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王都復興記念ティーパーティーの喧騒が終わり、夜が訪れた。
会場となった広場の片隅。
私は撤収作業の指揮を執りながら、今日一日で消費された茶葉の量を集計していた。
「……無料配布分だけで金貨五十枚の赤字。でも、これで『ウーロン・ブランド』の認知度は百パーセント。明日からの売上で三日で回収できるわね」
電卓を叩く指が踊る。
この瞬間が一番落ち着く。私はやはり、根っからの商売人なのだ。
「……相変わらず、金のことばかりだな」
背後から声をかけられた。
振り返ると、少しだけ身なりを整えたギルバートが立っていた。
ただし、その手には花束ではなく、分厚い革表紙のファイルが握られている。
「あら宰相閣下。残業ですか? それとも追加の紅茶をご所望で?」
「いや。……今日は、君に『提出物』があって来た」
「提出物?」
ギルバートは無言でファイルを私に差し出した。
表紙には金文字で『終身専属パートナーシップ契約書(案)』と書かれている。
「……何ですか、これ」
「読んで字の如くだ。君を私の『専属』にするための契約書だ」
ギルバートが眼鏡の位置を直し、淡々とした口調で説明を始めた。
「第1条。甲(ギルバート)は乙(ウーロン)に対し、国家権力を用いた最大限の事業保護を提供する。これには、公爵閣下からの干渉排除、および競合他社への圧力(合法的)を含む」
「……魅力的な条件ですね」
「第2条。乙は甲に対し、一日最低三回、特製ブレンドティーを提供するものとする。また、甲が疲労困憊した際は、膝枕および頭皮マッサージのオプションを無償で提供すること」
「無償? そこは有償でしょう。却下です」
「……では、膝枕一回につき、財務省の裏金……じゃなくて、機密費から特別手当を出そう」
「承認します。続けて」
私たちは月明かりの下、まるで予算委員会のようにお互いの条件を詰め合った。
ロマンチックの欠片もない。
だが、これが私たちなりの距離の縮め方なのだ。
「第15条。……これが重要だ」
ギルバートがページをめくる手が止まる。
彼は一度大きく深呼吸をして、私を真っ直ぐに見た。
「第15条。甲は乙に対し、生涯にわたり『心』と『体』の独占権を要求する。……その対価として、甲の全てを乙に譲渡する」
「……全て?」
「ああ。私の地位、財産、そしてこれからの人生の時間。全てだ」
ギルバートの声が、少しだけ震えている。
「私は不器用な男だ。仕事しか知らないし、気の利いた愛の言葉も言えん。だが……君がいない世界は、もう考えられない」
彼の瞳が、眼鏡の奥で揺れていた。
それは、どんな難解な数式よりも複雑で、そして純粋な光だった。
「ウーロン。……私と結婚してくれ。これは命令でも取引でもない。私の……個人的な願いだ」
静寂が流れる。
遠くで、祭りの後の片付けをする人々の声が聞こえる。
私は電卓をドレスのポケットにしまった。
そして、腕組みをして彼を見上げた。
「……条件が、甘すぎますわ」
「なっ……?」
ギルバートが狼狽える。
「不服か? なら財産分与の比率を……」
「違います。貴方の見積もりが甘いと言っているのです」
私は一歩、彼に近づいた。
「いいですか? 私と結婚するということは、毎日茶葉の香りに包まれるということです。休日は新商品の試飲に付き合わされますし、デートの行き先は常に茶園かオークション会場になりますよ?」
「……望むところだ」
「それに、私はお父様譲りの強欲です。貴方の稼ぎだけでは満足せず、国中の金を吸い上げるかもしれません。貴方は『悪徳商人の夫』として後ろ指を指されることになりますわ」
「構わん。私が法改正をして、君の商売を正義に変えてやる」
「……あはは」
私は思わず吹き出した。
法改正までして私を正当化するなんて、この男、本当にどうかしている。
でも。
(……悪くないわね)
私の商売を理解し、守り、そして必要としてくれる。
そんな物好きな男は、世界中探しても彼くらいだろう。
「わかりました。その契約、お受けします」
「本当か……!」
「ただし!」
私は人差し指を彼の胸に突きつけた。
「特約条項を追加します。……『乙は甲を愛する努力をする。ただし、甲が過労で倒れた際は、契約を一時凍結し、強制的に休暇(ハネムーン)を取らせるものとする』」
「……ハネムーン?」
「ええ。南の島はもう懲りごりですから、次は北の温泉地がいいですね。もちろん、費用は全額貴方持ちで」
私がニヤリと笑うと、ギルバートはようやく緊張を解き、ふっと表情を緩めた。
「……了解した。高くつきそうだが、必要経費として計上しよう」
彼は契約書を閉じ、私をそっと抱き寄せた。
紅茶と、インクと、そして古びた紙の匂い。
それが私の選んだ、生涯のパートナーの香りだった。
「これからよろしく頼む、ウーロン」
「こちらこそ、覚悟してくださいね。ギルバート宰相」
私たちの唇が重なる――直前。
「承認! その契約、パパが承認するぞぉぉぉ!!」
「ギャァァァァァ!?」
物陰から、父(ペコー公爵)が号泣しながら飛び出してきた。
その後ろには、ハンカチで涙を拭うセバスチャンと、ニヤニヤ笑う海賊たち、そして「キスシーンですかぁ!?」と目を輝かせるモカまで勢揃いだ。
「の、覗いていたのですか!?」
ギルバートが真っ赤になって叫ぶ。
「当たり前だ! 娘の晴れ舞台を見逃す親がいるか! うおおおん! ウーロンがお嫁にぃぃぃ!」
父がギルバートにタックルし、そのままヘッドロックをかける。
「いいか眼鏡! 契約違反したら即座にハンマーだぞ! クーリングオフは認めん!」
「ぐぐっ……承知……して……いる……!」
「おめでとうございます、お嬢様!」
「アネゴ! 結婚式は俺たちの船でやりましょう!」
「ケーキ入刀の代わりに、マグロの解体ショーをやりましょう!」
わいわいと集まってくる仲間たち。
ムードもへったくれもない。
でも、これが私たちなりのハッピーエンドなのだろう。
私は夜空を見上げた。
満天の星。
かつて王太子の婚約者として見上げた窮屈な空とは違う、無限の可能性が広がる空だ。
「……さて、忙しくなるわね」
私は小さく呟いた。
結婚準備に、新会社の設立、そして王妃様との美容事業。
やることは山積みだ。
「セバスチャン! スケジュール帳を出して! 明日の予定を組むわよ!」
「はっ。新婚初日から通常営業でございますか」
「当然よ! 時は金なり、愛も金なりよ!」
私はドレスの裾を翻し、歩き出した。
その背中を、新しい家族と仲間たちが、笑顔で追いかけてくる。
悪役令嬢ウーロン・ペコー。
彼女の華麗なる退場劇は、これにて幕を閉じる。
そしてここからは――最強の女商人としての、新たな伝説(サクセスストーリー)が始まるのだ。
(さあ、世界中の紅茶と富を、飲み尽くしてやりますわ!)
私の瞳に、星よりも輝く金貨の光が映り込んでいた。
会場となった広場の片隅。
私は撤収作業の指揮を執りながら、今日一日で消費された茶葉の量を集計していた。
「……無料配布分だけで金貨五十枚の赤字。でも、これで『ウーロン・ブランド』の認知度は百パーセント。明日からの売上で三日で回収できるわね」
電卓を叩く指が踊る。
この瞬間が一番落ち着く。私はやはり、根っからの商売人なのだ。
「……相変わらず、金のことばかりだな」
背後から声をかけられた。
振り返ると、少しだけ身なりを整えたギルバートが立っていた。
ただし、その手には花束ではなく、分厚い革表紙のファイルが握られている。
「あら宰相閣下。残業ですか? それとも追加の紅茶をご所望で?」
「いや。……今日は、君に『提出物』があって来た」
「提出物?」
ギルバートは無言でファイルを私に差し出した。
表紙には金文字で『終身専属パートナーシップ契約書(案)』と書かれている。
「……何ですか、これ」
「読んで字の如くだ。君を私の『専属』にするための契約書だ」
ギルバートが眼鏡の位置を直し、淡々とした口調で説明を始めた。
「第1条。甲(ギルバート)は乙(ウーロン)に対し、国家権力を用いた最大限の事業保護を提供する。これには、公爵閣下からの干渉排除、および競合他社への圧力(合法的)を含む」
「……魅力的な条件ですね」
「第2条。乙は甲に対し、一日最低三回、特製ブレンドティーを提供するものとする。また、甲が疲労困憊した際は、膝枕および頭皮マッサージのオプションを無償で提供すること」
「無償? そこは有償でしょう。却下です」
「……では、膝枕一回につき、財務省の裏金……じゃなくて、機密費から特別手当を出そう」
「承認します。続けて」
私たちは月明かりの下、まるで予算委員会のようにお互いの条件を詰め合った。
ロマンチックの欠片もない。
だが、これが私たちなりの距離の縮め方なのだ。
「第15条。……これが重要だ」
ギルバートがページをめくる手が止まる。
彼は一度大きく深呼吸をして、私を真っ直ぐに見た。
「第15条。甲は乙に対し、生涯にわたり『心』と『体』の独占権を要求する。……その対価として、甲の全てを乙に譲渡する」
「……全て?」
「ああ。私の地位、財産、そしてこれからの人生の時間。全てだ」
ギルバートの声が、少しだけ震えている。
「私は不器用な男だ。仕事しか知らないし、気の利いた愛の言葉も言えん。だが……君がいない世界は、もう考えられない」
彼の瞳が、眼鏡の奥で揺れていた。
それは、どんな難解な数式よりも複雑で、そして純粋な光だった。
「ウーロン。……私と結婚してくれ。これは命令でも取引でもない。私の……個人的な願いだ」
静寂が流れる。
遠くで、祭りの後の片付けをする人々の声が聞こえる。
私は電卓をドレスのポケットにしまった。
そして、腕組みをして彼を見上げた。
「……条件が、甘すぎますわ」
「なっ……?」
ギルバートが狼狽える。
「不服か? なら財産分与の比率を……」
「違います。貴方の見積もりが甘いと言っているのです」
私は一歩、彼に近づいた。
「いいですか? 私と結婚するということは、毎日茶葉の香りに包まれるということです。休日は新商品の試飲に付き合わされますし、デートの行き先は常に茶園かオークション会場になりますよ?」
「……望むところだ」
「それに、私はお父様譲りの強欲です。貴方の稼ぎだけでは満足せず、国中の金を吸い上げるかもしれません。貴方は『悪徳商人の夫』として後ろ指を指されることになりますわ」
「構わん。私が法改正をして、君の商売を正義に変えてやる」
「……あはは」
私は思わず吹き出した。
法改正までして私を正当化するなんて、この男、本当にどうかしている。
でも。
(……悪くないわね)
私の商売を理解し、守り、そして必要としてくれる。
そんな物好きな男は、世界中探しても彼くらいだろう。
「わかりました。その契約、お受けします」
「本当か……!」
「ただし!」
私は人差し指を彼の胸に突きつけた。
「特約条項を追加します。……『乙は甲を愛する努力をする。ただし、甲が過労で倒れた際は、契約を一時凍結し、強制的に休暇(ハネムーン)を取らせるものとする』」
「……ハネムーン?」
「ええ。南の島はもう懲りごりですから、次は北の温泉地がいいですね。もちろん、費用は全額貴方持ちで」
私がニヤリと笑うと、ギルバートはようやく緊張を解き、ふっと表情を緩めた。
「……了解した。高くつきそうだが、必要経費として計上しよう」
彼は契約書を閉じ、私をそっと抱き寄せた。
紅茶と、インクと、そして古びた紙の匂い。
それが私の選んだ、生涯のパートナーの香りだった。
「これからよろしく頼む、ウーロン」
「こちらこそ、覚悟してくださいね。ギルバート宰相」
私たちの唇が重なる――直前。
「承認! その契約、パパが承認するぞぉぉぉ!!」
「ギャァァァァァ!?」
物陰から、父(ペコー公爵)が号泣しながら飛び出してきた。
その後ろには、ハンカチで涙を拭うセバスチャンと、ニヤニヤ笑う海賊たち、そして「キスシーンですかぁ!?」と目を輝かせるモカまで勢揃いだ。
「の、覗いていたのですか!?」
ギルバートが真っ赤になって叫ぶ。
「当たり前だ! 娘の晴れ舞台を見逃す親がいるか! うおおおん! ウーロンがお嫁にぃぃぃ!」
父がギルバートにタックルし、そのままヘッドロックをかける。
「いいか眼鏡! 契約違反したら即座にハンマーだぞ! クーリングオフは認めん!」
「ぐぐっ……承知……して……いる……!」
「おめでとうございます、お嬢様!」
「アネゴ! 結婚式は俺たちの船でやりましょう!」
「ケーキ入刀の代わりに、マグロの解体ショーをやりましょう!」
わいわいと集まってくる仲間たち。
ムードもへったくれもない。
でも、これが私たちなりのハッピーエンドなのだろう。
私は夜空を見上げた。
満天の星。
かつて王太子の婚約者として見上げた窮屈な空とは違う、無限の可能性が広がる空だ。
「……さて、忙しくなるわね」
私は小さく呟いた。
結婚準備に、新会社の設立、そして王妃様との美容事業。
やることは山積みだ。
「セバスチャン! スケジュール帳を出して! 明日の予定を組むわよ!」
「はっ。新婚初日から通常営業でございますか」
「当然よ! 時は金なり、愛も金なりよ!」
私はドレスの裾を翻し、歩き出した。
その背中を、新しい家族と仲間たちが、笑顔で追いかけてくる。
悪役令嬢ウーロン・ペコー。
彼女の華麗なる退場劇は、これにて幕を閉じる。
そしてここからは――最強の女商人としての、新たな伝説(サクセスストーリー)が始まるのだ。
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