悪役令嬢は、婚約破棄に舞い踊る!

猫宮かろん

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「シューク! 起きろ! 朝だぞ!」


ドンドンドン!!


私の安眠を妨害する、野太い声とドアを叩く音。


私は布団を頭から被り、芋虫のように丸まった。


「……帰りなさい。私の始業時間は正午よ」


「何を言っている。農家の朝は早いんだぞ! もう太陽が真上にある!」


「私は農家じゃありません。ニートです」


「いいから出てこい! 今日は街へ行くぞ!」


ヴォルフの声は弾んでいた。


「街の商業区を視察する。お前の好きな『効率化』ができそうな場所が山ほどあったぞ!」


ピクリ。


布団の中で、私の耳が動いた。


「……効率化?」


「ああ。市場の荷運びの動線が悪すぎて、見ていてイライラしたな。あれじゃあ新鮮な野菜も腐っちまう」


「……」


「道具屋の陳列も最悪だ。売れ筋商品が一番下の棚にあって、埃を被っていたぞ」


「……」


ガバッ!


私は布団を跳ね除け、ドアを開け放った。


そこには、腕組みをしてニヤリと笑う筋肉――もとい、ヴォルフが立っていた。


「……案内なさい。そのふざけた市場とやらを、私が教育してあげます」


「フッ、そうこなくちゃな」


ヴォルフは勝ち誇った顔をした。


悔しいが、私の「改善欲求」のツボを完全に把握されている。


***


こうして私たちは、馬車で一時間の距離にある地方都市へやってきた。


名目は「視察」だが、ヴォルフの装いはどう見ても「デート」仕様だ。


いつもより整えられた髪、清潔なシャツ(ただし筋肉でパツパツ)、そして革のジャケット。


「どうだシューク。このジャケット、特注なんだが」


「肩周りの縫製が悲鳴をあげていますね。ワンサイズ上げるべきです」


「……感想が実用的すぎる」


ヴォルフは肩を落としたが、すぐに気を取り直して私の手を取った。


「まあいい。行くぞ」


街は活気に溢れていた。


しかし、私の目はどうしても「粗」を探してしまう。


「あの屋台、看板の文字が小さすぎて視認性が悪いわ」


「ほう。俺ならどう直す?」


「文字を三倍にして、商品の価格ではなく『限定品』であることを強調します。人は限定という言葉に弱いので」


「なるほど。採用しよう」


ヴォルフは懐からメモ帳を取り出し、サラサラと書き留める。


「……あなた、何をしているのですか?」


「お前の意見を記録している。後で宰相に送りつけて、都市計画に反映させる」


「仕事をさせないでください!」


私は抗議したが、ヴォルフは「これはデートの会話だ」と言い張って聞かない。


歩いていると、貴金属店の前でヴォルフが足を止めた。


「シューク、入れ」


「嫌です。宝石なんて重いだけです」


「いいから。……君に似合うものを贈りたいんだ」


ヴォルフは強引に私を店内に連れ込んだ。


煌びやかな宝石が並ぶショーケース。


店主が揉み手をして寄ってくる。


「いらっしゃいませ! お二人ともお似合いですねぇ! こちらの新作ネックレスなどいかがです?」


ヴォルフは一番大きなダイヤモンドのネックレスを指差した。


「これをくれ。一番高いやつだ」


「さすが旦那様! お目が高い!」


典型的な「金に糸目をつけない男」のムーブだ。


しかし、私は冷静にそのダイヤを鑑定した。


「ヴォルフさん、やめてください」


「え?」


「このダイヤ、カットが古いです。それに留め具の強度が不足しています。あなたの財力ならもっと高品質なものを産地直送で買えるはず。ここで買うのはコストパフォーマンスが悪すぎます」


「……」


「それに、こんな大きな石を首から下げていたら、肩が凝って農作業に支障が出ます」


店主の笑顔が凍り付いた。


ヴォルフはしばらく呆気にとられていたが、やがて腹を抱えて笑い出した。


「ぶっ、くくく! ダイヤを見て『肩が凝る』と言った女は初めてだ!」


「事実です」


「違いない! ああ、やっぱりお前は面白い。最高だ」


ヴォルフは涙を拭いながら、店主に言った。


「すまん店主。連れの言う通りだ。代わりに、一番丈夫で軽い時計をくれ。作業時間を計るのに使えるやつだ」


「は、はい……」


結局、私たちは実用性重視の懐中時計を購入して店を出た。


「色気のない買い物だったな」


「いいえ、素晴らしい買い物でした。これで休憩時間を正確に管理できます」


私が満足げに時計を磨いていると、前方の交差点が騒がしくなった。


「どけよ!」「そっちが下がれ!」


荷馬車同士が鉢合わせして、動けなくなっている。


それを見て、野次馬が集まり、さらに通行を妨げている。


完全な交通麻痺(グリッドロック)だ。


「……あーあ」


「……ひどいな」


私とヴォルフの声が重なった。


私たちは顔を見合わせた。


「ヴォルフさん、分かりますか?」


「ああ。右の荷馬車が強引に突っ込んだのが原因だが、そもそもあの角に荷下ろしスペースがないのが構造的欠陥だ」


「正解です。それに加えて、野次馬の整理をする人間がいません。このままだと解決まで二時間はかかりますね」


「時間の無駄だな」


「損失ですね」


二人の思考が完全にシンクロした。


ヴォルフがニヤリと笑う。


「やるか、シューク」


「……今回は特別ですよ。私たちが通り抜けるためですからね」


私はドレスの袖を捲った。


「ヴォルフさん、あなたは右の馬車の車輪を持ち上げて、強制的に路肩へ寄せてください」


「任せろ。お前は?」


「私は交通整理を行います。行きますよ!」


私たちは雑踏の中へ飛び込んだ。


「はい注目! そこ、どいて! 道を空ける!」


私は通りの真ん中に立ち、よく通る声で指示を飛ばした。


悪役令嬢時代に培った「威圧感」が火を吹く。


「あなたたちは左へ! そこの露店は商品を一メートル下げて! 今すぐ!」


私の剣幕に押され、人々がモーゼの海割れのように道を開ける。


その隙間を、ヴォルフが馬車ごと持ち上げて移動させた。


「うおおおッ! どけえええッ!」


「ひええ! 馬車が浮いてる!?」


ヴォルフの圧倒的な怪力に、歓声と悲鳴が上がる。


上腕の血管が浮き上がり、背中の筋肉がシャツを破らんばかりに膨張する。


(……眼福ッ!)


私は指揮をしながらも、その光景をしっかりと脳裏に焼き付けた。


わずか五分後。


交差点の渋滞は綺麗サッパリ解消された。


「ふぅ、片付いたな」


ヴォルフが額の汗を拭いながら戻ってくる。


「お見事でした、ヴォルフさん。あの大腿四頭筋の踏ん張り、芸術点100点です」


「お前の指揮も完璧だったぞ。あの野次馬を一瞬で黙らせる迫力、そんじょそこらの将軍より上だ」


「お互い様ですね」


私たちは自然とハイタッチを交わした。


パァン! と乾いた音が響く。


その瞬間、ヴォルフの手が私の手をぎゅっと握り込んだ。


「……なぁ、シューク」


「なんですか、離してください」


「やはり、俺たちは最高のパートナーだと思わないか?」


ヴォルフは真剣な眼差しで私を見た。


「俺の力と、お前の知恵。二つ揃えば、どんな問題も解決できる。……国だって動かせる」


「……」


ドキリとした。


それは、かつてギルバート王子には感じたことのない感覚だった。


ギルバートは私に「依存」していただけだ。


でも、ヴォルフは違う。私を「対等」に認め、共に歩もうとしている。


(……危険だわ)


この男と一緒にいると、本当にまた「最前線」に引きずり出されてしまう。


でも、それは以前ほど嫌な予感がしなかった。


むしろ、少しワクワクしている自分がいる。


「……買い被りです」


私は慌てて目を逸らし、握られた手を振りほどいた。


「私はただ、通りたかっただけです。さあ、お腹が空きました。何か奢ってください」


「はは、照れ隠しか。可愛いところがあるじゃないか」


「うるさいです」


ヴォルフは上機嫌で私の肩を抱いた(腕の重さが心地いい)。


「よし、最高級の肉を食いに行くぞ! タンパク質だ!」


「野菜も付けてくださいね」


私たちは並んで歩き出した。


背後で、街の人々が「あの二人、すげえな」「お似合いだ」と噂しているのが聞こえたが、私は聞こえないふりをした。


ただ、ヴォルフの隣を歩くのが、以前より少しだけ自然に感じられるようになったのは、認めてもいいかもしれない。


こうして「デートという名の視察」は、私のスローライフ計画に、また一つ「誤算(ときめき)」という名のバグを埋め込んで終了したのだった。
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