の歓迎料理『大人の階段』コースです」

私が優雅にワインを傾けると、マシュは涙目で訴えた。

「赤すぎますぅ! それに、苦そうですぅ! もっとこう、クリームシチューとか、グラタンとかないんですかぁ?」

「甘ったれるな」

対面に座ったアーモンド公爵が、ナイフで塩釜をガツンと叩き割った。

「当家の食卓に、軟弱な料理が出ると思うな。人生は甘くない。それを舌で学べ」

「ひっ……!」

マシュが怯えて、隣のピーナン殿下に抱きつく。

「殿下ぁ、公爵様が怖いですぅ……」

「大丈夫だマシュ! 私がついている! ……しかし、確かに辛そうだな」

殿下も額に脂汗を浮かべている。

彼は辛いものが苦手だ。

私は知っていて、あえてペッパーに指示を出したのだが。

「さあ、召し上がれ。残すと『お仕置き(皿洗い)』ですよ」

私がニッコリ笑うと、二人は震えながらフォークを動かし始めた。

   *   *   *

「……からっ! 辛ぁぁぁ!」

一口食べた瞬間、殿下が悲鳴を上げた。

「水! 水をくれ!」

「お水は有料です」

「なんだと!?」

「嘘です。セルフサービスです。そこのピッチャーからどうぞ」

殿下が必死に水を飲む横で、マシュ・マロは別の作戦に出たようだ。

彼女はフォークを置き、ウルウルとした瞳でアーモンド公爵を見つめた。

「公爵様ぁ。私、辛くて食べられませぇん。……公爵様が『あーん』してくだされば、頑張れる気がするんですけどぉ」

出た。

必殺「おねだり攻撃」だ。

普通の男なら、この上目遣いにコロリといくかもしれない。

しかし、相手はアーモンドだ。

彼は眉を顰め、真剣な顔でマシュを見た。

「……君、右手の機能に障害があるのか?」

「へ?」

「フォークを持てないほど筋力が低下しているなら、医者を呼ぼう。それとも脳の信号が指先に伝達されていないのか?」

「ち、違いますぅ! 甘えているんですぅ!」

「なぜ?」

「なぜって……それが可愛いから?」

「理解不能だ。自力で摂食できない個体が、なぜ『可愛い』という評価になる? 生物学的には『脆弱』と分類されるべきでは?」

アーモンドは本気で不思議そうに首を傾げた。

マシュの笑顔がピキピキと引きつる。

「む、ムードがないですねぇ! もっとこう、女の子を優しく扱ってくださいよぉ!」

「カシュー。通訳してくれ。彼女は何を言っている?」

「『私は介護が必要です』と言っています」

「なるほど。ペッパー、介護食(離乳食)を用意しろ」

「かしこまりました。おかゆをミキサーにかけてきます」

「違いますぅぅぅ!」

マシュがテーブルをバンと叩いた。

そして、今度は私に矛先を向けた。

「カシュー様! 貴女が教育していないから、公爵様がこんなに野暮天なんですよぉ!」

「私のせいにしないで」

「見ててください! 私が『愛され女子』のテクニックを見せてあげますからぁ!」

マシュは席を立ち、アーモンドの席へと歩み寄った。

そして、彼の背後から肩に手を回し、耳元で甘い声を出す。

「ねえ、アーモンド様ぁ……。そんな怖い顔しないで、私と楽しくお話ししましょうよぉ」

彼女の体から、濃厚なバニラの香りが漂う。

アーモンドの鼻がピクリと動いた。

「……臭い」

「え?」

「甘ったるい匂いだ。熟れすぎた果実というか、砂糖を焦がした失敗作の匂いがする」

「こ、香水ですぅ!」

「食事の邪魔だ。半径3メートル以内に近づくな」

アーモンドは手でシッシッと払う仕草をした。

マシュはショックで固まったが、すぐに「わざと冷たくしてるんですねぇ、照れ屋さんっ」とポジティブ変換し、さらに体を密着させようとした。

その瞬間。

「失礼いたします」

無表情のメイド、ソルトが音もなく現れ、マシュとアーモンドの間に割って入った。

そして、手にした銀のトレイで、マシュの顔面を(寸前で)ブロックした。

「きゃっ!?」

「当家の主人の周囲には、高濃度の糖分に対するバリアが張られております。これ以上の接近は、物理的に排除します」

「な、なによそのバリア!」

「虫除けのようなものです」

「虫扱いしないでぇ!」

マシュは地団駄を踏んだ。

ピーナン殿下が助け舟を出そうとするが、激辛パスタのせいで口から火を吹いており、声が出ない。

「かはっ……み、みじゅ……」

役立たずだ。

マシュは悔しそうに私を睨んだ。

「カシュー様! 貴女、悔しくないんですかぁ!? 私がこんなにアーモンド様に迫っているのに!」

「別に? むしろ『ご愁傷様』って思ってるわ」

「強がりばっかり! 本当は嫉妬してるんでしょぉ!」

マシュはターゲットを変え、私の方へ突進してきた。

「こうなったら、貴女に『ハグの刑』ですぅ! 私の甘いオーラを移して、その可愛げのない性格を溶かしてあげますぅ!」

彼女は両手を広げ、タックルのような勢いで抱きついてこようとした。

ベタベタしそうで嫌だ。

私は椅子に座ったまま、タイミングを見計らった。

「えいっ!」

マシュが飛び込んでくる。

私はスッと、右足で椅子のキャスターを蹴り、体を横にスライドさせた。

ブンッ!

マシュの手が空を切る。

勢い余った彼女は、そのまま私の後ろにあった観葉植物(巨大サボテン)の方へ……。

「あっ」

ズボッ。

「ぎゃあああああああ!」

悲鳴が響き渡った。

マシュ・マロが、サボテンに抱きついていた。

「痛いぃぃぃ! トゲが! トゲがぁぁぁ!」

「あらあら。サボテンさんにまで抱きつくなんて、愛が深いのね」

私が涼しい顔で言うと、マシュは涙目で私を睨んだ。

「避けないでくださいよぉぉぉ!」

「避けるでしょう、普通。突進してくるピンク色の物体なんて、恐怖でしかないわ」

「ひどいぃ……うぅ、殿下ぁ……」

マシュはトゲだらけの体で、ピーナン殿下の方へ這っていく。

しかし、殿下は水でお腹がタプタプになっており、動けない。

「うぷっ……ま、マシュ……今は無理だ……」

「役立たずぅぅぅ!」

マシュはその場に泣き崩れた。

アーモンド公爵が、最後の一撃とばかりに言い放つ。

「騒がしい食事だったな。……おい、マシュと言ったか」

「な、なんですかぁ……」

「君のその『甘え』は、ここでは通用しない。我が領地で生き残りたいなら、まずはそのサボテンから自力で脱出する根性を見せろ」

「鬼ぃぃぃ! 悪魔ぁぁぁ!」

マシュは泣き叫びながら、部屋を飛び出していった。

もちろん、サボテンのトゲが服に引っかかって、鉢植えごと引きずりながら。

ガガガガ、というシュールな音が廊下に響いていく。

静寂が戻った食堂で、私は残りのワインを飲み干した。

「……ふう。騒々しかったわね」

「全くだ。だが、見事な回避(スウェー)だったぞ、カシュー」

アーモンドが称賛の拍手を送ってくる。

「伊達に殿下の書類攻撃を避けてきたわけじゃありませんから」

「カシュー様」

ソルトが、新しいおしぼりを持ってきてくれた。

「サボテンの手入れが必要ですね。消毒しておきます」

「ええ、お願い。マシュの菌がついたかもしれないし」

「……ひどい言われようだ」

水浸しのピーナン殿下が、力なく呟いた。

私は彼に、一番辛い部分のパスタを取り分けてあげた。

「さあ、殿下。まだ残っていますよ? 『正義の行軍』なんでしょう? 完食してくださいね」

「……鬼」

「塩対応とお呼びください」

こうして、マシュ・マロの第一回・甘え攻撃は、物理的な痛みと敗北感と共に幕を閉じた。

けれど、彼らはまだ諦めていない。

ピンク色の執念深さを、私はまだ甘く見ていたのかもしれない。
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