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エヴァレット公爵領ののどかな午後に、けたたましい馬車の車輪の音が響き渡った。
豪華な金細工が施された、悪趣味なほどにキラキラした馬車。
そこから降りてきたのは、この国の第一王子、ライオネル・ド・パルフェである。
「はぁ、はぁ……。なんて遠いのだ、この領地は! 私の肌がカサカサになってしまったではないか!」
ライオネルは鏡を取り出し、自分の顔をチェックしながら吐き捨てた。
彼の背後には、数人の気弱そうな文官たちが、山のような書類鞄を抱えて控えている。
彼がわざわざ王都からやってきた理由はただ一つ。
アマリを「再雇用」……もとい、「復縁してやる」ためである。
「アマリ! そこにいるのは分かっているぞ! 貴様の主、ライオネル殿下が直々に迎えに来てやったのだ! 泣いて喜ぶがいい!」
返事の代わりに響いてきたのは、庭の奥からの凄まじい「シュッ! シュッ!」という鋭い風切り音だった。
ライオネルが不審に思って足を進めると、そこには衝撃の光景が広がっていた。
「腰が高いですわよ、ルルさん! 殿下が近づいてきたら、まずその鳩尾を狙う勢いで重心を低く! はい、一、二!」
「はい、お姉様! 殿下の……鳩尾……! 狙いますわぁぁぁ!」
そこには、泥だらけのジャージ姿でシャドーボクシングに励むアマリと、同じく真っ黒な格好で猛烈な突きを繰り出す聖女ルルの姿があった。
ライオネルの存在など、筋肉の宴の前では羽虫同然である。
「……な、ななな、なんだその姿はーーーっ!? 聖女ルル! 貴様、なぜアマリと同じような野蛮な格好をしているのだ!?」
ライオネルの絶叫に、ようやくアマリが足を止めた。
彼女は首にかけたタオルで汗を拭うと、心底面倒くさそうに片眉を上げた。
「あら、騒々しいゴミが飛んできたと思えば、ライオネル殿下ではありませんか。王宮の書類の山に埋もれて死んだかと思っていましたわ」
「ゴミとは何だ! 貴様、私がどれほど寛大な心でここまで来たと思っている! ほら、見ろ。この私との復縁誓約書だ。これにサインすれば、特別にまた私の隣に立つ権利を……」
「お断りしますわ。一秒で却下です」
アマリは差し出された紙を、読むまでもなく空中でシュレッダーのように引きちぎった。
その握力に、ライオネルの顔が引きつる。
「き、貴様……! 後悔しても知らんぞ! 貴様がいなくなってから、私の生活は……その、少しだけ、ほんの少しだけ不便なのだ! 具体的には、朝起きてから寝るまで、すべてが上手くいかん!」
「それを世間では『自業自得』と呼びますのよ。さあルルさん、練習を続けましょう。次は『泣きつく男を払い除ける裏拳』ですわ」
「待て! 私を無視するな! ――おい、ルル! お前もだ! そんな女に唆されていないで、早く私の元へ戻れ! 聖女がそんな汗臭いところにいてはいかん!」
ライオネルがルルの腕を強引に掴もうと手を伸ばした、その時である。
アマリが動くよりも早く、ルルの体が電光石火の如く回転した。
「――無防備ですわ、殿下!」
「……え?」
ルルは教わったばかりの『ローズ・サイクロン』を、完璧なフォームで繰り出した。
ライオネルの細い手首をガッチリとホールドし、自身の体重を乗せて一気に旋回する。
「あ、」という短い声とともに、第一王子の体はふわりと宙を舞った。
「ぬ、ぬおおおおおおおおっ!?」
ドッパァァァン!!
見事な放物線を描いたライオネルは、庭園の中央にある、冷たい水が噴き出す大噴水へとダイブした。
水飛沫が数メートルの高さまで上がり、周囲の文官たちが「殿下ーーーっ!」と悲鳴を上げる。
「……まあ! お姉様! 見てください! 私、やりましたわ! 殿下を投げ飛ばせましたわ!」
ルルは自分の手を見つめ、感動に打ち震えている。
アマリは、その肩をポンと叩いて満面の笑みを浮かべた。
「素晴らしいですわ、ルルさん! 今のは腰の回転が実にシャープでした! 噴水の中心を射抜くなんて、コントロールも抜群ですわね!」
「ありがとうございます! お姉様のご指導のおかげですわ!」
噴水の中から、水浸しになったライオネルが這い出してきた。
頭には水草が乗り、自慢の金髪はワカメのようにへばりついている。
彼はガタガタと震えながら、震える指を二人に向けた。
「き、貴様ら……! この私を、噴水に投げ込むとは……! 大逆罪だぞ! 反逆だぞ!」
「あら、投げ飛ばされるような軟弱な体幹をしている方が悪いですわよ。殿下、そんなに怒ると筋肉に悪いですわ。それとも、もう一回『おかわり』をご所望かしら?」
アマリが拳をパキパキと鳴らしながら一歩踏み出す。
その凄まじい威圧感に、ライオネルは「ヒッ……!」と情けない声を上げた。
「……お、覚えていろ! 私は、私は絶対に許さないからな! 帰るぞ! こんな野蛮な土地、二度と来るか!」
ライオネルは、文官たちに担ぎ込まれるようにして馬車へと逃げ帰った。
走り去る馬車の窓から「アマリーーー! 後悔させてやるからなーーー!」という虚しい遠吠えが聞こえてくる。
「……ふぅ。これで少しは静かになりますわね。ギルバート、見ていました? ルルさんの成長っぷり!」
ずっと木陰で様子を見ていたギルバートが、頭を抱えながら歩み寄ってきた。
「……見ていた。見ていたが……お前な、一国の王子を噴水に投げ込んで無事で済むと思っているのか?」
「大丈夫ですわよ。あの方、自分が投げ飛ばされたなんて恥ずかしくて、王宮では『華麗にダイブして水と戯れた』とでも報告しますわよ」
「そんな馬鹿な報告があるか。……まあいい。お前たちの暴走にはもう慣れた。だが、次はせめて地面にしておけ。噴水の修理代は公爵家の経費だろうが」
ギルバートは溜息をつきながらも、どこか楽しそうに口角を上げた。
アマリは、そんな彼にグイと顔を近づける。
「あら、ギルバート。あなたも投げ飛ばされたいのかしら? 私の『アマリ・スペシャル』、受けてみる?」
「……遠慮する。俺は、お前に投げられるより、お前を捕まえておく方が得意だからな」
ギルバートはそう言うと、アマリの泥がついた頬を指先で軽く拭った。
その一瞬の沈黙に、アマリは珍しく「……っ」と声を詰まらせ、視線を逸らした。
「……トレーニングの続きをしますわよ! ルルさん!」
「はい、お姉様! 次は殿下の鼻の穴を狙う特訓ですわね!」
「それはやりすぎですわ!」
エヴァレット領の空は、今日もどこまでも高く、そして賑やかだった。
悪役令嬢アマリと、その弟子ルルの「物理的無双」は、これからさらに加速していくのである。
豪華な金細工が施された、悪趣味なほどにキラキラした馬車。
そこから降りてきたのは、この国の第一王子、ライオネル・ド・パルフェである。
「はぁ、はぁ……。なんて遠いのだ、この領地は! 私の肌がカサカサになってしまったではないか!」
ライオネルは鏡を取り出し、自分の顔をチェックしながら吐き捨てた。
彼の背後には、数人の気弱そうな文官たちが、山のような書類鞄を抱えて控えている。
彼がわざわざ王都からやってきた理由はただ一つ。
アマリを「再雇用」……もとい、「復縁してやる」ためである。
「アマリ! そこにいるのは分かっているぞ! 貴様の主、ライオネル殿下が直々に迎えに来てやったのだ! 泣いて喜ぶがいい!」
返事の代わりに響いてきたのは、庭の奥からの凄まじい「シュッ! シュッ!」という鋭い風切り音だった。
ライオネルが不審に思って足を進めると、そこには衝撃の光景が広がっていた。
「腰が高いですわよ、ルルさん! 殿下が近づいてきたら、まずその鳩尾を狙う勢いで重心を低く! はい、一、二!」
「はい、お姉様! 殿下の……鳩尾……! 狙いますわぁぁぁ!」
そこには、泥だらけのジャージ姿でシャドーボクシングに励むアマリと、同じく真っ黒な格好で猛烈な突きを繰り出す聖女ルルの姿があった。
ライオネルの存在など、筋肉の宴の前では羽虫同然である。
「……な、ななな、なんだその姿はーーーっ!? 聖女ルル! 貴様、なぜアマリと同じような野蛮な格好をしているのだ!?」
ライオネルの絶叫に、ようやくアマリが足を止めた。
彼女は首にかけたタオルで汗を拭うと、心底面倒くさそうに片眉を上げた。
「あら、騒々しいゴミが飛んできたと思えば、ライオネル殿下ではありませんか。王宮の書類の山に埋もれて死んだかと思っていましたわ」
「ゴミとは何だ! 貴様、私がどれほど寛大な心でここまで来たと思っている! ほら、見ろ。この私との復縁誓約書だ。これにサインすれば、特別にまた私の隣に立つ権利を……」
「お断りしますわ。一秒で却下です」
アマリは差し出された紙を、読むまでもなく空中でシュレッダーのように引きちぎった。
その握力に、ライオネルの顔が引きつる。
「き、貴様……! 後悔しても知らんぞ! 貴様がいなくなってから、私の生活は……その、少しだけ、ほんの少しだけ不便なのだ! 具体的には、朝起きてから寝るまで、すべてが上手くいかん!」
「それを世間では『自業自得』と呼びますのよ。さあルルさん、練習を続けましょう。次は『泣きつく男を払い除ける裏拳』ですわ」
「待て! 私を無視するな! ――おい、ルル! お前もだ! そんな女に唆されていないで、早く私の元へ戻れ! 聖女がそんな汗臭いところにいてはいかん!」
ライオネルがルルの腕を強引に掴もうと手を伸ばした、その時である。
アマリが動くよりも早く、ルルの体が電光石火の如く回転した。
「――無防備ですわ、殿下!」
「……え?」
ルルは教わったばかりの『ローズ・サイクロン』を、完璧なフォームで繰り出した。
ライオネルの細い手首をガッチリとホールドし、自身の体重を乗せて一気に旋回する。
「あ、」という短い声とともに、第一王子の体はふわりと宙を舞った。
「ぬ、ぬおおおおおおおおっ!?」
ドッパァァァン!!
見事な放物線を描いたライオネルは、庭園の中央にある、冷たい水が噴き出す大噴水へとダイブした。
水飛沫が数メートルの高さまで上がり、周囲の文官たちが「殿下ーーーっ!」と悲鳴を上げる。
「……まあ! お姉様! 見てください! 私、やりましたわ! 殿下を投げ飛ばせましたわ!」
ルルは自分の手を見つめ、感動に打ち震えている。
アマリは、その肩をポンと叩いて満面の笑みを浮かべた。
「素晴らしいですわ、ルルさん! 今のは腰の回転が実にシャープでした! 噴水の中心を射抜くなんて、コントロールも抜群ですわね!」
「ありがとうございます! お姉様のご指導のおかげですわ!」
噴水の中から、水浸しになったライオネルが這い出してきた。
頭には水草が乗り、自慢の金髪はワカメのようにへばりついている。
彼はガタガタと震えながら、震える指を二人に向けた。
「き、貴様ら……! この私を、噴水に投げ込むとは……! 大逆罪だぞ! 反逆だぞ!」
「あら、投げ飛ばされるような軟弱な体幹をしている方が悪いですわよ。殿下、そんなに怒ると筋肉に悪いですわ。それとも、もう一回『おかわり』をご所望かしら?」
アマリが拳をパキパキと鳴らしながら一歩踏み出す。
その凄まじい威圧感に、ライオネルは「ヒッ……!」と情けない声を上げた。
「……お、覚えていろ! 私は、私は絶対に許さないからな! 帰るぞ! こんな野蛮な土地、二度と来るか!」
ライオネルは、文官たちに担ぎ込まれるようにして馬車へと逃げ帰った。
走り去る馬車の窓から「アマリーーー! 後悔させてやるからなーーー!」という虚しい遠吠えが聞こえてくる。
「……ふぅ。これで少しは静かになりますわね。ギルバート、見ていました? ルルさんの成長っぷり!」
ずっと木陰で様子を見ていたギルバートが、頭を抱えながら歩み寄ってきた。
「……見ていた。見ていたが……お前な、一国の王子を噴水に投げ込んで無事で済むと思っているのか?」
「大丈夫ですわよ。あの方、自分が投げ飛ばされたなんて恥ずかしくて、王宮では『華麗にダイブして水と戯れた』とでも報告しますわよ」
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ギルバートは溜息をつきながらも、どこか楽しそうに口角を上げた。
アマリは、そんな彼にグイと顔を近づける。
「あら、ギルバート。あなたも投げ飛ばされたいのかしら? 私の『アマリ・スペシャル』、受けてみる?」
「……遠慮する。俺は、お前に投げられるより、お前を捕まえておく方が得意だからな」
ギルバートはそう言うと、アマリの泥がついた頬を指先で軽く拭った。
その一瞬の沈黙に、アマリは珍しく「……っ」と声を詰まらせ、視線を逸らした。
「……トレーニングの続きをしますわよ! ルルさん!」
「はい、お姉様! 次は殿下の鼻の穴を狙う特訓ですわね!」
「それはやりすぎですわ!」
エヴァレット領の空は、今日もどこまでも高く、そして賑やかだった。
悪役令嬢アマリと、その弟子ルルの「物理的無双」は、これからさらに加速していくのである。
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