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12.週末の終末(六)
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擦りむいた膝は水洗いをして絆創膏。捻った左足は、冷却したあとでテーピング。精神科医なのに、手慣れたものだ。
「二日は保冷剤などで冷やして、三日目からは温めてください。捻挫の応急処置の冊子が……あぁ、あった。これ、差し上げますので」
「ありがとう、ございます」
捻挫をしたときの対処方法、と書かれた小さな冊子を受け取って、頭を下げる。
診療所はあの大きな家と廊下で繋がっていた。病院特有の薬品の匂いが鼻をくすぐる。嫌いではない。
水森さんは使ったものを元に戻したり、メモを残したりしている。私に背中を向けたまま、ぽつりぽつりと呟く。
「水森は代々医者の家系で、今は父と長兄――先程の兄が診療所をやっています。次兄は海外にいるのですが、今はどこの国で医者をやっているのかわかりません」
「……」
「水森の一族が東京にやって来たのは、戦争が終わってからだと聞いています。曽祖父が決断したそうです」
何の話だろう。
水森さんのルーツなんか聞いても、私には関係のないことだ。
「水森は、東京に出てくる前は、広島の小さな港町に住んでいたそうです。商業も盛んで、造船所も多い、瀬戸内の穏やかな海に面した、坂の街と呼ばれた町です」
「……」
水森さんはいつの間にか私を見つめていた。椅子の上で、私はぎゅうと両手を握る。視線が、怖い。
あぁ、見ないで。
お願いだから。
それ以上は、言わないで。
「明治大正時代、裕福だった水森は、とある画家を援助していました。衣食住のすべての面倒を見ていたようです。その当時の日記に、その様子はきちんと記され、歴代当主の手によって正しく保管されていました」
愛想笑いも浮かばない。体が強張る。震えをごまかすために、何度も手を握る。
『アァ、今宵も酒が旨い。お前も呑むか』
月の出た晩はいつも縁側で盃を傾けていた人。
『肌が白いなァ、お前は。いつかお前の体に絵を描いてやろう』
いつまでも、いつまでも、筆を握っていた人。
「その画家の名は――」
『なァ、お前……一緒に死んでくれるか』
手が、届きさえすれば――一緒に逝けたのに。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれない、過去の人。
「……村上叡心」
水森さんの口から零れたのは、私が唯一、身も心も捧げた、最愛の男の名だった。
◆◇◆◇◆
「月野さんはどちらのご出身? ご両親は息災でいらっしゃる?」
落ち着いた色合いの家具が並ぶ応接室。水森さんのお祖母様と向かい合って座る。テーブルには湯気の出たコーヒーが置かれている。
「残念ながら、両親は事故で亡くなりまして……出身地は聞いたことがありません」
「親戚の方が広島にいらっしゃるとか、そういう話は?」
「それも、聞いたことがありません。親戚はいないと聞かされておりましたので」
「あら……そう……」
見るからにがっくりと肩を落としたお祖母様に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
勧められたコーヒーを一口飲んで、ホッとするけれど、味わう余裕はない。目の前に置かれたカステラも、きっと美味しいのに、味がしない。
「あなたにね、そっくりな人が描かれた絵を、持っているの。村上叡心という画家の描いた裸婦像なんだけれど。本当に、そっくりで」
だから、私の血縁関係者にそういう人がいないか、知りたかったのだろう。
残念ながら、そういう人はいない。
裸婦のモデルは私だから。
「今度ね、小さな画廊なのだけど、村上叡心の展示会を行なうの。うちが持っている絵はそちらに飾られるから、もしよければ、来ていただけないかしら?」
二枚のチケットが差し出される。受け取るか迷っていると、お祖母様は優しく微笑んだ。
「湯川くんと一緒にいらっしゃい。あの子、村上叡心の絵が好きだから、康太が誘うよりもあなたから誘ってあげたほうが、きっと喜ぶわ」
血の気が引く音が聞こえた気がした。
湯川先生が、あの絵を知っている?
あの、裸婦像を?
指が震えて止まらない。
なんで、どうして。
「ゆ、湯川先生、村上叡心をご存知なんですか?」
「ええ。裸婦像は居間や診療所に飾っていたから、何度も見ているわよね。一番のお気に入りは、康太が持っていた、見返りの裸婦像じゃなかったかしら」
見返りの裸婦像……どういう構図だっただろうか? どういう状況で描いたものだっただろうか?
思い出せない。出来上がった絵は、いつの間にか水森貴一の元へと運び込まれていたから。完成したものを見たことがあるのは、ほんの一握りの絵だけだ。
いや、でも、ひと目見れば思い出せるのに。
「あれも村上叡心展に出しましたよ。今僕の診察室に飾ってあるのは、プリントしたものです」
「フェルメールの『真珠の髪飾りの少女』のような構図で……左肩のほくろが白い肌にとても映えているのよね」
お祖母様の言葉に、頭を殴られたかのような衝撃が走る。絶望で、目の前が真っ暗になる。
湯川先生は、ほくろを知っている。
ほくろにキスするのは大好きだし、後ろからするときは、いつも髪をどけてほくろが見えるようにしていた。私のほくろが好きなのだと、いつも、笑っていた。
「だから、月野さんが湯川くんの恋人だと聞いて、納得してしまったのよ、私」
お祖母様、私は。
「湯川くんは、運命の人を見つけたのね、なんて、さっき年柄もなくはしゃいでしまって。加代子さんと晴子さんにたしなめられてしまったの」
お祖母様は少女のようにあどけなく笑う。
「だから、是非、二人でいらしてね」
チケットに印刷された村上叡心展の期間は、七月十五日から三十一日まで。およそ二週間。
「その期間、湯川の出張はなかったはずです。一緒にどうぞ」
水森さんの笑顔に、私はただ曖昧に頷くしかできなかった。
◆◇◆◇◆
「つーきーのーさーんー!?」
月曜日、会社に行ったら佐々木先輩から鬼のような形相で詰め寄られた。
ヒィ! 忘れていた! 私、金曜日に先輩に大変な迷惑をおかけしたのでした。
痛む左足を引きずりながら、佐々木先輩に頭を下げる。
「す、すみません、先輩! 連絡すらせずに!」
「いやいや、それもあるけど!」
廊下の壁にドンと両腕の檻。これはちまたでは有名な、壁ドンというやつですか? あれは片腕だけだと思っていましたが、両腕だと逃げられないので、確実に相手を捕獲することができますね!
「せ、先輩?」
「どうだったの、淡白荒木さんとは」
淡白荒木て。
派遣さんたちからそんなあだ名がつけられてしまった荒木さんが憐れで仕方ない。が、まぁ事実なので訂正はしない。
「……何もないですよ。だって淡白荒木さんですから」
「あぁ、やっぱりね」
「すみません、せっかくお膳立てをしてもらったのに」
「ほんとに、もう! 飲み過ぎにも気をつけなさいよ?」
はい、すみません、と背中に冷たい壁を感じながら佐々木先輩にペコペコ頭を下げる。
怖いけど面倒見の良い、頼れる先輩だ。サキタでは本当に、周りの人に恵まれていると思う。
「足、大丈夫なの? 変な歩き方していたでしょう」
「昨日捻っちゃって……でも、何とか」
電車にも乗れたし、歩いて来ることもできた。痛みは昨日よりは引いてきたし、足の痛みより、頭痛のほうが酷い。間違いなく、水森さんと湯川先生が原因だ。
「今日は部内だけで仕事しなさい。部外に出ないといけないような仕事は、私に振ってくれて構わないから」
「ありがとうございます、先輩!」
私がひょこひょこ歩くのに合わせて、先輩は歩幅を調整してくれる。本当に優しい人だ。
「……先輩は、彼氏が、付き合う前の昔の自分を知っていたらどうします?」
「あら、月野さん、ヤンチャしてたの?」
「いやいや、ヤンチャとか! しかも、私の話ではないんですけど! 友達が、その、昔写真家と付き合っていて、その人のモデルをしていたんですけど……彼氏が実は出会う前からその写真を気に入っていて、出会ってからもそれを内緒にしている、その彼氏の心境ってどんなものなのかな、と悩んでいて」
しどろもどろになりながら、説明する。もちろん、そんな友達はいない。
叡心先生が描いた私の絵は、ほとんどが裸のものだった。確か……セックスの直後の絵もあったはずだ。
いやらしさより芸術性のほうが高いと当時は考えていたけれど、いや、今でもそう思っているけれど、思い出してみると恥ずかしい。まどろみの中で気持ち良さの余韻に浸っている――事後の絵を湯川先生が見たのかはわからない。見ていないことを祈りたい。
「自分の好きな写真の中の人が目の前に現れたら、運命を感じるかもねぇ」
「運命……」
「写真では触れられないけど、現実なら実際に触れられる。だったら、何が何でも手に入れて、大事にしたくなるんじゃない?」
「そういう、ものですかねぇ」
大事にしてくれているのはわかる。先生が私を想ってくれていることもわかっている。
でも、それじゃダメなの。ただのセックスフレンドじゃなきゃ、ダメ。
私はもう誰かの「特別」になりたくない。
「私は男でもないし、彼氏でもないけど、たぶん、友達の彼氏、結婚を考えているんじゃないかしら」
「はいっ!?」
「だって、せっかく手に入れた運命の女を、男が簡単に手放すわけないじゃない。本心を隠したまま、逃げられないようにじわじわ追いつめて、判を押させると思うわよ」
判、て。婚姻届、の?
湯川先生はそんなことを考えているのだろうか。いや、最初から結婚を前提として付き合って欲しいと言っていた人だ。未来への希望を捨てたとは思わないほうがいいだろう。
それは、マズい。
「……友達は、結婚したくないみたいですけど」
「あー、泥沼ね」
部のドアの前で立ち止まり、先輩は難しい顔をして唸った。
「結婚したい男と、したくない女。諦められない男、逃げる女……悲劇しか思い浮かばないわ」
……悲劇。
「わ、私は友達になんて助言すればいいと思います?」
「そうねぇ」と空を仰いで、佐々木先輩は苦笑した。
「そういう男って、女が逃げてもどうせ追ってくるんだから、一度くらいは結婚してあげてもいいんじゃない?」
「けっ……こん、以外では?」
「んー、そうねぇ」
左足の痛みも頭痛も忘れて、私は先輩を見つめる。固唾を呑んで、言葉を待つ。
「でも、それが本当に運命なら、抗いようがないわけだもの。きちんと向き合うのが、お付き合いをしている人への誠意じゃないかしら」
「誠意……」
向き合うことが、湯川先生への、誠意。
これは、男の精液だけが欲しい、と我儘を通した私への罰なのかもしれない。
「でもねぇ、月野さん。今の彼氏が重くなったからって、淡白荒木さんに乗り換えるのはどうかと思うわよ」
「や、だから、私の話ではなくて! 友達の!」
「ハイハイ。そういうことにしておいてあげるから」
「だからー! 先輩ー!」
それが本当に運命なら、抗いようがない――。
運命なら。
「二日は保冷剤などで冷やして、三日目からは温めてください。捻挫の応急処置の冊子が……あぁ、あった。これ、差し上げますので」
「ありがとう、ございます」
捻挫をしたときの対処方法、と書かれた小さな冊子を受け取って、頭を下げる。
診療所はあの大きな家と廊下で繋がっていた。病院特有の薬品の匂いが鼻をくすぐる。嫌いではない。
水森さんは使ったものを元に戻したり、メモを残したりしている。私に背中を向けたまま、ぽつりぽつりと呟く。
「水森は代々医者の家系で、今は父と長兄――先程の兄が診療所をやっています。次兄は海外にいるのですが、今はどこの国で医者をやっているのかわかりません」
「……」
「水森の一族が東京にやって来たのは、戦争が終わってからだと聞いています。曽祖父が決断したそうです」
何の話だろう。
水森さんのルーツなんか聞いても、私には関係のないことだ。
「水森は、東京に出てくる前は、広島の小さな港町に住んでいたそうです。商業も盛んで、造船所も多い、瀬戸内の穏やかな海に面した、坂の街と呼ばれた町です」
「……」
水森さんはいつの間にか私を見つめていた。椅子の上で、私はぎゅうと両手を握る。視線が、怖い。
あぁ、見ないで。
お願いだから。
それ以上は、言わないで。
「明治大正時代、裕福だった水森は、とある画家を援助していました。衣食住のすべての面倒を見ていたようです。その当時の日記に、その様子はきちんと記され、歴代当主の手によって正しく保管されていました」
愛想笑いも浮かばない。体が強張る。震えをごまかすために、何度も手を握る。
『アァ、今宵も酒が旨い。お前も呑むか』
月の出た晩はいつも縁側で盃を傾けていた人。
『肌が白いなァ、お前は。いつかお前の体に絵を描いてやろう』
いつまでも、いつまでも、筆を握っていた人。
「その画家の名は――」
『なァ、お前……一緒に死んでくれるか』
手が、届きさえすれば――一緒に逝けたのに。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれない、過去の人。
「……村上叡心」
水森さんの口から零れたのは、私が唯一、身も心も捧げた、最愛の男の名だった。
◆◇◆◇◆
「月野さんはどちらのご出身? ご両親は息災でいらっしゃる?」
落ち着いた色合いの家具が並ぶ応接室。水森さんのお祖母様と向かい合って座る。テーブルには湯気の出たコーヒーが置かれている。
「残念ながら、両親は事故で亡くなりまして……出身地は聞いたことがありません」
「親戚の方が広島にいらっしゃるとか、そういう話は?」
「それも、聞いたことがありません。親戚はいないと聞かされておりましたので」
「あら……そう……」
見るからにがっくりと肩を落としたお祖母様に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
勧められたコーヒーを一口飲んで、ホッとするけれど、味わう余裕はない。目の前に置かれたカステラも、きっと美味しいのに、味がしない。
「あなたにね、そっくりな人が描かれた絵を、持っているの。村上叡心という画家の描いた裸婦像なんだけれど。本当に、そっくりで」
だから、私の血縁関係者にそういう人がいないか、知りたかったのだろう。
残念ながら、そういう人はいない。
裸婦のモデルは私だから。
「今度ね、小さな画廊なのだけど、村上叡心の展示会を行なうの。うちが持っている絵はそちらに飾られるから、もしよければ、来ていただけないかしら?」
二枚のチケットが差し出される。受け取るか迷っていると、お祖母様は優しく微笑んだ。
「湯川くんと一緒にいらっしゃい。あの子、村上叡心の絵が好きだから、康太が誘うよりもあなたから誘ってあげたほうが、きっと喜ぶわ」
血の気が引く音が聞こえた気がした。
湯川先生が、あの絵を知っている?
あの、裸婦像を?
指が震えて止まらない。
なんで、どうして。
「ゆ、湯川先生、村上叡心をご存知なんですか?」
「ええ。裸婦像は居間や診療所に飾っていたから、何度も見ているわよね。一番のお気に入りは、康太が持っていた、見返りの裸婦像じゃなかったかしら」
見返りの裸婦像……どういう構図だっただろうか? どういう状況で描いたものだっただろうか?
思い出せない。出来上がった絵は、いつの間にか水森貴一の元へと運び込まれていたから。完成したものを見たことがあるのは、ほんの一握りの絵だけだ。
いや、でも、ひと目見れば思い出せるのに。
「あれも村上叡心展に出しましたよ。今僕の診察室に飾ってあるのは、プリントしたものです」
「フェルメールの『真珠の髪飾りの少女』のような構図で……左肩のほくろが白い肌にとても映えているのよね」
お祖母様の言葉に、頭を殴られたかのような衝撃が走る。絶望で、目の前が真っ暗になる。
湯川先生は、ほくろを知っている。
ほくろにキスするのは大好きだし、後ろからするときは、いつも髪をどけてほくろが見えるようにしていた。私のほくろが好きなのだと、いつも、笑っていた。
「だから、月野さんが湯川くんの恋人だと聞いて、納得してしまったのよ、私」
お祖母様、私は。
「湯川くんは、運命の人を見つけたのね、なんて、さっき年柄もなくはしゃいでしまって。加代子さんと晴子さんにたしなめられてしまったの」
お祖母様は少女のようにあどけなく笑う。
「だから、是非、二人でいらしてね」
チケットに印刷された村上叡心展の期間は、七月十五日から三十一日まで。およそ二週間。
「その期間、湯川の出張はなかったはずです。一緒にどうぞ」
水森さんの笑顔に、私はただ曖昧に頷くしかできなかった。
◆◇◆◇◆
「つーきーのーさーんー!?」
月曜日、会社に行ったら佐々木先輩から鬼のような形相で詰め寄られた。
ヒィ! 忘れていた! 私、金曜日に先輩に大変な迷惑をおかけしたのでした。
痛む左足を引きずりながら、佐々木先輩に頭を下げる。
「す、すみません、先輩! 連絡すらせずに!」
「いやいや、それもあるけど!」
廊下の壁にドンと両腕の檻。これはちまたでは有名な、壁ドンというやつですか? あれは片腕だけだと思っていましたが、両腕だと逃げられないので、確実に相手を捕獲することができますね!
「せ、先輩?」
「どうだったの、淡白荒木さんとは」
淡白荒木て。
派遣さんたちからそんなあだ名がつけられてしまった荒木さんが憐れで仕方ない。が、まぁ事実なので訂正はしない。
「……何もないですよ。だって淡白荒木さんですから」
「あぁ、やっぱりね」
「すみません、せっかくお膳立てをしてもらったのに」
「ほんとに、もう! 飲み過ぎにも気をつけなさいよ?」
はい、すみません、と背中に冷たい壁を感じながら佐々木先輩にペコペコ頭を下げる。
怖いけど面倒見の良い、頼れる先輩だ。サキタでは本当に、周りの人に恵まれていると思う。
「足、大丈夫なの? 変な歩き方していたでしょう」
「昨日捻っちゃって……でも、何とか」
電車にも乗れたし、歩いて来ることもできた。痛みは昨日よりは引いてきたし、足の痛みより、頭痛のほうが酷い。間違いなく、水森さんと湯川先生が原因だ。
「今日は部内だけで仕事しなさい。部外に出ないといけないような仕事は、私に振ってくれて構わないから」
「ありがとうございます、先輩!」
私がひょこひょこ歩くのに合わせて、先輩は歩幅を調整してくれる。本当に優しい人だ。
「……先輩は、彼氏が、付き合う前の昔の自分を知っていたらどうします?」
「あら、月野さん、ヤンチャしてたの?」
「いやいや、ヤンチャとか! しかも、私の話ではないんですけど! 友達が、その、昔写真家と付き合っていて、その人のモデルをしていたんですけど……彼氏が実は出会う前からその写真を気に入っていて、出会ってからもそれを内緒にしている、その彼氏の心境ってどんなものなのかな、と悩んでいて」
しどろもどろになりながら、説明する。もちろん、そんな友達はいない。
叡心先生が描いた私の絵は、ほとんどが裸のものだった。確か……セックスの直後の絵もあったはずだ。
いやらしさより芸術性のほうが高いと当時は考えていたけれど、いや、今でもそう思っているけれど、思い出してみると恥ずかしい。まどろみの中で気持ち良さの余韻に浸っている――事後の絵を湯川先生が見たのかはわからない。見ていないことを祈りたい。
「自分の好きな写真の中の人が目の前に現れたら、運命を感じるかもねぇ」
「運命……」
「写真では触れられないけど、現実なら実際に触れられる。だったら、何が何でも手に入れて、大事にしたくなるんじゃない?」
「そういう、ものですかねぇ」
大事にしてくれているのはわかる。先生が私を想ってくれていることもわかっている。
でも、それじゃダメなの。ただのセックスフレンドじゃなきゃ、ダメ。
私はもう誰かの「特別」になりたくない。
「私は男でもないし、彼氏でもないけど、たぶん、友達の彼氏、結婚を考えているんじゃないかしら」
「はいっ!?」
「だって、せっかく手に入れた運命の女を、男が簡単に手放すわけないじゃない。本心を隠したまま、逃げられないようにじわじわ追いつめて、判を押させると思うわよ」
判、て。婚姻届、の?
湯川先生はそんなことを考えているのだろうか。いや、最初から結婚を前提として付き合って欲しいと言っていた人だ。未来への希望を捨てたとは思わないほうがいいだろう。
それは、マズい。
「……友達は、結婚したくないみたいですけど」
「あー、泥沼ね」
部のドアの前で立ち止まり、先輩は難しい顔をして唸った。
「結婚したい男と、したくない女。諦められない男、逃げる女……悲劇しか思い浮かばないわ」
……悲劇。
「わ、私は友達になんて助言すればいいと思います?」
「そうねぇ」と空を仰いで、佐々木先輩は苦笑した。
「そういう男って、女が逃げてもどうせ追ってくるんだから、一度くらいは結婚してあげてもいいんじゃない?」
「けっ……こん、以外では?」
「んー、そうねぇ」
左足の痛みも頭痛も忘れて、私は先輩を見つめる。固唾を呑んで、言葉を待つ。
「でも、それが本当に運命なら、抗いようがないわけだもの。きちんと向き合うのが、お付き合いをしている人への誠意じゃないかしら」
「誠意……」
向き合うことが、湯川先生への、誠意。
これは、男の精液だけが欲しい、と我儘を通した私への罰なのかもしれない。
「でもねぇ、月野さん。今の彼氏が重くなったからって、淡白荒木さんに乗り換えるのはどうかと思うわよ」
「や、だから、私の話ではなくて! 友達の!」
「ハイハイ。そういうことにしておいてあげるから」
「だからー! 先輩ー!」
それが本当に運命なら、抗いようがない――。
運命なら。
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