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勇者様、お戻りです
【お手紙は、封印です】
「…………」
――それは、出来心だった。
柔らかな午前の日が差し込む、図書室。先ほど、あの”呪いの手紙”の文中にあった、”■■■”の部分。
ジノが、もう一度手紙を手に取り、再度目をやる。”間違えちゃった!”などといったふざけた注釈付きで、ペンでささっと塗りつぶされた跡。
窓からの光にかざす。……見えない。
紙面をわずかに傾ければ、紙に残った筆致の凹凸で、”バ……ル”――
「バル……、バル=グ……?」
……恐らく途中で消したのだろう、魔獣の名前らしき痕跡が、ちらりと垣間見えた。
いや書き損じは書き直せよ、と手紙をたたむ。
「……バル=グ……」
――いや別に、心配だとかそういうのではない……。これは、そう、情報収集だ……。手紙を机の上に放り出し、立ち上がる。
そう、そうそう、相手の魔獣が強ければ強いほど、リックは帰りが遅くなるから、と、ジノが一人で頷く。
”キスは帰ってから”の一文が、それに発破をかける。幸いにして、ここは図書室。魔獣図鑑の一つや二つ、ありそうだ。
ゆるりと、書架の間を巡る。種族生態学、戦技論集、戦法解説書……。
鍛造技術書、魔力生物研究書、風土記、街道情報誌。
冒険譚、怪談集、伝承魔獣形態。
――お、とジノが足を止める。魔獣形態、魔獣大全、自然界における食物連鎖……恐らくこのあたりか。
手あたり次第、ぱらぱらとめくっていく。とはいえきっと、”バル=グ”ではなく、あのあとにも数文字続くはず。だが……。
「……まぁ、ねぇか」
当該魔獣は、手元の数冊の蔵書には載っていなかった。
コンコン、と開かれた図書室の扉をノックする音がして、ジノがそちらに顔を向ければ、小さなトレイを持ったミルヴァが顔を覗かせている。
「お、ミルヴァ」
「失礼いたします。お手紙、お読みになりましたでしょうか」
本を書架に戻しながら、ジノが頬を引きつらせて頷いた。ええ、読みましたとも。今日の体力はもうほぼ底をつきました、と、机のほうに向きなおる。
「ああ……すげぇの来てたぞ……」
「差し支えなければ、お返事を書いて差し上げてくださいませ」
きょと、とジノの瞳が、ミルヴァを見る。ははぁ……そうか、普通……手紙とはやり取りをするものだ……。見れば、ミルヴァが手に持ったトレイには、封筒と便箋が乗っていた。
「……。まぁ、戦地だしな……」
「ええ、戦地ですので」
コト、と書き物机に、トレイが置かれる。小さなインク瓶と、羽ペンも揃っている。
ジノも椅子に掛け、それらに手をかけ――……、いや……なに書けってんだ……?と眉をひそめた。
さっきのあの、もう、いろいろと溢れそうな手紙にふさわしい情熱は、残念ながら持ち合わせていない。けれどもあのリックのことだ。”元気だ。”だけを送ったとしても、笑顔で大騒ぎしそうな想像が容易にできる。
「…………」
……ジノ、しばしの困惑の後、ひたりと紙にペンを走らせる。
――リックへ
うるせぇ。早く帰れ。
ジノ――
「…………」
書いてから、……いや、さすがにこれは……とミルヴァを見上げれば、横合いから覗き込んでいたミルヴァが満足げに一つ、頷いた。
「よろしいかと」
「えっ……こ、こんなんで……!?」
思わず口に出してしまえば、ミルヴァは静かに、しかしどこか楽しげに言葉を重ねた。
「奥様のお気持ちは、きっと伝わりますよ」
その声音はまるで、“愛してる”と書くより効く、と言っているようで。いや、いやいや違いますよミルヴァさん、そういった意図はまったくもって、……という重い思いをこめてジノが首を振るが、ミルヴァからはもう一つ、こくり、と返ってきただけ。
だからジノは、またもや、うっすらと頭を抱えた。
丁寧すぎるほどに丁寧に手紙を整え、トレイを手に持ったミルヴァは、これまた丁寧に一礼をしてから、扉へと向かっていく。
「では、確かにお預かりいたしました」
「…………ハイ……」
ぱたりと閉じた扉の先、廊下を去っていく足音が小さく遠ざかる。
図書室の静けさが戻るころ、ジノは机に突っ伏し――
「……ってか”早く帰れ”って書いたな、俺……」
ぼそりと呟きながら、もう顔を上げられなかった。
頬が、少し熱いのが何のせいかは、もう、考えないことにした。
夜、風呂を終えてリックの私室に戻り、ジノは柔らかな革張りのソファに腰かけた。
ローテーブルの上にある例の”呪いの手紙”は、――正直なところ後生大事に持っていたくはないが、……まぁ捨てるわけにもいかない。
きょろ、と室内を見回すが……そういえばここはリックの部屋で、ジノ専用の机やら引き出しやらがあるわけでもない。
「……うーん……」
しばし視線を彷徨わせたのちに、本棚の中ほどに設えられた小さな引き出しに目をやる。
ソファから立ち上がり引き出しを開けてみれば、当然のように空。勇者は本を読まないし、ちょうどいいか、とそこに手紙を封印した。多分もう読まない。
寝室に行こうか、と肩の向きを変えかけて、ふと、本棚の中に蔵書とは違う、紙製のファイルを見つけた。
首を傾げながらも、引き抜く。表紙には、”特例魔獣記録調査書:未分類”とある。
「お、……おお……」
ジノが、やや顎を引く。
こう、よくわからないが、……こういうのって、こんな本棚にボサッと入ってていいのか……?と。
ファイルを開いて、目の端でちょっと見てみる。中身としては、調査が進んでおらず図鑑に掲載できない魔獣種の調査書で、数枚の紙が挟まっているだけだった。
しかし、その中に、あった。
――【個体識別名】
空裂きのバル=グラム
「……バル=グラム……これか」
呟き、本棚に、肩を預ける。
――翼長22.1m。金属質外骨格構造――。
飛行中、周期的に音波衝撃を放出。空中での方向転換機動に異常な精度。
観察者の動きに応じた行動変化あり(中等知性体と推定)。
撃退。有翼斥候での誘導……死亡。撃退。前衛全滅撤退――。
暫定警戒等級:S-(個体数不明のため)……。
――ジノ、ドン引きである。
事細かに記されている、初出報告や生態記録、干渉症状などなど――。
そういった数ある情報の中から、非常に乱暴な解釈をしてしまえば、デカく賢く、なおかつ精神攻撃を仕掛けてくる、空飛ぶ金属製の魔獣だ。そんなもの、生まれてこの方見たこともない。
「……勇者案件えぐいな……」
ファイルを閉じ、そっと本棚に戻す。
こんなものがこんな場所にあってもいいのかわからないが、……まぁ、戻す。寝室へ向かう。
だだっ広いベッドは、今日もジノ一人で、窓からは月明かりが差していた。
ベッドに横になれば、ひやりと冷たい。
『ジノが隣にいないと、なんだか寒くて……』
「…………」
呪いの手紙の一文を思い出し、布団を頭まで被る。
……そりゃあ、人間は恒温動物であるからして、ほぼ一定の体温を保っているから、他の個体が近くにいなければ寒いと感じるのは至極当然のことだろう、と……頭は回る。寒いなぁと思ったことへの言い訳では、ナイ、……断じて。
「…………チッ」
ジノが、舌打ちを、一つ。”うるせぇ、早く帰れ”はちょっと冷たかったかな、と、思ってしまう。
だって、そんな魔獣と戦っているなんて思ってもみなかった。
まだ、三日目。
……一日って長いんだな、とぼんやりと考えながら、ジノは目をつぶった。
月明かりが窓枠を縁取り、静かに床を照らしている。
その中で、ベッドに包まれたジノの輪郭が、静かに呼吸に合わせて上下する。
本棚に封印した“呪いの手紙”は、もう読まない――……はずだったのに、文字が脳裏に勝手に浮かんでくるのだから始末に負えない。詐欺師として重宝した記憶力が、不本意な形で発揮されてしまっている。
“ジノが隣にいないと寒くて”
“私の心はいつでも君の傍にいるよ”
“君だけのリックより♡”
「…………」
まぶたを閉じたまま、拳を布団の中でぎゅっと握る。
眠いわけじゃない。けれど目をつぶったのは、見たくなかったからだ。
月の色も、空の透明さも、あいつが見てるかもしれないと思うと、妙に腹が立つ。
こんな夜の寒さまで、あいつと共有しているような気がするのが、なお腹立たしい。
(……うるせぇ、早く帰れ)
それは本心だ。間違いない。布団の奥で、ひとつだけ深い息を吐く。
鼓膜の内側で、勇者のあの馬鹿みたいな笑い声が、遠くに響いた気がした。
……ジノの眠りは、今夜も浅そうだった。
――【お手紙は、封印です】
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