悪役令嬢の契約結婚は、昼寝のために

黒猫かの

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ガレリア王国の王宮大広間は、私の祖国とはまた違った洗練された輝きに満ちていた。
天井にはフレスコ画、壁には金箔の装飾。
そして、そこを埋め尽くすのは、煌びやかな衣装を纏った貴族たち。

「……緊張しているかい? ヴィオレッタ」

エスコートするシルヴェスター殿下が、耳元で囁く。
今日の彼は、漆黒の礼服に身を包み、いつもの胡散臭い笑顔を少し抑え、完璧な「高貴な王子様」を演じていた。

対する私は、燃えるような深紅のドレス。
メイクも少し強めにし、口紅は血のような真紅を選んだ。
テーマは『国を傾ける悪女』である。

「まさか。武者震いですよ。早く終わらせて、約束の極上スイーツを頂きたいだけです」

「頼もしいね。ほら、獲物が来たよ」

殿下の視線の先。
人垣が割れ、ピンク色のドレスを着た可愛らしい令嬢が、小走りでこちらに向かってくるのが見えた。
彼女が、本日のターゲット。
シルヴェスター殿下の元婚約者、ミレーヌ伯爵令嬢だ。

「シルヴェスター様ぁっ!」

ミレーヌ嬢は、私たちの目の前でピタリと止まると、その大きな瞳を潤ませた。
両手を胸の前で組み、あざといほどの上目遣い。
なるほど、これが噂の「泣き落とし」か。
教科書通りの演技に、私は内心で感心すら覚えた。

「どうして……どうしてわたくしを捨てて、他国の女などに走ったのですか? わたくし、シルヴェスター様のことをこんなにも愛しておりますのに!」

彼女の声は、計算されたボリュームで周囲に響き渡った。
ざわめきが広がる。
『可哀想に、ミレーヌ様』
『やはりあの隣国の女がたぶらかしたのか』
そんな同情の声が、さざ波のように広がっていく。

シルヴェスター殿下が困ったように眉を下げる。
この男、自分では一切手を汚さないつもりだ。
完全に私に丸投げする気である。

(はいはい、わかりましたよ。仕事(・・)をすればいいんでしょ)

私は扇子をパチンと閉じた。
その乾いた音が、会場の空気を一変させる。

「……あら、奇遇ですわね。私も殿下のことを愛しておりますのよ?」

私が口を開くと、ミレーヌ嬢が「ひっ」と大袈裟に怯えてみせた。

「嘘よ! あなたのような冷たい目の人が、愛なんて知っているはずがないわ! お金目当てなんでしょう!?」

「ええ、お金も地位も大好きですわ。それが何か?」

「っ……! 開き直ったわね! なんて汚らわしい!」

ミレーヌ嬢の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
美しい涙だ。
これを見せられたら、大抵の男は「泣かないでくれ」と抱きしめたくなるのだろう。

だが、私は男ではない。
そして何より、彼女の過去の行い(データ)は全て頭に入っている。

私は優雅に一歩踏み出した。

「汚らわしい、とは手厳しいですわね。でも、ミレーヌ様? 貴女が殿下との婚約を破棄された理由、皆様はご存知なのかしら?」

「え……?」

「半年前、殿下が王位継承権争いで不利だと噂された時、真っ先に逃げ出したのはどなたでしたっけ?」

私の言葉に、周囲の空気が凍りついた。
ミレーヌ嬢の涙がピタリと止まる。

「そ、それは……お父様の判断で……」

「あら、お父様のせいになさるの? 私の調査によれば、貴女自身が『第二王子なんて将来性がないわ、次は辺境伯の息子を狙うの』と、サロンで高笑いしていたそうですが?」

「な、なんでそれを……!?」

「壁に耳あり、障子に目あり。そして私には、優秀な情報網(シルヴェスター殿下のスパイ)がありますの」

私はニッコリと微笑んだ。
あくまで優雅に、しかし逃げ場を塞ぐように。

「ところが、辺境伯の息子様には相手にされず、逆に殿下の評価が持ち直した途端に『やっぱり愛してる』ですか。……随分と、お安い愛ですこと」

「う、うぐっ……」

「ビジネスの世界では、一度手放した優良物件を、都合よく安値で買い戻そうなんて虫が良すぎますわ。損切りしたのは貴女でしょう? 投資の失敗を殿下のせいにしないでいただけます?」

「と、投資……?」

ロマンチックな愛の劇場を、ドライな経済活動の話にすり替えられ、ミレーヌ嬢は目を白黒させている。
周囲の貴族たちも、呆気に取られていた。
『愛』だの『恋』だのというフワフワした土俵には乗らない。
それが私の戦法だ。

私はトドメとばかりに、シルヴェスター殿下の腕にぴたりと寄り添った。

「残念ながら、この優良物件(殿下)は現在、私と専属契約を結んでおりますの。違約金をお支払いいただける覚悟がおありなら、どうぞお並びください。ただし、私の審査は厳しいですよ?」

殿下の腕越しに、私は彼女を見下ろした。
完全に「悪役令嬢」の顔で。

ミレーヌ嬢は顔を真っ赤にし、わなわなと震え出した。

「な、なによ……なによ偉そうに! 可愛げのない女! 一生独身でいればいいのよ!」

捨て台詞を残し、彼女は嵐のように去っていった。
もはや涙を流す余裕すらなかったようだ。
会場には、しばしの沈黙が落ちた。

やがて。

「くっ……くくく……!」

隣でシルヴェスター殿下が吹き出した。
肩を震わせ、堪えきれないといった様子で笑い出す。

「はーっはっは! 最高だ! まさか『投資の失敗』と言い放つとはね! ミレーヌのあんな顔、初めて見たよ!」

殿下の大笑につられ、周囲の貴族たちからも苦笑や、あるいは感心したようなため息が漏れ始めた。
『あの方、すごいわね』
『あのミレーヌ嬢を論破するなんて』
『確かに筋は通っている』
どうやら、私の「悪女」としてのデビューは、予想外の方向で受け入れられたらしい。

「殿下、笑いすぎです。脇腹をつねりますよ」

「ああ、すまない。いやあ、いい拾い物をした。君は本当に私の期待を裏切らないな」

シルヴェスター殿下は目尻の涙を拭うと、愛おしげに私の手を取った。

「約束通り、報酬を弾もう。この後、王室御用達のパティシエに、君のためのスペシャルコースを用意させてある」

「本当ですか!?」

「ああ。それと、君の活躍を見ていた他の『害虫』どもも、今のを見て恐れをなしたようだ。当分は静かになるだろう」

見回すと、確かに遠巻きにこちらを窺っていた令嬢や貴族たちが、そそくさと視線を逸らしていた。
私の毒舌ぶりが知れ渡り、迂闊に近づけなくなったらしい。
計画通りだ。

「それは何よりです。では、さっさと退散して、スイーツタイムにしましょう」

「君は本当にブレないな。……そういうところも、嫌いじゃないが」

殿下が何か小声で言ったが、私の頭の中はすでにモンブランとタルトで一杯だったため、よく聞こえなかった。

こうして、私のガレリアでの初仕事は、大成功(?)のうちに幕を閉じた。
しかし、これで平和が訪れるわけではない。
「害虫」は去ったが、ここにはもっと厄介な「猛獣」がいるのだから。

翌日。
優雅な朝食を楽しんでいる私のもとに、シルヴェスター殿下が満面の笑みでやってきた。
その手には、分厚い書類の束が抱えられている。

「おはよう、ヴィオレッタ。昨日はご苦労だったね」

「おはようございます。……その束は何ですか?」

「ん? これかい? 我が国の財務報告書の山だ。君、計算が得意だと言っていただろう? ちょっと不正のチェックを手伝ってほしくてね」

「は? 私は防波堤としての契約しか……」

「契約書の裏面、第5条。『殿下の事務作業の補佐も行うものとする』。……読んでなかったかい?」

「……詐欺だ! これは詐欺です!」

「スイーツ追加するよ?」

「……拝見します」

チョロい。
我ながらチョロすぎる。
でも、目の前に積まれたお菓子と、彼の楽しそうな顔を見ると、不思議と悪い気はしなかった。

こうして私は、なし崩し的にガレリア王国の闇(不正経理)とも戦うことになったのである。
私のスローライフは、今日も遥か彼方に霞んでいた。
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