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護衛契約
【朝隠しの花】
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野営においても、ルシアンはその飄々とした態度をくずさなかった。
野宿がどうとか、虫がどうとか、そういう考えはないらしい。
「さすが、手慣れていますね」
野営地を設えるガルドの横で、ルシアンがそれを眺める。手伝いを申し出たところ、邪魔だ、とガルドに待機を言いつけられていた。
ちらりとそちらを横目で見て、ガルドが小さく鼻を鳴らす。
「……お前、そのむずむずする話し方は、ずっとか」
それは、何気ない問い。
普段であれば人の口調など気にならないが、どうにも隔たりを感じた。
すっ、とルシアンが、ガルドの横にしゃがみこむ。
微笑んだ銀の瞳が、責めるでもなく、問い詰めるでもなく、ガルドの視線を奪う。
ほんの少しの沈黙。の、のち。
「――この口調をやめろと言われたのは、初めてだね」
にこり。
それは、これまでの柔和な笑みとは、少し違う笑顔だった。どこか、おかしそうな、楽しそうな、笑み。
「けれど悪い気はしないね。君のその物言いは、とても好感が持てるよ、ガルド」
初めて呼ばれた名前は、優しくゆるやかに、手招きをするかのようだった。
ガルドの手が、止まった。薪をくべようとしていた指先が、わずかに空中で留まる。
「……っ、……は……」
肩が小さく震える。
そして、隣から目を逸らし、焚き火に薪を、強めに押し込んだ。
「……急に、馴れ馴れしいな」
吐き出すように言ったその声は、低く、掠れていた。
怒っていたわけじゃない。
けれど、その一言が内側に何を残したかは――自分でも分かりきっていた。
“名前”を呼ばれることが、こんなにも響くなど、思ってもみなかった。
あの銀の瞳が、責めも命令もなく、ただ“対等に呼んだ”だけだというのに。
「……そんな話し方でも、腹の中は割と黒ぇんじゃねぇのか、お前」
横目でちらりと見る。そうであってくれ、とも思う。
火の揺らぎに照らされ、しゃがみこんだ淡紫の髪が、またふわりと揺れていた。
「ふふ、よく言われるよ、なぜか」
「……チッ、調子狂う」
それだけ言い残して、ガルドは立ち上がる。空になった水袋を持って、川の方へと向かおうとする足。
背中に柔らかな視線を感じる。むずかゆい。
だがその一歩は、なぜか昨日よりも、少しだけ軽く感じられた。
何日か、そうして街道を歩いてきて――、ガルドは改めて隣の男を見据えていた。
野営を何度か挟んだ。弱いが、魔獣とも何度か遭遇した。
旅慣れていないお坊ちゃんだからこそ雇われたと思っていたが、ルシアンはそういったことにも眉一つ動かさなかった。
風のように抗わず、流れるようにそこにある。――どうにも、これまで係わったどの人種とも違う男だった。
かと思えば、様々なものに興味を持った。野草の種類、魔獣の生態、土地に残る人工物の過去。
そして、その合間にも、銀の瞳はガルドを見る。
その澄んだ声で名前を呼ぶ。少しずつ、こちらの中に居場所を作っていくように。
「ねぇ、ガルド」
ふいにルシアンが振り返り、また名前を呼んだ。
ガルドがほんの一瞬、ビクリと目を見開く。見ていたのがバレたかと思った。
「この辺りにしか咲かない花があると聞いたことがあるんだけど、君は知っているかい?」
――花。
正直ガルドには門外漢の話題だったが、ソロで活動していた冒険者として、噂だけは聞いたことがある。
「……ああ。わかる、多分」
わずかに声を落として、ガルドが応じた。
その視線はまだ逸らされたままだったが、確かに“答える”という選択をしていた。
「街道から外れて東側、丘の上。……この時期なら、咲いてるはずだ」
「本当かい?」
「……いや、多分な」
淡く白い花弁。夜明け前にだけ開き、陽が昇る頃には閉じてしまう。
誰が呼んだか“朝隠し”。
採ることも売ることも難しいが、美しいもの好きには知られた存在だった。
「……そんなもん、見てどうすんだよ」
ぼそりと付け足した問いは、冷やかしではない。ただ、純粋な疑問だった。
比較的安全な街道を外れて、わざわざ寄り道をしてまで――“花を見に行く”などという行為が、これまでの自分の人生には存在しなかった。
けれど、ルシアンの返答を待つまでもなく、もう分かっている気もした。
この男は、そういうものを見るために旅をしている。美しいもの。珍しいもの。知られざるもの。
戦うためでも、守るためでも、稼ぐためでもなく――ただ、“見るため”に。
「……物好きな旅路だな」
「ふふ、慣れてもらわないとね」
舌打ちをしながらも、脚は止まらない。足取りを切り替えて、街道から丘へと続く獣道へ。
赤い瞳は、ちらりと銀を横目に捉える。彼は案内を疑うこともせず、肩先に触れるか触れないかの距離で、名も知らぬ白い花の群生地へと向かっていた。
ガルドの先導のもと、街道から東にある丘の上にルシアンは立っていた。
時刻は夕方。”朝隠し”は咲いていない。細く丸みを帯びた葉と、下を向いて閉じた蕾が丘一面にあるだけだ。
近くでは、ガルドが野営の支度をしている。このままここで夜を明かし、明日の朝、花を見る。そういう予定だ。
「……ガルド、私焚き木集めてこようか」
そばの林を指さし、ルシアンがガルドにそう問う。簡易な天幕を張っていたガルドが、眉を吊り上げてそちらを見た。
――ダメかい?という、笑顔。
「……チッ」
再び、舌打ち一つ。
それは、咄嗟に否定するためではなく、どう断るか考える一拍だった。
ガルドの視線が林の奥を走る。陽は傾き始めているが、まだ薄明るい。
ただ、魔獣の影がゼロとも言えない時間帯。
「……あのな、焚き木集めに行くってのは、手ぶらじゃなくて“荷物になる”ってことだ」
近づきながら、ガルドがルシアンの前にずいと立つ。
そして、背負っていた大剣を地面に下ろし、腰の短剣をベルトから引き抜いた。
「薪を拾うならこれを持て。……それすら持ちたくないなら、行くな」
鞘ごと差し出される短剣。
ルシアンにしてみれば、明らかに“使い慣れていない人間でも扱えるような”護身具だった。
「……ま、今の時間なら、せいぜい鳥か獣が出るくらいだがな」
銀の瞳を真っ直ぐに見据えて、ガルドは静かに言った。
「帰ってこなかったら、探しに行くのは俺だ。だから言ってんだ」
それだけ告げると、再び天幕を張りに戻る。
だがその耳は、ルシアンの足音をひとつも聞き漏らしていなかった。
「ふふ、ありがとうガルド」
どこか嬉しそうな声が、ガルドの背に浴びせられた。振り返りそうになるが、去っていく足音を聞いて踏みとどまる。
そのままルシアンは林の中に入っていった。
が、ガルドから認識できる範囲を意識しているのか、気配は常に浅いところにあった。接敵している様子もない。穏やかな足取り。
やがて両手に焚き木を抱え、ガルドの傍へ戻ってくる。
赤い瞳の視線を受け、地面にそれを置く前に立ち止まった。程よく乾燥し、燃えやすそうな枝。
「ガルド、これどう?」
くい、と頭を傾げ、その男は微笑んだ。
「……上等だ」
一拍置いて、ガルドもそう返す。焚き木の質も、量も、申し分ない。
だが、それ以上に――“勝手に遠くまで行かない”という、その距離感が気に入った。
「……初めてのくせに、筋悪くねぇな」
それは、素直な評価。いつもなら誰かの努力や律儀さにいちいち口を挟まない男だが、この相手には、なぜか言葉が出る。
受け取った枝をくべながら、ちらりとルシアンの手元を見る。
細い指。だが、土も付いていなければ、傷もない。
「ちゃんと掴んで運んだか?……魔法で浮かせたわけじゃねぇよな」
冗談めかした口ぶりだったが、赤い瞳は冗談では済まさない光を宿していた。
本気で“ちゃんとやったか”を問うていた。
「浮かせるなんて、そんなこと……」
――あ、という顔を、ルシアンがした。言いかけていた言葉が、ぷつりときれる。
ぴくりと赤い瞳が細くなる。なんかあるのか、という視線だった。
「ガルド、あのね、回復魔法が使えるよ、私」
自分の手のひらをガルドにさらして、ルシアンがすまなさそうに笑う。
隠していたわけではない。ガルドが怪我を負わないため、披露する場がなかった。
つまりは、焚き木集めでついた傷は、治していたということ。
「泥もね、魔法できれいにしてきた。”きよら”っていう生活魔法だよ」
ガルドの口角が、ほんの数ミリ上がる。
それはまるで、必死に”働いてきたよ”アピールをしているかのようだった。
「……ああ、なるほどな」
焚き火の支度を整えながら、ガルドが低く笑った。
鼻で笑ったように聞こえるかもしれないが、そこには確かな“受け入れ”の響きがあった。
「手ぇ抜いてねぇのに、綺麗に見えるってのは……魔術師のズルいとこだな」
火をつける仕草もどこか軽い。
ルシアンの仕草を見て、何か肩の力が抜けたようだった。
「……ったく、褒められたいガキみてぇだったな、今の」
「黙ってたわけじゃないよ、すまないね」
揺れる火に照らされて、赤い瞳がじっとルシアンを見る。その瞳に、敵意も試す色もなかった。
ただ――静かに、そこにいた。
「……わかった」
不意に、ぽつりと落とされた言葉。
それは、魔法への礼でも、焚き木への礼でもなく。
目に見えぬ心遣いと、気配を乱さぬ距離感と――何より、“置き去りにされなかった”ことへの、素直な感謝だった。
――夜。
ガルドは焚き火に薪をくべていた。傍らでは、ルシアンが手帳を開いている。
それをぱたりと閉じ、銀の瞳がこちらを見る。
「今日の夜番はどちらからにする?」
笑顔のまま、当然のように問いかけられる。
ルシアンは、夜の見張りも進んで受け入れた。いつも夜半過ぎ、仮眠を交代する。順番はその日の気分。
元来ガルドは他人の前で眠れる質ではなかったが、この夜番はなぜか受け入れられた。
「……俺が先にやる」
焚き火に火の粉が舞う中、ガルドが短く応じた。
いつものように、強張った声音ではなかった。ただ、自然にそうしたいと思ったから、そう言っただけ。
「……昨日はお前が先だったろ。順番だ」
「うん、わかった」
焚き火の炎が、赤い瞳をちらちらと照らす。
言葉を終えたガルドの手が、足元にあった外套をつまみ、軽くルシアンの方へ放る。
「わ、なんだい」
「……夏でも高地は冷える。寝るなら羽織って寝ろ」
ぶっきらぼうな声。視線はあくまで炎に向けたまま。
ルシアンの寝具が整っていることは分かっていたが、それでも、そうしたかった。
大きな外套を受け取り、ルシアンは広げてみようとした。が、重い。
重厚な作りで、厚手の防刃布。裏地には断熱素材。重量もなかなかだった。
それを見て、ガルドが鼻を鳴らす。非力め、というような顔。
ふふ、と笑いながら、何とか肩にかければ、全身がすっぽりとくるまれた。
ガルドの長身を易々と覆えるマント型のそれは、そこらの毛布よりも暖かい。
「……うん、重いけど暖かいね。ありがとう、借りるよ」
柔らかく笑ったルシアンが、そのまま天幕の下へもぐりこんでいく。
どうやらそれを、気に入ったようだった。
“どちらからにする?”
笑顔でそんなことを聞かれる日が来るとは、思ってもいなかった。
焚き火の薪をもう一本足せば、パチ、と音が鳴った。
ガルドは静かに腰を落ち着け、見張りの構えに入る。だが耳は、隣の柔らかな気配を最後まで追っていた。
焚き火の向こう、天幕の中へすっと消えていく淡い影。
その背に外套がふわりとかかって、地面まで引きずっているのが見えた。
「……寝てる間に蹴飛ばすなよ」
ぽつりとそう呟きながらも、ガルドの口元がわずかに緩んでいた。ほんのひと欠け。無意識に近い形で。
風が、森を撫でるように通り抜ける。火の粉が揺れて、灰がひとつ、空へと昇った。
視線は焚き火から外さない。だが、耳は天幕の気配を聞いている。
寝返りを打つ音。息を整える音。何も異常のない“安心”の音。
――あんな奴が、旅なんかしてて平気かと思ってたが。こんなもん、誰より野営に馴染んでやがる。
「……変な奴だ」
誰にも聞かれないように、そう呟く。炎の揺らぎが、ひときわ赤くなった。
ガルドは目を細め、ゆっくりと剣の位置を確かめる。
その夜番は、妙に長く、妙に静かだった。
その後夜半過ぎにガルドが声をかければ、ルシアンはもぞりと天幕から這い出てきた。
外套をぐるりとまとったまま、ガルドの横へ腰かける。
ガルドがそちらを見やれば、眠そうな顔で焚き火を眺めている。
外套返そうか、という顔と、これ外したら寒いな、という顔、半々だった。
返すつもりのなさそうなルシアンに、ガルドがやや口角を上げた。
「……あったけぇか」
「……暖かいね……」
逡巡のすえ、思い切ったようにルシアンがそれを脱ぐ。
ガルドにそれを返し、焚き火の向こうへ腰かけた。そして、笑う。
「”朝隠し”、ガルドも見るよね?夜明け前に起こすよ」
まだ月は天高かったが、その銀の眼差しはもう夜明けの花を見ていた。
「……ああ。見る」
返された外套を無造作に受け取りながら、ガルドも短く頷いた。
その声音には、いつもの無骨さと違う、どこか柔らかな響きが混じっていた。
火越しに向かい合う姿。静けさの中、風が木々の隙間を抜ける。
ルシアンの淡い髪が揺れて、月明かりを柔らかく受けていた。
「……花なんざ、ただの草にしか見えねぇと思ってたけどな」
薪を組み直しながら、ぽつりと呟く。
「お前とじゃなきゃ、わざわざ見に来なかっただろうよ」
火を弄ぶわけでもなく、そっと枝を寄せる手元。
その向こうの銀の瞳は、言葉の意味を理解しても、たぶん茶化さないだろうと思った。
だから言えた。
この旅が、“ただの護衛”ではなくなっていることを。
「……起こせよ。寝坊したら文句言うからな」
赤い瞳が、ひとつ瞬いた。
そのまま天幕へ戻る背は、なぜか心なしか、夜の空気に馴染んでいた。
まるで、“ここ”が自分の居場所だと、ようやく認め始めたように。
――【朝隠しの花】
野宿がどうとか、虫がどうとか、そういう考えはないらしい。
「さすが、手慣れていますね」
野営地を設えるガルドの横で、ルシアンがそれを眺める。手伝いを申し出たところ、邪魔だ、とガルドに待機を言いつけられていた。
ちらりとそちらを横目で見て、ガルドが小さく鼻を鳴らす。
「……お前、そのむずむずする話し方は、ずっとか」
それは、何気ない問い。
普段であれば人の口調など気にならないが、どうにも隔たりを感じた。
すっ、とルシアンが、ガルドの横にしゃがみこむ。
微笑んだ銀の瞳が、責めるでもなく、問い詰めるでもなく、ガルドの視線を奪う。
ほんの少しの沈黙。の、のち。
「――この口調をやめろと言われたのは、初めてだね」
にこり。
それは、これまでの柔和な笑みとは、少し違う笑顔だった。どこか、おかしそうな、楽しそうな、笑み。
「けれど悪い気はしないね。君のその物言いは、とても好感が持てるよ、ガルド」
初めて呼ばれた名前は、優しくゆるやかに、手招きをするかのようだった。
ガルドの手が、止まった。薪をくべようとしていた指先が、わずかに空中で留まる。
「……っ、……は……」
肩が小さく震える。
そして、隣から目を逸らし、焚き火に薪を、強めに押し込んだ。
「……急に、馴れ馴れしいな」
吐き出すように言ったその声は、低く、掠れていた。
怒っていたわけじゃない。
けれど、その一言が内側に何を残したかは――自分でも分かりきっていた。
“名前”を呼ばれることが、こんなにも響くなど、思ってもみなかった。
あの銀の瞳が、責めも命令もなく、ただ“対等に呼んだ”だけだというのに。
「……そんな話し方でも、腹の中は割と黒ぇんじゃねぇのか、お前」
横目でちらりと見る。そうであってくれ、とも思う。
火の揺らぎに照らされ、しゃがみこんだ淡紫の髪が、またふわりと揺れていた。
「ふふ、よく言われるよ、なぜか」
「……チッ、調子狂う」
それだけ言い残して、ガルドは立ち上がる。空になった水袋を持って、川の方へと向かおうとする足。
背中に柔らかな視線を感じる。むずかゆい。
だがその一歩は、なぜか昨日よりも、少しだけ軽く感じられた。
何日か、そうして街道を歩いてきて――、ガルドは改めて隣の男を見据えていた。
野営を何度か挟んだ。弱いが、魔獣とも何度か遭遇した。
旅慣れていないお坊ちゃんだからこそ雇われたと思っていたが、ルシアンはそういったことにも眉一つ動かさなかった。
風のように抗わず、流れるようにそこにある。――どうにも、これまで係わったどの人種とも違う男だった。
かと思えば、様々なものに興味を持った。野草の種類、魔獣の生態、土地に残る人工物の過去。
そして、その合間にも、銀の瞳はガルドを見る。
その澄んだ声で名前を呼ぶ。少しずつ、こちらの中に居場所を作っていくように。
「ねぇ、ガルド」
ふいにルシアンが振り返り、また名前を呼んだ。
ガルドがほんの一瞬、ビクリと目を見開く。見ていたのがバレたかと思った。
「この辺りにしか咲かない花があると聞いたことがあるんだけど、君は知っているかい?」
――花。
正直ガルドには門外漢の話題だったが、ソロで活動していた冒険者として、噂だけは聞いたことがある。
「……ああ。わかる、多分」
わずかに声を落として、ガルドが応じた。
その視線はまだ逸らされたままだったが、確かに“答える”という選択をしていた。
「街道から外れて東側、丘の上。……この時期なら、咲いてるはずだ」
「本当かい?」
「……いや、多分な」
淡く白い花弁。夜明け前にだけ開き、陽が昇る頃には閉じてしまう。
誰が呼んだか“朝隠し”。
採ることも売ることも難しいが、美しいもの好きには知られた存在だった。
「……そんなもん、見てどうすんだよ」
ぼそりと付け足した問いは、冷やかしではない。ただ、純粋な疑問だった。
比較的安全な街道を外れて、わざわざ寄り道をしてまで――“花を見に行く”などという行為が、これまでの自分の人生には存在しなかった。
けれど、ルシアンの返答を待つまでもなく、もう分かっている気もした。
この男は、そういうものを見るために旅をしている。美しいもの。珍しいもの。知られざるもの。
戦うためでも、守るためでも、稼ぐためでもなく――ただ、“見るため”に。
「……物好きな旅路だな」
「ふふ、慣れてもらわないとね」
舌打ちをしながらも、脚は止まらない。足取りを切り替えて、街道から丘へと続く獣道へ。
赤い瞳は、ちらりと銀を横目に捉える。彼は案内を疑うこともせず、肩先に触れるか触れないかの距離で、名も知らぬ白い花の群生地へと向かっていた。
ガルドの先導のもと、街道から東にある丘の上にルシアンは立っていた。
時刻は夕方。”朝隠し”は咲いていない。細く丸みを帯びた葉と、下を向いて閉じた蕾が丘一面にあるだけだ。
近くでは、ガルドが野営の支度をしている。このままここで夜を明かし、明日の朝、花を見る。そういう予定だ。
「……ガルド、私焚き木集めてこようか」
そばの林を指さし、ルシアンがガルドにそう問う。簡易な天幕を張っていたガルドが、眉を吊り上げてそちらを見た。
――ダメかい?という、笑顔。
「……チッ」
再び、舌打ち一つ。
それは、咄嗟に否定するためではなく、どう断るか考える一拍だった。
ガルドの視線が林の奥を走る。陽は傾き始めているが、まだ薄明るい。
ただ、魔獣の影がゼロとも言えない時間帯。
「……あのな、焚き木集めに行くってのは、手ぶらじゃなくて“荷物になる”ってことだ」
近づきながら、ガルドがルシアンの前にずいと立つ。
そして、背負っていた大剣を地面に下ろし、腰の短剣をベルトから引き抜いた。
「薪を拾うならこれを持て。……それすら持ちたくないなら、行くな」
鞘ごと差し出される短剣。
ルシアンにしてみれば、明らかに“使い慣れていない人間でも扱えるような”護身具だった。
「……ま、今の時間なら、せいぜい鳥か獣が出るくらいだがな」
銀の瞳を真っ直ぐに見据えて、ガルドは静かに言った。
「帰ってこなかったら、探しに行くのは俺だ。だから言ってんだ」
それだけ告げると、再び天幕を張りに戻る。
だがその耳は、ルシアンの足音をひとつも聞き漏らしていなかった。
「ふふ、ありがとうガルド」
どこか嬉しそうな声が、ガルドの背に浴びせられた。振り返りそうになるが、去っていく足音を聞いて踏みとどまる。
そのままルシアンは林の中に入っていった。
が、ガルドから認識できる範囲を意識しているのか、気配は常に浅いところにあった。接敵している様子もない。穏やかな足取り。
やがて両手に焚き木を抱え、ガルドの傍へ戻ってくる。
赤い瞳の視線を受け、地面にそれを置く前に立ち止まった。程よく乾燥し、燃えやすそうな枝。
「ガルド、これどう?」
くい、と頭を傾げ、その男は微笑んだ。
「……上等だ」
一拍置いて、ガルドもそう返す。焚き木の質も、量も、申し分ない。
だが、それ以上に――“勝手に遠くまで行かない”という、その距離感が気に入った。
「……初めてのくせに、筋悪くねぇな」
それは、素直な評価。いつもなら誰かの努力や律儀さにいちいち口を挟まない男だが、この相手には、なぜか言葉が出る。
受け取った枝をくべながら、ちらりとルシアンの手元を見る。
細い指。だが、土も付いていなければ、傷もない。
「ちゃんと掴んで運んだか?……魔法で浮かせたわけじゃねぇよな」
冗談めかした口ぶりだったが、赤い瞳は冗談では済まさない光を宿していた。
本気で“ちゃんとやったか”を問うていた。
「浮かせるなんて、そんなこと……」
――あ、という顔を、ルシアンがした。言いかけていた言葉が、ぷつりときれる。
ぴくりと赤い瞳が細くなる。なんかあるのか、という視線だった。
「ガルド、あのね、回復魔法が使えるよ、私」
自分の手のひらをガルドにさらして、ルシアンがすまなさそうに笑う。
隠していたわけではない。ガルドが怪我を負わないため、披露する場がなかった。
つまりは、焚き木集めでついた傷は、治していたということ。
「泥もね、魔法できれいにしてきた。”きよら”っていう生活魔法だよ」
ガルドの口角が、ほんの数ミリ上がる。
それはまるで、必死に”働いてきたよ”アピールをしているかのようだった。
「……ああ、なるほどな」
焚き火の支度を整えながら、ガルドが低く笑った。
鼻で笑ったように聞こえるかもしれないが、そこには確かな“受け入れ”の響きがあった。
「手ぇ抜いてねぇのに、綺麗に見えるってのは……魔術師のズルいとこだな」
火をつける仕草もどこか軽い。
ルシアンの仕草を見て、何か肩の力が抜けたようだった。
「……ったく、褒められたいガキみてぇだったな、今の」
「黙ってたわけじゃないよ、すまないね」
揺れる火に照らされて、赤い瞳がじっとルシアンを見る。その瞳に、敵意も試す色もなかった。
ただ――静かに、そこにいた。
「……わかった」
不意に、ぽつりと落とされた言葉。
それは、魔法への礼でも、焚き木への礼でもなく。
目に見えぬ心遣いと、気配を乱さぬ距離感と――何より、“置き去りにされなかった”ことへの、素直な感謝だった。
――夜。
ガルドは焚き火に薪をくべていた。傍らでは、ルシアンが手帳を開いている。
それをぱたりと閉じ、銀の瞳がこちらを見る。
「今日の夜番はどちらからにする?」
笑顔のまま、当然のように問いかけられる。
ルシアンは、夜の見張りも進んで受け入れた。いつも夜半過ぎ、仮眠を交代する。順番はその日の気分。
元来ガルドは他人の前で眠れる質ではなかったが、この夜番はなぜか受け入れられた。
「……俺が先にやる」
焚き火に火の粉が舞う中、ガルドが短く応じた。
いつものように、強張った声音ではなかった。ただ、自然にそうしたいと思ったから、そう言っただけ。
「……昨日はお前が先だったろ。順番だ」
「うん、わかった」
焚き火の炎が、赤い瞳をちらちらと照らす。
言葉を終えたガルドの手が、足元にあった外套をつまみ、軽くルシアンの方へ放る。
「わ、なんだい」
「……夏でも高地は冷える。寝るなら羽織って寝ろ」
ぶっきらぼうな声。視線はあくまで炎に向けたまま。
ルシアンの寝具が整っていることは分かっていたが、それでも、そうしたかった。
大きな外套を受け取り、ルシアンは広げてみようとした。が、重い。
重厚な作りで、厚手の防刃布。裏地には断熱素材。重量もなかなかだった。
それを見て、ガルドが鼻を鳴らす。非力め、というような顔。
ふふ、と笑いながら、何とか肩にかければ、全身がすっぽりとくるまれた。
ガルドの長身を易々と覆えるマント型のそれは、そこらの毛布よりも暖かい。
「……うん、重いけど暖かいね。ありがとう、借りるよ」
柔らかく笑ったルシアンが、そのまま天幕の下へもぐりこんでいく。
どうやらそれを、気に入ったようだった。
“どちらからにする?”
笑顔でそんなことを聞かれる日が来るとは、思ってもいなかった。
焚き火の薪をもう一本足せば、パチ、と音が鳴った。
ガルドは静かに腰を落ち着け、見張りの構えに入る。だが耳は、隣の柔らかな気配を最後まで追っていた。
焚き火の向こう、天幕の中へすっと消えていく淡い影。
その背に外套がふわりとかかって、地面まで引きずっているのが見えた。
「……寝てる間に蹴飛ばすなよ」
ぽつりとそう呟きながらも、ガルドの口元がわずかに緩んでいた。ほんのひと欠け。無意識に近い形で。
風が、森を撫でるように通り抜ける。火の粉が揺れて、灰がひとつ、空へと昇った。
視線は焚き火から外さない。だが、耳は天幕の気配を聞いている。
寝返りを打つ音。息を整える音。何も異常のない“安心”の音。
――あんな奴が、旅なんかしてて平気かと思ってたが。こんなもん、誰より野営に馴染んでやがる。
「……変な奴だ」
誰にも聞かれないように、そう呟く。炎の揺らぎが、ひときわ赤くなった。
ガルドは目を細め、ゆっくりと剣の位置を確かめる。
その夜番は、妙に長く、妙に静かだった。
その後夜半過ぎにガルドが声をかければ、ルシアンはもぞりと天幕から這い出てきた。
外套をぐるりとまとったまま、ガルドの横へ腰かける。
ガルドがそちらを見やれば、眠そうな顔で焚き火を眺めている。
外套返そうか、という顔と、これ外したら寒いな、という顔、半々だった。
返すつもりのなさそうなルシアンに、ガルドがやや口角を上げた。
「……あったけぇか」
「……暖かいね……」
逡巡のすえ、思い切ったようにルシアンがそれを脱ぐ。
ガルドにそれを返し、焚き火の向こうへ腰かけた。そして、笑う。
「”朝隠し”、ガルドも見るよね?夜明け前に起こすよ」
まだ月は天高かったが、その銀の眼差しはもう夜明けの花を見ていた。
「……ああ。見る」
返された外套を無造作に受け取りながら、ガルドも短く頷いた。
その声音には、いつもの無骨さと違う、どこか柔らかな響きが混じっていた。
火越しに向かい合う姿。静けさの中、風が木々の隙間を抜ける。
ルシアンの淡い髪が揺れて、月明かりを柔らかく受けていた。
「……花なんざ、ただの草にしか見えねぇと思ってたけどな」
薪を組み直しながら、ぽつりと呟く。
「お前とじゃなきゃ、わざわざ見に来なかっただろうよ」
火を弄ぶわけでもなく、そっと枝を寄せる手元。
その向こうの銀の瞳は、言葉の意味を理解しても、たぶん茶化さないだろうと思った。
だから言えた。
この旅が、“ただの護衛”ではなくなっていることを。
「……起こせよ。寝坊したら文句言うからな」
赤い瞳が、ひとつ瞬いた。
そのまま天幕へ戻る背は、なぜか心なしか、夜の空気に馴染んでいた。
まるで、“ここ”が自分の居場所だと、ようやく認め始めたように。
――【朝隠しの花】
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あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。
僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。
だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。
過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。
これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。
全8話。
【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?
キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。
知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。
今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど——
「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」
幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。
しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。
これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。
全8話。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか
風
BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。
……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、
気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。
「僕は、あなたを守ると決めたのです」
いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。
けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――?
身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。
“王子”である俺は、彼に恋をした。
だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。
これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、
彼だけを見つめ続けた騎士の、
世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。
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