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74.ロメオの誘い
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忘れていた過去の記憶を振り払うように、イレリアは頭を振って扉を見つめた。
今にもカインが怒鳴り込んで来るのではないか。いよいよ見限られるのではないか。
そんな不安が広がっていたが、杞憂だった。
扉を叩いたのはアリッサの代わりの侍女だった。
「アバルト公子からのご招待でございます。お支度を」
そう言うと、侍女は戸惑うイレリアの身支度を整え出した。
ヨルジュが置いていった手紙――床に転がったまま、蝋も剥がしていない丸められた紙に、イレリアが目をやるが、侍女は黙ってドレスを用意している。
「アバルト公子にはヨルジュ様より承諾のお返事を出されたと聞いております」
侍女はイレリアの身支度を整えながら、そう言った。
どういう事だろう。イレリアがアリッサを折檻した事は耳に入っているだろうに。――本格的に見限られたのだろうか。
いや、それなら代わりの侍女を寄越してロメオの元に送り出すはずがない。
侍女に支度を任せながら、イレリアは小さく安堵の吐息を漏らした。
使用人の一人や二人、鞭打ったところでそれは貴族の日常なのだろう。自分達がそうされていたように、使用人も所詮は貴族の所有物なのだ。
咎めもせずに黙って送り出してくれるということはそう言うことだ。カインにとって一番大事なのは自分なのだ。
イレリアは気を持ち直すと、鏡に映る自分を見た。
一年前には見た事もなかった高価な衣装を当たり前に着こなし、装飾品が輝かんばかりの美しさを引き立てている。
どこからどう見ても、立派な貴族の令嬢だ。
アバルト侯爵家からの迎えの獣車に揺られていると、イレリアはやっと心の底から呼吸ができているような気がした。
そう言えば、今日の招待は「アバルト公子」からだと侍女が言ってた。
ロメオからの初めての招待だ。
これまでは昼食会や夜会、茶会のついでに会っただけで、二人きりで会ったことはなかった。
イレリアは、アバルト邸に到着する度に出迎えてくれるロメオの姿や、腰や肩に回された逞しい腕を思い出していた。
そして、その度に自分だけに向けられた、ロメオのいたずらっぽいブルーグレーの瞳を思い出すと、体の奥が疼いた。
ロメオも自分に好意を持っているのだろう。そうでなければこの様な誘いはしてこないはずだ。
もし、カインが自分を見限っても、ロメオならきっと自分を迎え入れてくれるに違いない。
イレリアはそう思うと、固く結んでいた唇を緩めた。
獣車がアバルト侯爵邸に到着すると、いつも通りロメオが出迎えてくれた。
いつも通りのエスコートに、ロメオの手を握ると不意に引っ張られたような気がして、イレリアは踏み台を踏み外し、ロメオの胸に倒れ込んでしまった。
咄嗟に抱き締められたロメオの胸は、広く厚みがあり逞しく、イレリアを抱く腕に力が込められた気がした。
「申し訳ありません――私ったら……」
何とか態勢を整えようとするイレリアを、ロメオは軽々と抱き上げ、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に優しく、イレリアを着地させた。
「お怪我はありませんか?」
エスコートする腕を差し出しながら、ロメオがいたずらっぽい笑みでイレリアに尋ねた。
いつもよりも熱っぽい眼差しのような気がする。いいや、そうではない。
いつもよりもロメオに惹かれている自分がわかる。まるで、カインに抱かれている時のような――
イレリアはロメオの腕をとりながら、言葉を発することができず、ただ首を横に振るだけだった。
アバルト侯爵家のサロンは、女主人がいる為か明るい色で装飾され、季節の花が美しく飾られて華やかな雰囲気だった。
重厚で落ち着いた雰囲気のエスクード侯爵家とは全く違う雰囲気に、イレリアはこっちの方が自分に相応しいと思った。
ロメオは話が上手で、領地の話や子供の頃のいたずらや、冒険の話を面白おかしく話して聞かせてくれた。
向かい合って座っていた席はいつの間にか隣同士になり、息遣いが聞こえる距離にロメオがいた。
イレリアは戸惑いながらも、話に聞き入っているふりをしていた。
「――ティン=クェンのせいで僕たちはそれぞれの両親から大目玉を食らったってわけさ」
「本当に三人は仲がよろしいのね。ティン=クェン卿にはお会いしたことはないけど、とても愉快だわ。お会いしてみたいわ」
「そのうち会えるさ。会う機会はいくらでもあるからね」
含みを持たせたロメオの言葉に、イレリアは手応えを感じた。やはり、ロメオは自分に想いを寄せているに違いないと。
「しかし、あの日は本当に君がいて助かったんだ。君がいなければ僕たちは愛すべき従兄弟であり親友を失っていたんだから」
ロメオはそう言いながらイレリアの手を取ると、その手の甲に口付けを落とした。「これは――僕からの感謝だ」
イレリアはロメオが口付けた所から、全身に熱が広がり、イレリアの一番奥深い場所を刺激するのを感じた。
この人に抱かれたい。そんな衝動がイレリアを襲って、慌ててロメオから手を引いた。
まだ自分はカインの恋人なのだ。例えロメオが自分を欲したとしても、今はまだいけない。
イレリアは、自分の意識をロメオから逸らさなければと、慌てて口を開いた。
「あ――あの日は師匠に付き添って前の日からオルフィアス領に薬の納品に行ってたんです。珍しく領地に一泊して、師匠はオルフィアス伯爵に用があるから一人で先に帰るよう言われて、その帰りに――」
「オルフィアス伯爵に?」
ロメオの目に鋭さが宿り、イレリアは急に恐怖を感じた。
さっきまでの甘やかな雰囲気が一瞬で消えたのがわかる。
「え……ええ。師匠は普段は貧しい人達に安く薬を売っているのですが、オルフィアス伯爵の奥様がご病気らしくて……その薬を作れるのは師匠しかいないからと、時々お薬を届けているんです。そのお礼に貴重な薬草や素材を融通してもらっているんだと」
ロメオはイレリアの手を握ったまま、「それはいつから」と尋ねた。
「私が師匠のお手伝いをしだした頃には、もう――」
「薬師はオルフィアス領の出身なのか?」
「が――外国だと聞いた事があります……王国へは償いを求めてやってきたのだと……」
イレリアはロメオの剣幕に慄き、震える声で答えた。
「教えてほしい、イレリア。君の師匠は魔法が使えるのか?」
イレリアは男達に襲われた後、護身用にとスクロールを数枚持たされたことを思い出した。こんな高価なものは受け取れないと断ったが、「私が作ったものだ。元手はかかっていない」と言ったのを思い出した。
その表情を見て、ロメオは確信した。
そして、最も重要な質問をした。
「君は――その薬師と肉体関係を持ったことがあるね?」
今にもカインが怒鳴り込んで来るのではないか。いよいよ見限られるのではないか。
そんな不安が広がっていたが、杞憂だった。
扉を叩いたのはアリッサの代わりの侍女だった。
「アバルト公子からのご招待でございます。お支度を」
そう言うと、侍女は戸惑うイレリアの身支度を整え出した。
ヨルジュが置いていった手紙――床に転がったまま、蝋も剥がしていない丸められた紙に、イレリアが目をやるが、侍女は黙ってドレスを用意している。
「アバルト公子にはヨルジュ様より承諾のお返事を出されたと聞いております」
侍女はイレリアの身支度を整えながら、そう言った。
どういう事だろう。イレリアがアリッサを折檻した事は耳に入っているだろうに。――本格的に見限られたのだろうか。
いや、それなら代わりの侍女を寄越してロメオの元に送り出すはずがない。
侍女に支度を任せながら、イレリアは小さく安堵の吐息を漏らした。
使用人の一人や二人、鞭打ったところでそれは貴族の日常なのだろう。自分達がそうされていたように、使用人も所詮は貴族の所有物なのだ。
咎めもせずに黙って送り出してくれるということはそう言うことだ。カインにとって一番大事なのは自分なのだ。
イレリアは気を持ち直すと、鏡に映る自分を見た。
一年前には見た事もなかった高価な衣装を当たり前に着こなし、装飾品が輝かんばかりの美しさを引き立てている。
どこからどう見ても、立派な貴族の令嬢だ。
アバルト侯爵家からの迎えの獣車に揺られていると、イレリアはやっと心の底から呼吸ができているような気がした。
そう言えば、今日の招待は「アバルト公子」からだと侍女が言ってた。
ロメオからの初めての招待だ。
これまでは昼食会や夜会、茶会のついでに会っただけで、二人きりで会ったことはなかった。
イレリアは、アバルト邸に到着する度に出迎えてくれるロメオの姿や、腰や肩に回された逞しい腕を思い出していた。
そして、その度に自分だけに向けられた、ロメオのいたずらっぽいブルーグレーの瞳を思い出すと、体の奥が疼いた。
ロメオも自分に好意を持っているのだろう。そうでなければこの様な誘いはしてこないはずだ。
もし、カインが自分を見限っても、ロメオならきっと自分を迎え入れてくれるに違いない。
イレリアはそう思うと、固く結んでいた唇を緩めた。
獣車がアバルト侯爵邸に到着すると、いつも通りロメオが出迎えてくれた。
いつも通りのエスコートに、ロメオの手を握ると不意に引っ張られたような気がして、イレリアは踏み台を踏み外し、ロメオの胸に倒れ込んでしまった。
咄嗟に抱き締められたロメオの胸は、広く厚みがあり逞しく、イレリアを抱く腕に力が込められた気がした。
「申し訳ありません――私ったら……」
何とか態勢を整えようとするイレリアを、ロメオは軽々と抱き上げ、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に優しく、イレリアを着地させた。
「お怪我はありませんか?」
エスコートする腕を差し出しながら、ロメオがいたずらっぽい笑みでイレリアに尋ねた。
いつもよりも熱っぽい眼差しのような気がする。いいや、そうではない。
いつもよりもロメオに惹かれている自分がわかる。まるで、カインに抱かれている時のような――
イレリアはロメオの腕をとりながら、言葉を発することができず、ただ首を横に振るだけだった。
アバルト侯爵家のサロンは、女主人がいる為か明るい色で装飾され、季節の花が美しく飾られて華やかな雰囲気だった。
重厚で落ち着いた雰囲気のエスクード侯爵家とは全く違う雰囲気に、イレリアはこっちの方が自分に相応しいと思った。
ロメオは話が上手で、領地の話や子供の頃のいたずらや、冒険の話を面白おかしく話して聞かせてくれた。
向かい合って座っていた席はいつの間にか隣同士になり、息遣いが聞こえる距離にロメオがいた。
イレリアは戸惑いながらも、話に聞き入っているふりをしていた。
「――ティン=クェンのせいで僕たちはそれぞれの両親から大目玉を食らったってわけさ」
「本当に三人は仲がよろしいのね。ティン=クェン卿にはお会いしたことはないけど、とても愉快だわ。お会いしてみたいわ」
「そのうち会えるさ。会う機会はいくらでもあるからね」
含みを持たせたロメオの言葉に、イレリアは手応えを感じた。やはり、ロメオは自分に想いを寄せているに違いないと。
「しかし、あの日は本当に君がいて助かったんだ。君がいなければ僕たちは愛すべき従兄弟であり親友を失っていたんだから」
ロメオはそう言いながらイレリアの手を取ると、その手の甲に口付けを落とした。「これは――僕からの感謝だ」
イレリアはロメオが口付けた所から、全身に熱が広がり、イレリアの一番奥深い場所を刺激するのを感じた。
この人に抱かれたい。そんな衝動がイレリアを襲って、慌ててロメオから手を引いた。
まだ自分はカインの恋人なのだ。例えロメオが自分を欲したとしても、今はまだいけない。
イレリアは、自分の意識をロメオから逸らさなければと、慌てて口を開いた。
「あ――あの日は師匠に付き添って前の日からオルフィアス領に薬の納品に行ってたんです。珍しく領地に一泊して、師匠はオルフィアス伯爵に用があるから一人で先に帰るよう言われて、その帰りに――」
「オルフィアス伯爵に?」
ロメオの目に鋭さが宿り、イレリアは急に恐怖を感じた。
さっきまでの甘やかな雰囲気が一瞬で消えたのがわかる。
「え……ええ。師匠は普段は貧しい人達に安く薬を売っているのですが、オルフィアス伯爵の奥様がご病気らしくて……その薬を作れるのは師匠しかいないからと、時々お薬を届けているんです。そのお礼に貴重な薬草や素材を融通してもらっているんだと」
ロメオはイレリアの手を握ったまま、「それはいつから」と尋ねた。
「私が師匠のお手伝いをしだした頃には、もう――」
「薬師はオルフィアス領の出身なのか?」
「が――外国だと聞いた事があります……王国へは償いを求めてやってきたのだと……」
イレリアはロメオの剣幕に慄き、震える声で答えた。
「教えてほしい、イレリア。君の師匠は魔法が使えるのか?」
イレリアは男達に襲われた後、護身用にとスクロールを数枚持たされたことを思い出した。こんな高価なものは受け取れないと断ったが、「私が作ったものだ。元手はかかっていない」と言ったのを思い出した。
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