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第二十九話 荒地の死火山
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翌朝、私は客間のベッドで目を覚ました。頭が重い。起き上がり、ドレッサーを覗き込むと、鏡には金魚のように瞼を腫らした、酷い顔が映っている。
昨夕は、さんざん泣いて、泣いて……戦地から戻ったばかりのアロイス様に、迷惑を掛けてしまった。だけど、それと同時に、彼から優しく包み込まれるように抱き締められた感覚も、同時に思い出し、顔が熱くなる。
いや……勘違いをしてはいけない。彼はただ、駄々っ子をあやしたようなものだ。あの後、私の涙が止まった後は、実験に協力していた頃と同じように、普通に食事をして、それぞれの部屋に戻って、残りの一日を終えた。彼にとっては、普通のことなのだ。
それより、今日はエストリールに再び赴く。転移魔法を使っての移動だ。本当は、アロイス様には何日か休んでもらいたかったけれど、彼は、神様が降らせた槍の痕跡が新しい方がいいからと、譲らなかった。そういうところは、本当に頑固だと思う。
***
「準備はいいか?」
「はい。でも……」
「でも?」
「こんな場所で転移するとは思っていませんでした」
朝食の後、旅支度のような動き易い服装に着替えた私達。さあ、出発、というところで、アロイス様が転移魔法を使おうとしていた場所は、食堂の一角だった。
「転移など、術者が両手を広げるだけのスペースがあれば、どこでもできる。魔法の素養がない者を転移させる場合は、転移用の魔法陣が必要になるが、あなたとノエルにはそれがあるだろう?」
「そういうものなのですか……」
「そういうものだ。さあ、こちらへ。はぐれないように」
その言葉と共に、強く肩を抱き寄せられる。
……いやいやいや、何でもない。こんなの、何でもないから!
そんな事を思っているうちに、周囲の色彩がうねりを放ち始めた。ねじれた空間から火花が散る。
ピリピリする時空を超えて、私達が降り立ったのは、森に囲まれた、小高い丘だった。
丘、といっても、地表には無数の深い穴が空き、ずだずたに抉られている。もともと植物が生えていた形跡はないが、これでは今後も草木が生えることはなさそうだ。
アロイス様は小さな羅針盤のようなものを取り出し、残留した魔力を計測している。
「駄目だな、針が振り切って、正確な値が測れない。相当な数値ではあるが、セプタ教団のものとは質が違うようだ……せめて範囲を測るか」
眉間に皺を寄せながら記録を取る彼の傍で、私は丘から見渡せる周囲の町を確認していた。南に立ち寄ったことがある宿場町があるのを見つけた時に、ふと、蘇る、ある記憶。
「アロイス様、ここ、死火山です」
「死火山? 地図には載っていなかったが」
「前に、関所に近い宿屋に泊まったでしょう? あそこの壁に、飾り物の古い地図が飾られていて……あれに死火山だって書かれてたんです」
もう、二度と噴火することのない、死んだ火山。槍の攻撃を受け、荒れた丘を眺めているうちに、私は無常感に囚われて、呟く。
「こんなところを、わざわざ攻撃するなんて……」
「だが、ここが穿たれた瞬間、セプタの魔導士達は魔力も生命力も失った。だから、彼らの力の源がこの場所にあると推測したのだが……どうやら答えは別にあるようだ」
アロイス様は、羅針盤をしまい込み、空を仰いだ。
「今日の調査はここまでにする。エルデ嬢のところに行こう」
***
エストリールの首都、クレスト。その中でも繁華街から離れた、裏ぶれた一角。私とアロイス様は、エルデさんのアパートメントからさほど離れていない、古びた教会の裏手に着地した。誰にも見られていないのを確認し、通り道に出る。
見覚えのある建物の二階に上がると、目的の部屋を見つけた。親しい間柄でもないのに、前触れなく訪れて、少し気が引けたけれど、断られたら日を改めればいい。
ドアをノックすると、しばらく間を置いて、返事があった。
「どなた?」
彼女の声だ。
「私です。ユーリと、アローです」
「ああ、いらっしゃい……」
ドアを開けた彼女は、目をパチパチさせながら、私とアロイス様の顔を交互に見ている。そうだ、前に会った時、私達は認識阻害魔法を使って、農夫の兄妹に扮していたんだっけ。事情を説明しようとして私があたふたしていると、エルデさんは言った。
「今日は、二人とも、素のままで来ているのね」
***
目の前で、シュンシュンとお湯が沸き、目の前に置かれた三つのカップにコーヒーが注がれる。私とアロイス様をベッドの端に座らせ、角砂糖の入った壺を丸いテーブルの中央に置くと、彼女は一つしかない椅子に座った。
最低限の物しかない殺風景な部屋で、男の服をまとい、髪を後ろで一つに束ねたエルデさんは、それでも見惚れるほど美しかった。体調が戻ったのか、白い肌にも、乳白色の髪にも、艶が増している。
「この間はありがとう、助かったわ。見も知らぬ行き倒れを、家まで運んでくれて、食糧まで……」
「でも、お医者様に見せたり、薬を探したりまでは、できませんでした…あんなに具合が悪そうだったのに」
「もう大丈夫よ、ありがとう。それで、今日は? 何か用があるのでしょう?」
「ええ、頼まれていた、赤い髪の男の人に会ったんですが、逃げられてしまって……エルデさんのことを伝えられなかったんです」
私達は、自分達の本名と、この国に来た経緯などを話した。
私のお腹に宿る子供の父親を探していること、その親族が赤い髪の人かもしれないこと、戦争のこと……
話を聞いているうちに、エルデさんの表情が、怪訝なものになってきた。
「あのね、あの人のことに関しては、もういいわ。諦めがついたから。
それより、ユリエルちゃん、あなた、自分のお腹に赤ちゃんがいるって言ってるけど……本当?
私には見えないわよ? あなたが言う、赤ちゃんが……」
「えっ……?」
私が戸惑っていると、アロイス様が代わりに訊いた。
「どういう意味でしょうか?」
「私の眼には、命が見えるの。闇の力を理解した者の眼には、見えるのよ。
だけど、この子のお腹には、誰も見えないわ……」
そんな! 間違いなく、ノエルは私のお腹の中にいるのに……
だけど、混乱した私は、二の句を告げられなかった。
昨夕は、さんざん泣いて、泣いて……戦地から戻ったばかりのアロイス様に、迷惑を掛けてしまった。だけど、それと同時に、彼から優しく包み込まれるように抱き締められた感覚も、同時に思い出し、顔が熱くなる。
いや……勘違いをしてはいけない。彼はただ、駄々っ子をあやしたようなものだ。あの後、私の涙が止まった後は、実験に協力していた頃と同じように、普通に食事をして、それぞれの部屋に戻って、残りの一日を終えた。彼にとっては、普通のことなのだ。
それより、今日はエストリールに再び赴く。転移魔法を使っての移動だ。本当は、アロイス様には何日か休んでもらいたかったけれど、彼は、神様が降らせた槍の痕跡が新しい方がいいからと、譲らなかった。そういうところは、本当に頑固だと思う。
***
「準備はいいか?」
「はい。でも……」
「でも?」
「こんな場所で転移するとは思っていませんでした」
朝食の後、旅支度のような動き易い服装に着替えた私達。さあ、出発、というところで、アロイス様が転移魔法を使おうとしていた場所は、食堂の一角だった。
「転移など、術者が両手を広げるだけのスペースがあれば、どこでもできる。魔法の素養がない者を転移させる場合は、転移用の魔法陣が必要になるが、あなたとノエルにはそれがあるだろう?」
「そういうものなのですか……」
「そういうものだ。さあ、こちらへ。はぐれないように」
その言葉と共に、強く肩を抱き寄せられる。
……いやいやいや、何でもない。こんなの、何でもないから!
そんな事を思っているうちに、周囲の色彩がうねりを放ち始めた。ねじれた空間から火花が散る。
ピリピリする時空を超えて、私達が降り立ったのは、森に囲まれた、小高い丘だった。
丘、といっても、地表には無数の深い穴が空き、ずだずたに抉られている。もともと植物が生えていた形跡はないが、これでは今後も草木が生えることはなさそうだ。
アロイス様は小さな羅針盤のようなものを取り出し、残留した魔力を計測している。
「駄目だな、針が振り切って、正確な値が測れない。相当な数値ではあるが、セプタ教団のものとは質が違うようだ……せめて範囲を測るか」
眉間に皺を寄せながら記録を取る彼の傍で、私は丘から見渡せる周囲の町を確認していた。南に立ち寄ったことがある宿場町があるのを見つけた時に、ふと、蘇る、ある記憶。
「アロイス様、ここ、死火山です」
「死火山? 地図には載っていなかったが」
「前に、関所に近い宿屋に泊まったでしょう? あそこの壁に、飾り物の古い地図が飾られていて……あれに死火山だって書かれてたんです」
もう、二度と噴火することのない、死んだ火山。槍の攻撃を受け、荒れた丘を眺めているうちに、私は無常感に囚われて、呟く。
「こんなところを、わざわざ攻撃するなんて……」
「だが、ここが穿たれた瞬間、セプタの魔導士達は魔力も生命力も失った。だから、彼らの力の源がこの場所にあると推測したのだが……どうやら答えは別にあるようだ」
アロイス様は、羅針盤をしまい込み、空を仰いだ。
「今日の調査はここまでにする。エルデ嬢のところに行こう」
***
エストリールの首都、クレスト。その中でも繁華街から離れた、裏ぶれた一角。私とアロイス様は、エルデさんのアパートメントからさほど離れていない、古びた教会の裏手に着地した。誰にも見られていないのを確認し、通り道に出る。
見覚えのある建物の二階に上がると、目的の部屋を見つけた。親しい間柄でもないのに、前触れなく訪れて、少し気が引けたけれど、断られたら日を改めればいい。
ドアをノックすると、しばらく間を置いて、返事があった。
「どなた?」
彼女の声だ。
「私です。ユーリと、アローです」
「ああ、いらっしゃい……」
ドアを開けた彼女は、目をパチパチさせながら、私とアロイス様の顔を交互に見ている。そうだ、前に会った時、私達は認識阻害魔法を使って、農夫の兄妹に扮していたんだっけ。事情を説明しようとして私があたふたしていると、エルデさんは言った。
「今日は、二人とも、素のままで来ているのね」
***
目の前で、シュンシュンとお湯が沸き、目の前に置かれた三つのカップにコーヒーが注がれる。私とアロイス様をベッドの端に座らせ、角砂糖の入った壺を丸いテーブルの中央に置くと、彼女は一つしかない椅子に座った。
最低限の物しかない殺風景な部屋で、男の服をまとい、髪を後ろで一つに束ねたエルデさんは、それでも見惚れるほど美しかった。体調が戻ったのか、白い肌にも、乳白色の髪にも、艶が増している。
「この間はありがとう、助かったわ。見も知らぬ行き倒れを、家まで運んでくれて、食糧まで……」
「でも、お医者様に見せたり、薬を探したりまでは、できませんでした…あんなに具合が悪そうだったのに」
「もう大丈夫よ、ありがとう。それで、今日は? 何か用があるのでしょう?」
「ええ、頼まれていた、赤い髪の男の人に会ったんですが、逃げられてしまって……エルデさんのことを伝えられなかったんです」
私達は、自分達の本名と、この国に来た経緯などを話した。
私のお腹に宿る子供の父親を探していること、その親族が赤い髪の人かもしれないこと、戦争のこと……
話を聞いているうちに、エルデさんの表情が、怪訝なものになってきた。
「あのね、あの人のことに関しては、もういいわ。諦めがついたから。
それより、ユリエルちゃん、あなた、自分のお腹に赤ちゃんがいるって言ってるけど……本当?
私には見えないわよ? あなたが言う、赤ちゃんが……」
「えっ……?」
私が戸惑っていると、アロイス様が代わりに訊いた。
「どういう意味でしょうか?」
「私の眼には、命が見えるの。闇の力を理解した者の眼には、見えるのよ。
だけど、この子のお腹には、誰も見えないわ……」
そんな! 間違いなく、ノエルは私のお腹の中にいるのに……
だけど、混乱した私は、二の句を告げられなかった。
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