断罪された悪役令嬢は、気楽に過ごしたい。

黒猫かの

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「……九十八、九十九……。……はぁ。ダメですわ、ルルさん。今日はどうにも、身が入りませんの」

昨夜の「月夜の決闘(告白)」から一夜明けた、エヴァレット家のトレーニングルーム。
アマリは、いつもなら軽々とこなす重量のダンベルを床に置き、珍しく深いため息をついた。

「まあ、お姉様。あのストイックな筋肉の化身であるあなたが、セットの途中で止めるなんて。……さては、昨夜のギルバート様との『組み手』で、どこか筋を痛めましたの?」

隣で逆立ちをしながら腹筋を鍛えていたルルが、器用に体勢を戻して尋ねた。
アマリは、自分の左胸のあたりを、不思議そうにギュッと押さえる。

「痛みではありませんのよ。ただ、なんだか心臓のあたりが、ずっと有酸素運動をした後のように熱いのですわ。ギルバートの顔を思い出すだけで、顔面に血流が集中して……。これ、新種のオーバーワークかしら?」

「お姉様。それはオーバーワークではなく、世間一般では『恋の病』と呼びますのよ」

「コイノヤマイ……? そんな不名誉な病名、聞いたことがありませんわ! 私の免疫機能は完璧なはずですのに!」

アマリが立ち上がり、拳を握りしめる。
ルルは呆れたように肩をすくめ、アマリの前に立った。

「お姉様、よろしいですか。昨夜、ギルバート様ははっきりと仰ったのでしょう? 『愛している』と。それは、新しい投げ技の名前でも、プロテインのブランド名でもありませんわ」

「分かっておりますわよ! 私だって、言葉の意味くらい理解していますわ! ……でも、変ですの。彼に触れられた場所が、まるで高負荷のトレーニングを受けた後のように、ジンジンと痺れるのですわ」

アマリは、昨夜ギルバートに掴まれた肩をそっとなぞった。
彼の手の熱さ。真剣な眼差し。そして、最後に見せた、あの困ったような笑い顔。
思い出すたびに、彼女の鍛え抜かれた精神が、ガラガラと崩れ去っていくような感覚に陥る。

「……彼、最後に仰いましたの。『俺に勝ったら、俺の腕の中で大人しくしてもらう』と。あれ、一体どういう意味かしら? 関節技をかけるという意味ではなくて?」

「お姉様……。それは、抱きしめるという意味ですわ。それも、とっても情熱的に」

「だ、抱きしめる!? 戦いの中でのホールドではなくて!? そんな、無防備な体勢……。私の隙を突いて、背負い投げを食らわせる気かしら!?」

「もう、どこまで格闘技脳なんですの……」

ルルが頭を抱えた、その時。
トレーニングルームの扉が、静かに開いた。
入ってきたのは、話題の主であるギルバートだ。
彼はいつも通り、銀色の甲冑を纏った凛々しい姿だが、アマリと目が合った瞬間、わずかに視線を泳がせた。

「……アマリ。昨夜の続きを、と言いたいところだが……今日は体調が悪いのか? 動きが鈍いようだが」

「ギ、ギルバート! べ、別に、体調なんて最高ですわよ! ほら、この通り、腕立て伏せを千回くらい……あ、あれ?」

アマリが床に手を突こうとしたが、なぜか膝に力が入らない。
ギルバートが慌てて駆け寄り、彼女の腰を支えるようにして抱きとめた。

「おい、無理をするな! やはり昨夜の疲れが……」

「……っ!」

至近距離に、彼の顔がある。
彼の体温が、ドレス越しに伝わってくる。
アマリの脳内では、もはや「心拍数限界突破」のアラートが鳴り響いていた。
(な、なんですの、この負荷……! スクワット三千回より、よっぽど足腰にきますわ……!)

「……アマリ? 顔が真っ赤だぞ。熱でもあるのか?」

ギルバートが心配そうに、自分の額をアマリの額にコツンと当てた。
アマリの思考が、完全にショートした。

「……あ、あ、あああ……! ギルバート! あなた、私に何という高度な精神攻撃を仕掛けるのですか……!」

「攻撃? 俺はただ、お前が心配で……」

「これが、あなたの言う『愛』という名の特訓なのですわね!? 分かりましたわ、逃げませんわよ! 私は、この心臓が爆発するほどの不可解な熱量を、すべて受け止めてみせますわ!」

アマリはギルバートの胸板を、ガシッと両手で掴み返した。
その力強さに、ギルバートは一瞬驚いたが、すぐに愛おしそうな苦笑いを浮かべた。

「……ああ。そうだ、アマリ。これは俺が一生をかけて、お前に与え続ける『負荷』だ。……お前なら、耐えられるだろう?」

「もちろんですわ! むしろ、もっと重たい愛を寄こしなさい! 私は、世界一の『幸せの筋肉』を手に入れてみせますわよ!」

「……ははっ、お前には勝てないな」

ギルバートはアマリを抱き上げ、そのままゆっくりと回った。
アマリは恥ずかしさに悶えながらも、彼の首に腕を回し、自分の胸の高鳴りを受け入れた。

(……不思議ですわね。誰かに守られるのは嫌いだと思っていましたけれど……。ギルバートの腕の中は、まるで最高品質の魔導マットのように、心地よくて、安心しますの……)

アマリの恋の悟りは、やはりどこまでも「物理」であった。
だが、その表情は、間違いなく恋する乙女のそれへと変化していたのである。

「お姉様、ギルバート様! お熱いところ失礼いたしますが、そろそろ次のメニュー……いえ、結婚式の準備を始めませんと!」

ルルの元気な声が、トレーニングルームに響き渡った。
悪役令嬢アマリの波乱に満ちた物語は、ついに、最後の「セット」へと向かっていく。
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