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「――以上、今期の領地経営報告でした。純利益は前期比一二〇パーセント増。過去最高益を更新です」
「……相変わらず、可愛げのない数字を叩き出すな、お前は」
数年後のガレリア公爵邸、執務室。
私は積み上がった決裁書類の最後の一枚にサインをし、満足げにペンを置いた。
窓の外には、さらに発展した城下町が広がっている。
道路は舗装され、魔導灯が整備され、物流はスムーズに流れている。
かつて「ゴミ屋敷」と呼ばれたこの場所は、今や大陸有数の経済都市へと変貌を遂げていた。
「可愛げがない? 褒め言葉として受け取ります、あなた(・・・)」
私はデスクの向かいに座る夫――カシウス公爵に微笑みかけた。
数年の時を経て、彼の野性味あふれる魅力には、公爵としての威厳と落ち着き(多少だが)が加わり、さらに深みを増していた。
「だが、少しは休め。働きすぎだ」
カシウスが立ち上がり、私の肩を揉み始めた。
「今日は結婚記念日だぞ? 仕事を早めに切り上げて、ディナーに行くんじゃなかったのか?」
「ええ。予定通り(オン・スケジュール)です。あと三分で業務終了時刻となります」
私は懐中時計を確認した。
その時。
バタンッ!!
執務室の扉が勢いよく開いた。
かつてミナ様が窓から入ってきた時のような衝撃音だが、今回はもっと小さく、愛らしい侵入者だ。
「ママ! パパ! たいへんだぞ!」
飛び込んできたのは、三歳になる息子、レオンだった。
カシウス譲りの金髪に、私譲りの少し生意気そうな瞳。
将来有望な「ミニ狂犬」である。
「どうした、レオン。敵襲か?」
カシウスが嬉しそうに息子を抱き上げる。
「うん! ガストンおじちゃんが、ボクの積み木のお城をこわしたの! これは賠償問題(ばいしょうもんだい)だぞ!」
「……ふっ」
私は思わず吹き出した。
三歳児の口から飛び出す「賠償問題」という単語。
明らかに私の英才教育の賜物である。
「レオン。ガストンに故意(わざと)があったの?」
「ううん、お尻がぶつかっただけ」
「なら過失ね。示談にしなさい。おやつを一個余分にもらうことで手を打つのよ」
「わかった! 交渉してくる!」
レオンはカシウスの腕から飛び降り、再び廊下へと駆けていった。
廊下の向こうから「ひぃぃ、若様! 許してくだせぇ!」というガストン副団長の情けない悲鳴が聞こえる。
黒狼騎士団の面々は、今や最強のベビーシッター部隊として機能していた。
「……末恐ろしいな。お前に似て計算高くなりそうだ」
カシウスが苦笑する。
「貴方に似て行動力もありますよ。将来は優秀な領主になるでしょう」
「違いねぇ」
カシウスは目を細め、静かになった廊下を見つめた。
「なぁ、メリアドール」
「はい?」
「幸せか?」
唐突な問いかけ。
私は少しだけ動きを止めた。
「……愚問ですね」
私は立ち上がり、窓辺へと歩いた。
カシウスも隣に並ぶ。
かつて、私は自分の人生を「損益」だけで計算していた。
無駄を省き、感情を殺し、ただ効率的に生きることだけが正解だと思っていた。
けれど。
「私の資産状況を見てください」
私は指を折って数えた。
「安定した高収益の領地。優秀で忠実な部下たち。将来有望な後継者」
そして、隣にいる男を見上げた。
「そして、毎日愛の言葉を囁き、私の心拍数を乱高下させる、世界一世話の焼ける夫」
私はカシウスの腕に手を回し、頭を預けた。
「これ以上の『黒字』がありますか? 私の人生の収支決算は、計算不能なほどのプラスです」
「……ははっ」
カシウスが喉を鳴らして笑い、私を強く抱きしめた。
「愛してるぞ、メリアドール。世界で一番、愛してる」
彼は私の耳元で、甘く、熱く囁いた。
付き合い始めた頃と変わらない、いや、それ以上の熱量で。
私の心臓は、数年経った今でも、彼の前では正直に反応してしまう。
「……はいはい。私も愛していますよ(棒読み)」
私は照れ隠しに、早口で事務的に返した。
「おい、心がこもってないぞ」
「こもっています。時間短縮のために圧縮しただけです」
「なら、解凍が必要だな」
カシウスが私の顎を持ち上げ、唇を塞いだ。
長く、深いキス。
言葉などなくても、伝わる体温。
「……んっ」
唇が離れた時、私はきっと、また赤くなっているのだろう。
カシウスが勝ち誇ったように笑う。
「やっぱり、その顔が一番好きだ」
「……うるさいです」
私は彼の手を握り返した。
そういえば、風の噂で聞いた。
遠い祖国では、王家が借金返済のために王城の一部を博物館として開放し、細々と暮らしているらしい。
修道院にいるジェラルド元殿下からは、たまに「反省文」と称したポエムが届くが、全て未開封のまま暖炉の燃料(リサイクル)にしている。
過去は遠く、未来は明るい。
「さあ、行こうか。ディナーの予約時間に遅れるぞ」
カシウスがエスコートするように手を差し出した。
「ええ。遅刻は損失(コスト)です。急ぎましょう」
私はその手を取り、しっかりと握りしめた。
この手は、もう二度と離さない。
死が二人を分かつまで……いいえ、死んでもなお、天国で共同経営を続けるまで。
私の「悪役令嬢」としての物語は、婚約破棄から始まり、最高の「効率的な幸せ」へと辿り着いた。
これにて、一件落着。
本日の業務、終了です。
「……相変わらず、可愛げのない数字を叩き出すな、お前は」
数年後のガレリア公爵邸、執務室。
私は積み上がった決裁書類の最後の一枚にサインをし、満足げにペンを置いた。
窓の外には、さらに発展した城下町が広がっている。
道路は舗装され、魔導灯が整備され、物流はスムーズに流れている。
かつて「ゴミ屋敷」と呼ばれたこの場所は、今や大陸有数の経済都市へと変貌を遂げていた。
「可愛げがない? 褒め言葉として受け取ります、あなた(・・・)」
私はデスクの向かいに座る夫――カシウス公爵に微笑みかけた。
数年の時を経て、彼の野性味あふれる魅力には、公爵としての威厳と落ち着き(多少だが)が加わり、さらに深みを増していた。
「だが、少しは休め。働きすぎだ」
カシウスが立ち上がり、私の肩を揉み始めた。
「今日は結婚記念日だぞ? 仕事を早めに切り上げて、ディナーに行くんじゃなかったのか?」
「ええ。予定通り(オン・スケジュール)です。あと三分で業務終了時刻となります」
私は懐中時計を確認した。
その時。
バタンッ!!
執務室の扉が勢いよく開いた。
かつてミナ様が窓から入ってきた時のような衝撃音だが、今回はもっと小さく、愛らしい侵入者だ。
「ママ! パパ! たいへんだぞ!」
飛び込んできたのは、三歳になる息子、レオンだった。
カシウス譲りの金髪に、私譲りの少し生意気そうな瞳。
将来有望な「ミニ狂犬」である。
「どうした、レオン。敵襲か?」
カシウスが嬉しそうに息子を抱き上げる。
「うん! ガストンおじちゃんが、ボクの積み木のお城をこわしたの! これは賠償問題(ばいしょうもんだい)だぞ!」
「……ふっ」
私は思わず吹き出した。
三歳児の口から飛び出す「賠償問題」という単語。
明らかに私の英才教育の賜物である。
「レオン。ガストンに故意(わざと)があったの?」
「ううん、お尻がぶつかっただけ」
「なら過失ね。示談にしなさい。おやつを一個余分にもらうことで手を打つのよ」
「わかった! 交渉してくる!」
レオンはカシウスの腕から飛び降り、再び廊下へと駆けていった。
廊下の向こうから「ひぃぃ、若様! 許してくだせぇ!」というガストン副団長の情けない悲鳴が聞こえる。
黒狼騎士団の面々は、今や最強のベビーシッター部隊として機能していた。
「……末恐ろしいな。お前に似て計算高くなりそうだ」
カシウスが苦笑する。
「貴方に似て行動力もありますよ。将来は優秀な領主になるでしょう」
「違いねぇ」
カシウスは目を細め、静かになった廊下を見つめた。
「なぁ、メリアドール」
「はい?」
「幸せか?」
唐突な問いかけ。
私は少しだけ動きを止めた。
「……愚問ですね」
私は立ち上がり、窓辺へと歩いた。
カシウスも隣に並ぶ。
かつて、私は自分の人生を「損益」だけで計算していた。
無駄を省き、感情を殺し、ただ効率的に生きることだけが正解だと思っていた。
けれど。
「私の資産状況を見てください」
私は指を折って数えた。
「安定した高収益の領地。優秀で忠実な部下たち。将来有望な後継者」
そして、隣にいる男を見上げた。
「そして、毎日愛の言葉を囁き、私の心拍数を乱高下させる、世界一世話の焼ける夫」
私はカシウスの腕に手を回し、頭を預けた。
「これ以上の『黒字』がありますか? 私の人生の収支決算は、計算不能なほどのプラスです」
「……ははっ」
カシウスが喉を鳴らして笑い、私を強く抱きしめた。
「愛してるぞ、メリアドール。世界で一番、愛してる」
彼は私の耳元で、甘く、熱く囁いた。
付き合い始めた頃と変わらない、いや、それ以上の熱量で。
私の心臓は、数年経った今でも、彼の前では正直に反応してしまう。
「……はいはい。私も愛していますよ(棒読み)」
私は照れ隠しに、早口で事務的に返した。
「おい、心がこもってないぞ」
「こもっています。時間短縮のために圧縮しただけです」
「なら、解凍が必要だな」
カシウスが私の顎を持ち上げ、唇を塞いだ。
長く、深いキス。
言葉などなくても、伝わる体温。
「……んっ」
唇が離れた時、私はきっと、また赤くなっているのだろう。
カシウスが勝ち誇ったように笑う。
「やっぱり、その顔が一番好きだ」
「……うるさいです」
私は彼の手を握り返した。
そういえば、風の噂で聞いた。
遠い祖国では、王家が借金返済のために王城の一部を博物館として開放し、細々と暮らしているらしい。
修道院にいるジェラルド元殿下からは、たまに「反省文」と称したポエムが届くが、全て未開封のまま暖炉の燃料(リサイクル)にしている。
過去は遠く、未来は明るい。
「さあ、行こうか。ディナーの予約時間に遅れるぞ」
カシウスがエスコートするように手を差し出した。
「ええ。遅刻は損失(コスト)です。急ぎましょう」
私はその手を取り、しっかりと握りしめた。
この手は、もう二度と離さない。
死が二人を分かつまで……いいえ、死んでもなお、天国で共同経営を続けるまで。
私の「悪役令嬢」としての物語は、婚約破棄から始まり、最高の「効率的な幸せ」へと辿り着いた。
これにて、一件落着。
本日の業務、終了です。
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