侯爵家の婚約者

やまだごんた

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42.悪ふざけ

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 春の月も下旬に差し掛かった日、イレリアはフィッツバーグ子爵夫人の茶会に出席していた。
 茶会への出席はこれで何度目だろうか。
 毎回同じような会話。ゴシップやファッション、参加していない人の陰口……
 初めは緊張していたイレリアも、この程度であれば問題ないと安心するようになっていた。
 今日も同じように、高価なドレスを着たご婦人方が、他の貴族の噂話を楽しんでいる。
 いつもと違うのは、その人数だ。
 これまで参加していた茶会は、数人で茶を囲み会話を楽しむだけだったが、フィッツバーグ子爵夫人の茶会は違った。
 広いサロンに、既婚未婚の女性が数十人は集められているようだった。
 だが、する事は同じだ。イレリアは、貴族とは暇なのだと内心では溜息をつきつつ、微笑みを絶やさないよう心掛けていた。
 貧民街ではこんな事はなかったわ。みんな忙しく働いて、助け合って生きていた。明日の食べ物や寝床の心配で手いっぱいで誰かの悪口なんて言っている暇はなかった――
 
「イレリア嬢の所作は本当に美しくていらっしゃるわ」
 なんとか伯爵のなんとか令嬢がイレリアをうっとりと見つめていた。
 この誉め言葉も何度目か――
 最初はイレリアの粗を探そうと、目を爛々と輝かせていた貴族達も、いざ本人を目にするとその美しさに皆ホッと吐息を洩らし崇拝するようになっていた。
「ありがとう存じますわ。侯爵家で受けさせていただいた教育の賜物ですわね――それでも、私などこの場に同席させていただくのも烏滸がましい身分ですのに、こうやってご一緒させていただけて、皆様のお心の深さに感謝いたしますわ」
 お決まりの返しを口にすると、招待客たちは一様に頬を赤らめ吐息を洩らした。
「出自はどうであれ、イレリア嬢は侯爵家の後見を受けられた方。わたくしどもよりも麗しいお立場のようなものですわ。わたくし共こそイレリア嬢にご招待を快諾していただいて光栄ですのよ」
 ひどく細い体とギスギスした話し方のこの女性は確か招待主の――
「フィッツバーグ家は侯爵家の婚籍関係にあるとお伺いいたしましたの。お世話になっている侯爵家のご関係者からの招待をお断りするなんて――カイン様も」
 ここまで言って、全員がハッと息を呑むのがわかった。眉根を寄せた者もいる。
 イレリアは何が起きたのかわからず全員の顔を見つめた。
 その時、フィッツバーグ家の侍従が、サロンの扉を開けて告げた。
「シトロン公女がご到着です」
 侍従が恭しく礼をし、彼の案内で登場したのはジルダだった。
「遅れてしまって申し訳ございません――あら、あなたはイレリア嬢ですわね?初めまして」
 イレリアを見つけてジルダは、淑女の微笑みでイレリアに軽く膝を曲げて挨拶をした。
 招待客の空気が完全に凍り付いた瞬間だった。

「悪ふざけにも程がありますわ」
 茶会の余興で楽団を呼び、女性同士で小さな舞踏会を行うのは首都の貴族での流行りだった。
 マッケナー子爵夫人は、フィッツバーグ子爵夫人と踊りながら小声で非難した。
「あら、何のことですの」
「すっとぼけないで頂戴。エスクード公子の婚約者のシトロン公女とイレリア嬢を同席させるなんて――」
 マッケナー子爵夫人の非難にフィッツバーグ子爵夫人は鼻でフンと息を吐くと
「下世話な事をおっしゃらないで。シトロン公女は、あのお二人はあくまで恩人の関係だとおっしゃってたのよ。なら良いじゃない」
「あなたさっきの聞いてなかったの!」
「お声が大きくなってますわ。ほかの方に聞かれましてよ」
 フィッツバーグ子爵夫人がわざとらしく注意するまで、マッケナー子爵夫人は興奮して自分の声が思いの外大きくなっていた事に気が付いていなかった。
 マッケナー子爵夫人は軽く咳ばらいをして声を潜めた。
 「シトロン公女は初めましてと言ったのよ。イレリア嬢に向かって」
 フィッツバーグ子爵夫人は答える代わりに唇の端をニヤリと上げて見せると、マッケナー子爵夫人はそれ以上何も言えなかった。
 娘時代からそうなのだ。この人は。
 マッケナー子爵夫人は踊りの輪から外れると、隅に備えられたベンチに腰掛け、侍女に手渡された果実水を受け取り喉に流し込んだ。
 
 娘時代のフィッツバーグ夫人は貧しい騎士爵家の令嬢で、いつも細い体にサイズの合わない型遅れのドレスで夜会に参加していた。
 何度目かの夜会でマッケナー子爵夫人はフィッツバーグ子爵夫人と親しくなったが、若い頃の彼女は上昇志向の高い人で、いつも成り上がる機会を伺っているような人だった。
 当時のフィッツバーグ子爵は、一度目の結婚で妻を亡くした男やもめだった。
 脂ぎった体型に髪は禿げ上がり、30半ばだというのに40半ばの風貌だったが、領地に小さな金鉱山を有していて資産家としても有名だった。ただ、妻を早くに亡くしたため、跡取りがいないことが問題だった。
「ねえ、ミネルバ。わたくし貧しいのは嫌ですの」
 ある夜会で、フィッツバーグ子爵を見つめながら彼女は呟いた。
 純粋だったマッケナー子爵夫人――ミネルバは、彼女の思惑を図り切れず、ただ困惑していただけだったが、彼女は唇の端をニヤリと上げて見せた。
 そして、次の社交シーズンには、彼女はフィッツバーグ子爵夫人として現れた。
 うまい具合に跡取りと娘2人を立て続けに生むことに成功した夫人は、それから16年経った今、念願だったエスクード侯爵家の傍系の娘と息子の縁談を纏め上げ、社交界での地位を更に押し上げようとしていた。
 だから、イレリア嬢を招待したことには道理がいく。
 だが、なぜシトロン公女とイレリアを同席させたのだ。
 どの家も、イレリア嬢を招待する時はシトロン公女とイレリア嬢を同席させないことと、エスクード侯爵家の話題は出さないことを守ってきていた。
 それは、エスクード侯爵の顔色を窺ってのことだったのに。
 マッケナー子爵夫人は、せっかく自分好みに育てた侍女を、エスクード侯爵家に差し出した事が仇とならない事を祈るしかなかった。
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