塩対応の悪役令嬢は砕けない!

猫宮かろん

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「お嬢様。緊急警報(レッドアラート)です」

平和な昼下がり。

私が中庭で、アーモンド公爵が作った「自家製スモークチーズ」を試食していた時のことだ。

ペッパー執事が、かつてないほどの早歩きでやってきた。

彼の顔色は、漂白されたように真っ白だ。

「どうしたの、ペッパー。チーズの熟成庫にカビでも生えた?」

「いえ。もっと恐ろしいものが、玄関ホールに発生しました」

「恐ろしいもの?」

「『糖分』と『油分』の塊です」

意味がわからない。

私が首を傾げていると、屋敷の中から、甲高い叫び声が響き渡った。

「カシュー様ぁぁぁ! どこですかぁぁぁ!」

「カシュー! 無事か! 今助けに来たぞ!」

私は持っていたチーズを落とした。

その声には、聞き覚えがありすぎたからだ。

「嘘でしょう……?」

「残念ながら現実です。国境警備隊からの連絡によれば、『公爵邸に監禁された令嬢を救出する』という名目で、強行突破してきたとのこと」

「監禁?」

「ちっ。面倒な客が来たな」

隣でチーズを齧っていたアーモンド公爵が、不機嫌そうに舌打ちをした。

「私の神聖なスモークタイムを邪魔するとは。塩漬けにして送り返してやろうか」

「待って。私が追い払うわ。貴方が出るとややこしくなるから」

私は立ち上がり、ドレスの埃を払った。

胃のあたりがズキズキと痛む。

せっかくの美味しいチーズの余韻が台無しだ。

   *   *   *

玄関ホールに向かうと、そこは地獄絵図になっていた。

ピンク色のドレスを着たマシュ・マロが、使用人の制止を振り切って泣き叫んでいる。

その横には、煌びやかな騎士服(無駄に派手)を着たピーナン殿下が、剣の柄に手をかけて仁王立ちしていた。

「離せ! 私はこの国の王子だぞ! 愛する元婚約者が、野蛮な公爵に囚われていると聞いて駆けつけたのだ!」

「そうですぅ! カシュー様はきっと、暗い地下牢で、水とパンだけで生きているに違いありません!」

妄想が酷い。

私は階段の上から、冷めた声で声をかけた。

「……誰が地下牢ですって?」

二人の動きが止まる。

彼らが一斉に振り向いた。

「カシュー様!」

「カシュー!」

マシュ・マロが、涙で濡れた(ように見える)顔で駆け寄ろうとする。

ソルトがすかさず立ちはだかり、無言の壁となる。

「カシュー様……っ! よかった、ご無事で……! やつれちゃって……!」

「やつれてません。ここに来てから美味しいものを食べ過ぎて、むしろ肌艶がいいくらいです」

「嘘をつかないでください! 噂で聞きましたよ! 貴女は『おつまみ』として扱われているって!」

マシュがハンカチを噛む。

「おつまみなんて……そんな、人間扱いされていないなんて……っ! 可哀想に……っ!」

「あながち間違ってはいないけど、意味が違います」

「カシュー!」

今度はピーナン殿下が声を上げた。

彼は階段を一段飛ばしで上がろうとして、つまづいてコケそうになり、なんとか体勢を立て直した。

「聞いたぞ! あの変人公爵は、貴様を『酒の肴』にしているそうだな!」

「だから意味が違います」

「黙れ! 強がらなくていい! 貴様がいくら可愛げのない女だとしても、元婚約者として、そんな非人道的な扱いは見過ごせん!」

殿下はバッと両手を広げた。

「さあ、私の胸に飛び込んでこい! そして泣いて詫びるがいい! 『やはり殿下が一番でした』と!」

「……お断りします」

即答すると、殿下は「ぐふっ」と謎のダメージを受けた。

私はため息をつき、腕組みをして二人を見下ろした。

「何の用ですか。私は今、最高に美味しいチーズを食べていたんです。邪魔しないでいただけます?」

「チーズだと!? そんなカビの生えたようなものを食わされているのか!」

「熟成と言ってください。……で、用件は? まさか『救出』ごっこのために、わざわざ国境を越えてきたんですか?」

「ごっこではない! これは正義の行軍だ!」

殿下が胸を張る。

「マシュが毎晩泣くのだ。『カシュー様が心配で眠れません、枕がびしょ濡れですぅ』と」

「それはヨダレでは?」

「違う! 涙だ! とにかく、彼女の慈悲深い心に免じて、私が直接迎えに来てやったのだ。感謝しろ!」

「はあ……」

頭が痛い。

この人たちは、自分の見たい世界しか見ていない。

私がどれだけ「幸せだ」と言っても、「強がっている」と変換されるのだ。

「帰りたまえ」

不意に、背後から低い声が響いた。

空気が一瞬で張り詰める。

私の後ろから現れたのは、アーモンド公爵だった。

彼はいつものヘラヘラした笑顔を消し、冷徹な領主の顔をしていた。

「ロースト公爵……!」

ピーナン殿下が身構える。

アーモンドは私の方へ歩み寄ると、自然な動作で私の腰に手を回した。

「人の屋敷で騒ぎ立てるとは、礼儀を知らん客だ。……私の『大事なパートナー』に、何の用だ?」

「パートナーだと? ふん、聞こえのいいことを! 貴様がカシューを『おつまみ』と呼んでいることは知れ渡っている!」

「事実だ。彼女は最高のおつまみだ」

「貴様!」

殿下が激昂する。

しかし、アーモンドは鼻で笑った。

「言葉の綾もわからんとはな。……私は彼女を、何よりも尊重し、愛していると言っているんだ」

「愛だと? 笑わせるな! 貴様のような酒浸りの変人に、愛などわかるものか!」

「わかるさ。少なくとも、婚約者を他の女と比べて『可愛くない』と罵るような男よりはな」

「なっ……!?」

アーモンドの言葉が、鋭いナイフのように突き刺さる。

ピーナン殿下の顔が真っ赤になった。

「き、貴様……! 一国の王子に向かって、無礼だぞ!」

「ここは私の領地だ。私のルールに従ってもらう」

アーモンドが一歩踏み出すと、その迫力に殿下がたじろいだ。

「カシューは渡さん。彼女は私の人生に必要なスパイスだ。……甘ったるいだけの砂糖菓子と、薄っぺらい王子には似合わない」

「ひどいですぅ!」

マシュ・マロが叫んだ。

「私と殿下の愛は、薄っぺらくなんてありません! ミルフィーユのように層が厚いんです!」

「崩れやすそうだな」

アーモンドが即座に切り返す。

マシュは「うぐっ」と詰まったが、すぐに気を取り直して私を見た。

「カシュー様! 騙されちゃダメです! その男は、貴女を利用しようとしているだけです!」

「利用?」

「そうです! 貴女のナッツ家の財産と、その……なんか硬い性格を利用して、何か悪いことを企んでいるんです!」

「具体性ゼロね」

「とにかく! 私たちは帰りませんからね! カシュー様が目を覚ますまで、ここに居座ります!」

マシュはその場にしゃがみ込んだ。

「ここを動かないもん! テコでも動かないもん!」

「子供か」

私は呆れて天を仰いだ。

これは長引きそうだ。

アーモンドが私の耳元で囁く。

「……カシュー。どうする? 衛兵を呼んでつまみ出すか?」

「いえ。国際問題になると面倒です。それに、あの二人は言葉で言っても通じません」

「では?」

「胃袋から攻めましょう。……あの甘ったるい脳みそに、塩気の洗礼を浴びせてやるんです」

私はニヤリと笑った。

アーモンドも、私の意図を察して口角を上げる。

「なるほど。『激辛歓迎パーティー』の開催だな?」

「ええ。泣いて逃げ出すまで、とことんおもてなししてあげましょう」

私はしゃがみ込んでいるマシュと、肩を怒らせている殿下を見下ろし、優雅に微笑んだ。

「わかりました。そこまで仰るなら、滞在を許可します」

「本当かカシュー!」

殿下が顔を輝かせる。

「ただし、お客様扱いはしませんよ? この屋敷の流儀に従っていただきます」

「ふん、望むところだ! 貴様が受けている酷い扱いを暴いてやる!」

「では、夕食をお楽しみに。……せいぜい、胃薬を用意しておくことをお勧めしますわ」

私はアーモンドと共に踵を返した。

背後でマシュが「勝った!」とはしゃぐ声が聞こえる。

勝ったのではない。

自分から鍋の中に飛び込んだのだということに、彼女はまだ気づいていない。

「……ペッパー」

「はい」

「夕食のメニューを変更して。とびきり『大人味』のフルコースでいくわ」

「承知いたしました。……ワサビ、カラシ、そして激辛スパイスを準備させます」

ペッパー執事が、初めて楽しそうに笑った気がした。

かくして、ロースト公爵邸を舞台に、「甘党VS辛党」の仁義なき戦いが幕を開けることになったのである。
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