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油滴天目編
38.亨の困惑
「だから、あの人は一体何なんですか」
金曜の夜。
元気になった御門はいつも通り狩りにでかけたので、棚橋亨は如月正明を誘って飲みに出かけていた。
「どうしたの、棚橋君」
如月は席に着くなりビールをやけくそ気味に煽りながら言う亨を見て、眉根を寄せた。
「どうしたもこうしたも……なんであの人宮内庁の身分証なんて持ってるんですか」
帰りの飛行機で問い詰めると、御門は悪びれもせずに宮内庁の職員証を亨に見せた。
それは紛れもなく本物で、『式部職式部官 大和御門』と書かれていたのだ。
「てっきり偽造したのかと思ってたのに」
大ジョッキをあっという間に空にすると、亨は店員にお代わりを注文する。
胸元からタバコを取り出すと、如月に許可を得てから火をつけて大きく煙を吐き出した。
相当イラついてんなぁ……
その様子を見て如月は同情したが、だからといって言うわけにはいかない。
御門からは固く口止めされている。
もし破ったら――考えたくなかった。
「そのあたりはまた御門君に聞いてみたらいいよ。そのくらいなら彼、話してくれると思うよ」
「それだけじゃないに決まってるじゃないですか!」
亨はテーブルを拳で叩いた。
「あのマンションもですよ。国がここに住めって言ったって確かに言ったんです――でも、それ以上はなにも教えてくれない。あの飛行機もですよ」
亨の気持ちはとても理解できた。
だが、言うわけにはいかないのだ。
それに、如月自身も全てを知っているわけではない。東雲が何も教えてくれないのは如月だって同じだからだ。
だから、中途半端なことは言わないに越したことが無い。
それは如月が36年の人生で得た教訓の一つだった。
「ねぇねぇお兄さんたちって友達同士?」
声を掛けてきたのは、隣のテーブルに座っていた、亨より少しばかり年下に見える女性だった。
「俺達は――同僚みたいなもんかな」
如月が答えると女は一緒にいた女と目を見合わせて、意味ありげに微笑んだ。
「私達も2人なんだけど、よかったら一緒に飲まない?」
女が亨の肩に手を置いてしなを作ると、亨は反射的に椅子から立ち上がった。
如月が驚いて亨を見上げたが、亨は慌てて荷物を持つと「すみません。如月さん」と言って走って店を出て行った。
「ちょっと?棚橋君?」
追いかけようにも会計がまだだから追いかけることもできない。
あの一件以来、すっかり女性が苦手になったようだが、ここのところの亨はより神経質になっているように思えた。
如月は諦めて隣のテーブルに笑顔を向けたが、彼女たちは話しかけた事などなかったかのように、二人で会話を続けていた。
目当ては棚橋君ですよね。知ってましたよ。
如月は不貞腐れて酒を飲み干すと、会計を済ませて店を出た。
「とーるちゃん」
御門の声がする。背中が硬い。
そうだ、帰って部屋に入る前にリビングに座ったまま寝てしまったのか。
亨の肩に心地よい重さがかかる。
「起きないと俺に喰われちゃうよ」
御門の耳障りのいい声が聞こえるが、瞼が重くて開けられない。そんなに飲んだわけでもないのに走って帰ったせいで酔いが回っているのか。
眠気に抗おうとする亨の唇を、ざらりとした感触が触れる。
え――?
思わぬ感触に亨は混乱したが、それは再び亨の唇を求めるように触れてくる。
まさか、御門さんが舐めてる?
もっとも困惑しているのは、それが嫌ではないことだった。
おかしい。
俺はノーマルだ。いくらキレイな顔をしてても御門さんは男だぞ?
やめろと言わなければ。いつものように殴らないと。
だが、湿ってざらりとした舌は心地よく亨の唇を撫でている。
時々あたる髭がくすぐったい。
髭――?御門さんに髭なんか生えていない。
次第に動くようになった腕を持ち上げて、顔の周りに手を這わせると、柔らかい毛並みのいい感触が手のひらを癒す。
「ミケさん?」
やっと目を開けると、ミケさんが亨の唇を美味しそうに舐めていた。
「ほら、水」
キッチンで御門が差し出した水を受け取ると、亨はそれを一気に飲み干した。
「めずらしいね。とーるちゃんがそんなに酔うなんて。どんなに飲んだわけ?」
「そんなに飲んでないですよ。ただ、走って帰ってきたから酔いが回ったんですよ」
唇を尖らせて亨は、空になったペットボトルをゴミ袋に放り込む。
御門の顔を見れないような気がした。
「それより、御門さんも随分早かったんですね」
時計は午前3時を指している。
いつもならまだクラブで飲んだくれてるか、女の子を物色している頃だろうに。
「今日はねえ。なんか酔えなくてさ」
珍しいこともあるものだと思ったが、去年のこの季節も御門は少し様子がおかしかったと思い出した。
いや、御門がおかしいのはいつもなのだが。
「それより、なんかさっき俺の名前呼んでなかった?」
心配して見つめる亨の肩を、御門が抱いて引き寄せた。
「ミケさんが舐めてたのを俺だと思ったりした?」
「な――ちがいますよ!」
顔を赤くして否定する亨に、御門はにやりと笑って顔を近付けた。
「俺の舌とミケさんの舌、本当に同じか試してみる?」
そう言うと舌を出して、更に顔を近付けた。
「いいかげんにしろ!この酔っ払い」
亨の拳がいつも通り軽快に御門の肩を殴ると、亨はいつも通りに怒って部屋に戻ってしまった。
御門は足元に来ていたミケさんを抱き上げると、その目を覗き込んだ。
「あーあ。せっかく面白かったのに、とーるちゃん元に戻っちゃったじゃないか――お前、俺の残り香食ったな?」
御門が睨むと、ミケさんは猫らしく「にゃーん」と可愛く鳴いたので、御門は忌々し気にミケさんの耳に噛みついた。
「次余計な真似したら本体も喰ってやるからな――せっかく面白かったのに……」
御門の手からするりと逃れると、ミケさんはキッチン台に上がって顔を洗う仕草をした。
御門に喰われて欠けた耳が、見る間に戻っていった。
金曜の夜。
元気になった御門はいつも通り狩りにでかけたので、棚橋亨は如月正明を誘って飲みに出かけていた。
「どうしたの、棚橋君」
如月は席に着くなりビールをやけくそ気味に煽りながら言う亨を見て、眉根を寄せた。
「どうしたもこうしたも……なんであの人宮内庁の身分証なんて持ってるんですか」
帰りの飛行機で問い詰めると、御門は悪びれもせずに宮内庁の職員証を亨に見せた。
それは紛れもなく本物で、『式部職式部官 大和御門』と書かれていたのだ。
「てっきり偽造したのかと思ってたのに」
大ジョッキをあっという間に空にすると、亨は店員にお代わりを注文する。
胸元からタバコを取り出すと、如月に許可を得てから火をつけて大きく煙を吐き出した。
相当イラついてんなぁ……
その様子を見て如月は同情したが、だからといって言うわけにはいかない。
御門からは固く口止めされている。
もし破ったら――考えたくなかった。
「そのあたりはまた御門君に聞いてみたらいいよ。そのくらいなら彼、話してくれると思うよ」
「それだけじゃないに決まってるじゃないですか!」
亨はテーブルを拳で叩いた。
「あのマンションもですよ。国がここに住めって言ったって確かに言ったんです――でも、それ以上はなにも教えてくれない。あの飛行機もですよ」
亨の気持ちはとても理解できた。
だが、言うわけにはいかないのだ。
それに、如月自身も全てを知っているわけではない。東雲が何も教えてくれないのは如月だって同じだからだ。
だから、中途半端なことは言わないに越したことが無い。
それは如月が36年の人生で得た教訓の一つだった。
「ねぇねぇお兄さんたちって友達同士?」
声を掛けてきたのは、隣のテーブルに座っていた、亨より少しばかり年下に見える女性だった。
「俺達は――同僚みたいなもんかな」
如月が答えると女は一緒にいた女と目を見合わせて、意味ありげに微笑んだ。
「私達も2人なんだけど、よかったら一緒に飲まない?」
女が亨の肩に手を置いてしなを作ると、亨は反射的に椅子から立ち上がった。
如月が驚いて亨を見上げたが、亨は慌てて荷物を持つと「すみません。如月さん」と言って走って店を出て行った。
「ちょっと?棚橋君?」
追いかけようにも会計がまだだから追いかけることもできない。
あの一件以来、すっかり女性が苦手になったようだが、ここのところの亨はより神経質になっているように思えた。
如月は諦めて隣のテーブルに笑顔を向けたが、彼女たちは話しかけた事などなかったかのように、二人で会話を続けていた。
目当ては棚橋君ですよね。知ってましたよ。
如月は不貞腐れて酒を飲み干すと、会計を済ませて店を出た。
「とーるちゃん」
御門の声がする。背中が硬い。
そうだ、帰って部屋に入る前にリビングに座ったまま寝てしまったのか。
亨の肩に心地よい重さがかかる。
「起きないと俺に喰われちゃうよ」
御門の耳障りのいい声が聞こえるが、瞼が重くて開けられない。そんなに飲んだわけでもないのに走って帰ったせいで酔いが回っているのか。
眠気に抗おうとする亨の唇を、ざらりとした感触が触れる。
え――?
思わぬ感触に亨は混乱したが、それは再び亨の唇を求めるように触れてくる。
まさか、御門さんが舐めてる?
もっとも困惑しているのは、それが嫌ではないことだった。
おかしい。
俺はノーマルだ。いくらキレイな顔をしてても御門さんは男だぞ?
やめろと言わなければ。いつものように殴らないと。
だが、湿ってざらりとした舌は心地よく亨の唇を撫でている。
時々あたる髭がくすぐったい。
髭――?御門さんに髭なんか生えていない。
次第に動くようになった腕を持ち上げて、顔の周りに手を這わせると、柔らかい毛並みのいい感触が手のひらを癒す。
「ミケさん?」
やっと目を開けると、ミケさんが亨の唇を美味しそうに舐めていた。
「ほら、水」
キッチンで御門が差し出した水を受け取ると、亨はそれを一気に飲み干した。
「めずらしいね。とーるちゃんがそんなに酔うなんて。どんなに飲んだわけ?」
「そんなに飲んでないですよ。ただ、走って帰ってきたから酔いが回ったんですよ」
唇を尖らせて亨は、空になったペットボトルをゴミ袋に放り込む。
御門の顔を見れないような気がした。
「それより、御門さんも随分早かったんですね」
時計は午前3時を指している。
いつもならまだクラブで飲んだくれてるか、女の子を物色している頃だろうに。
「今日はねえ。なんか酔えなくてさ」
珍しいこともあるものだと思ったが、去年のこの季節も御門は少し様子がおかしかったと思い出した。
いや、御門がおかしいのはいつもなのだが。
「それより、なんかさっき俺の名前呼んでなかった?」
心配して見つめる亨の肩を、御門が抱いて引き寄せた。
「ミケさんが舐めてたのを俺だと思ったりした?」
「な――ちがいますよ!」
顔を赤くして否定する亨に、御門はにやりと笑って顔を近付けた。
「俺の舌とミケさんの舌、本当に同じか試してみる?」
そう言うと舌を出して、更に顔を近付けた。
「いいかげんにしろ!この酔っ払い」
亨の拳がいつも通り軽快に御門の肩を殴ると、亨はいつも通りに怒って部屋に戻ってしまった。
御門は足元に来ていたミケさんを抱き上げると、その目を覗き込んだ。
「あーあ。せっかく面白かったのに、とーるちゃん元に戻っちゃったじゃないか――お前、俺の残り香食ったな?」
御門が睨むと、ミケさんは猫らしく「にゃーん」と可愛く鳴いたので、御門は忌々し気にミケさんの耳に噛みついた。
「次余計な真似したら本体も喰ってやるからな――せっかく面白かったのに……」
御門の手からするりと逃れると、ミケさんはキッチン台に上がって顔を洗う仕草をした。
御門に喰われて欠けた耳が、見る間に戻っていった。
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