塩対応の悪役令嬢は砕けない!

猫宮かろん

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「……お嬢様。屋敷が見えてきました」

ソルトの声で窓の外を見ると、懐かしきナッツ侯爵邸が夕闇の中に浮かび上がっていた。

ただし、その雰囲気は「お化け屋敷」一歩手前だ。

塩不足による生気の低下で、屋敷全体がどよんと澱んでいる。

「相変わらず湿気ってるわね」

「カシュー。君の実家はいつもあんなにドクロのオーラが出ているのか?」

隣でアーモンド公爵が興味深そうに尋ねる。

「今は非常時だからよ。……さあ、急ぎましょう。お父様がビーフジャーキーになる前に」

   *   *   *

屋敷に到着すると、玄関ホールには父・ピスタチオ侯爵と、母・クルミ夫人、弟・マカダが並んで待っていた。

全員、頬がこけ、目が虚ろだ。

完全に塩分欠乏症の末期症状である。

「……カシューか……。水……いや、岩塩をくれ……」

父がゾンビのように手を伸ばす。

私はため息をつき、アーモンドに目配せをした。

彼はニカっと笑い、指をパチンと鳴らした。

「ペッパー! 例のものを!」

「はっ!」

後ろの馬車から、ペッパー執事と従者たちが、木箱を抱えて走り込んでくる。

ドン! ドン! ドン!

玄関に積み上げられたのは、ロースト公爵領から緊急輸送させた「最高級岩塩」と「熟成ベーコンの塊」だ。

「さあ、ピスタチオ侯爵! 補給物資だ! 思う存分舐めてくれ!」

「おおお……!」

父の目がカッと見開かれた。

彼は岩塩の塊に飛びつき、愛おしそうに頬ずりをした。

「塩だ! 本物の塩だ! しょっぱい! 硬い! 最高だ!」

「あなた! 私にはベーコンを!」

母がベーコンにかじりつく。

弟のマカダも「これで生き延びた……!」とサラミをポケットに詰め込んでいる。

地獄絵図のような、しかしナッツ家にとっては至福の光景だ。

私はやれやれと肩をすくめた。

「お父様。復活したところで報告があります」

「むぐっ(肉を食っている)……なんだ、カシュー」

「王宮へ行って、塩の供給契約を正常化させてきました。これからは定期的に届きます。あと、慰謝料もふんだくってきたので、当分は左団扇ですよ」

「でかした! さすが我が娘! ナッツ家の鑑だ!」

父は口の周りを脂だらけにして立ち上がった。

そして、ようやく私の隣にいる人物に気づいたようだ。

「……ん? そちらの派手な男は誰だ? 新しい塩の行商人か?」

「違います。行商人だったら、こんな偉そうなマントはつけません」

私はアーモンドを紹介しようとした。

しかし、アーモンドは自ら一歩前に出た。

彼はマントを翻し、優雅に、かつ堂々と一礼した。

「お初にお目にかかります、お義父さん」

「……誰がお義父さんだ」

「隣国ロースト公国の領主、アーモンド・ローストです。……この度は、カシューさんをいただきに参りました」

直球すぎる。

玄関ホールが一瞬、静まり返った。

父は岩塩を片手に、アーモンドをじろじろと値踏みした。

「ロースト公爵……? ああ、あの『変人』と噂の?」

「はい。変人です」

「否定せんのか」

「カシューさんには『かっこいい変人』と褒めていただきました」

「言ってません」

私が横からツッコミを入れるが、アーモンドは気にしない。

彼は真剣な眼差しで、父を見据えた。

「ピスタチオ侯爵。私はカシューさんを愛しています。彼女の、岩塩のように硬い意志も、スルメのように噛みごたえのある性格も、全て含めて」

「ほう」

「彼女なしでは、私の人生のレシピは完成しません。どうか、彼女を私にください。……一生、美味しいものを食べさせると誓います!」

なんて食い意地の張ったプロポーズだ。

しかし、ナッツ家の家長には効果的だったようだ。

父はニヤリと笑い、齧りかけの岩塩を置いた。

「……一生、美味いものを?」

「はい。私の領地は美食の宝庫です。彼女の舌を飽きさせることはありません」

「ふむ。……カシュー、お前はどうなんだ? この変人でいいのか?」

父に振られ、私は少し躊躇った。

家族の前で惚気(のろけ)るのは、キャラじゃない。

でも、ここで誤魔化すのは、ここまでしてくれた彼に失礼だ。

私は覚悟を決めて、顔を上げた。

「……ええ。いいわ」

「理由は?」

「……食の好みが合うからよ。それに……」

私はちらりとアーモンドを見た。彼は期待に満ちた(尻尾を振る犬のような)目で私を見ている。

「……一緒にいて、飽きないの。彼となら、お酢のように酸っぱい日も、唐辛子のように辛い日も、なんとなく笑って過ごせそうな気がするから」

言い終わった瞬間、顔がカッと熱くなった。

ああ、恥ずかしい。

なにポエムみたいなこと言ってるのよ、私。

「へへっ」

アーモンドが嬉しそうに笑う。

父は私たちを交互に見て、満足げに頷いた。

「よかろう! 合格だ!」

「本当ですか!?」

「ああ。カシューがそこまで言うなら本物だ。それに……」

父はアーモンドの肩をバンと叩いた。

「娘を『いただきに来た』と言ったな? 返品は不可だぞ? こいつは一度機嫌を損ねると、三日は口を利かないし、寝室にバリケードを築くぞ?」

「望むところです。バリケードごと愛します」

「よし、気に入った! 持ってけ泥棒!」

「泥棒とはなんだ! 正規の手続きだ!」

わっと笑いが起こる。

母も弟も、口々に「おめでとう」「やっと売れたね」と祝福してくれた。

「……あのぉ。私の紹介はまだですかぁ?」

空気の読めない声が足元からした。

縄で縛られたまま放置されていた、マシュ・マロだ。

「あら、忘れてたわ」

「ひどいですぅ! 私も家族の一員みたいに扱ってくださいよぉ!」

「お父様。こいつは『労働力』として連れてきました。元スパイです」

「スパイ!?」

父が驚く。

「こいつが塩を止めた張本人です。……罰として、今日からナッツ家のメイドとして働かせます。給料はスルメの足一本です」

「鬼ぃぃぃ! 最低賃金法違反ですぅ!」

マシュが泣き叫ぶ。

父はマシュを見て、ニカっと笑った。

「いい度胸だ。我が家の塩を止めた罪は重いぞ? ……まずは塩田での水汲みからだ。死ぬ気で働け」

「いやぁぁぁ! お嫁に行けなくなっちゃいますぅ!」

騒がしい夜だ。

でも、この騒がしさが、ナッツ家の日常だ。

アーモンドが私の耳元で囁く。

「……カシュー。いい家族だな」

「そう? 変人ばかりよ」

「類は友を呼ぶ、だ。……私も、この家族の一員になれて嬉しいよ」

彼はそっと私の腰に手を回した。

家族の視線が集まる。

「あ、こら。人前で……」

「いいじゃないか。公認の仲だ」

彼は私の頬に、チュッと音を立ててキスをした。

「キャー!」と母が黄色い声を上げる。

私は茹でダコのように真っ赤になり、無言でアーモンドの足を踏んづけた。

「いったぁ!」

「……罰金よ。スモークチーズ10個」

「喜んで払う!」

こうして、私たちは正式に婚約者となり、ナッツ家公認のカップルとなった。

結婚式は来月。

場所はもちろん、ロースト公爵領。

史上最高に「美味しくて」「騒がしい」結婚式になることは、誰の目にも明らかだった。
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