18 / 28
18
しおりを挟む
あの一件から数日、ベルシュタイン公爵邸には不気味なほどの静寂が流れていた。
マリーの放った強力な睡眠ガスによって、アルフレッドは王宮へと強制送還された。
ローゼンは、自分の「狂愛の演技」が火に油を注いだことを猛烈に反省し、自室の隅で膝を抱えていた。
「……マリー。わたくし、寝言でも『瞳を縫い付ける』なんて言ってないかしら。あまりの恥ずかしさに、自分の魂が口から脱走しそうですわ」
「お嬢様、ご安心ください。寝言ではただ『肉、苦い……』と呟いていらっしゃいました。……それよりも、現在進行形で起きている事態の方が深刻でございます」
マリーが窓の外ではなく、今日は床の一点を指差した。
よく見ると、絨毯の上がわずかに震えている。地鳴りのような、何かが掘り進められているような微かな振動だ。
「……何、この揺れ? まさか地震?」
「いいえ。王宮からこちらの方角へ向かって、凄まじい速度で『何か』が地下を掘り進んでおります。……あ、止まりましたね。ちょうど公爵邸の真下あたりで」
次の瞬間、床を突き破って、一本の黄金の筒が飛び出してきた。
筒の先には手紙が挟まっており、そこには『愛の通信、第一号』と書かれている。
「……通信手段が物理的すぎるわよ!」
ローゼンが戦慄していると、筒の中からアルフレッドの声が響いた。
どうやら集音魔法か何かが組み込まれているらしい。
『……聞こえるかい、ローゼン! 君が望んだ「二人だけの檻」、そして「誰の目にも触れない秘密の場所」が、ついに完成したぞ! さあ、今すぐ地下へ降りてくるんだ。君のために、地球の内核よりも熱い愛で作り上げた理想郷(ユートピア)が、そこにはある!』
「……降りませんわよ! 勝手に人の家の地下を魔改造しないでちょうだい!」
『ふふふ、恥ずかしがらなくていい。君が言った「一つになりたい」という言葉……私は一睡もせずに考え抜いた。そして、結論に至ったんだ。地上にいるから、余計な他人の視線が入る。ならば、地殻を突き抜け、マントルの近くで暮らせばいいのだと!』
「死にますわ! マントルの近くなんて温度的に無理ですわよ!」
「お嬢様、残念ながら殿下の熱意は、物理的な法則を既に凌駕しているようです。……ほら、床が本格的に開き始めました」
絨毯が左右に分かれ、そこには豪華な装飾が施された螺旋階段が現れた。
どこまでも深く続いているその階段からは、アルフレッド特有の、濃密で重厚な薔薇の香料の匂いが立ち上ってくる。
「……行くしかないわね。放置して、うちの屋敷が沈没しても困りますもの」
ローゼンは覚悟を決め、マリーを伴って階段を降りた。
数分ほど降り続けた先には、王宮のホールも顔負けの広大な空間が広がっていた。
壁はすべて純金で塗り固められ、天井には魔法の光球が太陽のように輝いている。
そしてその中央には、巨大な鳥籠のような、しかし最高級の寝具が敷き詰められた「黄金の檻」が設置されていた。
「ようこそ、ローゼン! ここが私たちの、誰にも邪魔されない終着駅だ!」
アルフレッドは、もはや服を着ることを諦めたのか、黄金の褌(ふんどし)一枚で檻の前に立っていた。
その筋肉は、地下での土木作業によってさらなる進化を遂げ、もはや人間というよりは彫像に近い。
「……殿下。……一応聞きますけれど、ここは何ですの?」
「君が望んだ『檻』だよ! この空間は、私の魔力によって地上から完全に隔離されている。光も、音も、他人の視線も、一切入ることはない! あるのは君の美しさと、それを愛でる私の筋肉だけだ!」
アルフレッドは誇らしげに檻の扉を開けた。
「さあ、入ってくれ! 君が入った瞬間に、私はこの鍵を胃の中に飲み込み、永遠に閉じ込めてあげよう! 食事は私が地上から運んでくる! 君はただ、ここで呼吸をし、美しく存在しているだけでいいんだ!」
「……嫌に決まっているでしょう。わたくし、太陽の光を浴びたいですし、街で買い物もしたいですわ」
「買い物!? 必要ない! 君が欲しいものはすべて、私が想像力と魔力で具現化してあげよう! ドレスが欲しいなら私の皮膚を剥いで編んでもいいし、宝石が欲しいなら私の汗を圧縮してダイヤモンドに変えてみせる!」
「恐怖しかありませんわ! あと、その褌をやめてください! 目が腐ります!」
ローゼンが激昂すると、アルフレッドはショックを受けたように胸を押さえた。
「……ああ……。そうか。……君は、もっと『狭い』のが良かったんだね。……檻では、まだ私との間に『距離』があると感じるのか……」
「違います! 広さの問題ではありません!」
「わかった、ローゼン! では、この檻の中に、さらに二人用の『棺(ひつぎ)』を用意しよう! そこで密着して眠れば、君の言う『物理的に一つになる』という願いが叶うはずだ! マリー、今すぐ職人を呼べ! 世界で一番密閉性の高い棺を発注するんだ!」
「承知いたしました。……殿下、ついでに酸素供給を遮断するオプションも付けましょうか?」
「マリー! あなた、誰の味方なのよ!」
ローゼンは地下の理想郷で、ついに崩れ落ちた。
演技で言ったはずの「重い愛」が、王太子の手によって、物理的な「地下監獄(豪華版)」として具現化されてしまった。
「殿下……。わたくし、もう一度だけ言いますわ。……普通に、地上で、服を着て、わたくしをただの一人の人間として扱ってください」
「……人間……? ローゼン、君はまだ、自分がそんな矮小な存在だと思っているのかい? 君は、私の信仰の対象であり、全宇宙の調和を司る……」
「うるさいですわ!!」
ローゼンの怒鳴り声が、黄金の地下空間に空しく反響した。
理想郷は、たった数分で「ローゼンの怒りが爆発する場所」へと成り果てたが、アルフレッドはその怒声さえも「地下空間の音響チェック」として楽しそうに記録していた。
地上の自由を取り戻すための道は、さらに深く、地下へと潜り込んでしまったのである。
マリーの放った強力な睡眠ガスによって、アルフレッドは王宮へと強制送還された。
ローゼンは、自分の「狂愛の演技」が火に油を注いだことを猛烈に反省し、自室の隅で膝を抱えていた。
「……マリー。わたくし、寝言でも『瞳を縫い付ける』なんて言ってないかしら。あまりの恥ずかしさに、自分の魂が口から脱走しそうですわ」
「お嬢様、ご安心ください。寝言ではただ『肉、苦い……』と呟いていらっしゃいました。……それよりも、現在進行形で起きている事態の方が深刻でございます」
マリーが窓の外ではなく、今日は床の一点を指差した。
よく見ると、絨毯の上がわずかに震えている。地鳴りのような、何かが掘り進められているような微かな振動だ。
「……何、この揺れ? まさか地震?」
「いいえ。王宮からこちらの方角へ向かって、凄まじい速度で『何か』が地下を掘り進んでおります。……あ、止まりましたね。ちょうど公爵邸の真下あたりで」
次の瞬間、床を突き破って、一本の黄金の筒が飛び出してきた。
筒の先には手紙が挟まっており、そこには『愛の通信、第一号』と書かれている。
「……通信手段が物理的すぎるわよ!」
ローゼンが戦慄していると、筒の中からアルフレッドの声が響いた。
どうやら集音魔法か何かが組み込まれているらしい。
『……聞こえるかい、ローゼン! 君が望んだ「二人だけの檻」、そして「誰の目にも触れない秘密の場所」が、ついに完成したぞ! さあ、今すぐ地下へ降りてくるんだ。君のために、地球の内核よりも熱い愛で作り上げた理想郷(ユートピア)が、そこにはある!』
「……降りませんわよ! 勝手に人の家の地下を魔改造しないでちょうだい!」
『ふふふ、恥ずかしがらなくていい。君が言った「一つになりたい」という言葉……私は一睡もせずに考え抜いた。そして、結論に至ったんだ。地上にいるから、余計な他人の視線が入る。ならば、地殻を突き抜け、マントルの近くで暮らせばいいのだと!』
「死にますわ! マントルの近くなんて温度的に無理ですわよ!」
「お嬢様、残念ながら殿下の熱意は、物理的な法則を既に凌駕しているようです。……ほら、床が本格的に開き始めました」
絨毯が左右に分かれ、そこには豪華な装飾が施された螺旋階段が現れた。
どこまでも深く続いているその階段からは、アルフレッド特有の、濃密で重厚な薔薇の香料の匂いが立ち上ってくる。
「……行くしかないわね。放置して、うちの屋敷が沈没しても困りますもの」
ローゼンは覚悟を決め、マリーを伴って階段を降りた。
数分ほど降り続けた先には、王宮のホールも顔負けの広大な空間が広がっていた。
壁はすべて純金で塗り固められ、天井には魔法の光球が太陽のように輝いている。
そしてその中央には、巨大な鳥籠のような、しかし最高級の寝具が敷き詰められた「黄金の檻」が設置されていた。
「ようこそ、ローゼン! ここが私たちの、誰にも邪魔されない終着駅だ!」
アルフレッドは、もはや服を着ることを諦めたのか、黄金の褌(ふんどし)一枚で檻の前に立っていた。
その筋肉は、地下での土木作業によってさらなる進化を遂げ、もはや人間というよりは彫像に近い。
「……殿下。……一応聞きますけれど、ここは何ですの?」
「君が望んだ『檻』だよ! この空間は、私の魔力によって地上から完全に隔離されている。光も、音も、他人の視線も、一切入ることはない! あるのは君の美しさと、それを愛でる私の筋肉だけだ!」
アルフレッドは誇らしげに檻の扉を開けた。
「さあ、入ってくれ! 君が入った瞬間に、私はこの鍵を胃の中に飲み込み、永遠に閉じ込めてあげよう! 食事は私が地上から運んでくる! 君はただ、ここで呼吸をし、美しく存在しているだけでいいんだ!」
「……嫌に決まっているでしょう。わたくし、太陽の光を浴びたいですし、街で買い物もしたいですわ」
「買い物!? 必要ない! 君が欲しいものはすべて、私が想像力と魔力で具現化してあげよう! ドレスが欲しいなら私の皮膚を剥いで編んでもいいし、宝石が欲しいなら私の汗を圧縮してダイヤモンドに変えてみせる!」
「恐怖しかありませんわ! あと、その褌をやめてください! 目が腐ります!」
ローゼンが激昂すると、アルフレッドはショックを受けたように胸を押さえた。
「……ああ……。そうか。……君は、もっと『狭い』のが良かったんだね。……檻では、まだ私との間に『距離』があると感じるのか……」
「違います! 広さの問題ではありません!」
「わかった、ローゼン! では、この檻の中に、さらに二人用の『棺(ひつぎ)』を用意しよう! そこで密着して眠れば、君の言う『物理的に一つになる』という願いが叶うはずだ! マリー、今すぐ職人を呼べ! 世界で一番密閉性の高い棺を発注するんだ!」
「承知いたしました。……殿下、ついでに酸素供給を遮断するオプションも付けましょうか?」
「マリー! あなた、誰の味方なのよ!」
ローゼンは地下の理想郷で、ついに崩れ落ちた。
演技で言ったはずの「重い愛」が、王太子の手によって、物理的な「地下監獄(豪華版)」として具現化されてしまった。
「殿下……。わたくし、もう一度だけ言いますわ。……普通に、地上で、服を着て、わたくしをただの一人の人間として扱ってください」
「……人間……? ローゼン、君はまだ、自分がそんな矮小な存在だと思っているのかい? 君は、私の信仰の対象であり、全宇宙の調和を司る……」
「うるさいですわ!!」
ローゼンの怒鳴り声が、黄金の地下空間に空しく反響した。
理想郷は、たった数分で「ローゼンの怒りが爆発する場所」へと成り果てたが、アルフレッドはその怒声さえも「地下空間の音響チェック」として楽しそうに記録していた。
地上の自由を取り戻すための道は、さらに深く、地下へと潜り込んでしまったのである。
0
あなたにおすすめの小説
あなたに嘘を一つ、つきました
小蝶
恋愛
ユカリナは夫ディランと政略結婚して5年がたつ。まだまだ戦乱の世にあるこの国の騎士である夫は、今日も戦地で命をかけて戦っているはずだった。彼が戦地に赴いて3年。まだ戦争は終わっていないが、勝利と言う戦況が見えてきたと噂される頃、夫は帰って来た。隣に可愛らしい女性をつれて。そして私には何も告げぬまま、3日後には結婚式を挙げた。第2夫人となったシェリーを寵愛する夫。だから、私は愛するあなたに嘘を一つ、つきました…
最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
【完結】美しい人。
❄️冬は つとめて
恋愛
「あなたが、ウイリアム兄様の婚約者? 」
「わたくし、カミーユと言いますの。ねえ、あなたがウイリアム兄様の婚約者で、間違いないかしら。」
「ねえ、返事は。」
「はい。私、ウイリアム様と婚約しています ナンシー。ナンシー・ヘルシンキ伯爵令嬢です。」
彼女の前に現れたのは、とても美しい人でした。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
【完結】あなたを忘れたい
やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。
そんな時、不幸が訪れる。
■□■
【毎日更新】毎日8時と18時更新です。
【完結保証】最終話まで書き終えています。
最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)
側妃の愛
まるねこ
恋愛
ここは女神を信仰する国。極まれに女神が祝福を与え、癒しの力が使える者が現れるからだ。
王太子妃となる予定の令嬢は力が弱いが癒しの力が使えた。突然強い癒しの力を持つ女性が異世界より現れた。
力が強い女性は聖女と呼ばれ、王太子妃になり、彼女を支えるために令嬢は側妃となった。
Copyright©︎2025-まるねこ
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
婚約破棄、ありがとうございます
奈井
恋愛
小さい頃に婚約して10年がたち私たちはお互い16歳。来年、結婚する為の準備が着々と進む中、婚約破棄を言い渡されました。でも、私は安堵しております。嘘を突き通すのは辛いから。傷物になってしまったので、誰も寄って来ない事をこれ幸いに一生1人で、幼い恋心と一緒に過ごしてまいります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる