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「……帰りたい」
ガレリア王国の王都が、かつてない熱気に包まれている日。
王宮の控え室で、私は純白のウェディングドレスに身を包みながら、本日百回目の逃亡宣言をしていた。
「諦めてください、ヴィオレッタ様。あと五分で入場ですよ」
侍女たちが、私のウエストをコルセットでギリギリと締め上げながら無慈悲に告げる。
鏡に映っているのは、大陸一の美貌(と自画自賛しておく)を誇る花嫁姿の私だ。
レースと真珠をふんだんに使ったドレスは、家が一軒建つほどの値段らしい。
重い。物理的にも、責任的にも重すぎる。
「ああ、私の夢見たジャージ生活……ポテチ片手に昼まで寝る生活……さようなら……」
私が遠い目をしていると、扉がバァン!と開かれた。
「ヴィオ! 準備はいいか! パパも準備万端だぞ☆」
現れたのは、正装に身を包んだ父、スチュアート公爵(兼ガレリア王国財務顧問)だ。
しかし、その手にはなぜか大量のグッズが抱えられている。
「何ですか、それ」
「『ヴィオレッタ王妃即位記念・紅白まんじゅう』と『シルヴェスター王子のブロマイド』だ。式典の参列者に売りつけたら、飛ぶように売れてねぇ! いやぁ、娘の結婚式は稼ぎ時だ!」
「お父様、後で売上の五割、徴収しますからね」
「ひっ! 相変わらず金に厳しい!」
父が青ざめるのと入れ違いに、今度は部屋の壁(・・)が崩れた。
ドアではなく、壁をぶち破って入ってきたのは、第一王子マクシミリアン殿下だ。
「うおおお! ヴィオレッタ! おめでとう! 俺は感動しているぞ!」
「殿下、入り口を使ってくださいと何度言えば……きゃあっ!?」
マクシミリアン殿下は、涙と鼻水を流しながら私に突進し、ハグしようとして――直前で、影から現れたシルヴェスター殿下に蹴り飛ばされた。
「兄上、私の花嫁を筋肉で押し潰さないでください。ドレスがシワになります」
「ぬおお! シルヴェスター! 貴様、幸せにならんかったら、この上腕二頭筋で締め落とすからな!」
「はいはい。……行こうか、ヴィオレッタ」
シルヴェスター殿下が、私に手を差し伸べる。
今日の彼は、白を基調とした礼服姿。
悔しいけれど、目が眩むほどにかっこいい。
これぞ「王子様」という見た目だ。中身は腹黒策士だけど。
「……逃げるなら今ですよ、殿下? 私と結婚したら、食費(おやつ代)で国が傾くかもしれませんよ?」
私が最後の悪あがきをすると、彼は楽しそうに笑った。
「構わないさ。君が食べる分以上に、私が稼ぐし、君にも稼いでもらうからね」
「ちっ。労働からは逃れられない運命ですか」
私は諦めて、その手を取った。
ファンファーレが鳴り響く。
私たちは大聖堂へと続く長いバージンロードを歩き出した。
ステンドグラスから降り注ぐ光。
参列席を埋め尽くす貴族や、国外からの来賓たち。
その中には、懐かしい顔――元婚約者のアークライト殿下とリリィの姿もあった。
彼らは今、私の父が持ち込んだ「裏帳簿」による外交的圧力の結果、スチュアート王国で「農業従事者」として謹慎生活を送っている。
今日は特別に参列を許されたらしいが、真っ黒に日焼けした顔で、一心不乱に引き出物の料理を食べていた。
……ある意味、私が夢見ていた「農業スローライフ」を彼らが叶えているのが、ちょっとだけ腹立たしい。
祭壇の前。
神官が厳かに口を開く。
「シルヴェスター・ガレリア。汝、健やかなる時も、病める時も……」
「誓います」
即答か。
神官が私に向く。
「ヴィオレッタ・エル・スチュアート。汝……」
「ちょっと待ってください」
私は手を挙げた。
ざわめく会場。
神官が目を丸くする。
「誓いの言葉、変更してもいいですか?」
「は、はい? どのような……?」
私はシルヴェスター殿下に向き直り、ニヤリと笑った。
「汝、私が昼寝をしている時は邪魔をせず、一日三回のおやつを欠かさず、私が『働きたくない』と叫んだ時は、優しく頭を撫でて『代わりにやっておくよ』と言うことを誓いますか?」
会場が静まり返った。
国王陛下(義父)が、玉座で肩を震わせて笑っているのが見える。
シルヴェスター殿下は、一瞬きょとんとして、それから今日一番の優しい笑顔を見せた。
「誓うよ。……ただし、君が私の隣にいてくれる限り、ね」
「……うまいこと言いますね」
「それで? 君の答えは?」
私は小さく息を吸い込み、宣言した。
「誓います。貴方が私に美味しい餌を与え続ける限り、貴方の『悪役令嬢』として、その背中を守り、害虫を駆除し、共に国を支えることを」
「交渉成立だね」
彼は私の腰を引き寄せ、誓いの口づけをした。
大聖堂が割れんばかりの歓声と拍手に包まれる。
父が「おめでとう記念グッズ」を売り歩き、マクシミリアン殿下が号泣して椅子を破壊し、アークライトたちが「肉だ!肉が出たぞ!」と騒いでいる。
なんて騒がしい。
なんてカオスな結婚式。
でも。
(……まあ、悪くないわね)
私は心の中で呟いた。
私が求めていた「静かなスローライフ」は、海の藻屑と消えた。
これからは王太子妃として、そして未来の王妃として、激務の日々が待っているだろう。
書類の山と、狸親父たちの相手と、腹黒王子の世話。
けれど、退屈だけはしなさそうだ。
バルコニーに出て、国民たちに手を振る。
眼下に広がる王都の景色。
そこには、私の作った(正確には指摘した)予算で整備された道路や、私の提案した(正確にはサボるための)効率化政策によって潤った街並みがあった。
「ねえ、ヴィオレッタ」
隣で手を振る夫(シルヴェスター)が、こっそりと耳打ちしてくる。
「式が終わったら、約束通りラーメンを食べに行こうか」
「本当ですか!? 替え玉も?」
「ああ。君のスタミナをつけておかないとね。……今夜は長いから」
彼は意味深に微笑み、私の頬を赤くさせた。
まったく、この男には勝てる気がしない。
「望むところです。覚悟しておいてくださいね、あなた」
私は不敵に微笑み返し、青空に向かってブーケを放り投げた。
私の名前はヴィオレッタ。
元・悪役令嬢、現・ガレリア王国の「最強にして最恐の怠惰王妃」。
私の騒がしくも愛おしい「忙しい日々」は、まだ始まったばかりである。
ガレリア王国の王都が、かつてない熱気に包まれている日。
王宮の控え室で、私は純白のウェディングドレスに身を包みながら、本日百回目の逃亡宣言をしていた。
「諦めてください、ヴィオレッタ様。あと五分で入場ですよ」
侍女たちが、私のウエストをコルセットでギリギリと締め上げながら無慈悲に告げる。
鏡に映っているのは、大陸一の美貌(と自画自賛しておく)を誇る花嫁姿の私だ。
レースと真珠をふんだんに使ったドレスは、家が一軒建つほどの値段らしい。
重い。物理的にも、責任的にも重すぎる。
「ああ、私の夢見たジャージ生活……ポテチ片手に昼まで寝る生活……さようなら……」
私が遠い目をしていると、扉がバァン!と開かれた。
「ヴィオ! 準備はいいか! パパも準備万端だぞ☆」
現れたのは、正装に身を包んだ父、スチュアート公爵(兼ガレリア王国財務顧問)だ。
しかし、その手にはなぜか大量のグッズが抱えられている。
「何ですか、それ」
「『ヴィオレッタ王妃即位記念・紅白まんじゅう』と『シルヴェスター王子のブロマイド』だ。式典の参列者に売りつけたら、飛ぶように売れてねぇ! いやぁ、娘の結婚式は稼ぎ時だ!」
「お父様、後で売上の五割、徴収しますからね」
「ひっ! 相変わらず金に厳しい!」
父が青ざめるのと入れ違いに、今度は部屋の壁(・・)が崩れた。
ドアではなく、壁をぶち破って入ってきたのは、第一王子マクシミリアン殿下だ。
「うおおお! ヴィオレッタ! おめでとう! 俺は感動しているぞ!」
「殿下、入り口を使ってくださいと何度言えば……きゃあっ!?」
マクシミリアン殿下は、涙と鼻水を流しながら私に突進し、ハグしようとして――直前で、影から現れたシルヴェスター殿下に蹴り飛ばされた。
「兄上、私の花嫁を筋肉で押し潰さないでください。ドレスがシワになります」
「ぬおお! シルヴェスター! 貴様、幸せにならんかったら、この上腕二頭筋で締め落とすからな!」
「はいはい。……行こうか、ヴィオレッタ」
シルヴェスター殿下が、私に手を差し伸べる。
今日の彼は、白を基調とした礼服姿。
悔しいけれど、目が眩むほどにかっこいい。
これぞ「王子様」という見た目だ。中身は腹黒策士だけど。
「……逃げるなら今ですよ、殿下? 私と結婚したら、食費(おやつ代)で国が傾くかもしれませんよ?」
私が最後の悪あがきをすると、彼は楽しそうに笑った。
「構わないさ。君が食べる分以上に、私が稼ぐし、君にも稼いでもらうからね」
「ちっ。労働からは逃れられない運命ですか」
私は諦めて、その手を取った。
ファンファーレが鳴り響く。
私たちは大聖堂へと続く長いバージンロードを歩き出した。
ステンドグラスから降り注ぐ光。
参列席を埋め尽くす貴族や、国外からの来賓たち。
その中には、懐かしい顔――元婚約者のアークライト殿下とリリィの姿もあった。
彼らは今、私の父が持ち込んだ「裏帳簿」による外交的圧力の結果、スチュアート王国で「農業従事者」として謹慎生活を送っている。
今日は特別に参列を許されたらしいが、真っ黒に日焼けした顔で、一心不乱に引き出物の料理を食べていた。
……ある意味、私が夢見ていた「農業スローライフ」を彼らが叶えているのが、ちょっとだけ腹立たしい。
祭壇の前。
神官が厳かに口を開く。
「シルヴェスター・ガレリア。汝、健やかなる時も、病める時も……」
「誓います」
即答か。
神官が私に向く。
「ヴィオレッタ・エル・スチュアート。汝……」
「ちょっと待ってください」
私は手を挙げた。
ざわめく会場。
神官が目を丸くする。
「誓いの言葉、変更してもいいですか?」
「は、はい? どのような……?」
私はシルヴェスター殿下に向き直り、ニヤリと笑った。
「汝、私が昼寝をしている時は邪魔をせず、一日三回のおやつを欠かさず、私が『働きたくない』と叫んだ時は、優しく頭を撫でて『代わりにやっておくよ』と言うことを誓いますか?」
会場が静まり返った。
国王陛下(義父)が、玉座で肩を震わせて笑っているのが見える。
シルヴェスター殿下は、一瞬きょとんとして、それから今日一番の優しい笑顔を見せた。
「誓うよ。……ただし、君が私の隣にいてくれる限り、ね」
「……うまいこと言いますね」
「それで? 君の答えは?」
私は小さく息を吸い込み、宣言した。
「誓います。貴方が私に美味しい餌を与え続ける限り、貴方の『悪役令嬢』として、その背中を守り、害虫を駆除し、共に国を支えることを」
「交渉成立だね」
彼は私の腰を引き寄せ、誓いの口づけをした。
大聖堂が割れんばかりの歓声と拍手に包まれる。
父が「おめでとう記念グッズ」を売り歩き、マクシミリアン殿下が号泣して椅子を破壊し、アークライトたちが「肉だ!肉が出たぞ!」と騒いでいる。
なんて騒がしい。
なんてカオスな結婚式。
でも。
(……まあ、悪くないわね)
私は心の中で呟いた。
私が求めていた「静かなスローライフ」は、海の藻屑と消えた。
これからは王太子妃として、そして未来の王妃として、激務の日々が待っているだろう。
書類の山と、狸親父たちの相手と、腹黒王子の世話。
けれど、退屈だけはしなさそうだ。
バルコニーに出て、国民たちに手を振る。
眼下に広がる王都の景色。
そこには、私の作った(正確には指摘した)予算で整備された道路や、私の提案した(正確にはサボるための)効率化政策によって潤った街並みがあった。
「ねえ、ヴィオレッタ」
隣で手を振る夫(シルヴェスター)が、こっそりと耳打ちしてくる。
「式が終わったら、約束通りラーメンを食べに行こうか」
「本当ですか!? 替え玉も?」
「ああ。君のスタミナをつけておかないとね。……今夜は長いから」
彼は意味深に微笑み、私の頬を赤くさせた。
まったく、この男には勝てる気がしない。
「望むところです。覚悟しておいてくださいね、あなた」
私は不敵に微笑み返し、青空に向かってブーケを放り投げた。
私の名前はヴィオレッタ。
元・悪役令嬢、現・ガレリア王国の「最強にして最恐の怠惰王妃」。
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