侯爵家の婚約者

やまだごんた

文字の大きさ
2 / 90

2.王宮への道

 幸いな事に、誕生会の日までカインの魔力は安定していた。
 侯爵や使用人の細やかな気遣いで、カインは魔力が溢れそうになった事さえ思い出す事はなく、いつも通り庭園を走り回ったり、綺麗な石を探したり、珍しい花を眺めて過ごしていた。
 時折、王に謁見する際の行儀作法や、誕生会の段取りや振舞いの確認があったが、カインは元気な子供であるうえ、優秀な生徒でもあった。そのため、大人達は苦労する事なくそれらを進める事ができた。

 誕生会の当日までカインは母親であるエスクード侯爵夫人に会う事はなかった。毎朝行われていた朝の挨拶も行われず、夜も侯爵だけが――屋敷にいる時だけではあるが――カインにおやすみのキスをしに来ていた。
 夫人からおやすみのキスを受けたのはいつだっただろう。
 カインは思い出せないほど幼い頃に思いを馳せたが、カインの記憶に母との温かい触れ合いはなく、冷たく突き放すような夫人のみがそこにいた。

 ――秋になれば本格的に跡取りとしての教育が始まるんだ。いつまでも子供のままではいけない。

 カインは子供用の礼服を纏い、家族用のサロンのカウチに腰掛け、両親を待った。
 普段着ることのない礼服は、上等な白い生地の上着に、金の糸で薔薇や蔦の刺繍が施されていた。胸元と袖に飾られた銀のボタンはエスクード家の家紋が刻印されている。
 時々侯爵が着ているのを見たそれとほぼ同じ様式で、王宮での祭事や儀式の時のみ着る服だ。
 王の采配で王宮で行われるカインの誕生会は、国中の貴族の憧れだった。
 本来であれば、王宮では王族の冠婚葬祭のみが許されるからだ。
 つまり、カインの誕生会は特例中の特例だった。
 エスクード侯爵は建国の英雄から続く王室の守護者であり、王はその後継者の誕生を長い間待ちわびていたからだ。
 そして、王自らがその後継者の誕生を祝う行為は、寵愛の現れであると共に、エスクード侯爵家は王家の最たる忠臣であるとの牽制でもあった。
 そんな政治的な理由は幼いカインにはどうでもよかった。
 ただ、今回の誕生会は特別なのだ。
 王様が僕の為だけに開いてくれる会――その誉れは幼いカインにも理解できた。そして、その場ならもしかしたら夫人も僕を誇らしく思ってくれるかもしれない。そして優しく微笑んでキスをしてくれるかもしれない。
 カインの小さな胸は、ささやかな幸せを夢見て高鳴っていた。

「カイン!見違えたぞ。何と立派な」
 程なくして一人でサロンに現れた侯爵は、自分と同じ格好の小さな公子を抱き上げると誇らしげに微笑み、抱き上げたまま屋敷を出た。
 玄関を出た車止めには、獣車に繋がれた固い皮膚と鋭い鉤爪をもつ草竜が、その細長い体と長いしっぽを持て余すように揺らして立っていた。
 獣車は、カインと侯爵の2を乗せると、王宮への道を半刻ほど休む事もなく駆け足で走っていた。
 首と尾を揺らし、長い後肢で地面を蹴って疾走するその速さは、人間の全速疾走よりも何倍も速かった。
「御者のルーも魔力が強いが、カインがいるおかげで草竜が殊更従順だな」
 調子のいい走りに侯爵は満足げにひとりごちた。
「草竜と魔力の強さは関係があるのですか?」
 本当はなぜ夫人がいないのか聞きたかったが、聞いてはいけない気がしたので草竜の事を尋ねた。
「家畜化されてるとはいえ、草竜は魔獣だからな。草竜は本来群れで生活するんだ。そして群れでは魔力が強い者が頭とみなされる。だから草竜を扱うのは魔力が草竜よりも強い者でなければいけない」
「なるほど。僕はルーよりも魔力が強いから草竜もいいところを見せようと頑張ってくれてるんですね」
 侯爵は妻によく似たカインの青い瞳を見つめながらゆっくり頷くと説明を続けた。
「草竜の魔力は普通の人間と同じくらいだから、草竜を従えられる程の魔力持ちとなると数が限られてくる。その分給料も高い。草竜の獣車かどうかでその家が金持ちかわかるし、金持ちでなければその家の家人が強い魔力を持っているかがわかる程だ。侯爵家には草竜が3頭と獣車が4台ある。もちろん、御者も3人だ。それだけではない。お前がいた領地も、首都の屋敷…全て他の貴族よりも豊かで大きい。それらは全てカイン、お前が引継ぐんだぞ」
 侯爵の説明をひと通り聞いたものの、最後はよくわからなかったカインは、獣車の窓からひょいと顔を出して草竜を見た。
 長い首と尾を機嫌よく揺らしながら、短い鉤爪を持つ前足を持ち、カインなら3人は乗れそうな巨大な体躯と軽やかに回転する2本の脚。まるで肉食獣の見た目だが草食なのだと言う。
 気配を感じたのか、ちらりと振り向いた草竜と目が合うと、草竜は鼻息を強く吐いて石畳で舗装された道を更に加速した。
「わ!わ!」
 窓から落ちそうになって慌てて車内に頭を引っ込めたカインは侯爵の膝にしがみついて大笑いした。侯爵もつられて声を上げて笑った後、優しく微笑んでカインの頬を撫でた。
「アルティシアは先に王宮に入っているんだ。……王妃様がアルティシアと過ごしたいと言われてな。お前に伝えるのを忘れていて申し訳ない」
「父上が謝られることではありません。王宮に行けば会えるのですから」
 侯爵の温かい手に頬を擦り付け、カインは萎みかけた期待をもう一度膨らませた。

 程なくして獣車は王宮に入り、キャビンから飛び降りたカインは草竜に駆け寄り「お疲れ様!君のおかげでとても速く王宮に着く事ができたよ。――僕ね、王宮は初めてで早く見たいと思ってたんだ!」と草竜の長い首に頬擦りした。
 その時だった。

「カイン。本日の主役のあなたがなんと穢らわしい」

 夫人の声が低くカインの耳に響いた。
感想 68

あなたにおすすめの小説

いつも隣にいる

はなおくら
恋愛
心の感情を出すのが苦手なリチアには、婚約者がいた。婚約者には幼馴染がおり常にリチアの婚約者の後を追う幼馴染の姿を見ても羨ましいとは思えなかった。しかし次第に婚約者の気持ちを聞くうちに変わる自分がいたのだった。

結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です

柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。 そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。 真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。 けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。 「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」 彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。 アンリは実は、亡き国王の婚外子。 皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
【4月中旬 完結予定】 「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

「私に愛まで望むとは、強欲な女め」と罵られたレオノール妃の白い結婚

きぬがやあきら
恋愛
「私に愛まで望むな。褒賞に王子を求めておいて、強欲が過ぎると言っている」 新婚初夜に訪れた寝室で、レオノールはクラウディオ王子に白い結婚を宣言される。 それもそのはず。 2人の間に愛はないーーどころか、この結婚はレオノールが魔王討伐の褒美にと国王に要求したものだった。 でも、王子を望んだレオノールにもそれなりの理由がある。 美しく気高いクラウディオ王子を欲しいと願った気持ちは本物だ。 だからいくら冷遇されようが、嫌がらせを受けようが心は揺るがない。 どこまでも逞しく、軽薄そうでいて賢い。どこか憎めない魅力を持ったレオノールに、やがてクラウディオの心は……。 すれ違い、拗れる2人に愛は生まれるのか?  焦ったい恋と陰謀+バトルのラブファンタジー。

【完結】私を忘れた貴方と、貴方を忘れた私の顛末

コツメカワウソ
恋愛
ローウェン王国西方騎士団で治癒師として働くソフィアには、魔導騎士の恋人アルフォンスがいる。 平民のソフィアと子爵家三男のアルフォンスは身分差があり、周囲には交際を気に入らない人間もいるが、それでも二人は幸せな生活をしていた。 そんな中、先見の家門魔法により今年が23年ぶりの厄災の年であると告げられる。 厄災に備えて準備を進めるが、そんな中アルフォンスは魔獣の呪いを受けてソフィアの事を忘れ、魔力を奪われてしまう。 アルフォンスの魔力を取り戻すために禁術である魔力回路の治癒を行うが、その代償としてソフィア自身も恋人であるアルフォンスの記憶を奪われてしまった。 お互いを忘れながらも対外的には恋人同士として過ごす事になるが…。 番外編始めました。 世界観は緩めです。 ご都合主義な所があります。 誤字脱字は随時修正していきます。

【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。 ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。 ※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。 ※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。

侯爵令嬢ソフィアの結婚

今野綾
恋愛
ソフィアは希少なグリーンアイを持つヴィンセントと結婚した。これは金が欲しい父の思惑と、高い爵位が欲しいヴィンセントの思惑が一致したからに過ぎない。 そもそもヴィンセントには恋人がいて、その恋人は身分に大きな差があるために結婚することは叶わないのだ。 結婚して早々、ソフィアは実家から連れてきた侍女夫婦とあばら屋に住むように言われて…… 表紙はかなさんのファンアートです✨ ありがとうございます😊 2024.07.05