断罪された悪役令嬢は、気楽に過ごしたい。

黒猫かの

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建設中の『筋肉神殿』。月明かりが骨組みだけの天井から差し込み、静まり返った場内に、アマリとギルバートの足音だけが響いていた。
先ほどまでの逃走劇の余韻で、二人の肩はまだ大きく上下している。


「はぁ、はぁ……。流石はギルバート。王宮からここまで、一度もペースを落とさずについてくるとは。あなたの持久力、もはや人間離れしていますわね」


アマリは汗を拭い、清々しい笑顔でギルバートを振り返った。
しかし、ギルバートの様子がいつもと違う。
彼は剣の柄を握ることも、トレーニング器具に手を伸ばすこともせず、ただじっとアマリを見つめていた。


「……アマリ。いい加減に、俺の話を聞け」


「あら、珍しく真剣なトーンですわね。さては、新しいプロテインの配合でも思いつきましたの? それとも、背筋を効率的に鍛える新ポーズの提案かしら?」


「違う! 筋肉の話じゃない!」


ギルバートが珍しく声を荒らげ、一歩、また一歩とアマリに詰め寄った。
その凄まじい気迫に、アマリは思わず一歩後退り、背後の未完成な柱に背を預ける形になる。


「……お前という奴は、いつもそうだ。俺がどれだけお前を案じ、どれだけお前の突飛な行動に心臓を跳ねさせているか……。お前は、自分の心拍数の変化には敏感なのに、他人の心の動きにはとことん無頓着だな」


「他人の心の動き? ギルバート、何を仰いますの。私はいつだって、対戦相手の重心の移動や、攻撃の予兆を読み取る訓練を怠っておりませんわよ?」


「そういうことじゃないんだ、アマリ!!」


ギルバートは、アマリの両肩をガシリと掴んだ。
鋼のような指先の力が、アマリの肩の筋肉を通じてダイレクトに伝わってくる。
至近距離で交差する視線。
ギルバートの瞳は、これまでに見たどんな戦場よりも激しく、そして切なく燃えていた。


「……俺は、お前が好きだ。筋肉の師弟としてでも、監視役としてでもない。一人の男として、アマリ・エヴァレット、お前を愛している」


一瞬、神殿の中が真空になったかのような静寂が訪れた。
アマリは目を丸くし、半開きになった口を閉じることができない。
(……え? 好き? 愛している……? これは、もしや……!)


「……ギルバート。今の言葉、本気ですの?」


「……ああ。本気だ。これ以上ないほどにな」


アマリの表情が、見る間に「納得」の色に染まっていく。
彼女はギルバートの手をギュッと握り返すと、深い感動に打ち震える声で叫んだ。


「分かりましたわ、ギルバート! つまりこれは、生死を懸けた『心拍数限界突破・究極の組み手』への誘いですわね!?」


「……は?」


「愛している……すなわち、自分の命を預けても良いほどに信頼し、全力をぶつけ合いたいという宣言! ああ、なんて情熱的な挑戦状でしょう! あなた、告白という名の『デス・マッチ』を私に申し込んでいらしたのね!」


「待て。違う。今、どこにデス・マッチの要素があった?」


ギルバートがガックリと項垂れるが、一度火がついたアマリは止まらない。


「遠慮はいりませんわ! 私も、あなたを愛していますわよ! 共に汗を流し、共にプロテインを啜り、共に世界最強の筋肉を目指すパートナーとして、これ以上の愛はありませんもの!」


「アマリ、お前の言う『愛』と俺の言う『愛』には、大陸一つ分くらいの溝がある気がするんだが……」


「そんな些細なこと、スクワットをすれば埋まりますわ! さあ、そうと決まれば早速始めましょう! 私のこの高鳴る鼓動を、あなたの拳で受け止めてくださるかしら!」


アマリはドレスの袖をさらに捲り上げ、ファイティングポーズをとった。
その瞳は、恋する乙女の輝きというよりは、獲物を狙う猛獣のそれであった。


「……はぁ。お前なら、そう来ると思ったよ」


ギルバートは深いため息を吐くと、どこか吹っ切れたような苦笑いを浮かべた。
彼はゆっくりと上着を脱ぎ捨て、アマリと正対する。


「いいだろう。お前の言う『愛』の形式がこれなら、俺も全力で応えるまでだ。……ただし、アマリ。俺がお前に勝ったら、その時は……筋肉の話を抜きにして、俺の腕の中で大人しくしてもらうぞ」


「あら、素敵なハンデですわね! ですが、私を大人しくさせるには、相当な握力が必要になりますわよ?」


「望むところだ。……行くぞ!」


月夜の工事現場で、近衛騎士団長と救国の英雄(悪役令嬢)が、愛を確かめ合うために全力でぶつかり合う。
ズシン! という衝撃音と、二人の楽しげな笑い声が、夜の王都に響き渡った。


影でこっそり様子を伺っていたルルが、呆れたように呟く。


「……あのお二人、あれで成立しているのが不思議ですわ。でも、お姉様があんなに楽しそうなら、これも一つのハッピーエンドなのかしら?」


「ルル様、あまり見てはいけませんよ。あれは、筋肉の神々にしか理解できない『求愛行動』ですからな」


セバスが静かにルルを促し、二人はその場を後にした。
アマリの恋の迷宮は、相変わらず出口が見えない。
だが、隣で共に迷い続けてくれる「最強のパートナー」がいる限り、彼女はどこまでも爆走し続けるのである。
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