忍びしのぶれど

裳下徹和

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第一章

五 神仏分離

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 跳は実相寺のある田満村へと足を踏み入れた。
実相寺で仏像を受け取るのが主な目的だが、跳は手紙や新聞も持ってきていた。そんな跳を、村人達はにこやかに迎えてくれる。娯楽の少ない田舎の村では、郵便配達夫は楽しみを届けてくれる存在なのだ。
 村人の一人が新聞を読みながら質問してくる。
「郵便屋さん。江戸の街は変わっちまったのかい?」
 この人は新聞を手にしてはいるが、字が読めないようだ。
「もう江戸ではなく、東京という名になりました。別の世界になりつつあります」
 話しながら新聞を返してもらい、庄屋の家を訪れる。
 他の家に比べると、かなり立派な造りだ。裕福な暮らしぶりが伺える。
 家まで行くと、庄屋本人が出迎えてくれた。
「郵便屋さん。遠くまでありがとう。あなたのおかげで、外の世界とつながっていられる」
 届け物をにこやかな表情で受け取る。
 道も整備されていないこの場所では、大袈裟な表現でもないのかもしれない。
 新聞や本をまさぐりながら、庄屋は続ける。
「世の中変わってきているようだね…。でも、この村も少しずつ変わってきているんだ。新しい農具も導入したし、寒さに強い外国産の麦を育て始めたんだ」
 この男は、小作人から無理矢理絞り取る悪徳庄屋ではないようだ。
 まだ話し足りなそうな庄屋に別れを告げ、跳は村外れの実相寺へと向かう。

 実相寺は、田舎の小さな寺だった。境内の片隅には鳥居と小さな社がある。いまだに神と仏が分離されていないようだ。長年かけて混ざりあったものを引き話すのは難しい。しかし、建物の荒み具合から、人々の心が離れている様子を想像してしまう。
 建物の外から跳が声をかけると、住職の栄雲えいうんが出てきた。
「これはよくぞおいで下された。どうぞお上がり下さい」
 跳は汚れた足を洗わせてもらってから、住職の居室へと上がった。
 郵便鞄から手紙を取り出し、栄雲へ渡す。
 栄雲は封筒を一瞥してから封を開き、中の手紙を読み始めた。
跳は、手紙の送り主前島密より返事をもらってくるように言われているので、そのまま待つ。
読み終えると、栄雲の悲し気に目を伏せた。。
「神仏分離令の誤った解釈により、寺の打ち壊しや、仏像の破壊などが日本各地で起きています。この寺もそのような目に遭うかもしれません。前島様は、私にこの寺に伝わる仏像を持って、避難するように言っています」
 神仏分離の拡大解釈で、様々な蛮行がなされているのは聞いている。
「実際に危険な目に遭われているのですか?」
 跳の問いに、栄雲はうつむき加減で答える。
「実害は特にないのですが、村の人々の様子が、少しおかしくなってきているのを感じます。明治に入って貧富の差は拡大してきていて、小作人達の鬱屈は溜まってきているでしょうし、神仏分離令が間違えた伝わり方をしているようにも思われます。それに隣村のことも…」
 そこまで語って、栄雲は言葉を濁した。
 待っていても続きは出てきそうにもないので、跳は後を継ぐ。
「隣の乍峰村は、隠れ切支丹なのですか?」
 栄雲は何も答えないが、無言は肯定の意味であることはわかった。
 先程調べた時、村の裏手に石の墓を発見した。切支丹は木の札ではなく石の墓をたてることを好む。家の中を調べれば、十字架やマリア像なども出てくるだろう。
 沈黙に耐え切れなくなったかのように、栄雲は再び語り出す。
「乍峰村が切支丹であるのは、このあたりでは公然の秘密でした。もちろん表向きは仏教徒ということになっていましたし、年貢も納めていましたので、問題なく過ごしてきました。陰で洗礼などもしていたのかもしれませんが、わかりません。葬儀も形式上仏式で上げるようにしましたが、私が帰った後で彼らなりのやり方でやったはずです。私も先代もその先代も、この寺の住職はそうやってきたのです」
 江戸の中心から遠く離れているとはいえ、幕府直轄領で良くごまかし通したものだ。
「祭政一致と申しますか、神道の力をもって政治を行っていくという方針は、他の宗教の弾圧へと進んでいるようです。切支丹を見逃し続けてきた仏教僧など、迫害の対象なのかもしれません」
 それを察した前島が、手紙をよこしたのだ。
「では、仏像を持ってここから離れましょう」
 跳の申し出に、栄雲は首を横に振る。
「私はここに残ります。仏をよりどころにしている人達も、近隣の村にはたくさんいます。仏像は郵便屋さんが持って行って下さい」
 跳は説得しようかと思ったが、無理そうなのでやめた。
 仏像を見せてもらう。木製で大きさもないので、一人で充分運べる。跳には信心も芸術を解する心もないが、燃やされるのは惜しい気がする。
「仏様を安全なところまでお連れ下さい」
 そうこうしているうちに日が暮れてしまったので、今日は寺に泊めてもらうことにした。
 泊めてもらうだけでもありがたいのだが、夕食まで出してもらうことになった。
 栄雲と向かい合って、夕食を食べる。
 膳の上には白いご飯と吸い物と漬物が乗っている。栄雲は粥と漬物だけだ。
 箸を口に運ぶと、まざりもののない白米の美味しさが全身に広がる。修行の一環で土を食べたことがあったが、それに比べると、極楽に来たかのようだ。この村の小作人は麦を食べているのだろうし、この寺も裕福ではない。精一杯のもてなしなのだ。
 申し訳ない気もするが、美味いものは美味い。ゆっくり噛みしめようとしたが、瞬く間に全て平らげてしまった。
 腹が満たされたところで、床に入らせてもらうことにする。
 狭い部屋で薄い布団にくるまり就寝した。

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