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「アルカ・フォン・ベルム! 貴様のような薄汚い女との婚約は、今この瞬間をもって破棄させてもらう!」
きらびやかなシャンデリアが輝く卒業パーティーの会場に、第一王子ジュリアンの怒声が響き渡った。
周囲の貴族たちは一瞬にして静まり返り、劇的な幕開けに好奇の視線を送る。
ジュリアンの傍らには、いかにも守ってあげたくなるような愛らしい容姿の男爵令嬢、リディアが寄り添っていた。
彼女は震える声で、しかし勝ち誇ったような瞳をこちらに向けている。
対する公爵令嬢アルカは、微動だにせず王子の正面に立っていた。
冷徹と噂されるその瞳は鋭く、黙っているだけで周囲を威圧する。
「……アルカ、何か言うことはないのか! リディアに対する数々の嫌がらせ、私はすべて把握しているのだぞ!」
ジュリアンが追い打ちをかけるように叫ぶ。
アルカはゆっくりと、重い口を開いた。
「……殿下」
「なんだ! 今さら命乞いでもするつもりか?」
「いえ。そのお話、あと何分くらいで終わりますか?」
「……は?」
ジュリアンは毒気を抜かれたように目を見開いた。
アルカの表情は真剣そのものだ。
「この後、メインディッシュのローストビーフが運ばれてくる時間なんです。シェフが一番美味しい状態で提供したいと仰っていたので、冷める前に話を終わらせていただきたいのですが」
「き、貴様……自分が今、どんな状況に置かれているかわかっているのか!?」
「婚約破棄ですよね? 承知いたしました。あ、あちらのリディア様とのご結婚もどうぞご自由に。書類は後で実家に送っておいてください」
アルカの視線は、ジュリアンの背後にある配膳口へと注がれている。
クンクン、と鼻を鳴らす彼女の姿に、淑女としての品格は微塵も感じられない。
「いい匂いがしてきました。赤ワインとベリーのソースですね。隠し味にバルサミコを使っているのでしょうか」
「無視するな! リディアの教科書を破り、階段から突き落とそうとした悪行を数え上げているのだぞ!」
「教科書を破る? そんな面倒なこと、私がするはずがないでしょう。紙の繊維で指を切ったら、包丁が握れなくなります」
「階段から突き落とす件はどうなんだ!」
「階段を駆け上がる筋肉があるなら、私は市場までダッシュして新鮮なハツを買いに行きます。殿下、効率が悪すぎます。やり直しです」
アルカは心底つまらなそうに溜息をついた。
彼女にとって、恋愛や権力争いは「調理時間の無駄」でしかない。
「アルカ様……ひどいですわ! あんなに私をいじめておいて、そんな白々しい嘘をつくなんて!」
リディアが涙を浮かべて割って入る。
アルカはその顔をじっと見つめ、一言。
「リディア様、少し痩せましたか? 頬の血色が良くありません。タンパク質が足りていない証拠です。今夜の肉は、あなたこそしっかり食べるべきですよ」
「えっ……? あ、ありがとうございます……?」
「礼には及びません。さあ殿下、続きをどうぞ。あ、なるべく手短に。もうワゴンがそこまで来ています」
ジュリアンは顔を真っ赤にして絶句した。
婚約破棄という人生最大の悲劇に直面しているはずの婚約者が、肉の焼き加減しか気にしていない。
この事実は、王子のプライドを完膚なきまでに叩き潰した。
「ふざけるな! 貴様、反省のいろがまったくないようだな! いいだろう、ならば追放だ! 王都から離れた北の離宮へ、今すぐ去るがいい!」
「北の離宮……? あそこは確か、広大な森に囲まれていましたよね」
アルカの瞳が、今日一番の輝きを放った。
「森……ということは、野生の鴨やウサギが獲放題ということではありませんか。それに北部の冷涼な気候なら、熟成肉を作るのにも適しています。素晴らしい」
「な……何を言っているんだ?」
「殿下、感謝いたします。こんなに素敵な場所を隠居先に選んでいただけるなんて。公爵家での堅苦しい食事にも飽き飽きしていたところなんです」
アルカはドレスの裾を軽く持ち上げ、見事なカーテシーを披露した。
ただし、その目はジュリアンではなく、運ばれてきたローストビーフの塊に釘付けだ。
「それでは、私はこれにて。……あ、給仕の方。その一番端の、脂身がしっかり乗っているところを三枚。いえ、五枚いただけますか?」
「は、はいっ! かしこまりました、アルカ様!」
王子の命令も忘れて、給仕の男はアルカの迫力に押されるように肉を切り分けた。
アルカは手際よくフォークを操り、一切れの肉を口に運ぶ。
会場中の視線が集まる中、彼女は至福の表情で咀嚼した。
「……んー、完璧。焼き加減もソースの煮詰め具合も、非の打ち所がありません」
「食べながら帰る奴があるか! 衛兵! この女を連れて行け!」
ついに爆発したジュリアンの叫びにより、アルカは衛兵に囲まれることとなった。
しかし、彼女は慌てる素振りも見せない。
「わかりました、わかっていますから。そんなに押さないでください。あ、そのお皿、私が持って行きますので。カイン、荷造りをお願い!」
影のように控えていた無表情な侍従、カインが音もなく現れる。
「御意。調理器具一式と、特製のスパイス棚を優先して馬車へ積み込みます、お嬢様」
「助かるわ。ああ、北の離宮での生活が楽しみで仕方がありません」
アルカは満足げにローストビーフの皿を抱え、衛兵に促されるまま会場を後にした。
残されたのは、怒りで震える王子と、困惑するリディア。
そして、美味しそうな匂いだけが漂う、何とも言えない空気のパーティー会場だった。
「……ジュリアン様。アルカ様、なんだか嬉しそうでしたわね……」
リディアの呟きは、誰の耳にも届くことなく虚空に消えた。
こうして、世にも奇妙な「悪役令嬢」の追放劇が幕を開けたのである。
きらびやかなシャンデリアが輝く卒業パーティーの会場に、第一王子ジュリアンの怒声が響き渡った。
周囲の貴族たちは一瞬にして静まり返り、劇的な幕開けに好奇の視線を送る。
ジュリアンの傍らには、いかにも守ってあげたくなるような愛らしい容姿の男爵令嬢、リディアが寄り添っていた。
彼女は震える声で、しかし勝ち誇ったような瞳をこちらに向けている。
対する公爵令嬢アルカは、微動だにせず王子の正面に立っていた。
冷徹と噂されるその瞳は鋭く、黙っているだけで周囲を威圧する。
「……アルカ、何か言うことはないのか! リディアに対する数々の嫌がらせ、私はすべて把握しているのだぞ!」
ジュリアンが追い打ちをかけるように叫ぶ。
アルカはゆっくりと、重い口を開いた。
「……殿下」
「なんだ! 今さら命乞いでもするつもりか?」
「いえ。そのお話、あと何分くらいで終わりますか?」
「……は?」
ジュリアンは毒気を抜かれたように目を見開いた。
アルカの表情は真剣そのものだ。
「この後、メインディッシュのローストビーフが運ばれてくる時間なんです。シェフが一番美味しい状態で提供したいと仰っていたので、冷める前に話を終わらせていただきたいのですが」
「き、貴様……自分が今、どんな状況に置かれているかわかっているのか!?」
「婚約破棄ですよね? 承知いたしました。あ、あちらのリディア様とのご結婚もどうぞご自由に。書類は後で実家に送っておいてください」
アルカの視線は、ジュリアンの背後にある配膳口へと注がれている。
クンクン、と鼻を鳴らす彼女の姿に、淑女としての品格は微塵も感じられない。
「いい匂いがしてきました。赤ワインとベリーのソースですね。隠し味にバルサミコを使っているのでしょうか」
「無視するな! リディアの教科書を破り、階段から突き落とそうとした悪行を数え上げているのだぞ!」
「教科書を破る? そんな面倒なこと、私がするはずがないでしょう。紙の繊維で指を切ったら、包丁が握れなくなります」
「階段から突き落とす件はどうなんだ!」
「階段を駆け上がる筋肉があるなら、私は市場までダッシュして新鮮なハツを買いに行きます。殿下、効率が悪すぎます。やり直しです」
アルカは心底つまらなそうに溜息をついた。
彼女にとって、恋愛や権力争いは「調理時間の無駄」でしかない。
「アルカ様……ひどいですわ! あんなに私をいじめておいて、そんな白々しい嘘をつくなんて!」
リディアが涙を浮かべて割って入る。
アルカはその顔をじっと見つめ、一言。
「リディア様、少し痩せましたか? 頬の血色が良くありません。タンパク質が足りていない証拠です。今夜の肉は、あなたこそしっかり食べるべきですよ」
「えっ……? あ、ありがとうございます……?」
「礼には及びません。さあ殿下、続きをどうぞ。あ、なるべく手短に。もうワゴンがそこまで来ています」
ジュリアンは顔を真っ赤にして絶句した。
婚約破棄という人生最大の悲劇に直面しているはずの婚約者が、肉の焼き加減しか気にしていない。
この事実は、王子のプライドを完膚なきまでに叩き潰した。
「ふざけるな! 貴様、反省のいろがまったくないようだな! いいだろう、ならば追放だ! 王都から離れた北の離宮へ、今すぐ去るがいい!」
「北の離宮……? あそこは確か、広大な森に囲まれていましたよね」
アルカの瞳が、今日一番の輝きを放った。
「森……ということは、野生の鴨やウサギが獲放題ということではありませんか。それに北部の冷涼な気候なら、熟成肉を作るのにも適しています。素晴らしい」
「な……何を言っているんだ?」
「殿下、感謝いたします。こんなに素敵な場所を隠居先に選んでいただけるなんて。公爵家での堅苦しい食事にも飽き飽きしていたところなんです」
アルカはドレスの裾を軽く持ち上げ、見事なカーテシーを披露した。
ただし、その目はジュリアンではなく、運ばれてきたローストビーフの塊に釘付けだ。
「それでは、私はこれにて。……あ、給仕の方。その一番端の、脂身がしっかり乗っているところを三枚。いえ、五枚いただけますか?」
「は、はいっ! かしこまりました、アルカ様!」
王子の命令も忘れて、給仕の男はアルカの迫力に押されるように肉を切り分けた。
アルカは手際よくフォークを操り、一切れの肉を口に運ぶ。
会場中の視線が集まる中、彼女は至福の表情で咀嚼した。
「……んー、完璧。焼き加減もソースの煮詰め具合も、非の打ち所がありません」
「食べながら帰る奴があるか! 衛兵! この女を連れて行け!」
ついに爆発したジュリアンの叫びにより、アルカは衛兵に囲まれることとなった。
しかし、彼女は慌てる素振りも見せない。
「わかりました、わかっていますから。そんなに押さないでください。あ、そのお皿、私が持って行きますので。カイン、荷造りをお願い!」
影のように控えていた無表情な侍従、カインが音もなく現れる。
「御意。調理器具一式と、特製のスパイス棚を優先して馬車へ積み込みます、お嬢様」
「助かるわ。ああ、北の離宮での生活が楽しみで仕方がありません」
アルカは満足げにローストビーフの皿を抱え、衛兵に促されるまま会場を後にした。
残されたのは、怒りで震える王子と、困惑するリディア。
そして、美味しそうな匂いだけが漂う、何とも言えない空気のパーティー会場だった。
「……ジュリアン様。アルカ様、なんだか嬉しそうでしたわね……」
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