侯爵家の婚約者

やまだごんた

文字の大きさ
29 / 89

29.困惑

しおりを挟む
「疲れてなんか――いや、そうかもしれない」
 あのゴブリンの襲撃――いや、結界が破壊された、あの日から色々ありすぎた。
 「結界――ゴブリン――そうか」
 カインは何かに気が付いたかのように顔を上げた。
 街道の結界が破壊された事と、ゴブリンが街道の近くまで来ていた事は偶然の重なりではないのではないか――?
 もし街道の結界の異変に気付く者がおらず、発見が遅れていたら……
 ゴブリンたちは街道の結界から首都かオルフィアス領に侵入して、根付いていたかもしれない。
 ゴブリンそのものは、武器を使える程度の知能を有しているものの、子供程度の大きさしかなく力も弱いため、大した脅威とは言えない。
 しかし、ゴブリンの脅威はその繁殖力にあった。20日もあれば子供を産み、90日もあれば成体へと成長し、また増える。
 山や森ではゴブリンは食物連鎖の最下層だ。他の魔獣の食糧となるため繁殖能力の高さは種の絶滅を防ぐ程度の役割しか持たない。
 しかし、天敵のいない場所ではどうだろうか。
 知らぬ間に町の下水や物陰、人の居ない場所で繁殖していたら……
 戦いは何も外から攻撃するだけではない。
 内側から決壊させて弱めることもあるのだ。
「ティン=クエン!過去に同じように結界の破損した個所はなかったかもう一度調べなおしてくれ。そして――貧民街に奴らが巣を作っていないか調査を」
 あれから何日経っている――?
 不思議と頭がすっきりしている気がする。
 まるで、深い眠りから覚めた朝のように。
 自分がイレリアに入れあげている間に、何が起きていた。なぜ自分はこんな簡単な事にも気付かなかった――いや、考えようとしていなかったんだ。少し考えればわかるこんな簡単な謀を、自分は気付かず安穏と――
 
「カイン、落ち着け。貧民街の捜査は君が倒れた時にエスクード侯爵の指揮で終わっている。その後も定期的に首都の下水や貧民街を調査しているが奴らが入り込んだ形跡はない」
 ティン=クエンがカインを落ち着かせようと肩を掴んで怒鳴りつけた。
 目の前を黒い熱が遮ろうとしていたのを、ティン=クエンの声で引き戻されたのが分かった。
「父上が――」
「ああ」
「父上はそんな事一言もおっしゃらなかった」
 自分がしなければならなかった仕事だ。
 いつもの父なら、黙ってやったりしない。
「カイン――侯爵は君の身を案じていただけだ」
 カインはティン=クエンを見た。同情とも非難とも言えない目で自分を見ていた。――なるほど。
「父上は僕に失望しているんだな――女にうつつを抜かし、こんな単純な事にも今の今まで気付けずにいた僕を――」
 カインは、胸が黒い熱で熱くなるのを感じた。

 ティン=クエンは何も答えず、ただ「報告は以上だ」と言って駐屯所を後にした。
 カインは考えがまとまらないまま、時間となり従者が迎えに来たため、王宮の結界の間へと向かった。
「ご無沙汰しております。父上――街道の件ですが……」
 先に到着していたエスクード侯爵を見て、カインは頭を下げた。
 先程のティン=クェンとのやりとりが重しのようにカインの心を落ち込ませている。
「ティン=クエンから報告は受けている」
 侯爵は一言だけ言うと、カインに背を向け魔法陣に体を向けた。
 いつもは頼り甲斐があって大好きな背中なのに、今日はどこか他人のようなよそよそしさを感じる。
 いや
 それは自分が引け目を感じているからかも知れない。
 父上はいつも僕を守ってくれていた。きっと今回もティン=クェンの言う通り僕を案じての事だったんだ。
 そう思うものの、胸に引っかかった不安は拭えなかった。
 
 首都の結界の維持は、本来であれば魔導士の仕事だ。
 しかし、上位の魔導士が5人かかりで魔力を入れて、30日ほど維持できるこの結界は、魔導士の負担が非常に大きい。
 その為、30年前からエスクード侯爵が魔導士の負担を減らすため魔力の注入を手伝っていた。
 更に魔力量の多いカインであれば、一人で維持する事も可能ではないかと、王は考えた。
「今のように一気に魔力を入れるのではなく、数日おきに――そう、シトロン公女の魔力吸収の代わりに行えば、暴走の危機は無くなるのではないか?」
 その王の考えは、確かにそうだとエスクード侯爵は一瞬思ったが、すぐにそれを否定した。
 それではカインの負担が大きすぎる。その提案を受けると、カインは首都に縛り付けられることになり、自由はなぬなる。
 だが、それでは逆にジルダの人生をカインのために犠牲にすることになる。
「それであれば――」
 侯爵は悩み抜いた結論を王に伝えた。
 魔法陣の魔力を入れる役目は引き受けるが、それはあくまでこれまで通りの30日に1度、侯爵と共に行う。
 もし、ジルダに何かあれば――その時は結界の魔法陣をカインの魔力の逃し先として使う。
 その案に、王は満足していたようだった。

 カインは言葉を探しながら、気まずい気持ちでエスクード侯爵の並ぶと、天井まである大きな魔法陣を見上げた。
 街道の魔法陣とは比べ物にならない、息を呑むほどの大きさだ。
 古のアベル王子が残したと言われるこの魔法陣は、魔導士により何度も修復をされているが、魔法陣はそのものが壊れると復元は不可能と言われている。
 実際に何百年もの間、数多の魔導士がこの魔法陣を複製し再現しようとしたが、作動に至らなかったからだ。
 ――もし壊されたのがこの魔法陣だったら。
 カインは自分の考えに背中が冷たくなるのを感じた。
「ここの警備はアバルト侯爵家が担っている。問題はない」
 カインの考えを察知したのかエスクード侯爵は前を向いたまま静かに言った。
「はい。ただ――」
「その不安は大切だ。絶対の安心などない。だから騎士隊が必要だし、危機に対する備えも必要だ」
 侯爵は静かに、しかし威厳に満ちた声でカインを遮った。
 今は落ち込むべき時ではないということは、カインにもわかっていた。
 それでも、自分の不甲斐なさに落ち込まざるを得ないでいると、その背中をエスクード侯爵の手がそっと押した。
 力強く、心地よい温かさがじわりとカインの心を溶かすようだ。
「早く帰ってお前とゆっくりしたいことだ――とっととやって終わらせよう」
 侯爵はカインに顔を向けると、いつもの優しい父親の笑顔がそこにあった。
 そうだ。今は仕事に集中するのだ。
 カインは歯を食いしばると、侯爵と並んで魔法陣に向き合った。
しおりを挟む
感想 66

あなたにおすすめの小説

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

誓いを忘れた騎士へ ―私は誰かの花嫁になる

吉乃
恋愛
「帰ってきたら、結婚してくれる?」 ――あの日の誓いを胸に、私は待ち続けた。 最初の三年間は幸せだった。 けれど、騎士の務めに赴いた彼は、やがて音信不通となり―― 気づけば七年の歳月が流れていた。 二十七歳になった私は、もう結婚をしなければならない。 未来を選ぶ年齢。 だから、別の男性との婚姻を受け入れると決めたのに……。 結婚式を目前にした夜。 失われたはずの声が、突然私の心を打ち砕く。 「……リリアナ。迎えに来た」 七年の沈黙を破って現れた騎士。 赦せるのか、それとも拒むのか。 揺れる心が最後に選ぶのは―― かつての誓いか、それとも新しい愛か。 お知らせ ※すみません、PCの不調で更新が出来なくなってしまいました。 直り次第すぐに更新を再開しますので、少しだけお待ちいただければ幸いです。

どんなあなたでも愛してる。

piyo
恋愛
遠征から戻った夫の姿が変わっていたーー 騎士である夫ディーノが、半年以上の遠征を終えて帰宅した。心躍らせて迎えたシエラだったが、そのあまりの外見の変わりように失神してしまう。 どうやら魔女の呪いでこうなったらしく、努力しなければ元には戻らないらしい。果たして、シエラはそんな夫を再び愛することができるのか? ※全四話+後日談一話。 ※毎日夜9時頃更新(予約投稿済)&日曜日完結です。 ※なろうにも投稿しています。

大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです

古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。 皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。 他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。 救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。 セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。 だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。 「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」 今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目の人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ

みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。 婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。 これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。 愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。 毎日20時30分に投稿

処理中です...