逃げても逃げても勇者が追ってきます!~先代聖女は溺愛包囲網から逃走中~

千咲

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025.「まぁ、夫婦って色々あるわね」

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 結局、サリタの考えはまとまらないまま、朝が来る。食事が置かれる音に気づいて、サリタは顔を上げる。鉄格子の前にいたのは、中年の女だ。

「お食べください。あとで湯をお持ちいたします」
「……ありがとう」

 焼きたてなのか、パンは柔らかく、野菜と肉のスープも温かい。瓶に入っているのは果実水だ。これらの食材もブロテ領のものなのだろうか、と考えながらサリタは食べる。
 聖六国教会では、教会や神殿で聖水で清めて弔いの祈りを捧げたあとに、死者を埋葬する。平民は共同墓地、貴族は敷地内の墓地に埋葬することがほとんどのため、エドガルドが妻を邸の敷地内に埋葬すること自体は不思議なことではない。
 だが、前副神官長エドガルドの妻が亡くなったことを、現副神官長フィデルは知らなかった。しっかりと根を張り立っていたブロテキビの下に、つい最近埋葬したとは考えにくい。

「エドガルド様は、奥様の死を聖教会に報告していないんじゃないかしら」

 欲張りで我儘で横柄な妻――エドガルドの口ぶりから、彼が妻を良く思っていなかったことは明白だ。
 サリタはエリアスの言葉を思い出す。

 ――『瘴気の澱』が恨みから発生していると考えたら。
 ――強い恨みを抱いたまま死んでいった人から、『瘴気の澱』が生まれるとしたら。

「強い恨みを抱いたまま、地中に埋められたとしたら……地中で『瘴気の澱』が発生する……?」

 ブロテキビの畑から『瘴気の澱』のような嫌な気配を感じたのは、そこに恨みを持つ人間が埋められているからではないか。そんな予測を立て、サリタは「ふむ」と頷く。あながち間違ってはいないような気がしている。

「あのう、お湯と浴布タオルをお持ちいたしました。樽を中に入れることはできないため、格子から手を差し入れてお使いください」
「ありがとうございます、助かります」

 女は樽から少し離れたところに着替えを入れたカゴを置いてくれる。サリタはその心遣いに感謝する。

「あなたはこの邸で長く働いているのかしら」
「……口をきくなと言われておりますので」
「ええ。だから、これは私の大きな独り言ね。奥様はどんな方だったのかしら。エドガルド様は、欲張りで我儘で横柄な妻だったと言っていたけれど」

 女は一瞬顔を上げて目を輝かせる。なるほど、かなり鬱憤が溜まっていたようだ。サリタは樽に浴布をつけ、絞って体を拭きながら、「どうなのかしら」と女の反応を見る。

「あのエドガルド様の奥様が欲張りで我儘で横柄だとすると、かなり苦労をなさっていたのではないかしら。きっと心労も溜まっていたでしょうね」
「ええ、ええ、その通りでございます……!」

 サリタはにっこりと笑う。長年溜まっていた恨みや憎しみは、その対象がなくなっても変わらない。人の心から悪い感情を取り除くことが大変なことであることを、サリタはよく知っている。

「あたしは長いこと先代侯爵様にお仕えしていたんですけれども、まぁお坊っちゃんとお嬢様の扱いには昔から手を焼きましたよ。他人のものでさえ欲しがるような我儘な子どもたちだったのですよ。大人になったら落ち着くと思っていたら、とんでもない。お金の使い方を覚えた途端に、先代様も困るほどに財産を食い潰していきましたからね。先代様はその心労がたたったせいで早死になさって……」

 ピアと名乗ったメイドはよく喋る。余程腹に据えかねていたのか、メイドたちの間でもよく喋っているのかはわからないが、その陰口は非常になめらかで、的確で、サリタにも彼女の憤りがよくわかる。
 サリタは「うわぁ、最低」「やだ、それでどうなったの?」などと適当な相槌を打ちながら、ピアに話を催促する。

「一年前にお嬢様――あぁ、奥様ですね、奥様とエドガルド様が結婚なさったときには本当に驚きましたね。奥様は、我儘で強欲で、金遣いは荒くて、人使いも荒くて、社交界でも悪い噂しか流れないものですから、誰からも声をかけてもらえなくて、三十五を過ぎても独身のままだったんですよ。ところが! あの副神官長様と結婚なさるというではありませんか! 皆、本当に驚きましたねぇ。どれだけお金を積んだのか、興味津々でございました」
「結婚生活はうまくいっていたの?」
「あらやだ! うまくいくわけないじゃありませんか、あの奥様ですよ! 気に食わないことがあったら怒鳴りつけ、皿を投げつけ、しまいには階段から突き落とすような奥様ですよ! 何人、何十人、メイドが辞めていったことか。朝にはいたメイドが夕方にはいないことなんてしょっちゅうでございましたもの」

 メイドに厳しいだけではなく、エドガルドにも同じように接していたとピアは嘆く。水や酒、何でも手当たり次第に投げつけられ、エドガルドはよく痣を作っていたようだ。

「そんな奥様と結婚してから、エドガルド様が日に日にやつれてしまわれるのが、本当に心苦しかったものです。もうねぇ、不憫でかわいそうで……あぁ、お友達を亡くしてしまわれてからはもっと塞ぎ込まれて、本当にお労しい」
「お友達?」

 ピアが持ってきた湯は既に冷たくなっている。サリタはエドガルドの妻の凶行を聞いているだけでお腹いっぱいになった気がする。それほどまでに、エドガルドの妻の性格は苛烈だったようだ。

「あら、ご存知ないのですか? オルキデア伯爵様ですよ。先代聖女様と結婚なさった、大変穏やかで博識な方でございましたね」
「……ベルトラン?」
「そういうお名前でございましたかね? とにかく、伯爵様とは副神官長だった頃から仲が良かったようで、奥様の目を盗んでは伯爵様の領地にお出かけなさることもございました」

 それは知らなかった、とサリタは目を丸くする。夫のベルトランとエドガルドが会っていたことを、サリタは知らない。エドガルドが邸に来たことなどないのだ。だとすると、二人はどこかで会っていたのだろう。サリタの知らないところで。
 それが何を意味するのか、わからないほどサリタは鈍感ではない。

 ――それはもう幸せな……反吐が出る。

 エドガルドがサリタに向ける憎悪の理由を、彼女は知った。ようやく、思い至ったのだ。

「……ところで、エドガルド様の奥様は、今どちらに?」
「奥様ですか? 今は諸外国を転々と旅しておられますよ。六国大陸を一周するとか、何とかで」
「定期的に連絡があるの?」
「エドガルド様宛てに手紙が届いているようです。まぁ、あたしたちとしては奥様がいらっしゃらないほうが楽……いえいえ、少し気が楽になるものですから。もう戻ってこなくてもいいだなんて、そんなことは思ってはいないんですけれどもね、うふふふふ」

 エドガルドの妻が使用人たちから嫌われていることだけは確かだ。だからこそ、彼女の所在や無事を積極的に知ろうとはしないのだろう。たとえ妻が既に亡くなっていたとしても、それを嘆き悲しむ人間はここにはいないのかもしれない。

「……寂しいわね」
「まぁ、あなた様もあと少しの辛抱ですよ。流行病に罹っていらっしゃるんでしょう? 新年早々、大変ですねぇ。若い娘が罹る病気だと聞いていますよ。こんな場所で申し訳ないですけれど、しっかりとお治しくださいませ」

 流行病に罹っているから隔離している――エドガルドやブロテ侯爵は、そのようにピアに説明したのだろう。牢屋に入れられているのが先代聖女サリタであることを隠したままで。
 ピアが汚れものを持ち去ったあとで、サリタは「なるほど」と頷く。

「エドガルド様が私と結婚してくれなかった理由がわかったわ。ベルトランと同じだったとはね」

 しかし、男色家のエドガルドがブロテ侯爵の妹との結婚に踏み切った理由が何なのか――お金か、権力か、サリタにはまだわからない。ただ、エドガルドが妻を殺害するに至る動機ならわかる。

「まぁ、夫婦って色々あるわね」

 サリタは亡き夫ベルトランを思い返しながら、一人溜め息をつくのだった。


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