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勇者様、お戻りです
【今日から主人が不在です】
「やっぱりいかないッッ!!!」
勇者邸の玄関では、高く造られた採光窓から、朝の陽射しが差し込んでいた。
その光に照らされた勇者の髪は、白金色にきらきらと輝いており……現在、駄々をこねながらジノに抱きついている最中である。
「おっまえ、は!!文句言わねぇで行け!!」
「いいや!王命よりもジノが大事だよ!?」
「ンなことあってたまるか!!」
騒ぎの周囲には、……セノールたち。
出立時間も迫っているというのに、一向にジノから離れる気配のないリックに――呆れるでも、困るでも、苦笑するでもなく、どこか生暖かい目を向けていた。
ジノ以外、誰一人としてリックの背をせっつかないのは、”勇者”が任務を放棄する人間ではないと、皆理解しているため。
もちろん”勇者”の情報のついて詳しいジノも、その人となりはきちんと把握しているが……、今この男を甘やかしたら、つけあがるどころか密室に連れ去られかねない。
それだけは、回避せねばならない。
「城で!兵士だかなんだか!待ってんじゃねぇのか!」
「そうだけどォー!?でもジノが寂しさで泣いてしまうほうが無理だよ私は!!」
「誰が泣くか!!」
使用人の前で、邸の主たるリックに暴言……もとい、ちょっと激しめの文句は言うまいと、気を使っていた昨日が懐かしい。
せめてもう少し、猫被らせてほしかった……!
「……リック様」
ぎゅうぅ、とジノを抱きすくめるリックに、そんな穏やかな声をかけたのはセノールだった。
半ば涙目の主を見て、目じりのしわを柔らかく深める。
「なんだい、セノール……」
「いえ……会えない時間にこそ育つ愛もありましょうな……」
「…………」
玄関に、――静寂。
微笑むアキア。頷くミルヴァ。小さく肩をすくめて笑うドマ。
エンは御者の格好をして時間を気にしており、――ジノは愕然としていた。……そんな、まるで育つ”愛”がここにあるような言い方……!と。
「……なっ……なん、」
「……ジノ……♡」
…………うっとりとした目で……勇者がこちらを見ている……。
誤解ですと言いたいものの、……鎮静化した騒ぎを再燃させたくは、……ない。
「くっ――、行ってこい、リック……!」
「……うんッッ!!♡」
鼻をすん、と啜って、リックは一歩、ジノから身を離した。
その目にはまだうっすらと涙が浮かんでいるが、表情はもう晴れ晴れしい。
「ジノ、私を想って、待っててね!!♡」
「うるせぇ!!」
「ひゃああ♡」
邸の主人としての威厳などさらさらない声を上げて、リックが玄関へと駆けていく。きらり、髪が陽の光にきらめいて、玄関ホールを振り返った。
「それじゃ、行ってくるね!」
「――いってらっしゃいませ――」
使用人たちの声が、そろって響く。ジノは少々居心地悪そうにしていたが、片手が少しだけ上がっていた。
エンが静かにドアを開け、まばゆい朝の光の中へ、勇者の背が押し出される。
そしてそのまま、扉の向こう側で――勇者は、くるりと半回転して叫んだ。
「ジノ~~~!!」
「っ!?なんだよ!?」
「愛してるよ~~~~~!!♡♡」
どごっ!!!
見事、ジノの投げた靴が、扉が閉まる直前にリックの顔面を捉えた。
「……お見事です、ジノ様」
「恥ってもんがねぇのかあいつは……!!」
セノールがどこか誇らしげに頷き、ドマがわははと豪快に笑う。
ミルヴァが無言で靴を拾い、ジノの足元に戻しながら「投擲用をご用意しましょうか」とぼそり。
アキアは、扉の向こうへ去っていった勇者の背に、小さく手を振っていた。
騒々しくて、眩しくて、うるさくて――それでも少しだけ、空気が、静かになった。
ジノの周囲に、使用人たちの気配がほどよく残る中。
邸は、今日から――“勇者不在の生活”を迎えるのだった。
* * * * *
(――とはいったものの……)
玄関そばの窓越しに、遠ざかっていく馬車を、ジノはぼうっと眺めていた。
まさか、ケッコ……ン、いや、連行されて三日目で、こう……自由時間?を得るとは思ってもみなかった。
使用人たちは、それぞれに持ち場へ戻っていく。皆が穏やかで、柔らかで、ジノを見張ろうだとか、そういった様子はみられない。
「……俺……罪人なんだけど……?」
「……元、でございますね」
びゃっ。
真後ろで声がして、ジノの肩が跳ねる。掃除道具を手にしたミルヴァが、音もなく仕事をしていた。
……って、いうか、今、”罪人”のくだり聞かれた……!?
「あっ、いや、……あのっ、ミルヴァ!」
「はい」
アキアと同じ眼差しが、アキアよりも冷静な温度でジノを向く。なのに”冷たさ”を感じないのは、きっと眼差しに、真心がこもっているからだ。
「……ええと、俺……」
「…………」
くい、と不思議そうに首を傾げる仕草があって、ミルヴァの亜麻色の髪がゆらりと揺れた。ジノの様子を見て、瞬きを数度。……そののちに、小さく口元を緩める。
「奥様の”前職”については、皆存じております」
「えっ……ええ……?」
「その上で、”奥様”、とお呼びしておりますよ」
(……それは……なんというか……)
――随分と、自分に都合のいい話だな、と、ジノが思う。
勇者のことを調べ上げ、なりすまし、日銭を稼ぎ……。そんな自分が――勇者本人に求められたからといって、急に”奥様”の地位だ。……いや、”奥様”はいまだに意味が分からないが……。
ジノが改めてミルヴァに視線を向ければ、もうよろしいですか?というような表情で、にわかに掃除を再開している。
元詐欺師――などということが、まったく大したことではない様子。
だからと言って、見張りはいらないのか、という疑問が解消されたわけではないが……。
「……ありがとな、ミルヴァ」
「はい……?……お役に立てましたなら……?」
いやそこはニブいんかい、とジノの眉がわずかに下がる。
肩の力と、いつの間にか詰めていた息も、抜ける。
「……俺もなんか手伝うよ。仕事ある?」
「ございません」
ぴしゃり、と悪意ゼロの純粋な答えが返ってきて、ジノはひっくり返りそうになった。
え、ないってことある――!?と一瞬だけ狼狽するが、……ミルヴァは、本当に頼むようなことはない、という顔をしている。
「……お、おう、わかった……」
「ああ、奥様」
踵を返しかけたジノに、ミルヴァからそんな声がかかって――ジノが肩越しに振り返った。ミルヴァは……緩く、微笑むような顔。
「我々使用人への敬語、なくなったようで何よりです」
「…………おう……」
ミルヴァが再び静かに掃き掃除へ戻る。
リズムよく、控えめな音を立てながら、まるでいつも通りの朝の風景だとでも言うように。
ジノはぽり、と頬をかいた。
なんだろう、この……マナーの先生に……褒められたような心地は……と。照れたような、嬉しいような、こそばゆい気持ち。
ひとつ深く息を吐いて、玄関ホールから離れるように歩き出す。――返す言葉は、思いつかなかった。
――【今日から主人が不在です】
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