侯爵家の婚約者

やまだごんた

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81.ひとつの終わり

 10日が過ぎ、イレリアの治療が終わると、彼女は平静を取り戻していた。
「アリッサが君への罰を望んでいない。だが、だからといって全くの放免というわけにはいかない。君には1年間神殿での奉仕をしてもらう」
 エスクード侯爵の沙汰を聞いている間、イレリアは身じろぎ一つしなかった。
「閣下の恩情に深く感謝申し上げます」
 イレリアは美しい所作で礼をすると、穏やかな緑色の瞳でエスクード侯爵とカインを見た。
 思ったよりも軽い刑となり、カインは安心した。
 イレリアが神殿に移送される日、カインはやっとイレリアに会うことができた。
 最後にイレリアに会ってから30日が経っていた。
「カイン――様」
「カインでいい。そう言ったはずだ」
 イレリアは膝を曲げカインに礼をしたが、カインに手で制されて立ち尽くす形になった。
 全ての魔法が解除され、イレリアもカインも相手への恋心はどこか他人の夢のような気分で向き合っていた。
「ありがとうございます。私――知らなかったとは言え、あなたに――」
「私とて同じ事だ。君を無理矢理貴族の世界に連れて来て、君を変えてしまった」
 イレリアはどう向き合えばいいのかわからず、所在なさげだった。
 カインはイレリアにソファに腰掛けるよう促すと、自分も一人掛けのソファに腰掛けた。
「全てが魔法のせいだったとは思いたくない。私は君といて、君が与えてくれた愛に救われたんだ」
 カインは静かな声で言うと、イレリアを見つめた。
「私――私は、愛が何なのかわかりません。ただ、師匠に初めて抱かれた時、とても満たされたのを覚えています。カイン――に抱かれている間も、同じ感覚で……それを愛だと思っていました」
 イレリアは遠慮がちにカインの名を呼びながら、上目遣いにカインを見た。
 美しい顔だが、前のような魅力を感じない。これが、魔法が解けたと言う事なのか。
 カインは微笑みながら小さく溜息をついた。
「神殿での奉仕を終えた後も侯爵家は君を援助することを約束しよう――もっとも、以前のようにとは行かないが」
 恐らく、平民としての平凡な暮らしを与える事くらいはできるだろう。本人が望めば領地での生活でもいい。
「畏れ多い事でございます。侯爵家の恩情に感謝いたします」
 イレリアが頭を下げると、カインは立ち上がり部屋を出た。
 扉が閉まるのを背中で感じながら、一つの恋が終わるのを実感していた。

 ミケロは出身がどうであれ、正式な手続きを踏んでオルフィアス伯爵となった身分であるため、処刑を免れた。
 パウロの魔法技術を失うのが惜しいと魔導士たちの要望が強く、パウロが魔導士に協力することが条件だった。
 二人は足の腱を切られた上で、王宮の奥にある小さな離宮に生涯幽閉されることとなった。
 
 カインにはもう一人会わなければならない人物がいた。
「随分元気そうだな」
 赤毛に浅黒い肌の男は、溌溂とした笑顔で部屋にやってきた。
「君には礼儀というものがないのか?ナジーム」
 カインは忌々し気に言ったが、その表情は柔らかかった。
 二人はサロンで向かい合っていた。
「あの時、助けてくれたことに礼を言いたい」
「今更だな」
 甘い花の香りのする茶を美味そうに飲むと、ナジームは笑った。
「今更になって申し訳ない。こんなことを聞くのは不躾だと思うんだが……なぜ助けたんだ?」
 カインの青い瞳が、ナジームを真っ直ぐに見つめた。
 ナジームはハシバミ色の瞳を、柔らかく緩ませた。
「ポンプの遠征、あったろ?」
「ああ」
 突然の話題に、カインは少しだけ困惑したが、黙って聞くことにした。
「出発の前の日、ジルダに会ったんだ」
 ナジームは顔色を変えるカインを見てニヤリと笑った。

「あんたと結婚したいって思ったのは本当さ」
 揺れる獣車の中で、ナジームは軽薄そうに笑ってみせた。
「初めは顔が好みだった。魔力もいい。好きな魔力だ。けど、あんたを見かける度にいろんな話を聞いた」
 ナジームの顔から軽薄そうな笑みが消えると、ジルダは少しだけ小首をかしげた。
「あんたが、カインの魔力のために犠牲になってるって話だ。あの綺麗な顔をした坊ちゃんが魔力暴走をさせないために、王国とエスクード侯爵家があんたを人身御供にしてるって聞いて、俺はあんたを自由にしてやりたいって思ったんだ」
「自由、ですか」
 ジルダは今でも十分自由だが、と思ったが口に出さなかった。
「なぁ、あんたはさ。その能力なんかなくて、カインも魔力暴走なんてなかったら、なにをしたい?」
 ナジームの質問はよく分からなかった。
 もし、この能力がなくて、カインの魔力も安定していれば、自分達は出会わなかっただろう。
 いや、出会っていた。
 だが、それはきっとどこかの社交界ですれ違う程度の出会い。
 侯爵家の跡取りと、たかだか宮廷貴族の見捨てられた娘など、接点があるはずもないのだ。
「だとすれば、カイン様はきっとご両親の愛をいっぱいに受けて、幸せそうに笑っていらっしゃるでしょうね」
 ジルダの頬が少し緩んだのを見て、ナジームは目の奥が熱くなった。
「そうだな。それで、あんたも笑ってるか?」
 ジルダが心から楽しんで笑えたのは、子供の頃の、あの一年にも満たないあの間だけだ。
 ジルダは黙っていた。
「きっと笑ってるさ。俺と出会ってるからな」
「まあ……」
 呆れて見せたが、口元は笑っていた。
 そして、少しだけ考え込んでから口を開いた。
「そうですね。わたくしは、子供の頃は魔法陣を見るのが好きでした」
 この能力が発覚したきっかけも、魔法陣だった。
 家中のスクロールをくすねては魔力を通して遊んでいた。
「もっといろんな魔法陣が見たいと思っていました。もしかしたら、魔導士になっていたかもしれませんね」
 自分を見ない瞳が、柔らかく緩んでいる。
「そうだな。そして俺は、そんなジルダを見つけて、きっと好きになるよ」
 ナジームの言葉に、ジルダは思わず吹き出したが、すぐに淑女の微笑みへと変わった。
「でも、カイン様は魔力暴走の危険を孕み、わたくしはそれを唯一救うことができるのです。この事実は、なにがあっても変わりませんわ」
 凛として言うジルダの瞳は、ナジームの瞳を真っ直ぐに見つめていた。
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