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都市セレス
【街歩きは早朝に】
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ルシアンは、早く寝て、早く目覚める。
――まだ日も昇る前、むくりと起き上がり、街着に着替える。
鏡台の前に座り、簡単に身なりを整える。窓から街を見下ろすと、まだ朝もやがかかっていた。
部屋を静かに出て、まだ眠っているであろう、向かいの扉の前に立った。
「――ガルド、お散歩してくるね」
当然、返事はない。一応声はかけた、という体裁がほしいだけだ。
静かに宿を出ると、朝の冷たい空気が肺に流れ込んだ。
ルシアンは、目覚める前の街が好きだった。
朝の慌ただしさも、昼の喧騒も、夜の賑わいもない街。静かで、けれど真夜中のような底知れぬ闇もない、ほんのひと時の眠った街。
目覚めているのは、自分と、新聞配達の少年と、パン屋の窯だけ。
――これも、ルシアンの”美しい景色”に含まれているのだろう。
背後、ごつ、ごつ、と石畳を重く踏みしめる足音がした。
振り返ったルシアンの表情に、笑みが灯る。
「ふふ、寝ててよかったのに」
その大柄な男は返事もせず、淡々と近づいてきていた。肩を揺らすように、歩幅は大きいまま、ルシアンの隣で止まる。
「……宿にいねぇと思ったら、こんな時間に」
寝起きの低い声。だが責める色はない。
ひとつあくびをして、空を見上げる。まだ白んだばかりの空に、星がわずかに残っていた。
そのまましばらく沈黙が流れる。けれど、並んだ立ち位置に、どこか自然なものがあった。
「……飯、どうすんだ」
「折角だから、どこかで食べていこうか」
言葉を交わしながら、歩き出す。朝の街に流れる、ぱちんと薪が弾ける音。
食堂の煙突から、煙が立ちのぼっていくのが見えた。
「……あそこのパン、昨日の夕方も売れてたな」
呟くようにそう言って、ガルドが視線を逸らす。
言い訳じみた声音だった。ルシアンに気づかれないようにとすら思っているかのような。
けれど、確かにそれは“誘い”だった。ふたりの一日は、今日もまた、静かに始まっていく。
街の食堂の窓から見えるセレスの大通りには、すでに仕事に向かう者や買い物客の姿が行き交いはじめていた。
この街の一日が本格的に動き出しているのが感じられる。
木のテーブルに並べられた朝食は、温かなスープと焼きたてのパン。香草とバターの香りが立ち上り、腹の底にやさしく沁みわたる。
「……Fランクだぁ?」
ガルドが眉を吊り上げて、ルシアンにそう返した。
頷いたルシアンが、なんでもない顔をして、ギルドカードをかつりとガルドの前に置く。
――ルシアン Age.26
支援魔術師 ランクF
「冒険者ギルドには登録したばかりなんだ。言ってなかったね」
パンをひとかけら口に運びながら、ルシアンが微笑む。
だが、テーブルの上に置かれたギルドカードを一瞥したガルドの視線は、ランクではない箇所を見ていた。
「……お前、俺より六つ年下かよ」
「おや、そうなのかい?気になるなら敬語に戻しましょうか?」
「やめろ、気持ち悪ぃ」
苦々しげに返しながらも、ガルドは目を逸らした。不機嫌というより、どこか調子を崩されたような態度だった。
ルシアンの手元では、スープの器がくるりと回される。湯気の向こうで、微笑はそのままだ。
「……Fランクで支援か。どうせ登録だけした口だろ」
ギルドカードを軽く指先で押し戻しながら、ガルドがぼやく。
カードの情報だけを見れば、経験も功績もゼロの新人――街の酒場で素人が言い張る「俺も冒険者だ」と大差ない。
だが目の前の男は、そうは見えない。仕草、視線、姿勢、どれを取っても“成り立って”いる。
着ているものも、手入れされた旅装も、どこかしら場慣れしていた。
「……んで、どうすんだ。いくら俺がAでも、お前がFランクじゃあ受ける依頼も限られる」
半ばぼやきながら、ガルドがスープをひと口啜る。香草の香りが鼻に抜けた。
その声には、焦れたような苛立ちではなく、静かな問いの色が混じっていた。
「……ガルドってAランクなのかい」
きょとん、としたようなルシアンの言葉に、ガルドが一拍置いて、同じようにギルドカードを差し出した。
黒銀のプレートに、偽造防止の魔術刻印がなされている。
――ガルド・ヴェルグリム Age.32
戦士 ランクA
実力がものをいう冒険者ギルド。S~Fからなるギルドランクにおいて、そのランクは何よりも雄弁だった。
一度カードに目を落としたルシアンが、ぱちり、と瞬きをする。
「ええと、……なぜ私の護衛を引き受けたんだい」
――【Aランク】。
それは、上位精鋭・都市級戦力となる者がほとんどのランクだった。
冒険者全体の人口から言えば、比率は一、二パーセントほど。依頼主からの信用度も高く、大規模依頼においては中核を担うことも多い。
簡単に言えば、「あの人に任せれば大丈夫」といわれるようなクラスだった。
「雇った側が言うものなんだけど、君、私の護衛なんかしていていいのかい」
その微笑は、困った顔ではなかった。目の前の男の判断を、どこか楽しそうに笑う顔。
互いに、ギルドカードをポーチにしまう。
「さあな」
ガルドは背もたれに凭れ、器を傾けながら、わずかに目を細めた。
視線はテーブルの上、もう冷めかけたパンに落ちている。
「……暇だった。って言やぁ、信じるか?」
ぼそりと呟く声には、どこかぶっきらぼうな照れが混じっていた。
だが、冗談にしては言い方が素朴すぎる。本当にそれだけだったのか、と問えば否定はしないだろうが、肯定もしないだろう。
「……お前みてぇな奴は、ほっときゃ野垂れ死にそうだ。そんなら、暇つぶしに着いてってみるかってな」
ぼそり、ともう一度。それが評価なのか、呆れなのか、自分でも分からないらしい。
パンをひとかじりする。あまり噛まずに飲み込んで、ルシアンの方を見ずに付け足した。
「――勝手にそう思った。それだけだ」
淡々とした声だった。
だがその言葉は、否定も飾りもない“本音”だった。
――ガルドには、何度も昇級の打診があった。
ガルドの持つAランクの上には、Sランクしかない。
それは、ごくわずか、数えきれるくらいの人口しかいないランク。
信用度は絶大、指名依頼が主になり、報酬も桁違い。
そして、国家や貴族も一目を置く。
裏返せば、特別監視対象となり、必然的に国や貴族とのつながりが生まれてしまう。名誉と安定を得る代わりに、煩わしい”後ろ盾”がつく――それが嫌で、Aランクに収まっていた。
にもかかわらず、なぜこんな素性の知れない男の護衛をしているのか。
ガルドの瞳が、ルシアンを見た。それに気づいて、ルシアンも視線を上げる。
先ほどの”ぼやき”を、静かに反芻する微笑。
「――暇つぶしでも、君が引き受けてくれてよかったよ。もし振られたら、私はまだ護衛を探し回っていただろうね」
そう微笑んだルシアンが、膝上のナプキンをするりと外し、簡単に畳む。
窓から通りを見やる。すっかり街も目が覚めた。今日の予定は、ない。目的地のない旅だった。
「私も少し、ランクを上げたほうがいいかな?ギルドに依頼でも探しに行こうか」
軽々とした、ちょっとそこまでお散歩に、といった声色。ガルドがやや、眉を吊り上げる。
「……勝手にしろ」
椅子を引く音とともに巨躯が立ち上がり、背の大剣の位置を軽く確かめた。
そのまま歩き出すこともせず、黙ってルシアンの隣に立つ。まるで「行くなら一緒だろうが」と言わんばかりに、当然のように。
――依頼を探す、などと言っても、ルシアンが向かうのはきっと散歩の延長。目にとまった張り紙を眺めて、どんなものかと楽しむくらいのものだろう。
だがそれでも、外に出るのなら護衛は要る。そういう立ち位置だった。
「……無理して受けんなよ。Fがやられりゃ、俺の責任になる」
口調はぶっきらぼうだが、目線はルシアンの肩越しに、外の陽光を捉えていた。
朝の雑踏が広がる街路。今日も、また何かが始まっていく。
「行くなら、さっさとしろ。……付き合ってやる」
ただその一言だけを残し、ガルドは先に店の扉へ。その背中を見送り、ルシアンも席を立った。
「うん、やっぱり、彼にしてよかった」
そう微笑んだ声は、ガルドには届かずに空気に溶けた。
セレスの冒険者ギルドも、朝の活気に包まれていた。
依頼を受ける者、夜間の依頼から帰ってきた者。新しい依頼書を掲示する職員、ギルドに依頼を出す組合員や住民。
鉄と革の匂いがその空気を包むが、ギルドホールの大扉が開いて舞い込んだ空気に、一瞬だけざわめきが鎮まった。
――無哭だ。
無哭のガルドが街にいる。
そんな視線だった。
しかし噂をする声はあれど、声をかける度胸のある者はいない。
まして、連れ立ってその後ろを歩く淡紫の男が、よりその異質さを際立てていた。
「なんだアレ……」
「ああ、どういう関係だ……仲間か?」
「ありゃ男か……どこぞのお貴族様か?」
無遠慮な視線にガルドの赤い瞳が流れれば、伏せられる数多の眼差し、けれどそれでも尽きない興味。
その只中にあって、ルシアンは変わらず、柔和な笑みを保っていた。
「無哭あいつ、誰かと組むことあんのかよ」
「仲間なんて初めて見たぞ……」
――噂をする声は多々あれど、結局そのざわめきは、一歩一歩とガルドが歩を進めるにつれて、やがて沈静化していった。
ガルドが無言で掲示板を指し示す。ルシアンがそちらへ向いたのを確認して、――正面奥、カウンターの受付嬢はこっそりと胸を撫でおろした。
「こ……こっち来るかと思ったわ……」
そんな小さな、安堵の声。ギルドホールの隅では、再び小さくざわめきが戻っていたが、それは警戒ではなく――どこか、目を奪われた者たちのざわめきだった。
淡い外套に包まれた妙に”高値”な立ち姿は、やはりどうしてもギルドの喧騒から浮いてしまう。それでも何一つ動じることのないルシアンは、まるで露店の品物でも眺めるかのように掲示板を見上げている。同じように、その後ろからガルドも覗き込む。
初めから決まっていたかのような立ち位置。無言で守るごく自然な動きに、――周囲も、おし黙った。
――《調査・記録補助》
【依頼内容】
最近、街外れにて地形変化とともに突如湧出した自然水源を確認。一部で植物の異常成長や、微弱な魔力濃度上昇が報告されている。本依頼では、現地に赴き以下の記録・観測支援を実施してもらいたい。
・水質の簡易記録(備品貸出あり)
・周辺の温度・湿度・魔力の変化測定(※魔力感知可能な者優遇)
・成長植物の記録・採取補助
【目的地】
街西端・第三農道先の旧雑木林跡地(仮称:西の泉)
【報酬】
銀貨三十枚(記録精度により変動)
【特記事項】
・調査地は市街地から徒歩半刻程度の低地林。
・調査は日中のみ実施。宿泊を伴わない単発依頼。
・魔力干渉に敏感な職種(魔術師・治療師等)は、現象の記録に重要。魔力感知が可能な支援職の参加を歓迎する。
【備考】
・環境記録官一名(主導)
・助手一名(移動・運搬補助)
※本依頼において冒険者は「補助者」として記録官の護衛と現場支援を行う
「お前こういうの得意そうだな」
ガルドが指さした依頼書を見て、ルシアンは笑みを深めた。――調査、観測、記録、魔力測定。確かに得意ではある。
が、それよりも、数多く並べられた依頼書の中から、これを選別し、静かに示してくる護衛。
「ふふ、頼もしいね」
肩越しに満足げな笑みを向けたルシアンは、その依頼書を引き抜き、受付カウンターへと歩を進めた。
カウンターでは、先ほどの受付嬢が既に立ち直り、微笑を作っていた。
だが、その手元はややぎこちない。緊張が抜けきっていないのだろう。
「おっ、おはようございます、冒険者ギルドセレス支部です」
「おはようございます、こちらをお願いします」
「っはい、承ります。えっと、こちら……“西の泉”調査……ギルドカードのご提示をお願いします」
依頼書を引き寄せた受付嬢が、ぺらぺらと確認用の書類を取り出す。
ルシアンが差し出したカードを確認し、帳簿に記入していくが、……隣の席にいた書記官の青年が小声で何かを耳打ちし、受付嬢が「あっ」と小さく声を漏らした。
「えっと、もしかして、ガルドさんもご一緒に……?」
「……ああ」
受付嬢が一拍、固まった。
Fランク相当の依頼に……?と思ったものの、ルシアンが柔和な微笑とともに首を傾げて、疑問はふき飛んだ。
「っで、では、ルシアンさんが記録補助者として、ガルドさんが調査の護衛としてご登録となります。現地にて環境記録官の指示に従ってください。
現場は市街地西端、第三農道先。九つ鐘が鳴る頃に現地集合となっております。……こちらにサインをお願いいたします」
する、と差し出された記録台紙に、ルシアンがペンを走らせる。その最中も、受付嬢の視線はかすかに泳いでいた。
「それにしても、無……い、いえ、ガルドさんがこんな調査依頼を……あっ、いえっ、すみませんっ……!」
思わず出た本音を慌てて打ち消す。
だが、ガルドは気にした風もなく、そっぽを向いたまま小さく鼻を鳴らした。
――【街歩きは早朝に】
――まだ日も昇る前、むくりと起き上がり、街着に着替える。
鏡台の前に座り、簡単に身なりを整える。窓から街を見下ろすと、まだ朝もやがかかっていた。
部屋を静かに出て、まだ眠っているであろう、向かいの扉の前に立った。
「――ガルド、お散歩してくるね」
当然、返事はない。一応声はかけた、という体裁がほしいだけだ。
静かに宿を出ると、朝の冷たい空気が肺に流れ込んだ。
ルシアンは、目覚める前の街が好きだった。
朝の慌ただしさも、昼の喧騒も、夜の賑わいもない街。静かで、けれど真夜中のような底知れぬ闇もない、ほんのひと時の眠った街。
目覚めているのは、自分と、新聞配達の少年と、パン屋の窯だけ。
――これも、ルシアンの”美しい景色”に含まれているのだろう。
背後、ごつ、ごつ、と石畳を重く踏みしめる足音がした。
振り返ったルシアンの表情に、笑みが灯る。
「ふふ、寝ててよかったのに」
その大柄な男は返事もせず、淡々と近づいてきていた。肩を揺らすように、歩幅は大きいまま、ルシアンの隣で止まる。
「……宿にいねぇと思ったら、こんな時間に」
寝起きの低い声。だが責める色はない。
ひとつあくびをして、空を見上げる。まだ白んだばかりの空に、星がわずかに残っていた。
そのまましばらく沈黙が流れる。けれど、並んだ立ち位置に、どこか自然なものがあった。
「……飯、どうすんだ」
「折角だから、どこかで食べていこうか」
言葉を交わしながら、歩き出す。朝の街に流れる、ぱちんと薪が弾ける音。
食堂の煙突から、煙が立ちのぼっていくのが見えた。
「……あそこのパン、昨日の夕方も売れてたな」
呟くようにそう言って、ガルドが視線を逸らす。
言い訳じみた声音だった。ルシアンに気づかれないようにとすら思っているかのような。
けれど、確かにそれは“誘い”だった。ふたりの一日は、今日もまた、静かに始まっていく。
街の食堂の窓から見えるセレスの大通りには、すでに仕事に向かう者や買い物客の姿が行き交いはじめていた。
この街の一日が本格的に動き出しているのが感じられる。
木のテーブルに並べられた朝食は、温かなスープと焼きたてのパン。香草とバターの香りが立ち上り、腹の底にやさしく沁みわたる。
「……Fランクだぁ?」
ガルドが眉を吊り上げて、ルシアンにそう返した。
頷いたルシアンが、なんでもない顔をして、ギルドカードをかつりとガルドの前に置く。
――ルシアン Age.26
支援魔術師 ランクF
「冒険者ギルドには登録したばかりなんだ。言ってなかったね」
パンをひとかけら口に運びながら、ルシアンが微笑む。
だが、テーブルの上に置かれたギルドカードを一瞥したガルドの視線は、ランクではない箇所を見ていた。
「……お前、俺より六つ年下かよ」
「おや、そうなのかい?気になるなら敬語に戻しましょうか?」
「やめろ、気持ち悪ぃ」
苦々しげに返しながらも、ガルドは目を逸らした。不機嫌というより、どこか調子を崩されたような態度だった。
ルシアンの手元では、スープの器がくるりと回される。湯気の向こうで、微笑はそのままだ。
「……Fランクで支援か。どうせ登録だけした口だろ」
ギルドカードを軽く指先で押し戻しながら、ガルドがぼやく。
カードの情報だけを見れば、経験も功績もゼロの新人――街の酒場で素人が言い張る「俺も冒険者だ」と大差ない。
だが目の前の男は、そうは見えない。仕草、視線、姿勢、どれを取っても“成り立って”いる。
着ているものも、手入れされた旅装も、どこかしら場慣れしていた。
「……んで、どうすんだ。いくら俺がAでも、お前がFランクじゃあ受ける依頼も限られる」
半ばぼやきながら、ガルドがスープをひと口啜る。香草の香りが鼻に抜けた。
その声には、焦れたような苛立ちではなく、静かな問いの色が混じっていた。
「……ガルドってAランクなのかい」
きょとん、としたようなルシアンの言葉に、ガルドが一拍置いて、同じようにギルドカードを差し出した。
黒銀のプレートに、偽造防止の魔術刻印がなされている。
――ガルド・ヴェルグリム Age.32
戦士 ランクA
実力がものをいう冒険者ギルド。S~Fからなるギルドランクにおいて、そのランクは何よりも雄弁だった。
一度カードに目を落としたルシアンが、ぱちり、と瞬きをする。
「ええと、……なぜ私の護衛を引き受けたんだい」
――【Aランク】。
それは、上位精鋭・都市級戦力となる者がほとんどのランクだった。
冒険者全体の人口から言えば、比率は一、二パーセントほど。依頼主からの信用度も高く、大規模依頼においては中核を担うことも多い。
簡単に言えば、「あの人に任せれば大丈夫」といわれるようなクラスだった。
「雇った側が言うものなんだけど、君、私の護衛なんかしていていいのかい」
その微笑は、困った顔ではなかった。目の前の男の判断を、どこか楽しそうに笑う顔。
互いに、ギルドカードをポーチにしまう。
「さあな」
ガルドは背もたれに凭れ、器を傾けながら、わずかに目を細めた。
視線はテーブルの上、もう冷めかけたパンに落ちている。
「……暇だった。って言やぁ、信じるか?」
ぼそりと呟く声には、どこかぶっきらぼうな照れが混じっていた。
だが、冗談にしては言い方が素朴すぎる。本当にそれだけだったのか、と問えば否定はしないだろうが、肯定もしないだろう。
「……お前みてぇな奴は、ほっときゃ野垂れ死にそうだ。そんなら、暇つぶしに着いてってみるかってな」
ぼそり、ともう一度。それが評価なのか、呆れなのか、自分でも分からないらしい。
パンをひとかじりする。あまり噛まずに飲み込んで、ルシアンの方を見ずに付け足した。
「――勝手にそう思った。それだけだ」
淡々とした声だった。
だがその言葉は、否定も飾りもない“本音”だった。
――ガルドには、何度も昇級の打診があった。
ガルドの持つAランクの上には、Sランクしかない。
それは、ごくわずか、数えきれるくらいの人口しかいないランク。
信用度は絶大、指名依頼が主になり、報酬も桁違い。
そして、国家や貴族も一目を置く。
裏返せば、特別監視対象となり、必然的に国や貴族とのつながりが生まれてしまう。名誉と安定を得る代わりに、煩わしい”後ろ盾”がつく――それが嫌で、Aランクに収まっていた。
にもかかわらず、なぜこんな素性の知れない男の護衛をしているのか。
ガルドの瞳が、ルシアンを見た。それに気づいて、ルシアンも視線を上げる。
先ほどの”ぼやき”を、静かに反芻する微笑。
「――暇つぶしでも、君が引き受けてくれてよかったよ。もし振られたら、私はまだ護衛を探し回っていただろうね」
そう微笑んだルシアンが、膝上のナプキンをするりと外し、簡単に畳む。
窓から通りを見やる。すっかり街も目が覚めた。今日の予定は、ない。目的地のない旅だった。
「私も少し、ランクを上げたほうがいいかな?ギルドに依頼でも探しに行こうか」
軽々とした、ちょっとそこまでお散歩に、といった声色。ガルドがやや、眉を吊り上げる。
「……勝手にしろ」
椅子を引く音とともに巨躯が立ち上がり、背の大剣の位置を軽く確かめた。
そのまま歩き出すこともせず、黙ってルシアンの隣に立つ。まるで「行くなら一緒だろうが」と言わんばかりに、当然のように。
――依頼を探す、などと言っても、ルシアンが向かうのはきっと散歩の延長。目にとまった張り紙を眺めて、どんなものかと楽しむくらいのものだろう。
だがそれでも、外に出るのなら護衛は要る。そういう立ち位置だった。
「……無理して受けんなよ。Fがやられりゃ、俺の責任になる」
口調はぶっきらぼうだが、目線はルシアンの肩越しに、外の陽光を捉えていた。
朝の雑踏が広がる街路。今日も、また何かが始まっていく。
「行くなら、さっさとしろ。……付き合ってやる」
ただその一言だけを残し、ガルドは先に店の扉へ。その背中を見送り、ルシアンも席を立った。
「うん、やっぱり、彼にしてよかった」
そう微笑んだ声は、ガルドには届かずに空気に溶けた。
セレスの冒険者ギルドも、朝の活気に包まれていた。
依頼を受ける者、夜間の依頼から帰ってきた者。新しい依頼書を掲示する職員、ギルドに依頼を出す組合員や住民。
鉄と革の匂いがその空気を包むが、ギルドホールの大扉が開いて舞い込んだ空気に、一瞬だけざわめきが鎮まった。
――無哭だ。
無哭のガルドが街にいる。
そんな視線だった。
しかし噂をする声はあれど、声をかける度胸のある者はいない。
まして、連れ立ってその後ろを歩く淡紫の男が、よりその異質さを際立てていた。
「なんだアレ……」
「ああ、どういう関係だ……仲間か?」
「ありゃ男か……どこぞのお貴族様か?」
無遠慮な視線にガルドの赤い瞳が流れれば、伏せられる数多の眼差し、けれどそれでも尽きない興味。
その只中にあって、ルシアンは変わらず、柔和な笑みを保っていた。
「無哭あいつ、誰かと組むことあんのかよ」
「仲間なんて初めて見たぞ……」
――噂をする声は多々あれど、結局そのざわめきは、一歩一歩とガルドが歩を進めるにつれて、やがて沈静化していった。
ガルドが無言で掲示板を指し示す。ルシアンがそちらへ向いたのを確認して、――正面奥、カウンターの受付嬢はこっそりと胸を撫でおろした。
「こ……こっち来るかと思ったわ……」
そんな小さな、安堵の声。ギルドホールの隅では、再び小さくざわめきが戻っていたが、それは警戒ではなく――どこか、目を奪われた者たちのざわめきだった。
淡い外套に包まれた妙に”高値”な立ち姿は、やはりどうしてもギルドの喧騒から浮いてしまう。それでも何一つ動じることのないルシアンは、まるで露店の品物でも眺めるかのように掲示板を見上げている。同じように、その後ろからガルドも覗き込む。
初めから決まっていたかのような立ち位置。無言で守るごく自然な動きに、――周囲も、おし黙った。
――《調査・記録補助》
【依頼内容】
最近、街外れにて地形変化とともに突如湧出した自然水源を確認。一部で植物の異常成長や、微弱な魔力濃度上昇が報告されている。本依頼では、現地に赴き以下の記録・観測支援を実施してもらいたい。
・水質の簡易記録(備品貸出あり)
・周辺の温度・湿度・魔力の変化測定(※魔力感知可能な者優遇)
・成長植物の記録・採取補助
【目的地】
街西端・第三農道先の旧雑木林跡地(仮称:西の泉)
【報酬】
銀貨三十枚(記録精度により変動)
【特記事項】
・調査地は市街地から徒歩半刻程度の低地林。
・調査は日中のみ実施。宿泊を伴わない単発依頼。
・魔力干渉に敏感な職種(魔術師・治療師等)は、現象の記録に重要。魔力感知が可能な支援職の参加を歓迎する。
【備考】
・環境記録官一名(主導)
・助手一名(移動・運搬補助)
※本依頼において冒険者は「補助者」として記録官の護衛と現場支援を行う
「お前こういうの得意そうだな」
ガルドが指さした依頼書を見て、ルシアンは笑みを深めた。――調査、観測、記録、魔力測定。確かに得意ではある。
が、それよりも、数多く並べられた依頼書の中から、これを選別し、静かに示してくる護衛。
「ふふ、頼もしいね」
肩越しに満足げな笑みを向けたルシアンは、その依頼書を引き抜き、受付カウンターへと歩を進めた。
カウンターでは、先ほどの受付嬢が既に立ち直り、微笑を作っていた。
だが、その手元はややぎこちない。緊張が抜けきっていないのだろう。
「おっ、おはようございます、冒険者ギルドセレス支部です」
「おはようございます、こちらをお願いします」
「っはい、承ります。えっと、こちら……“西の泉”調査……ギルドカードのご提示をお願いします」
依頼書を引き寄せた受付嬢が、ぺらぺらと確認用の書類を取り出す。
ルシアンが差し出したカードを確認し、帳簿に記入していくが、……隣の席にいた書記官の青年が小声で何かを耳打ちし、受付嬢が「あっ」と小さく声を漏らした。
「えっと、もしかして、ガルドさんもご一緒に……?」
「……ああ」
受付嬢が一拍、固まった。
Fランク相当の依頼に……?と思ったものの、ルシアンが柔和な微笑とともに首を傾げて、疑問はふき飛んだ。
「っで、では、ルシアンさんが記録補助者として、ガルドさんが調査の護衛としてご登録となります。現地にて環境記録官の指示に従ってください。
現場は市街地西端、第三農道先。九つ鐘が鳴る頃に現地集合となっております。……こちらにサインをお願いいたします」
する、と差し出された記録台紙に、ルシアンがペンを走らせる。その最中も、受付嬢の視線はかすかに泳いでいた。
「それにしても、無……い、いえ、ガルドさんがこんな調査依頼を……あっ、いえっ、すみませんっ……!」
思わず出た本音を慌てて打ち消す。
だが、ガルドは気にした風もなく、そっぽを向いたまま小さく鼻を鳴らした。
――【街歩きは早朝に】
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