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星花の盆地
【魔術師の弱点】
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花と光源の海の中、ルシアンの瞳がぐるりと辺りを見回した。
ただ見ているだけではない、どこか魔力の流れを読むかのような視線。
気づいて、ガルドも同じように周囲を見回す。
こちらは魔力など読めない、野性の勘と経験則だ。
崩落に巻き込まれ、行方不明の子ども。
おおよそ二十メートルにも及ぶ、地上からの高さ。その崩落に巻き込まれたにもかかわらず生命反応があるということは、崩落の中央付近で巻き込まれたのではなく、壁際か。
やがて地底から少し上の岩肌に、光の届かない暗闇を見つけた。
見落としそうな、小さな、亀裂。
「ガルド、あそこ」
ルシアンの声に頷きを返して、すぐさまガルドが岩肌の突起に足をかけ、登る。
地底から五メートルほどにある、ほんの少しの足場と、狭い亀裂。そして、奥の方で、気を失っている子ども。
――ガルドの巨躯では入れなかった。
段差を一気に飛び降りてきて、ルシアンのもとへ戻る。
「いた。亀裂の奥にガキ。俺は入れねぇ」
「そう……私なら入れそうかい?」
「ああ」
言うや否や、がし、とガルドが、肩にルシアンを抱えた。
「――わっ、ぁ!」
びくり、と細い身体が跳ねる。
それを落とさないようにしっかりと腰を抱えて、またもガルドは岩肌を蹴り、登る。
「……暴れんな、落ちる」
低く抑えた声の中に、どこかにじむ焦燥。
それでも腕の力は寸分の狂いなく、ルシアンの身体を確実に支えていた。
岩肌に当たる足音。光源となっていた光の玉は、役目を終えてひとつ、またひとつと消えていく。
崩れた礫がぱらぱらと落ちるたび、眼下の地底湖がきらりと光を反射する。その銀青の光が、ふたりの影を、岩壁に長く伸ばしていた。
やがて、その小さな亀裂の前へたどり着けば、ガルドはルシアンの身体を支えたまま、小さく声を落とした。
「……おい、どうだ、這ってなら行けそうか」
「ん……うん、大丈夫……」
首だけで振り返ったルシアンが、亀裂を見て軽く頷く。
それを確認して、ガルドは腕を緩めた。
「ぅし……気ィつけろ」
それだけを言って、慎重に下ろす。
目は逸らさない。出口を守るように、わずかな足場、そこに膝をついた。
地に足をついたルシアンはそのままぺたりと身を低くし――、しばらくして、亀裂へと潜っていく。
亀裂の奥へ光源の玉を置き、慎重すぎるほどにゆっくりと、その手が奥深くへと伸びていった。
ほどなくして、ルシアンが子どもを抱え込んで亀裂から出てくる。
ガルドが受け取る。遥か地上で、採掘団の団員たちの歓声が聞こえた。
「……衰弱して、気を失っているみたいだね。怪我はしてたけど、治しておいたよ」
亀裂から半分身を乗り出したまま、ルシアンがガルドに抱えられた子どもの額を撫でた。
「私は少ししてから行く。自力で上がれるから、先に上に連れて行ってあげて」
――ぴくり、と、ガルドが険しい顔をした。
「……なんだ、どっか怪我したのか」
怪我か、魔力を消費しすぎたか。だが顔色はどこも悪くはない。
「大丈夫だよ、すぐ行くから」
「……そっかよ」
短く鼻を鳴らすと、ガルドは子どもを腕に抱えたまま、一度だけルシアンを見下ろした。
その銀の瞳に、ほんのわずかでも陰が差していないか、確かめるように。
だが、そこにあったのは、いつもの柔和な笑み。
光源の玉に照らされた頬が、ふわりと揺れる。
「……絶対、あとから来い」
低く、ひとつ念を押してから岩肌を蹴る。子どもを胸に庇いながら、花の海へと飛び降りる。
音もなく着地し、そのまま上層へ延びるロープのほうへ。
星花が、道を照らす。
魔獣の気配は、もうなかった。
地上の崖際からは、歓喜にも似た声が上がっていた。
崖に手をかけたガルドがその姿を現した瞬間、毛布や担架を持った数人が駆け寄る。
「ガルドさん!」
「ああ、生きてる!!」
「よかった、無事だ!」
声が重なり、手が伸びる。
力の抜けた子どもが引き渡され、野外の救護テントへと連れていかれる。
そちらを一瞥だけして、ガルドは再び背後を振り返った。
――来ると言った。ならば、待つ。
苦々しく地底を見下ろしながら、ガルドは静かに立っていた。
ひとつ、またひとつ、光の玉が消えていく。
静かになった地底の裂け目に、また暗闇が戻ってくる。
その中で、亀裂に片膝をかけたままのルシアンが、ゆっくりと天井を仰いでいた。
腹に手を当て、しばしの呼吸。やがて、細い手が岩肌を掴んだ。
地底へと再び降り、ロープのほうへ。
グラスホッグの残骸の中を、静かに歩く。
遥か上方、こちらを見下ろす大きな影と、――恐らく目が合った。
頷き、ロープに手をかける。
あんなにも離れた場所にいて、なのにすぐ後ろで見守られているかのようであった。
ルシアンは脚に力を込め、静かに己の体を引き上げていった。
ロープを登りきり、崖の上部に手をかけると、がしりと掴まれた腕ごと強い力で引き上げられた。
赤い瞳が顔をしかめ、心配そうにこちらを見ている。視線が上から下へ這う。本当に怪我はないのか、そういう目だった。
魔力を使いすぎたようには見えない。怪我をしている様子もない。
ではなぜあそこで休むと言ったのか。
――ガルドの視線が、細くなる。
その後ろでは、子どもの家族や団員たちが、慌ただしく状況の報告や手当、連絡を行っていた。
「ありがとうございました!本当に、ありがとう!!」
「誰も命を落とさずに済みました!!」
父親らしき男と団員が駆け寄ってきて、ふたりに頭を下げる。
しかし興味もなさげに、ああ、とぶっきらぼうに手を挙げ、ガルドはルシアンを引き連れて、帰りの馬車へ押し込んだ。
自分も馬車の踏み台に足をかけながら、一度だけ振り返り。
「礼はいい。……さっさと休ませてやれ」
そう吐き捨てて、馬車の扉を閉める。
馬車の窓の向こう、再度頭を下げる人々。
柔和な笑みを返したルシアンを、じろりと睨む赤眼。
扉の向こう、馬のいななきと車輪の音が聞こえる中、馬車内に再び、ふたりきりの静寂が戻っていた。
ルシアンは座席に身を預け、窓の外を見ていた。
先ほどまでの、あの地底の光景。花の海と、差し込む銀青の光。
そして、子どものかすかな呼吸。
「いいものが見れたよ」
何を、とは言わない。あの場所で見たものは、総じて見る価値があった。ただそれだけの、シンプルな感想。
ガルドは腕を組んで正面に座り、しばらく無言だった。だが、鋭い眼差しはいまだ静かに、ルシアンを見ていた。
「…………さっき、」
ようやく落ちた声は、掠れていた。
「なんで、“あとから行く”っつった」
――真正面からの問い。
語気は抑えている。だが明らかに、怒っていた。
心配のこもった、怒り。
ルシアンの足元には、光源の玉がまだひとつだけ、ぽつんと浮いている。
それがふわりと揺れて、沈黙を照らしていた。
ふ、と、いつもの微笑みを作ったものの――目の前の護衛は騙されてはくれなかった。
尋問ではない。だが怒りと、そして心配からくる質問だったからこそ、誤魔化しようがない。
一つ大きく息をして、ルシアンが正面から、ガルドの赤い瞳を見やる。
「――君、今まで魔術師の仲間は?」
「……ああ?……組んだことはあるが、……短期間だ」
「では、君自身は魔法を使える?」
「……ねえよ。何が言いたい」
的を得ないルシアンの言葉に、けれど語気を抑えて、ガルドが答える。
その返答に、ルシアンが、どこか納得した表情を見せた。
「なるほど。……あのね、君ね、魔術師の腰は掴んじゃいけない」
「……あ゛ぁ?」
「いいかい、仙骨周辺に魔力溜まりがあってね――」
言いながら、ルシアンの細い指が、そのへその下あたりを指さした。
これは、――見てもいいのかと、一瞬だけガルドが逡巡する。
「――下腹部奥、骨盤の中に、魔力核がある。魔術師はこの二点を軸として、全身に魔力を巡らせる。つまり腹部や骨盤周りへの外部からの圧迫・衝撃は、魔力放出の妨害になる。特に――」
無意識に、ガルドの喉が上下した。唖然だ。
加えて妙に、とんでもないことを聞かされているような気すら、してくる。
「私は、魔力を高精度に制御する訓練を受けてきたから、振動や気配も繊細に捉えられる。だからこそ、さっきみたいにちょっとでも腰回りを強く握られると魔力も思考も乱れる。わかるかい?」
「…………」
――ガルド、絶句である。
一つの単語が……頭の中をぐるぐると回るが、果たしてそれを口にしていいものか。
今度はこちらの思考が乱れるようだった。
黙ったままの護衛に、ルシアンが小さく首を傾げる。
「あれ、わからない?……まぁ、魔術師にとっては構造上鋭敏な、――性感帯のようなものだよ。さっきは動けなかった」
――ガルド、ドンピシャの回答を出されて、再び絶句した。
「だから、魔術師の腰は掴んじゃいけないよ。……言うのが遅れてごめんね、ガルド」
ドカッ。
瞬間、ガルドは勢いよく背もたれに沈み込んだ。
重力ではなく、情報の衝撃で。
「……っは、あ?」
赤い瞳が、混乱と羞恥と後悔のすべてを含んだまま、宙を泳ぐ。
言葉にならない。――いや、言葉にしてはならない。
“魔力が乱れる”
“動けなかった”
“性感帯のような”
――全部、あの抱え上げたときの話だ。自分の肩で、腕の中で、確かにあったあの震え。
びくりとした揺れ。呼吸の乱れ。思い返すほど、汗が噴き出す。
「お、おまっ……っざけ……っ」
拳を握りしめて、言葉を止める。
こんな話を、魔術師本人の口からされてどうしろというのか。本当に、どうしろと――。
「……てめぇな……っ……ふざけんなよ……」
「……うん、ごめんね」
「ごめんじゃ……いや……」
低く、喉の奥から搾り出すように呻く。この場合、”ごめん”はこっちなのか、と。
顔が熱い。腹も熱い。脳まで火照っている気がする。
「……くっそ……っ」
魔術師が、そっと微笑む。
――怒っているでも、呆れているでもない。いつもの微笑み。
ただ、その笑みだけが、ガルドの混乱にさらに拍車をかけていた。
馬車が街へ着き、そろって冒険者ギルドへ歩きながら――
(――待てよ)
ガルドが、ぴたりと動きを止めた。
思い起こされるのは、昨夜のこと。
大衆酒場に行きたいと言ったルシアンの望み通り、酒場で夕食を取っていた。
そこでガルドが少し席を外した際に、酔客に絡まれたルシアンが、あろうことか腰と背中をその男に撫でられていた。
今も思い出しても腹が煮えるようだが、ルシアンが事を荒立てたくなかったこともあり、静かに酔客を牽制、そのまま食事、酒を飲み、宿へ。
そして宿に帰ったルシアンが、自室に入る直前、ガルドに背中を向けた。
『背中から腰に掛けてさすってほしい。気持ち悪くてね』
あの時自分は、『ああ、そりゃそうだろうな』という軽い気持ちでさすったが、あの時、一瞬、微かに肩が揺れていなかったか。
前を歩いていたルシアンが、立ち止まったガルドに気づいて振り返った。
いつもの表情で小首をかしげている。
「どうしたんだい。何かあった?」
「……い、や、……いや、後でいい……ギルド行くぞ」
……ちょっと、わが身の――いや心の安寧のためにも、後ほど境界線のようなものを確認せねば、と。
眩暈のする思いで、ガルドは決意した。
夕暮れの中、冒険者ギルドの大扉を、引く。
「ッ……お帰りなさいませ!」
ギルドホールに足を踏み入れた瞬間、職員の声が響いた。
視線が一斉にふたりに注がれるが、ルシアンの柔らかな微笑ひとつで、場がふわりと和らぐ。
そしてその隣、どこか仏頂面の護衛が、無言のまま中へと進む――が、その眉間には、いつも以上に深い皺。
魔獣との戦闘よりも険しい顔をしているのは、……誰の目にも明らかだった。
「ご、無事で……!救助対象者は……!?」
「無事発見、衰弱しておりましたが、救護班に引き渡し済みです」
「そうですか……!」
報告のやり取りをするルシアンと職員を、ガルドは横目で見ていた。
いつもの調子で、柔和に場をこなす魔術師。報告書に記入する所作も、所見をまとめたメモを渡す仕草も、いつも通り。
だが今となってはその仕草の一つ一つに、余計な情報が付随する。
――「腰はダメ」?
――「性感帯」?
――「動けなかった」?
一つ一つのワードが脳裏に並び立ち、さすがの“無哭”も視線が定まらない。
「ガルドさん……?何か、ありましたか?」
心配そうに声をかける職員に、無言で首を横に振りながら、……ガルドはこの世のすべてから逃げ出したい気分で、一歩だけ身を引くのだった。
――【魔術師の弱点】
ただ見ているだけではない、どこか魔力の流れを読むかのような視線。
気づいて、ガルドも同じように周囲を見回す。
こちらは魔力など読めない、野性の勘と経験則だ。
崩落に巻き込まれ、行方不明の子ども。
おおよそ二十メートルにも及ぶ、地上からの高さ。その崩落に巻き込まれたにもかかわらず生命反応があるということは、崩落の中央付近で巻き込まれたのではなく、壁際か。
やがて地底から少し上の岩肌に、光の届かない暗闇を見つけた。
見落としそうな、小さな、亀裂。
「ガルド、あそこ」
ルシアンの声に頷きを返して、すぐさまガルドが岩肌の突起に足をかけ、登る。
地底から五メートルほどにある、ほんの少しの足場と、狭い亀裂。そして、奥の方で、気を失っている子ども。
――ガルドの巨躯では入れなかった。
段差を一気に飛び降りてきて、ルシアンのもとへ戻る。
「いた。亀裂の奥にガキ。俺は入れねぇ」
「そう……私なら入れそうかい?」
「ああ」
言うや否や、がし、とガルドが、肩にルシアンを抱えた。
「――わっ、ぁ!」
びくり、と細い身体が跳ねる。
それを落とさないようにしっかりと腰を抱えて、またもガルドは岩肌を蹴り、登る。
「……暴れんな、落ちる」
低く抑えた声の中に、どこかにじむ焦燥。
それでも腕の力は寸分の狂いなく、ルシアンの身体を確実に支えていた。
岩肌に当たる足音。光源となっていた光の玉は、役目を終えてひとつ、またひとつと消えていく。
崩れた礫がぱらぱらと落ちるたび、眼下の地底湖がきらりと光を反射する。その銀青の光が、ふたりの影を、岩壁に長く伸ばしていた。
やがて、その小さな亀裂の前へたどり着けば、ガルドはルシアンの身体を支えたまま、小さく声を落とした。
「……おい、どうだ、這ってなら行けそうか」
「ん……うん、大丈夫……」
首だけで振り返ったルシアンが、亀裂を見て軽く頷く。
それを確認して、ガルドは腕を緩めた。
「ぅし……気ィつけろ」
それだけを言って、慎重に下ろす。
目は逸らさない。出口を守るように、わずかな足場、そこに膝をついた。
地に足をついたルシアンはそのままぺたりと身を低くし――、しばらくして、亀裂へと潜っていく。
亀裂の奥へ光源の玉を置き、慎重すぎるほどにゆっくりと、その手が奥深くへと伸びていった。
ほどなくして、ルシアンが子どもを抱え込んで亀裂から出てくる。
ガルドが受け取る。遥か地上で、採掘団の団員たちの歓声が聞こえた。
「……衰弱して、気を失っているみたいだね。怪我はしてたけど、治しておいたよ」
亀裂から半分身を乗り出したまま、ルシアンがガルドに抱えられた子どもの額を撫でた。
「私は少ししてから行く。自力で上がれるから、先に上に連れて行ってあげて」
――ぴくり、と、ガルドが険しい顔をした。
「……なんだ、どっか怪我したのか」
怪我か、魔力を消費しすぎたか。だが顔色はどこも悪くはない。
「大丈夫だよ、すぐ行くから」
「……そっかよ」
短く鼻を鳴らすと、ガルドは子どもを腕に抱えたまま、一度だけルシアンを見下ろした。
その銀の瞳に、ほんのわずかでも陰が差していないか、確かめるように。
だが、そこにあったのは、いつもの柔和な笑み。
光源の玉に照らされた頬が、ふわりと揺れる。
「……絶対、あとから来い」
低く、ひとつ念を押してから岩肌を蹴る。子どもを胸に庇いながら、花の海へと飛び降りる。
音もなく着地し、そのまま上層へ延びるロープのほうへ。
星花が、道を照らす。
魔獣の気配は、もうなかった。
地上の崖際からは、歓喜にも似た声が上がっていた。
崖に手をかけたガルドがその姿を現した瞬間、毛布や担架を持った数人が駆け寄る。
「ガルドさん!」
「ああ、生きてる!!」
「よかった、無事だ!」
声が重なり、手が伸びる。
力の抜けた子どもが引き渡され、野外の救護テントへと連れていかれる。
そちらを一瞥だけして、ガルドは再び背後を振り返った。
――来ると言った。ならば、待つ。
苦々しく地底を見下ろしながら、ガルドは静かに立っていた。
ひとつ、またひとつ、光の玉が消えていく。
静かになった地底の裂け目に、また暗闇が戻ってくる。
その中で、亀裂に片膝をかけたままのルシアンが、ゆっくりと天井を仰いでいた。
腹に手を当て、しばしの呼吸。やがて、細い手が岩肌を掴んだ。
地底へと再び降り、ロープのほうへ。
グラスホッグの残骸の中を、静かに歩く。
遥か上方、こちらを見下ろす大きな影と、――恐らく目が合った。
頷き、ロープに手をかける。
あんなにも離れた場所にいて、なのにすぐ後ろで見守られているかのようであった。
ルシアンは脚に力を込め、静かに己の体を引き上げていった。
ロープを登りきり、崖の上部に手をかけると、がしりと掴まれた腕ごと強い力で引き上げられた。
赤い瞳が顔をしかめ、心配そうにこちらを見ている。視線が上から下へ這う。本当に怪我はないのか、そういう目だった。
魔力を使いすぎたようには見えない。怪我をしている様子もない。
ではなぜあそこで休むと言ったのか。
――ガルドの視線が、細くなる。
その後ろでは、子どもの家族や団員たちが、慌ただしく状況の報告や手当、連絡を行っていた。
「ありがとうございました!本当に、ありがとう!!」
「誰も命を落とさずに済みました!!」
父親らしき男と団員が駆け寄ってきて、ふたりに頭を下げる。
しかし興味もなさげに、ああ、とぶっきらぼうに手を挙げ、ガルドはルシアンを引き連れて、帰りの馬車へ押し込んだ。
自分も馬車の踏み台に足をかけながら、一度だけ振り返り。
「礼はいい。……さっさと休ませてやれ」
そう吐き捨てて、馬車の扉を閉める。
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柔和な笑みを返したルシアンを、じろりと睨む赤眼。
扉の向こう、馬のいななきと車輪の音が聞こえる中、馬車内に再び、ふたりきりの静寂が戻っていた。
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そして、子どものかすかな呼吸。
「いいものが見れたよ」
何を、とは言わない。あの場所で見たものは、総じて見る価値があった。ただそれだけの、シンプルな感想。
ガルドは腕を組んで正面に座り、しばらく無言だった。だが、鋭い眼差しはいまだ静かに、ルシアンを見ていた。
「…………さっき、」
ようやく落ちた声は、掠れていた。
「なんで、“あとから行く”っつった」
――真正面からの問い。
語気は抑えている。だが明らかに、怒っていた。
心配のこもった、怒り。
ルシアンの足元には、光源の玉がまだひとつだけ、ぽつんと浮いている。
それがふわりと揺れて、沈黙を照らしていた。
ふ、と、いつもの微笑みを作ったものの――目の前の護衛は騙されてはくれなかった。
尋問ではない。だが怒りと、そして心配からくる質問だったからこそ、誤魔化しようがない。
一つ大きく息をして、ルシアンが正面から、ガルドの赤い瞳を見やる。
「――君、今まで魔術師の仲間は?」
「……ああ?……組んだことはあるが、……短期間だ」
「では、君自身は魔法を使える?」
「……ねえよ。何が言いたい」
的を得ないルシアンの言葉に、けれど語気を抑えて、ガルドが答える。
その返答に、ルシアンが、どこか納得した表情を見せた。
「なるほど。……あのね、君ね、魔術師の腰は掴んじゃいけない」
「……あ゛ぁ?」
「いいかい、仙骨周辺に魔力溜まりがあってね――」
言いながら、ルシアンの細い指が、そのへその下あたりを指さした。
これは、――見てもいいのかと、一瞬だけガルドが逡巡する。
「――下腹部奥、骨盤の中に、魔力核がある。魔術師はこの二点を軸として、全身に魔力を巡らせる。つまり腹部や骨盤周りへの外部からの圧迫・衝撃は、魔力放出の妨害になる。特に――」
無意識に、ガルドの喉が上下した。唖然だ。
加えて妙に、とんでもないことを聞かされているような気すら、してくる。
「私は、魔力を高精度に制御する訓練を受けてきたから、振動や気配も繊細に捉えられる。だからこそ、さっきみたいにちょっとでも腰回りを強く握られると魔力も思考も乱れる。わかるかい?」
「…………」
――ガルド、絶句である。
一つの単語が……頭の中をぐるぐると回るが、果たしてそれを口にしていいものか。
今度はこちらの思考が乱れるようだった。
黙ったままの護衛に、ルシアンが小さく首を傾げる。
「あれ、わからない?……まぁ、魔術師にとっては構造上鋭敏な、――性感帯のようなものだよ。さっきは動けなかった」
――ガルド、ドンピシャの回答を出されて、再び絶句した。
「だから、魔術師の腰は掴んじゃいけないよ。……言うのが遅れてごめんね、ガルド」
ドカッ。
瞬間、ガルドは勢いよく背もたれに沈み込んだ。
重力ではなく、情報の衝撃で。
「……っは、あ?」
赤い瞳が、混乱と羞恥と後悔のすべてを含んだまま、宙を泳ぐ。
言葉にならない。――いや、言葉にしてはならない。
“魔力が乱れる”
“動けなかった”
“性感帯のような”
――全部、あの抱え上げたときの話だ。自分の肩で、腕の中で、確かにあったあの震え。
びくりとした揺れ。呼吸の乱れ。思い返すほど、汗が噴き出す。
「お、おまっ……っざけ……っ」
拳を握りしめて、言葉を止める。
こんな話を、魔術師本人の口からされてどうしろというのか。本当に、どうしろと――。
「……てめぇな……っ……ふざけんなよ……」
「……うん、ごめんね」
「ごめんじゃ……いや……」
低く、喉の奥から搾り出すように呻く。この場合、”ごめん”はこっちなのか、と。
顔が熱い。腹も熱い。脳まで火照っている気がする。
「……くっそ……っ」
魔術師が、そっと微笑む。
――怒っているでも、呆れているでもない。いつもの微笑み。
ただ、その笑みだけが、ガルドの混乱にさらに拍車をかけていた。
馬車が街へ着き、そろって冒険者ギルドへ歩きながら――
(――待てよ)
ガルドが、ぴたりと動きを止めた。
思い起こされるのは、昨夜のこと。
大衆酒場に行きたいと言ったルシアンの望み通り、酒場で夕食を取っていた。
そこでガルドが少し席を外した際に、酔客に絡まれたルシアンが、あろうことか腰と背中をその男に撫でられていた。
今も思い出しても腹が煮えるようだが、ルシアンが事を荒立てたくなかったこともあり、静かに酔客を牽制、そのまま食事、酒を飲み、宿へ。
そして宿に帰ったルシアンが、自室に入る直前、ガルドに背中を向けた。
『背中から腰に掛けてさすってほしい。気持ち悪くてね』
あの時自分は、『ああ、そりゃそうだろうな』という軽い気持ちでさすったが、あの時、一瞬、微かに肩が揺れていなかったか。
前を歩いていたルシアンが、立ち止まったガルドに気づいて振り返った。
いつもの表情で小首をかしげている。
「どうしたんだい。何かあった?」
「……い、や、……いや、後でいい……ギルド行くぞ」
……ちょっと、わが身の――いや心の安寧のためにも、後ほど境界線のようなものを確認せねば、と。
眩暈のする思いで、ガルドは決意した。
夕暮れの中、冒険者ギルドの大扉を、引く。
「ッ……お帰りなさいませ!」
ギルドホールに足を踏み入れた瞬間、職員の声が響いた。
視線が一斉にふたりに注がれるが、ルシアンの柔らかな微笑ひとつで、場がふわりと和らぐ。
そしてその隣、どこか仏頂面の護衛が、無言のまま中へと進む――が、その眉間には、いつも以上に深い皺。
魔獣との戦闘よりも険しい顔をしているのは、……誰の目にも明らかだった。
「ご、無事で……!救助対象者は……!?」
「無事発見、衰弱しておりましたが、救護班に引き渡し済みです」
「そうですか……!」
報告のやり取りをするルシアンと職員を、ガルドは横目で見ていた。
いつもの調子で、柔和に場をこなす魔術師。報告書に記入する所作も、所見をまとめたメモを渡す仕草も、いつも通り。
だが今となってはその仕草の一つ一つに、余計な情報が付随する。
――「腰はダメ」?
――「性感帯」?
――「動けなかった」?
一つ一つのワードが脳裏に並び立ち、さすがの“無哭”も視線が定まらない。
「ガルドさん……?何か、ありましたか?」
心配そうに声をかける職員に、無言で首を横に振りながら、……ガルドはこの世のすべてから逃げ出したい気分で、一歩だけ身を引くのだった。
――【魔術師の弱点】
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ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
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