婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの

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王宮の絢爛豪華な大広間。

きらびやかなシャンデリアの下、数百人の貴族たちが息を呑んで見守る中、その声は高らかに響き渡った。

「ノエル・フォン・ローゼン! 貴様のような可愛げのない女とは、今この時をもって婚約破棄とする!」

壇上で私を指差して叫んでいるのは、この国の第一王子、クレイス殿下だ。

その隣には、小動物のように震える男爵令嬢、ミーナの姿がある。

殿下は彼女の肩を抱き寄せ、勝ち誇ったような顔で私を見下ろしていた。

周囲からは「ああ、ついに」「氷の令嬢が」「やはり捨てられたか」といったヒソヒソ話が漏れ聞こえてくる。

私は、ゆっくりと瞬きをした。

(……やっと、この時が来たか)

正直に言おう。

待ちわびていた。

この瞬間を、私は三年前からずっと、首を長くして待っていたのだ。

私はスッと背筋を伸ばし、扇をパチンと閉じた。

そして、肺いっぱいに吸い込んだ空気を、明確な意思と共に解き放つ。

「御意!!」

「……は?」

殿下の間の抜けた声が漏れる。

周囲のざわめきも一瞬で静まり返った。

私は畳み掛けるように、一歩前へ出る。

「謹んでお受けいたします、クレイス殿下! いやあ、素晴らしいご英断です。感動いたしました。まさに王族の鑑、英断中の英断! そのお言葉を、私は一日千秋の思いでお待ち申し上げておりました!」

「お、おい、待て。ノエル?」

殿下が後ずさる。

私は満面の笑みを浮かべた――つもりだった。

しかし、周囲の貴族たちが「ヒッ」と短い悲鳴を上げて道を開ける。

どうやら私の笑顔は、またしても「処刑宣告」のように見えてしまったらしい。

生まれつき目つきが悪いのだ。仕方がない。

私は気にせず、言葉を続ける。

「婚約破棄、確かに承りました。これで私は自由の身。明日からの公務代行、書類整理、予算折衝、ならびに殿下の尻拭い業務から解放されるわけですね!」

「し、尻拭いとはなんだ! 無礼な!」

「事実でしょう? 先日の治水工事の予算案、あれを作成したのは誰ですか?」

「それは……俺が……」

「最終承認の判を押したのは殿下です。ですが、徹夜で三千枚の資料を読み込み、矛盾点を修正し、反対派の貴族を論破して根回しをしたのは誰でしたか?」

「うっ」

「先月の隣国との貿易協定。殿下が『文字が多くて読めん』と投げ出した契約書を、共通語から古代語まで翻訳して不平等条約を回避したのは?」

「そ、それは……」

「全部、私です」

私は胸を張る。

「私の労働時間は、平均して一日十八時間。休日返上で殿下の影武者を務めてまいりました。ですが、それも今日で終わり。ああ、なんて清々しい!」

「ノエル様、ひどいですぅ!」

ここで、殿下の腕の中にいたミーナが声を上げた。

潤んだ瞳で私を睨みつけてくる。

「クレイス様は一生懸命やっていたのに! ノエル様はいつもそうやって、冷たい目でクレイス様を見下して……! 悪役令嬢みたいで怖いです!」

「悪役令嬢、大いに結構です」

私は即答した。

「実務能力のない善人より、国を回せる悪女の方がマシだというのが私の持論ですので」

「なっ……! なんてことを言うんだ!」

殿下が顔を真っ赤にして怒鳴る。

「貴様には人の心がないのか! ミーナを見ろ、この純粋で可憐な心を! 貴様のような冷徹な女に、この国の王妃が務まるはずがないのだ!」

「ええ、おっしゃる通りです。務まりませんし、務める気もございません」

私は懐から、分厚い封筒を取り出した。

「ですので、こちらを」

「なんだそれは」

「手切れ金、ならびにこれまでの未払い労働賃金、および私の精神的苦痛に対する慰謝料の請求書です」

ドサッ。

重みのある音が、床に響く。

殿下は目を丸くして、その封筒を見つめた。

「せ、請求書だと……?」

「はい。内訳を説明しますと、公務代行手当が三年分、深夜労働割増、休日出勤手当、特殊技能手当。それから、婚約破棄による私の『傷ついた乙女心』への賠償金を含めております」

「お、乙女心だと? 貴様にそんなものがあるわけが……」

「ありますとも。今、張り裂けんばかりに」

私は無表情のまま、抑揚のない声で言った。

「あまりの悲しみに、今夜は枕を濡らして八時間は熟睡できそうです」

「……」

「支払期限は来月末。一括払いでお願いします。分割は利息が付きますのでご注意を」

殿下はわなわなと震えている。

私は優雅にカーテシー(膝を折る礼)をした。

「それでは殿下、ミーナ様。末長くお幸せに。私はこれにて失礼いたします」

踵を返す。

ドレスの裾を翻し、私は出口へと向かった。

背後で「待て! まだ話は終わっていないぞ!」という殿下の声が聞こえた気がしたが、空耳だろう。

もう私には関係ない。

(帰れる……! 家に帰れる!)

頭の中は、その喜びだけで埋め尽くされていた。

大広間の扉を開けると、夜風が頬を撫でる。

なんて美味しい空気なのだろう。自由の味がする。

私は足取り軽く、待機していた実家の馬車へと向かった。

御者が私を見て、ギョッとした顔をする。

「お、お嬢様? どうされたのですか、その……般若のようなお顔で」

「失礼ね、トム。これは満面の笑みよ」

「へ? あ、はい。……ええと、何か良いことでも?」

「ええ、最高に良いことがあったの」

私は馬車に乗り込み、ふかふかのシートに身を預けた。

「婚約破棄されたわ」

「はあああ!?」

トムの素っ頓狂な声が響く。

「さあ、屋敷へ出して。お父様とお母様に報告しなくちゃ。そして何より……」

私は拳を握りしめた。

「明日は、三年ぶりの二度寝をするのよ!」

馬車が動き出す。

遠ざかる王城を見上げながら、私は心の中で高らかに勝利宣言をした。

さらば、ブラック労働。

こんにちは、悠々自適な独身生活。

……その時の私は、まだ知らなかったのだ。

この婚約破棄が、さらなる激務と、とんでもない「勘違い」の幕開けになることを。

そして、実家の屋敷に着いた私を待ち受けていたのは、温かいベッドではなく――。

「……遅かったな、ノエル」

月明かりの下、屋敷の門の前に仁王立ちしている、この国で最も恐ろしい男の姿だったことを。
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