断罪された悪役令嬢は、気楽に過ごしたい。

黒猫かの

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「はぁ、はぁ……お姉様……。もう、一歩も、動けませんわ……。肺が、肺が燃えておりますの……!」

エヴァレット領の特訓場。
真っ黒なジャージ姿の聖女ルルが、地面に突っ伏して虫の息で訴えた。
その横では、アマリが涼しい顔で、片手で百キロはある鉄球をジャグリングしている。

「何を言っていますの、ルルさん! 肺が燃えるのは、あなたが生きている証拠! 脂肪がエネルギーに変換される歓喜の産声ですわよ! さあ、立って! 次は『殿下対策・実戦編』に移行しますわ!」

「殿下対策……? もしかして、殿下をメロメロにする、可愛らしい仕草を教えてくださるのですか……?」

ルルが期待に満ちた瞳で顔を上げた。
彼女にとって、ライオネル王子の執着をかわすには、別の魅力で彼を圧倒するしかないと考えていたのだ。

「ええ、もちろん! 男性を一瞬で夢中にさせ、そのまま地面と仲良しにさせる『アマリ流・モテ仕草』ですわ!」

「地面と仲良し……?」

不穏なワードが聞こえた気がしたが、ルルは這うようにして立ち上がった。
縁側でプロテインバーを齧りながら様子を見ていたギルバートが、案の定、嫌な予感に眉をひそめる。

「おい、アマリ。お前、まさか聖女に何を教えるつもりだ。……ルル、悪いことは言わん、今のうちに逃げろ」

「ギルバート、邪魔をしないでくださいませ! 乙女には、自分を守るための『華』が必要なのですわ! さあルルさん、殿下がこのように、しつこく背後から抱きつこうとしてきたらどうします?」

アマリはギルバートの背後に回り込み、彼の屈強な体を軽々と羽交い締めにしてみせた。
「おい、離せ!」と抗議するギルバートを無視して、アマリは解説を続ける。

「この時、大切なのは『優雅な回転』ですわ。殿下の力を利用して、花びらが舞うようにくるりと回る……。はい、えいっ!」

「ぐわああああっ!?」

一瞬だった。
アマリが小さくステップを踏んだかと思うと、次の瞬間には、近衛騎士団長の巨体が宙を舞い、美しい放物線を描いて砂場へと叩きつけられていた。

「……どうです? これがアマリ流・旋回式背負い投げ『ローズ・サイクロン』ですわ!」

「……す、すごいですわ、お姉様! ギルバート様が、まるでゴミ袋のように遠くへ……! これが、モテるということなのですか!?」

「そうですわ! 相手を自分のペースに巻き込み、逆らえない状況を作る。これこそが、大人の女性の余裕というものですわよ!」

砂場から「……殺す気か……」と呻きながら這い出してきたギルバートは、完全に無視された。
ルルは目を輝かせ、アマリの真似をして空中で手を回し始める。

「お姉様! 私も、その『ローズ・サイクロン』を習得したいですわ! 殿下が甘ったるい声で近づいてきたら、思いっきり回転して差し上げますわ!」

「いい意気込みですわ! では、まずは相手の手首を掴む際の『淑女の指先』から練習しましょう。薬指と小指に全神経を集中させて、相手の脈動を止める勢いで握るのですわよ!」

「はい、お姉様! こうですか!? ぎゅぅぅぅっ!」

「痛っ! 痛い、ルル! お前、握力の才能がありすぎるだろう! 離せ、折れる!」

練習台にされたギルバートの悲鳴が、穏やかな領地の空に響き渡る。
アマリは満足げに頷き、さらに指導に熱を入れた。

「次は、殿下が跪いて手にキスをしようとしてきた時の対策ですわ。これは『膝』を使います。相手の顎のラインを、下から突き上げるように愛でるのですわよ」

「まあ! 下からの愛情表現ですわね! 殿下の顎がガクガク震えるほど、愛して差し上げますわ!」

「……もうダメだ。この国は終わる。聖女が物理アタッカーにジョブチェンジしていくのを、俺は止めることができない……」

ギルバートは膝をつき、天を仰いだ。
彼の視線の先には、純真無垢な笑顔で「ニー・オブ・ジャスティス(正義の膝蹴り)」のフォームを確認する元・聖女の姿があった。

「いいですわ、ルルさん! その角度! まさに『天に昇る心地』を相手に味わわせることができますわよ!」

「ありがとうございます、お姉様! 私、なんだか自分に自信が持てるようになってきましたわ!」

「ふふふ、筋肉と投げ技は裏切りませんからね。さあ、次は仕上げの特訓として、私を投げ飛ばしてみなさい!」

「ええっ!? 私がお姉様を!? そんな、恐れ多いですわ……!」

「遠慮はいりませんわ! 私の腹筋は、新米のあなたの投げ技くらいでは揺るぎもしませんもの! さあ、全力で来なさい!」

「……分かりましたわ! お姉様、愛しておりますわぁぁぁ!」

ルルがアマリの腕に飛び込み、渾身の力で回転する。
もちろん、アマリはビクともしなかったが、ルルの体当たりの衝撃で、二人は笑いながら芝生の上を転がった。

「あははは! 惜しいですわよ、ルルさん! 今のは腰の入れ方が甘かったですわね!」

「うふふ、お姉様、とっても硬いですわ! 岩に抱きついているみたいで安心します!」

芝生の上で笑い合う二人の少女。
その光景だけを見れば、仲睦まじい姉妹のような、微笑ましい恋愛小説の一場面のようであった。
……投げ飛ばされているのが近衛騎士団長でなければ、の話だが。

「……アマリ、お前、少しは反省しろ。そしてルル、お前もだ」

ギルバートが泥だらけの顔で二人を見下ろす。
アマリは起き上がると、ギルバートの胸板をポンと叩いた。

「あら、ギルバート。そんなに拗ねないでくださいな。あなたのその丈夫な体があったからこそ、私たちはこうして安全に特訓ができるんですもの。感謝していますわよ?」

「……感謝するなら、もう少し手加減しろ。……それから、その、なんだ」

ギルバートは急に言葉を詰まらせ、視線を泳がせた。

「……さっきの『ローズ・サイクロン』とかいう技。……俺以外の男には、絶対にするなよ。分かったか」

「え? どうしてですの? 護身術ですわよ?」

「いいからだ! ……あんな格好、他の奴に見せられるか」

ギルバートは赤くなった顔を隠すように背を向けて去っていった。
アマリは不思議そうに小首を傾げる。

「ルルさん、ギルバートは何を怒っているのかしら? 私の投げ方が、あまりにも美しすぎて嫉妬したのかしら?」

「きっとそうですわ、お姉様! さあ、続きを教えてくださいませ! 次は、殿下の鼻の穴に指を突っ込んで投げ飛ばす方法をお願いしますわ!」

「それは護身術の範疇を超えていますけれど……面白いですわね! 採用ですわ!」

エヴァレット領の朝は、今日も平和な破壊音とともに更けていく。
聖女ルルの修行は、まだ始まったばかりであった。
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