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寄木細工の呪い箱編
13.霊寄せ
生真面目な亨でも清めの儀式は苦痛だった。
三日間の断食を始め、一日三度の塩水浴と読経。
瞑想を行い、写経をして過ごす三日間のうち、一番辛いのはミケさんに会えない事だった。
ミケさんは神出鬼没だが、部屋の中には決して入ってこない。
その上閉ざされたドアは入浴と排泄の時以外開けられることはないため、ミケさんの気配すら感じる事はできない。
しかし、今はその煩悩すら捨て去らなければならない。
霊寄せは自分の意識を身体から離し、そこに霊を降ろす降霊術だ。
煩悩や未練を抜くために、この清めの儀式を行っているのだ。ミケさんには全て終わってから会えるじゃないか。
亨はミケさんの愛らしい姿や、柔らかい毛並みを忘れる努力をし続けた。
四日目の朝早く、清めた水で体を拭い、白い作務衣に着替えて部屋を出ると、同じように白い作務衣を着た東雲が既にリビングに座っていた。
インターホンは鳴っていないから、裏の入口から勝手に入ってきたのだろう。
亨は自分が呼び出しておきながら御門が東雲を嫌がるのがわかった気がした。
「ちょっと見ないうちにソファ、小っちゃくなってないかい?」
「御門さんが捨てたんですよ。前のソファセット。僕が帰ってきたらそれに代わってたんです」
東雲が窮屈そうに座るソファを忌々しく見つめながら、亨はため息をついた。
「御門君は余程君を気に入ってるんだね」
東雲の言葉を無視して、亨はリビングを見回した。ミケさんの姿が見えない。
神出鬼没の三毛猫は、普段どこで眠っているのか、気が向いた時しか姿を見せない。
今は東雲がいるから姿を隠してるのだろう。
亨は安心したような、がっかりしたような気分だったが、キッチンに向かうとコップに塩と水を入れると口に含んだ。
「きっちり仕上げているね。さすがだ」
東雲が立ち上がると、亨は礼を言うように頭を下げると、口に含んだ水を飲み込まないよう注意深く、寄木細工の箱を封じている部屋に入った。
部屋には既に御門が立っていて、亨達と同じように白い作務衣を着ていた。ただし、とても不機嫌な顔で。
亨は御門に頭を下げると、誰が用意してくれたのか、寄木細工の箱の隣に敷かれた布団に横になると目を閉じた。
御門から煙草の匂いがしないことに、亨は気が付いていなかった。
「始めようか」
東雲はそう言うと、亨の枕元に座り込み、両手で亨の頭を包み込むように優しく手を添えた。
その様子を見て、御門は亨の足元に腰を下ろすと片手で結印し、部屋中に霊力を巡らせた。万が一にも呪いが暴れ出した時に備える為だった。
「ひふみよいむなやこともちろらねしきる、ゆゐつわぬそをたはくめか、うおえにさりへてのますあせゑほれけ」
東雲の低く通る声が耳に流れてくる
「ひふみよいむなや――」
繰り返し唱えられる詞に神がかった響きが加わってくる。亨の意識がゆっくりと体を離れるのがわかる。
「布留部 由良由良止 布留部――」
東雲の言葉が遠くなり、亨の中に別の意識が流れ込んでくるのが分かった。
芳川家の長女貴子は、色白で大きな目が愛らしい少女だった。
芳川家の書生である加藤實は、芳川家で奉公をする傍ら、高等学校高等科に通う精悍な面持ちの寡黙な青年だった。
實の主な仕事は炊事以外の雑務と、貴子の学校の送り迎えで、貴子は高等女学校の帰り路を實の後ろ姿を見つめながら歩くのをいつの間にか楽しみにしていた。
14歳と18歳の二人が恋仲になるまで時間はかからなかった。
實が高等科を卒業し、帝国大学に進学する事が決まった日、實は貴子に自身が作った寄木細工の箱を送った。
「自分が貴子お嬢様に贈れるのは、この箱と私の心だけです。でも、必ず立身出世してお嬢様をお迎えに上がります」
世間知らずで箱入り娘だった貴子は、實の言葉に感動し、必ずお待ちしますと約束を交わた。
二人は別れの日までの僅かな時間を惜しむように、家人の目を避けて逢瀬を重ねた。
實が帝国大学へ進学するため、芳川家を離れた翌年、世界恐慌は容赦なく日本をも襲い、芳川家もまた被害を避ける事は出来なかった。
相次ぐ銀行の倒産に加え、生糸の生産を主な事業にしていた芳川家は、生糸の輸出量の低下でその地盤を大きく崩した。
いよいよ破産という時に、実家の支援を条件に貴子は商家に嫁ぐ事となった。
實との約束を果たせないと嘆く貴子に、両親は強引に式を挙げさせた。
夫となる商家の息子は真面目な男だったが、實とは違いずんぐりとして目だけはやたらと鋭く、貴子よりも14歳も年上で、貴子は恐ろしくて涙する事も出来なかった。
式を終えて初夜を迎えた貴子は、實以外の男に抱かれる事に恐怖したが、抵抗は許されず夫のするままに身を委ねるしかなかった。
貴子が処女ではない事に気が付いた夫は、烈火の如く怒り、貴子を問い詰めた。
貴子の口から實との関係を聞き出すと、夫は怒りのあまり貴子を強く叩きのめした。
翌日には夫の家族全員がその事実を知り、その日から貴子は納屋のような粗末な部屋で寝起きし、奉公人よりも朝早く起き、夜遅くまで働かされる事となった。
与えられる食事は貧しく、家族からは日々暴力を振るわれ、夫は自身の性欲を処理するために貴子の部屋に訪れて、乱暴な行為を終えると貴子には見向きもせず自室に戻っていった。
貴子の希望は實との約束だけだった。
寄木細工の箱を抱きしめながら、「帝国大学を卒業したら、實さんはきっと私を迎えにやってくる」そう言い続けていた。
結婚して一年と経たずに、貴子は子供を身籠ったが、栄養状態の悪さから妊娠初期に流産した。
家族は貴子を責めたて、折檻したが、子供を産める事がわかってからは、食事だけは少しだけまともに与えられるようになったせいか、翌年再び妊娠し、無事女児を出産する事が出来た。
初めて我が子を抱いた時、貴子は漸く安寧を手に入れる事ができたと思ったが、それは泡沫の夢と消えるのだった。
三日間の断食を始め、一日三度の塩水浴と読経。
瞑想を行い、写経をして過ごす三日間のうち、一番辛いのはミケさんに会えない事だった。
ミケさんは神出鬼没だが、部屋の中には決して入ってこない。
その上閉ざされたドアは入浴と排泄の時以外開けられることはないため、ミケさんの気配すら感じる事はできない。
しかし、今はその煩悩すら捨て去らなければならない。
霊寄せは自分の意識を身体から離し、そこに霊を降ろす降霊術だ。
煩悩や未練を抜くために、この清めの儀式を行っているのだ。ミケさんには全て終わってから会えるじゃないか。
亨はミケさんの愛らしい姿や、柔らかい毛並みを忘れる努力をし続けた。
四日目の朝早く、清めた水で体を拭い、白い作務衣に着替えて部屋を出ると、同じように白い作務衣を着た東雲が既にリビングに座っていた。
インターホンは鳴っていないから、裏の入口から勝手に入ってきたのだろう。
亨は自分が呼び出しておきながら御門が東雲を嫌がるのがわかった気がした。
「ちょっと見ないうちにソファ、小っちゃくなってないかい?」
「御門さんが捨てたんですよ。前のソファセット。僕が帰ってきたらそれに代わってたんです」
東雲が窮屈そうに座るソファを忌々しく見つめながら、亨はため息をついた。
「御門君は余程君を気に入ってるんだね」
東雲の言葉を無視して、亨はリビングを見回した。ミケさんの姿が見えない。
神出鬼没の三毛猫は、普段どこで眠っているのか、気が向いた時しか姿を見せない。
今は東雲がいるから姿を隠してるのだろう。
亨は安心したような、がっかりしたような気分だったが、キッチンに向かうとコップに塩と水を入れると口に含んだ。
「きっちり仕上げているね。さすがだ」
東雲が立ち上がると、亨は礼を言うように頭を下げると、口に含んだ水を飲み込まないよう注意深く、寄木細工の箱を封じている部屋に入った。
部屋には既に御門が立っていて、亨達と同じように白い作務衣を着ていた。ただし、とても不機嫌な顔で。
亨は御門に頭を下げると、誰が用意してくれたのか、寄木細工の箱の隣に敷かれた布団に横になると目を閉じた。
御門から煙草の匂いがしないことに、亨は気が付いていなかった。
「始めようか」
東雲はそう言うと、亨の枕元に座り込み、両手で亨の頭を包み込むように優しく手を添えた。
その様子を見て、御門は亨の足元に腰を下ろすと片手で結印し、部屋中に霊力を巡らせた。万が一にも呪いが暴れ出した時に備える為だった。
「ひふみよいむなやこともちろらねしきる、ゆゐつわぬそをたはくめか、うおえにさりへてのますあせゑほれけ」
東雲の低く通る声が耳に流れてくる
「ひふみよいむなや――」
繰り返し唱えられる詞に神がかった響きが加わってくる。亨の意識がゆっくりと体を離れるのがわかる。
「布留部 由良由良止 布留部――」
東雲の言葉が遠くなり、亨の中に別の意識が流れ込んでくるのが分かった。
芳川家の長女貴子は、色白で大きな目が愛らしい少女だった。
芳川家の書生である加藤實は、芳川家で奉公をする傍ら、高等学校高等科に通う精悍な面持ちの寡黙な青年だった。
實の主な仕事は炊事以外の雑務と、貴子の学校の送り迎えで、貴子は高等女学校の帰り路を實の後ろ姿を見つめながら歩くのをいつの間にか楽しみにしていた。
14歳と18歳の二人が恋仲になるまで時間はかからなかった。
實が高等科を卒業し、帝国大学に進学する事が決まった日、實は貴子に自身が作った寄木細工の箱を送った。
「自分が貴子お嬢様に贈れるのは、この箱と私の心だけです。でも、必ず立身出世してお嬢様をお迎えに上がります」
世間知らずで箱入り娘だった貴子は、實の言葉に感動し、必ずお待ちしますと約束を交わた。
二人は別れの日までの僅かな時間を惜しむように、家人の目を避けて逢瀬を重ねた。
實が帝国大学へ進学するため、芳川家を離れた翌年、世界恐慌は容赦なく日本をも襲い、芳川家もまた被害を避ける事は出来なかった。
相次ぐ銀行の倒産に加え、生糸の生産を主な事業にしていた芳川家は、生糸の輸出量の低下でその地盤を大きく崩した。
いよいよ破産という時に、実家の支援を条件に貴子は商家に嫁ぐ事となった。
實との約束を果たせないと嘆く貴子に、両親は強引に式を挙げさせた。
夫となる商家の息子は真面目な男だったが、實とは違いずんぐりとして目だけはやたらと鋭く、貴子よりも14歳も年上で、貴子は恐ろしくて涙する事も出来なかった。
式を終えて初夜を迎えた貴子は、實以外の男に抱かれる事に恐怖したが、抵抗は許されず夫のするままに身を委ねるしかなかった。
貴子が処女ではない事に気が付いた夫は、烈火の如く怒り、貴子を問い詰めた。
貴子の口から實との関係を聞き出すと、夫は怒りのあまり貴子を強く叩きのめした。
翌日には夫の家族全員がその事実を知り、その日から貴子は納屋のような粗末な部屋で寝起きし、奉公人よりも朝早く起き、夜遅くまで働かされる事となった。
与えられる食事は貧しく、家族からは日々暴力を振るわれ、夫は自身の性欲を処理するために貴子の部屋に訪れて、乱暴な行為を終えると貴子には見向きもせず自室に戻っていった。
貴子の希望は實との約束だけだった。
寄木細工の箱を抱きしめながら、「帝国大学を卒業したら、實さんはきっと私を迎えにやってくる」そう言い続けていた。
結婚して一年と経たずに、貴子は子供を身籠ったが、栄養状態の悪さから妊娠初期に流産した。
家族は貴子を責めたて、折檻したが、子供を産める事がわかってからは、食事だけは少しだけまともに与えられるようになったせいか、翌年再び妊娠し、無事女児を出産する事が出来た。
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