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「――宰相夫人! 決裁をお願いします!」
「こちら、東方諸国との新条約案です! 赤ペンチェック、完了しております!」
「南方エリアの灌漑工事、予定より三日前倒しで竣工しました! コストは予算比マイナス八%です!」
数年後。
王城の最も奥まった場所にある、かつて「開かずの間」と呼ばれていた大執務室は、今やこの国で最も活気があり、かつ恐れられる場所となっていた。
そこは『宰相府・特別戦略室』。
部屋の中央にある巨大なマホガニーの机には、二人の人物が並んで座っている。
一人は、この国で最も若くして宰相の地位に上り詰めた、「銀狼」ことギルバート・フォン・ラインハルト公爵。
そしてもう一人は、その妻であり、実質的な国の頭脳である、「氷の女帝(と部下たちに呼ばれている)」カロリーナだ。
「……ふむ。東方の条約案、第三項の関税比率が甘いですね。修正。あと、南方の工事報告書、素晴らしいです。担当者に金一封(ボーナス)を」
私は流れるような手つきで書類を捌き、次々と指示を飛ばしていく。
眼鏡の奥の瞳は、数年前よりもさらに鋭く、そしてどこか楽しげだ。
「相変わらず早いな、カロリーナ。俺の出る幕がない」
隣で苦笑するのは、渋みを増してさらにイケメンになった夫、ギルバート様だ。
「何を仰いますか。貴方には『対外折衝』という重要な任務があるではありませんか。……特に、あの『やんちゃな皇帝』の相手は、貴方にしかできません」
「ああ、ヴィクトルのことか。あいつ、また『技術提携』と称して飲みに来ると言っていたぞ」
「……接待費の計上を忘れないようにしておきます」
私たちは顔を見合わせて笑った。
あの大騒動の後、エドワード殿下の廃嫡に伴い、聡明で知られた王弟殿下が即位された。
新国王は私たちを全面的に信頼し、国政のほぼ全てを任せてくれた。
おかげで、この国は劇的なV字回復を遂げた。
無駄な予算は一掃され、公共事業は適正化され、経済は右肩上がり。
今や我が国は、周辺諸国が羨むほどの「超・優良国家」となっていた。
「カロリーナ」
ふと、ギルバート様がペンを置き、窓の外を見た。
夕日が沈み、街に明かりが灯り始めている。
「今日は、これくらいにして帰らないか? 今日は……その、記念日だろう?」
「記念日?」
私は手元のカレンダーを確認した。
結婚記念日ではない。誕生日でもない。
「……何の記念日でしたか? データベースに該当なしですが」
「忘れたのか? 今日は、俺たちが初めて『契約』を交わした日だ」
「契約……?」
私は記憶の糸を手繰り寄せた。
数年前。泥だらけの私が、ボロボロのギルバート様に突きつけた、あの『業務委託契約』。
「ああ……! あの『金貨二千枚』の!」
「そうだ。あの日から、俺たちの運命が変わった」
ギルバート様は愛おしそうに私の手を取った。
「あの時、君を雇って本当によかった。……いや、君に雇われて(・・・・・・)よかった、と言うべきか」
「ふふ、そうですね。私も、貴方という『優良物件』に出会えて、投資は大成功でした」
私は眼鏡を外し、机の上に置いた。
「分かりました。本日の業務はこれにて終了(クローズ)。……残業も悪くありませんが、たまには定時退社して、パートナーとの『福利厚生』を楽しみましょうか」
「ああ、そうしよう」
ギルバート様が立ち上がり、私に手を差し出す。
私はその手を取り、並んで部屋を出た。
廊下ですれ違う文官たちが、敬意と憧れを込めて頭を下げる。
「お疲れ様です、閣下! 奥様!」
「お疲れ様。あとは頼みましたよ」
王城を出て、馬車には乗らず、私たちは歩いて帰ることにした。
整備された石畳。
明るい街灯。
そして、楽しそうに笑い合う国民たちの姿。
「……綺麗になったな、この国も」
「ええ。ゴミ一つ落ちていません。清掃予算の配分を見直した効果が出ています」
「君は、どこまでいってもブレないな」
ギルバート様が呆れたように笑い、私の肩を抱き寄せた。
「でも、そんな君だからこそ、俺は一生飽きない自信がある」
「……」
私は彼の胸に頭を預けた。
効率。論理。数字。
それが私の全てだった。
でも今は、その計算式の最後に、大きな『プラス要素』が加わっている。
「ギルバート様」
「ん?」
「私との契約、更新していただけますか?」
私は悪戯っぽく尋ねた。
「次の契約期間は……そうですね、『来世』まで。条件は『変わらぬ愛』と『美味しい紅茶』。……いかがでしょう?」
ギルバート様は立ち止まり、月明かりの下で、世界で一番優しいキスをくれた。
「……喜んで。ただし、違約金は高いぞ?」
「望むところです」
私たちは微笑み合い、繋いだ手を強く握り直した。
悪役令嬢は、もういない。
ここにいるのは、国を動かし、愛を育み、そして明日もまた書類と格闘する、世界で一番幸せな『宰相夫人』だけだ。
「さあ、帰りましょう、あなた。……明日の朝食の予算について、少し議論したいことがありますの」
「勘弁してくれ……」
幸せな溜息と共に、二人の影が夜の街に溶けていく。
私の物語は、これにて決算完了(ハッピーエンド)。
――総収支、計測不能の黒字なり。
「こちら、東方諸国との新条約案です! 赤ペンチェック、完了しております!」
「南方エリアの灌漑工事、予定より三日前倒しで竣工しました! コストは予算比マイナス八%です!」
数年後。
王城の最も奥まった場所にある、かつて「開かずの間」と呼ばれていた大執務室は、今やこの国で最も活気があり、かつ恐れられる場所となっていた。
そこは『宰相府・特別戦略室』。
部屋の中央にある巨大なマホガニーの机には、二人の人物が並んで座っている。
一人は、この国で最も若くして宰相の地位に上り詰めた、「銀狼」ことギルバート・フォン・ラインハルト公爵。
そしてもう一人は、その妻であり、実質的な国の頭脳である、「氷の女帝(と部下たちに呼ばれている)」カロリーナだ。
「……ふむ。東方の条約案、第三項の関税比率が甘いですね。修正。あと、南方の工事報告書、素晴らしいです。担当者に金一封(ボーナス)を」
私は流れるような手つきで書類を捌き、次々と指示を飛ばしていく。
眼鏡の奥の瞳は、数年前よりもさらに鋭く、そしてどこか楽しげだ。
「相変わらず早いな、カロリーナ。俺の出る幕がない」
隣で苦笑するのは、渋みを増してさらにイケメンになった夫、ギルバート様だ。
「何を仰いますか。貴方には『対外折衝』という重要な任務があるではありませんか。……特に、あの『やんちゃな皇帝』の相手は、貴方にしかできません」
「ああ、ヴィクトルのことか。あいつ、また『技術提携』と称して飲みに来ると言っていたぞ」
「……接待費の計上を忘れないようにしておきます」
私たちは顔を見合わせて笑った。
あの大騒動の後、エドワード殿下の廃嫡に伴い、聡明で知られた王弟殿下が即位された。
新国王は私たちを全面的に信頼し、国政のほぼ全てを任せてくれた。
おかげで、この国は劇的なV字回復を遂げた。
無駄な予算は一掃され、公共事業は適正化され、経済は右肩上がり。
今や我が国は、周辺諸国が羨むほどの「超・優良国家」となっていた。
「カロリーナ」
ふと、ギルバート様がペンを置き、窓の外を見た。
夕日が沈み、街に明かりが灯り始めている。
「今日は、これくらいにして帰らないか? 今日は……その、記念日だろう?」
「記念日?」
私は手元のカレンダーを確認した。
結婚記念日ではない。誕生日でもない。
「……何の記念日でしたか? データベースに該当なしですが」
「忘れたのか? 今日は、俺たちが初めて『契約』を交わした日だ」
「契約……?」
私は記憶の糸を手繰り寄せた。
数年前。泥だらけの私が、ボロボロのギルバート様に突きつけた、あの『業務委託契約』。
「ああ……! あの『金貨二千枚』の!」
「そうだ。あの日から、俺たちの運命が変わった」
ギルバート様は愛おしそうに私の手を取った。
「あの時、君を雇って本当によかった。……いや、君に雇われて(・・・・・・)よかった、と言うべきか」
「ふふ、そうですね。私も、貴方という『優良物件』に出会えて、投資は大成功でした」
私は眼鏡を外し、机の上に置いた。
「分かりました。本日の業務はこれにて終了(クローズ)。……残業も悪くありませんが、たまには定時退社して、パートナーとの『福利厚生』を楽しみましょうか」
「ああ、そうしよう」
ギルバート様が立ち上がり、私に手を差し出す。
私はその手を取り、並んで部屋を出た。
廊下ですれ違う文官たちが、敬意と憧れを込めて頭を下げる。
「お疲れ様です、閣下! 奥様!」
「お疲れ様。あとは頼みましたよ」
王城を出て、馬車には乗らず、私たちは歩いて帰ることにした。
整備された石畳。
明るい街灯。
そして、楽しそうに笑い合う国民たちの姿。
「……綺麗になったな、この国も」
「ええ。ゴミ一つ落ちていません。清掃予算の配分を見直した効果が出ています」
「君は、どこまでいってもブレないな」
ギルバート様が呆れたように笑い、私の肩を抱き寄せた。
「でも、そんな君だからこそ、俺は一生飽きない自信がある」
「……」
私は彼の胸に頭を預けた。
効率。論理。数字。
それが私の全てだった。
でも今は、その計算式の最後に、大きな『プラス要素』が加わっている。
「ギルバート様」
「ん?」
「私との契約、更新していただけますか?」
私は悪戯っぽく尋ねた。
「次の契約期間は……そうですね、『来世』まで。条件は『変わらぬ愛』と『美味しい紅茶』。……いかがでしょう?」
ギルバート様は立ち止まり、月明かりの下で、世界で一番優しいキスをくれた。
「……喜んで。ただし、違約金は高いぞ?」
「望むところです」
私たちは微笑み合い、繋いだ手を強く握り直した。
悪役令嬢は、もういない。
ここにいるのは、国を動かし、愛を育み、そして明日もまた書類と格闘する、世界で一番幸せな『宰相夫人』だけだ。
「さあ、帰りましょう、あなた。……明日の朝食の予算について、少し議論したいことがありますの」
「勘弁してくれ……」
幸せな溜息と共に、二人の影が夜の街に溶けていく。
私の物語は、これにて決算完了(ハッピーエンド)。
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