悪役令嬢は、婚約破棄の慰謝料計算に忙しい。

猫宮かろん

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「……閣下。ペンの動きが止まっていますよ。処理速度が低下しています」

「わ、わかってる……。だが、目が……目がチカチカするんだ……」

ガレリア公爵邸、執務室。
カシウスは、私の監視下で山積みの書類と格闘していた。
これは仮病を使った罰としての「残業(オーバーワーク)」である。

「休憩は許可しません。あと三十件決済するまで、おやつはお預けです」

「鬼……! お前は鬼だ……!」

カシウスが涙目で抗議する。
平和だ。
ジェラルド殿下のストーカー行為もなく、こうして業務に集中できる日々こそ、私が求めていた理想の生活(ライフスタイル)だ。

その時。
部屋の扉がノックされ、ガストン副団長が入ってきた。
珍しく神妙な顔つきだ。

「ボス、姉御。……客人が来てやす」

「客? またあのバカ王子か? なら塩を撒いて追い返せ」

カシウスが顔も上げずに言う。

「いえ、違うんでさぁ。……メリアドール姉御の祖国からの、公式な使者だそうで」

「……!」

私の手が止まった。
祖国からの使者。
ついに、二十億の請求書に対する回答(リアクション)が来たか。あるいは、もっと悪い知らせか。

「通して」

私は居住まいを正し、冷徹な「管理官」の顔に戻った。

          ◇

現れたのは、見覚えのある初老の男性だった。
祖国の宰相閣下である。
かつては威厳に満ちていたその背中は丸まり、頬はげっそりとこけ、目の下には深い隈が刻まれている。
まるで十年分ほど一気に老け込んだようだ。

「……お久しぶりでございます、メリアドール嬢」

宰相は深々と頭を下げた。
その声には、疲労と悲哀が滲んでいる。

「宰相閣下。遠路はるばるご苦労様です。……して、本日のご用件は? まさか『二十億はまけてくれ』という値切り交渉(ディスカウント)ではありませんよね?」

私は単刀直入に切り出した。

「いいえ。……支払いは、必ず履行いたします。王家の全財産を投げ打ってでも」

宰相は力なく首を横に振った。

「本日は、貴女様に……謝罪と、ある報告を持って参りました」

「報告?」

「はい。……ジェラルド第一王子の処分が、正式に決定いたしました」

室内の空気が張り詰めた。
カシウスがペンを置き、鋭い視線を宰相に向ける。

「本日付をもって、ジェラルド殿下は王籍を剥奪。廃嫡とし、辺境の修道院へ幽閉することとなりました」

「……廃嫡、ですか」

私は眉一つ動かさずに復唱した。
予想の範囲内だ。あれだけの無能ぶりを晒せば、当然の帰結である。

「理由は? まさか、私への婚約破棄だけでそこまでの処分にはならないはずですが」

「……横領です」

「はい?」

「国宝の横領、および不正売却です」

宰相は震える手でハンカチを取り出し、額の汗を拭った。

「先日、王宮の地下宝物庫から、初代国王ゆかりの『聖なる壺』や『建国の短剣』など、重要文化財が数十点、消失していることが発覚しました」

「……」

私の脳裏に、ある光景がフラッシュバックする。
数日前、窓から侵入してきたミナ様に、私が授けた入れ知恵。

『殿下の隠し資産(壺)を売ればいいのです』

まさか。
いや、まさかとは思うが。

「調査の結果、それらは全て……ジェラルド殿下の命を受けた、ある男爵令嬢(ミナ)によって、市中の古道具屋に二束三文で売却されていたことが判明しました」

「ぶふっ!」

カシウスが吹き出した。

「国宝を!? 古道具屋に!? あいつら、馬鹿にも程があるだろ!」

「……耳が痛いです」

私はこめかみを押さえた。
ミナ様。優秀すぎます。
私の指示は「殿下の私物(コレクション)」を売れということだった。
まさか、それが「国宝」だとは。そして、それを躊躇なく売りさばく行動力(アクセル)の強さよ。

「ジェラルド殿下は『知らなかった! ミナが勝手にやったんだ!』と泣き喚いておりましたが……管理責任は免れません」

宰相は遠い目をした。

「さらに、得られた資金で殿下は豪遊しようとしたそうですが、令嬢が『これは私のコンサル料ですぅ』と大半を持ち逃げし……現在、殿下は一文無しで捕縛されました」

完璧だ。
私の描いた「ジェラルド再生計画」は、ミナ様という変数を経て、「ジェラルド破滅計画」へとバグ修正(アップデート)されていたらしい。

「あの王子、最後まで女に振り回されて終わったか。……傑作だな」

カシウスが愉快そうに笑う。

「それで? そのバカ王子は今どこに?」

「現在、護送車で修道院へ向かっております。……一生、外界へ出ることは許されません。聖書を書き写し、己の罪と向き合う日々となるでしょう」

「そうですか」

私は計算機を取り出し、パチパチとキーを叩いた。

「婚約破棄から約一ヶ月。社会的地位の喪失、資産の全損、そして自由の剥奪。……これほど見事な『因果応報』という四字熟語の実例(ケーススタディ)、教科書に載せるべきですね」

私は冷徹に言い放った。
同情はない。
彼は自らの幼稚さと、人を見る目のなさによって自滅したのだ。

「メリアドール嬢」

宰相が、縋るような目で私を見た。

「国王陛下も、深く後悔しておられます。『メリアドールこそが真の王妃の器であった』と。……どうでしょう、今からでも我が国に戻り、国政を担っていただけないでしょうか? 宰相のポストを用意いたします」

それは、かつての私なら喉から手が出るほど欲しかった地位かもしれない。
自分の能力を存分に発揮できる場所。
だが。

「お断りいたします」

私は即答した。
迷いなど、一ミリもなかった。

「なぜ……!」

「簡単な損益計算です。沈みゆく船(貴国)の修繕に一生を費やすより、これから急成長する優良企業(ガレリア)で、最高のパートナーと共に未来を創る方が、圧倒的に利益率が高い」

私は隣のカシウスを見た。
彼は、満足げにニカッと笑っている。

「それに」

私は少しだけ口元を緩めた。

「ここの『ボス』は、私を書類係としてではなく、一人の女性として扱ってくれますから。……福利厚生の質が違います」

「……!」

宰相はハッとして、私とカシウスの間の空気を感じ取ったようだ。
そして、深く、深く頭を下げた。

「……承知いたしました。逃した魚の大きさ、骨身に染みて理解しました」

宰相は、肩を落として部屋を出て行った。
その後ろ姿は、かつての栄光を失った祖国の姿そのものだった。

「……よかったのか?」

扉が閉まると、カシウスが静かに尋ねた。

「お前の生まれ育った国だぞ。宰相になれば、国を立て直すこともできただろうに」

「不要な情けは、ビジネスの邪魔です」

私は書類の山に向き直った。

「それに、私には今の仕事があります。……貴方という『手のかかる大型案件』を黒字化させるという、一大プロジェクトがね」

「へっ。……一生かかっても終わらせないぞ」

カシウスは私の手を引き寄せ、その甲にキスをした。

「俺の一生分、お前に発注(オーダー)済みだ」

「……追加料金、いただきますよ?」

「いくらでも払ってやる」

窓の外、空はどこまでも青く澄み渡っていた。
遠い異国の修道院で、元婚約者が冷たい石畳に膝をついている頃だろう。
だが、それはもう私の計算式には関係のない「処理済みデータ」だった。

私の視界にあるのは、隣で笑うカシウスと、これから積み上げていく未来の数字だけ。

「さあ、閣下。お喋りは終わりです。残りの書類、あと十五件ですよ」

「えぇ~……もう許してくれよぉ……」

「ダメです。働かざる者、食うべからず。……ですが」

私は小声で付け加えた。

「終わったら、ご褒美に膝枕くらいは、オプション(無料)で提供します」

「!! やる! 今すぐやる!!」

カシウスのペンが、音速を超えた。
単純な男だ。
だが、そんな彼を可愛いと思ってしまう自分もまた、十分に単純なのかもしれない。
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