悪役令嬢の華麗な退場!

猫宮かろん

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「な、なんだありゃあ……!?」

『ウーロン丸(元海賊船)』が王都の港に接岸した瞬間、甲板にいた海賊たちが悲鳴を上げた。

目の前に広がる光景は、地獄絵図だった。
港の倉庫は燃え、街中を人々が逃げ惑っている。
そして、王宮の上空に浮かぶ巨大な影――。

それは、ドラゴンだった。
だが、ただのドラゴンではない。
体が無数の「紙」で構成され、血管の代わりに「赤いインク」が脈打ち、翼にはびっしりと「却下」の文字が刻印された、あまりにも不気味な造形物だ。

「……あれは」

ギルバートが手すりを強く握りしめる。
その眼鏡が、怒りでカチャカチャと震えていた。

「『未決裁書類の集合体(バックログ・ドラゴン)』だ」

「は?」

私が聞き返すと、ギルバートはギリリと歯軋りをした。

「王宮の地下には、過去数百年分の『処理しきれなかった書類』を封印するゴミ箱……いや、亜空間書庫があるんだ。恐らく、私が不在の間に誰かがその封印を解いてしまったか、あるいは……」

「あるいは?」

「私の不在により未処理案件が許容量(キャパシティ)を超え、怨念を持って実体化したかだ」

「つまり、貴方の仕事の放置が原因ってこと?」

「否定はしない。だが、あそこまで育つには、何か強力な『核(コア)』が必要なはずだ。例えば、国を傾けるほどの莫大な負債とか……」

ギルバートの視線が、ゆっくりと横にいるランバート(雑巾係)に向けられる。

「ひっ!? よ、余のせいか!? 余の借金がモンスターになったと言うのか!?」

「十中八九な。お前の作った借用書が、あのドラゴンの心臓部になっているのだろう」

「なんてことだ……! 借金が物理攻撃を仕掛けてくるなんて聞いてないぞ!」

『グオオオオオオ!! 承認……承認ヲ寄越セェェェ……!!』

ドラゴンが咆哮する。
その口から吐き出されたのは、炎ではなく大量の『督促状』だった。

バサバサバサバサッ!!

紙吹雪のように舞い散る督促状が、港の建物に貼り付き、重みで押し潰していく。
物理的にも精神的にも痛い攻撃だ。

「ひいい! 逃げろ! 紙に殺される!」

逃げ惑う群衆の中に、見覚えのある顔を見つけた。
財務省のポルナレフ男爵だ。

「男爵! 何事ですか!」

私が船から声をかけると、男爵は涙目で駆け寄ってきた。

「う、ウーロン様!? それに宰相閣下!? 生きておられたのですか!」

「状況報告を! あのバケモノは何!」

「それが……閣下が行方不明になってから、副宰相が『もう無理だ! 俺は定時で帰るんだ!』と発狂しまして……」

「まさか」

「はい。彼がヤケクソで未決書類の山に火を放ったところ、ランバート殿下の借用書と化学反応(マリアージュ)を起こし、あのような姿に……!」

「原因、完全に身内(ウチ)じゃない!」

私は頭を抱えた。
副宰相のメンタル崩壊。それが世界の終わりの引き金だったとは。

「どうするんだウーロン! あんなデカい紙屑、私のハンマーでも潰せんぞ!」

父がペコー公爵家の旗を振り回しながら叫ぶ。

「物理攻撃は効きません! 切っても切っても、紙が増えるだけです!」

王妃様も扇で仰ぎながら、「まあ、なんて汚らわしい。紙くずが舞って肌に悪いわ」と眉をひそめている。

「……やるしかないわね」

私は決意を固め、海賊たちに向き直った。

「総員、戦闘配置! ただし武器は剣や大砲ではありません!」

「えっ、じゃあ何を使えば?」

キャプテン・シャークが問う。
私はニヤリと笑い、懐から愛用の電卓を取り出した。

「『事務用品』です」

「は?」

「あのモンスターの正体は『仕事』そのもの。ならば、私たちの武器は『処理能力(スキル)』です! 海賊たちは船内の『ハサミ』と『り糊(のり)』をありったけ集めなさい!」

「へ、へい!」

「お父様とランバートは、港の倉庫から『シュレッダー(大型裁断機)』を運んできて!」

「お、おう! よくわからんが任せろ!」

「モカ! 貴女は……」

私はモカを見た。彼女はキョトンとしている。

「貴女は『お茶』を淹れて。とびっきり熱いやつを」

「お茶ですかぁ? 戦わないんですかぁ?」

「お茶こそが最強の武器になるのよ。……ギルバート!」

私が名を呼ぶと、ギルバートはすでに眼鏡を外し、上着を脱ぎ捨てていた。
その下に着ていたのは、動きやすいシャツ一枚。腕まくりをしたその姿は、これから戦場へ向かう戦士そのものだ。

「準備はできている。……溜まりに溜まったツケを払う時が来たようだな」

「ええ。残業代、高くつきますわよ?」

「構わん。国庫が空になるまで働いてやる」

ギルバートが船首に立つ。
風に煽られ、彼の銀髪が舞う。

「ウーロン丸、前進! 目標、バックログ・ドラゴン!」

「「「アイアイサー!!」」」

船が動き出す。
港の人々が呆然と見守る中、私たちは巨大な書類の怪物に向かって突撃を開始した。

『グルルル……承認……決裁……否決……!!』

ドラゴンがこちらに気づき、巨大な紙の腕を振り下ろしてくる。
その腕には『至急』『要返信』という赤ハンコがびっしりと押されていた。

「来るぞ! 衝撃に備えろ!」

ドォォォォン!!

紙の拳が船の結界(セイロン展開)に激突する。
船体がきしむが、持ちこたえた。

「今じゃ! 海賊部隊、放て!」

キャプテンの号令で、海賊たちが一斉に『巨大ハサミ(船の帆の修理用)』を構えて飛びかかった。

「うおおお! 切り刻んでやるぜぇ!」

チョキチョキチョキチョキ!!

海賊たちがドラゴンの腕(書類)を物理的にカットしていく。
意外と地味な攻撃だが、効果は絶大だ。

『ギャアアアア! 重要書類ガァァァ!』

「よし、怯んだ! お父様、ランバート! シュレッダー部隊、投入!」

「うおりゃあああ! 文明の利器を食らえぇぇ!」

父とランバートが、巨大な魔導シュレッダーを抱えてドラゴンの足元に突っ込む。
バリバリバリバリ!
ドラゴンの足(借用書の束)が吸い込まれ、細かい紙屑となって排出されていく。

『グオオオオ! 余ノ借金ガァァァ! 消エテイクゥゥ!』

「いいぞ! 借金が減っていく!」
ランバートが歓喜の声を上げる。自分の借金が物理的に消滅するのが嬉しいらしい。

だが、ドラゴンも黙ってはいない。

『認メヌ……認メヌゾォォォ!! 差シ戻シダァァァ!!』

ドラゴンが大きく口を開け、胸元から真っ黒な瘴気を吐き出した。
それは、ギルバートが最も恐れるもの。

「『再提出(リテイク)』のブレスだ! 当たると精神が崩壊してやる気を失うぞ!」

「ひぃぃ! それ一番嫌なやつ!」

海賊たちが逃げ惑う。
このままでは全滅だ。

「ギルバート! 貴方の出番よ!」

「ああ……待っていた!」

ギルバートが甲板の中央に立つ。
モカが駆け寄り、淹れたての紅茶(激熱)が入ったバケツ……ではなく、特大ポットを差し出した。

「はいっ! 特製『サザンクロス・エナジー』ですぅ!」

「感謝する!」

ギルバートはポットを掴み、中身を一気に頭から被った。

バシャァァァァァッ!!

「熱っっっ!?」

全員が引いた。飲むんじゃなくて被った。
しかし、その熱とカフェインと『天使の溜息』の成分が、彼の皮膚から直接吸収される。

カッ!!!!

ギルバートの全身から、黄金のオーラが立ち上った。
これぞ、宰相ギルバートの真の姿。
『スーパー・ワーカーホリック・モード(覚醒状態)』である。

「……見える。書類の構造が、決裁のラインが、全て止まって見える……!」

ギルバートが宙に浮いた。
その手には、どこから取り出したのか、二本の万年筆。

「行くぞ! 秘技・高速二刀流決裁(ダブル・サイン・スラッシュ)!」

シュバババババババババッ!!!

ギルバートが光の矢となってドラゴンに突っ込む。
彼が通過した箇所の書類には、瞬時にして鮮やかな『承認』のサインが書き込まれていく。

『グオッ!? ハ、早イ……! 処理ガ……追イツカナイ……!』

「まだだ! 予算案、承認! 人事案、承認! 法案改正、承認! 全て片付けてやる!」

ギルバートのペンさばきは神速。
一秒間に百枚ペースで書類が処理されていく。
未決書類の塊だったドラゴンの体が、みるみるうちに「処理済み書類(ただの紙)」へと変わり、白く浄化されていく。

「す、すげぇ……」
「あれが国のトップの本気か……」
「ドン引きだぜ……」

海賊たちも言葉を失う働きぶりだ。

そして、ドラゴンの核(コア)となっている、一番奥の黒い塊――ランバートの借用書が見えた。

「ウーロン! トドメだ! あれを計算しろ!」

ギルバートが叫ぶ。
私は頷き、電卓を構えて飛び出した。

「セイロン、私を飛ばして!」

「あいよ! ウィンド・ブラスト!」

私は風に乗って空へ舞い上がる。
目の前には、禍々しい借用書の塊。

「覚悟なさい! これが私の必殺技よ!」

私は電卓の『=(イコール)』キーに、全魔力を込めて指を叩きつけた。

「究極奥義・『債務整理(コンサルティング・クラッシュ)』!!!」

ピピピピピッ!!!

電卓から放たれた光線が、借用書に直撃する。
利息計算、過払い金請求、そして時効の援用。
全ての法的手続きが一瞬で完了し、借用書の効力が無効化される。

『グオオオオオオオオオ!! 完済……完済シタァァァァァ!!!』

ドラゴンが断末魔の叫びを上げる。
それはどこか、満足げな、解放されたような声だった。

バサァァァァッ……。

巨大なドラゴンは、無数の白い紙吹雪となって弾け飛んだ。
王都の空に、真っ白な雪のように処理済み書類が舞い落ちる。

「……やったか?」

誰かが呟いた。
静寂が戻る。
そして、紙吹雪の中から、一人の男がゆっくりと降りてきた。

ギルバートだ。
服はボロボロ、万年筆からは煙が出ているが、その表情は晴れやかだった。

「……終わった。今月分の仕事が」

「お疲れ様。……追加料金、金貨五十枚ね」

私が空中で彼を受け止めると、彼は力尽きたように私の肩に頭を預けた。

「……ああ。払うよ。一生かけてな」

港から、ワァッ! と歓声が上がる。
人々が駆け寄ってくる。
父が、王妃様が、ランバートが、そして海賊たちが、勝利の雄叫びを上げている。

こうして、王都炎上事件は、私たちの圧倒的な「仕事力」によって鎮圧された。
だが、物語はまだ終わらない。
世界を救った後には、必ず『ご褒美』と『後始末』が待っているものだから。
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