悪役令嬢の契約結婚は、昼寝のために

猫宮かろん

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「……平和だ」

それは、嵐の前の静けさだったのかもしれない。
アークライト殿下の襲撃から数日。
私はガレリア王宮のテラスで、優雅な朝食(二回目)を楽しんでいた。
今日のメニューは、焼きたてのクロワッサンと、たっぷりのカフェオレ。
青い空、小鳥のさえずり、そしてここには筋肉王子もバカ王子もいない。

「ヴィオレッタ、ちょっといいかな」

シルヴェスター殿下が、珍しく神妙な面持ちで現れた。
いつものニヤニヤした笑みがない。
これは、何か良からぬことが起きた合図だ。

「……嫌です。その顔は『面倒事を持ってきた顔』です。私は今、クロワッサンの層の数を数えるのに忙しいんです」

「そう言わずに。君の……身内に関することなんだ」

「身内?」

私が首を傾げると、殿下の後ろから、薄汚れたローブを纏った一人の男がひょっこりと顔を出した。
ボサボサの白髪混じりの髪、伸び放題の髭。
どこからどう見ても、長旅に疲れた浮浪者である。

だが、その浮浪者は私を見るなり、ニカッと歯を見せて笑った。

「やあ、ヴィオ! 元気にしてたか? パパだぞ☆」

ブーッ!!!

私は本日二回目(前回は夜会)の吹き出し芸を披露してしまった。
カフェオレがテーブルに飛び散る。

「……は? お父様?」

目の前の薄汚いおじさんは、まごうことなき私の実父、スチュアート公爵だった。
かつては厳格な公爵として知られていたはずだが、今の姿に威厳の欠片もない。

「ど、どうしたんですかその格好! まさか、本当にアークライト殿下に実家を取り潰されたんですか!?」

「うん、そうなんだ。いやぁ、あのアホ王子、意外と行動が早くてさぁ」

父は私のクロワッサンを勝手に手に取り、むしゃむしゃと食べ始めた。

「お前が夜会で彼をコケにした翌日だよ。国軍が屋敷を取り囲んで、『国家反逆罪の容疑で資産を没収する!』って言い出してね。びっくりしたよ」

「びっくりしたよ、じゃないですよ! で、どうしたんですか? お母様は?」

「妻なら、一足先に南の島の実家に帰省させたよ。『あなた、私の宝石箱だけは守ってね』と言い残してな」

さすがはお母様。逃げ足が速い。

「で、私はどうしようかと思ったんだが、牢屋に入るのは趣味じゃなくてね。とっさに屋敷の地下通路から脱出して、着の身着のままここまで走ってきたんだ。いやぁ、老体に国境越えはキツかった」

父は「あはは」と能天気に笑った。
笑い事ではない。
一国の公爵が亡命してきたのだ。これは国際問題である。

「……それで? ただ逃げてきただけですか? 無一文で?」

私がジト目で睨むと、父は懐から分厚い革袋を取り出し、ドンとテーブルに置いた。

「まさか。転んでもタダでは起きないのがスチュアート家の家訓だろう?」

「そんな家訓、初耳ですけど」

「これを見てみろ」

シルヴェスター殿下が興味津々で革袋を開ける。
中に入っていたのは、金貨でも宝石でもなく、数冊の古びた手帳だった。

「これは……?」

「スチュアート王国の『裏帳簿』だよ」

父が悪戯っぽくウインクした。

「王家が国民に隠して貯め込んでいる隠し資産のリスト、賄賂を受け取っている貴族の名簿、そしてアークライト王子の恥ずかしいポエム集だ」

「ポエム集!?」

「ああ。『リリィ、君は僕の白い蝶々……』みたいなやつが、日記帳三冊分ある」

シルヴェスター殿下がパラパラと手帳をめくり、その目が琥珀色の輝きを増した。

「……素晴らしい。これは金塊よりも価値がある。特にこの、国王が隣国(我が国とは別の国)と結んでいる密約の証拠……これは使える」

「だろう? シルヴェスター殿下、これを『手土産』にするから、私をこの国で保護してくれないかね? あと、美味しいご飯とフカフカのベッドも頼むよ」

「交渉成立ですね。歓迎しますよ、お義父様(・・・)」

「誰がお義父様ですか!」

私は二人の間に割って入った。
なんなのこの男たち。
一瞬で意気投合しているじゃない。

「お父様、ちょっと待ってください。そんな重要な機密を持ち出したら、アークライト殿下が血眼になって追いかけてくるんじゃ……」

「だからお前のところに逃げ込んできたんじゃないか。お前ならなんとかしてくれると思って」

「人任せ!」

「だって、ヴィオは昔からしっかり者だったからなぁ。パパ、お前が3歳の頃から『この子は将来、俺の老後の面倒を見てくれる』って確信してたんだ」

「3歳児に何を期待してるんですか!」

私は頭を抱えた。
実家との縁は切れたと思っていたのに、まさか物理的に(しかも厄介事を抱えて)転がり込んでくるとは。
しかも、父の性格は私以上に「ちゃっかり」している。
このDNA、恐るべし。

「まあまあ、ヴィオレッタ。お義父様の持ち込んだ情報は、我が国にとって切り札になる。アークライトが攻めてきても、このポエム集を公開すると脅せば、一発で撤退するだろう」

「ポエム集が核兵器扱い……」

「それに、お義父様には『顧問』として、我が国の財務省で働いてもらおうかと思ってね。裏帳簿を作れる人間は、裏帳簿を見抜くのも得意だろう?」

「おっ、いいねぇ! 現役復帰か! 給料は弾んでくれよ?」

「もちろんです」

悪魔と悪魔が握手をしている。
私の平穏なスローライフ計画が、音を立てて崩れ去っていくのが見えた。
家族が増えるということは、トラブルも二倍になるということだ。

その時。
テラスの下、王宮の正門の方が騒がしいことに気づいた。

「……なんだ?」

シルヴェスター殿下が立ち上がり、下を覗き込む。
そこには、砂埃を上げて突進してくる一団が見えた。
先頭を走っているのは、見覚えのあるピンク色の馬車。

「あ、あれは……!」

父が顔を青くした。

「まずい! 追手が来たぞ! アークライトの親衛隊だ!」

「早すぎません!? 国境警備隊は何をしていたんですか!」

「いやぁ、検問で『娘に会いに行く』って言ったら通してくれて……」

「セキュリティがガバガバ!」

馬車から拡声器(魔道具)を使った大声が響き渡った。

『ヴィオレッタァァァ! そこに父上を隠しているのは分かっているぞ! その泥棒狸(たぬき)親父を返せぇぇぇ!』

アークライト殿下の声だ。
どうやら、父が持ち出した「裏帳簿(とポエム)」の重要性に気づき、必死で取り返しに来たらしい。

「どうする、ヴィオレッタ。正規の外交手続きなしでの入国だ。追い返すのは簡単だが」

シルヴェスター殿下が私に判断を委ねる。
追い返す?
それだけで済ませていいの?
私の朝食を邪魔し、父を浮浪者にし、あまつさえ「泥棒狸親父」呼ばわりした(まあ事実は否定できないけど)相手を?

私は残りのクロワッサンを一口で食べた。
糖分チャージ完了。
戦闘モード、起動。

「……殿下。マクシミリアン殿下(筋肉)は、今どこにいらっしゃいますか?」

「兄上? たしか、王宮の訓練場で兵士たちとしごき合っている時間だが」

私はニヤリと笑った。

「いいことを思いつきました。あのピンクの馬車を、訓練場へ誘導してください。マクシミリアン殿下に『最高に強くてタフなサンドバッグ……いえ、スパーリング相手が来ましたよ』と伝えて」

「……君は本当に、悪魔だね」

シルヴェスター殿下は嬉しそうに笑い、すぐに側近に指示を出した。

数分後。
王宮の裏手から、ものすごい轟音と悲鳴が聞こえてきた。

『なんだ貴様らは! 俺の筋肉を見に来たのか! いい度胸だ、かかってこい!』
『ひぃぃぃ! なんだこのゴリラは! 剣が通じないぞ!』
『アークライト様、逃げましょう! 馬車が持ち上げられていますわ!』
『ポエムは!? 僕のポエムだけは返してくれぇぇぇ!』

阿鼻叫喚。
まさに地獄絵図。
私はテラスで新しいカフェオレを飲みながら、遠くの騒ぎをBGMに父と向かい合った。

「……で、お父様。この国での滞在費ですが」

「うん?」

「私の給料から天引きされるのは嫌なので、お父様が働いて返してくださいね。とりあえず、その裏帳簿の解読と整理、今日中に終わらせてください」

「えっ、今日中? パパ、疲れてるんだけど……」

「嫌なら、あそこの訓練場に放り込みますよ?」

「やります! やらせていただきます!」

父は猛スピードでペンを取り出し、仕事を始めた。
これでいい。
私の仕事(財務整理)の一部を父に押し付ければ、私の昼寝時間は確保できる。
災い転じて福となす。
これこそが、賢い悪役令嬢のライフハックなのだ。

「ふふっ、ヴィオレッタ。君の家系は本当に面白いね」

シルヴェスター殿下が、ポエム集(コピー)を読みながらクスクスと笑っている。
平和だ。
多少の騒音はあるけれど、今日もガレリア王国は平和である。
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