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016.「……それに、そんな元気ないんだ、俺」

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 小神殿の扉をゆっくり開けると、毛布に包まった何かが転がっている。椅子や机は部屋の隅に寄せられている。ひんやりと冷たい空気の中、時折いびきが聞こえる。
 毛布に包まった勇者エリアスは、ドロレスの言う通り非常に顔色が悪い。頬はこけ、げっそりとしている。明るい茶髪にも艶がない。刺されたという怪我がまだ完治していないのかもしれない。
 しかし、彼の窮状を見ても、サリタには同情心などは浮かんでこない。「大変そうだねー」という他人事の言葉を投げかけたくなる。
 サリタは昔から使っている小さな椅子に座り、ぼんやりとエリアスを眺める。

 エリアスのことが好みではないのは確かだ。サリタは余裕のある年上の男が好きだ。聖女宮という、周りに年上の男しかいない場所で育ったために、同年代や年下の男に興味が持てないのだ。幼い頃に亡くした父の面影を探しているのかもしれない、と考えたこともある。
 エリアスがサリタを愛しすぎているのも、確かなことなのだろう。「結婚して欲しい」という真っ直ぐな言葉に嘘はないのだろう。だが、キラキラと輝く純粋な愛情を、サリタは素敵なものだと思えなかった。「怖い」と感じてしまったのだ。

 ベルトランからの愛情は、優しく暖かなものだった。男色家だったと知った今では、信仰心はあっても、自分に対する愛はなかったのだろうと想像できる。
 しかし、夫はサリタを蔑ろにはしなかったし、不自由なくのびのびと過ごせるように尽力してくれた。自分の嗜好も、愛人すらも隠して、うまくサリタを騙してくれた。
 だから、ベルトランに対しての恨みやつらみはない。彼を亡くしたときと同じく、今も、いなくなって寂しいと感じるだけだ。

「重いのよ、あなたの愛は」

 エリアスの赤朽葉色の前髪をさらりと撫で、サリタは呟く。
 彼の重すぎる愛に対するものを、サリタは持ち合わせていない。大きな愛をもらっても、返すことができない。そして、サリタはその愛がずっと続くものではないと知っている。
 サリタにとって、愛は奪われるものだ。愛してくれていた両親は亡くなり、慕っていた教会の教師も好ましく思っていた神官もいつしかいなくなり、夫ベルトランも亡くなった。国や民を慈しみ平和を願っても、暴漢やマルコスのようにどこかで裏切られる。
 愛とは願っても手に入れられないものなのだ、手に収まったとしても簡単に零れ落ちてなくなってしまうものなのだ、とサリタは学習した。そういうものなのだと。
 だから、「ずっと愛し続ける」と簡単に口にするエリアスを信じられないし、変わらず追いかけてくる彼をただただ恐ろしく感じている。
 サリタにとって、エリアスは異質なものなのだ。価値観や考え方が丸きり違う。恐怖の対象でしかない。

「……サリ……うっ」

 うなされているのか、エリアスがサリタの名を呼ぶ。元気を回復させるにはどうすればいいのか、サリタにはわからない。だから、とりあえず、「はい」と返事をしてみる。

「……サリタ、様」
「はい。ここにいるよ」
「どこ、ですか……どこに」
「ここ」

 しかし、決して近寄らない。不用意に近づいて押し倒されたらたまらない。サリタは眺めるだけだ。

「サリ……すき……」
「はいはい」

 嘘でも「好き」だと言ってあげたほうが元気になるだろうか、とふと考える。だが、思ってもいないことをわざわざ口にするのはなかなか難しい。だから、サリタはエリアスが喜びそうなことは言わない。

「夢か……」
「そうだよ、夢だよ」
「そばで……眠らせ……て、手を」

 毛布から腕が出てくる。もちろん、サリタがそれを握ることはない。しばらく放っておくと、またいびきが聞こえ始める。
「風邪引くかな」と、腕を毛布の中に戻してあげようとして、しばらく葛藤する。寝たふりくらいはする男だ。だが、風邪を引いたらエリアスは本部に滞在することになるだろう。聖職者を懐柔して聖女宮への出入りに制限をつけないようにするかもしれない。それは厄介だ。
 額をつんつんと突き、様子を確認してから、腕を戻す――予定だった。腕を軽く持ち上げたところで、サリタが何よりも恐れていたことが起きた。

「つーかまえた」

 体が床を滑り、倒れる。気がついたときにはもう、エリアスに組敷かれ、腕の中で彼を見上げている。叫ぼうとした瞬間に、手で口が塞がれる。いつの間にか両腕はまとめて押さえつけられている。

「暴れないで、サリタ様。何もしないから。今ここで……聖母様の前であなたの純潔を奪うほど愚かではないつもりだから」

 そう微笑むエリアスの表情が疲れている。くまが酷い。少し強く押せば倒れてしまいそうなくらいだ。

「……それに、そんな元気ないんだ、俺」

 サリタが抵抗していないことに気づき、エリアスはすぐに両手を挙げて解放する。そうして、そのまま倒れ込むようにして毛布の上に転がる。
 サリタはエリアスを見下ろして睨むも、先程の行為を咎めたりはしない。

「ちゃんと寝ているの?」
「ううん。あんまり」
「刺された傷は?」
「だいぶ良くなったよ。心配してくれるの? 嬉しいなぁ。うん、すごく嬉しい」

 エリアスは目を閉じ、すぐに眠ってしまいそうだ。サリタは毛布をぐるぐる巻きにしてやる。エリアスの手足が出ないように。

「……ごめんね、サリタ様。ここで歌って。ちょっと、俺に楽をさせて」
「『瘴気の澱』を祓えと?」
「ん、やっぱ俺一人じゃ無理……サリタ様の力が必要……」
「ラウラ様がいらっしゃるじゃない。最近、元気になられたのよ。だから」

 だから「一人」ではないはずだ。そう言おうとしたが、既にエリアスは眠っている。完全に寝入っている。頬をつねっても起きようとしない。
 サリタは一つだけ大きな溜め息をついて、何を歌おうかと考える。もちろん、エリアスのためではなく、国と民のための祈りだ。ポケットの小瓶に影響しない程度の祈りだ。

「……おん、ち」

 サリタが歌い始めると、エリアスは少し微笑んだ。サリタはエリアスの笑みにも指摘にも気づくことなく、調子外れの賛美歌を歌い続けるのだった。


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