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第一章 解放

第十話 幸せタイム(ルティアス視点)

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 甘くて、とても、とても、良い香りがする。ずっと嗅いでいたいような、それよりももっと、もっとと何かを求めたいような、そんな気持ちに囚われながら、僕はゆっくり目を開ける。


「ここ、は?」


 そこは、見慣れない木造の建物。部屋の中心には、白を基調とした可愛らしい花柄のラグと、小さな丸テーブルがあり、その上には白いモフモフとした猫のぬいぐるみが飾られている。クローゼットや棚は部屋の壁際にそれぞれ置かれていて、棚には小さな鉢植えに入った花や、ちょっとした置物などが置かれていて、何とも安心する空気に包まれている。
 一通り周りを見て、明るい光が射し込む窓を見て、最後に、自分が横になっているベッドを見る。


「……~~~~っ!!」

(ここ、リリスさんの部屋っ!?)


 道理で良い香りがするわけだという思考と、いやいや、そんなことを考えていると知られたら嫌われるぞという思考がごちゃ混ぜになり、僕はとにかく飛び起きて、ベッドから下りた直後、しゃがみこむ。


「なん、で、リリスさんの、部屋に?」


 赤い顔を両手で覆いながら、僕は必死にどういうことかと考える。
 いつもなら、リリスさんの家の近くに建てた小さな小屋で、寝袋に包まれているだけのはずだ。ここまで幸せな目覚めを体験することなどないはずだ。


「っ、そうかっ! 夢かっ!」


 こんな都合の良い出来事は、夢の中でしかあり得ない。それに気づいた僕は、納得すると同時に、少しばかり寂しくなる。これが夢でなければ良いのにと、心の底から思ってしまう。


「いや、うん、こんな夢を見られただけでも感謝しなきゃならないよ、ね?」


 ひとしきり、妄想の中のリリスさんの部屋を見て、頬を緩ませると、僕ははたと気づく。


(もしかして、夢の中ならリリスさんの顔も見られるかも?)


 リリスさんは、いつもフードで顔を隠してしまっているため、僕は一度もリリスさんの顔を見たことがない。どんな顔だろうと、僕を魅了して止まないだろうということは分かるものの、それでもやはり、見たいものは見たい。


(どんな顔だろう?)


 所詮は妄想が形になっただけの夢だと分かっていながらも、僕は、そっと気配を消して、部屋から出る。二階にあったらしい部屋から出ると、一階の方から、何やら食欲をそそる匂いが漂ってくる。


(リリスさんが、料理してる、のか?)


 そうだとするなら、何て素晴らしい夢なんだろうと思って、僕は慎重に歩を進め……紺碧の長髪をしたリリスさんの後ろ姿を発見する。リリスさんはシチューでも作っているのか、お玉で鍋の中をゆっくりかき混ぜている。


「リリスさん」


 止めどなく溢れる愛しさに、僕は思わず声をかける。すると、そこには玉のように白い肌をした、紅い瞳を持つ女神が居た。


「っ、気配を消して忍び寄って来ないでくださいっ!」


 一瞬、驚いたような表情を見せたリリスさんは、すぐにその目を吊り上げて怒りをあらわにする。しかし、そんな声も愛しくて、僕はウンウンとうなずきながらも微笑む。


「くっ、話は後ですわっ! とりあえず、そこにお座りなさいっ。特別に、わたくしの手料理を食べさせて差し上げますわっ」

「あぁっ、何て素敵な夢なんだろう? どうしよう、僕、夢の中が幸せ過ぎて死んじゃうかもっ」

「何を言ってますのっ? 夢などではありませんわよ?」

「……夢じゃ、ない?」


 リリスさんの姿を見られるだけでなく、その手料理が食べられる夢とあっては、もう幸せ過ぎると天にも昇る気持ちでいると、リリスさんから信じられない言葉が投げかけられる。
 試しに、僕は自分の頬を思いっきりつねって……。


「いったっ!?」


 予想外の痛みに、僕は慌てて手を離して、目をしばたたかせる。


「夢じゃ、ない?」

「バカなことをやってないで、お座りなさい。食後には、たっぷりと説教をして差し上げますわ」

(えっ? えっ? この、リリスさんは本物で、僕のこれは夢じゃなくて、手料理も食べられて……?)

「もう、死んでも良いかも」

「死ぬなんて許しませんわっ! 生きなさいっ!」

「はっ、うんっ、生きる!」


 声を荒げたリリスさんを見て、僕は自分が求められていることを自覚して嬉しくなる。大人しく席に着けば、もう料理自体は出来上がっていたらしく、ささっと盛り付けてシチューとパン、そして、サラダを出してきてくれた。
 僕は、皿を運ぶのを手伝おうとしたのだが、席を立ちかける度に、『座ってなさいっ』と言われたため、大人しく待ち続ける。


「さぁ、貴方ほど上手ではありませんが、さっさと食べますわよっ」

「うん、ありがとうっ」

「……ふんっ」


 僕を睨むリリスさんにお礼を言えば、その目を盛大に逸らされてそっぽを向かれてしまう。


(あぁ、どうしよう。幸せ過ぎて、胸がいっぱいだ……)


 シチューもパンもサラダも、リリスさんが作ってくれたというだけで、幸せの味だった。全部食べてしまうのが勿体なくて、ゆっくりと食べていると、『あら? まだ体が本調子じゃないのかしら? そんな状態で、わたくしの説教を受けられるのかしらね?』と心配されたため、僕はしっかりと噛み締めながらも心配されない程度の速さで食べていく。


「美味しかったよ。これまで食べた、どんなものよりも、リリスさんが作ってくれた、この料理が美味しかった」

「ふんっ、よっぽどのバカ舌なんですのねっ。それならば、そこらの草でも食べておけば良かったのですわっ」

「リリスさんが食べてほしいなら、そうするよ?」

「っ、冗談ですわっ! まともに返さないでくださいましっ!」

「そう? ごめんね?」

(あぁ、リリスさんと話ができてる。幸せ……。どうしよう、僕、今日で一生分の運を使い果たしちゃったかなぁ?)


 ポワポワと幸せに浸っていると、リリスさんが片付けを始めたため、僕も手伝うべく食器を持っていく。


「さっきまで意識を失っていた者に、ここまでさせようとは思いませんわっ。ほらっ、食器を貸しなさいっ」

「心配してくれてありがとう。でも、このくらい何てことないよっ」


 美味しい食事を作ってくれたのだから、このくらいの恩返しはさせてほしい。もちろん、この程度で返せる恩だとは思わないが。

 食器を取り上げて、さっさと洗ってしまうと、しばらくは奮闘していたリリスさんも諦めて食器を拭く方に回ってくれる。


(あぁ、こうしてると、夫婦になったみたい……~~~~っ!?)

「? ちょっとっ、貴方、熱があるのではないの? やっぱり、お説教は後回しにするわっ。さっさと二階で寝なさいっ!」

「い、いや、熱じゃないから。大丈夫」


 自分でした想像に悶絶していると、それを微妙に勘違いしたリリスさんに、ベッドに戻るよう告げられる。


(リリスさんのベッドにもう一度……ダ、ダメだっ! リリスさんを穢すわけにはいかないっ!)


 もう一度ベッドに戻って、僕は冷静でいられる自信はない。だから、とにかく追及してくるリリスさんをかわして、皿洗いを終わらせるのだった。
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