忍びしのぶれど

裳下徹和

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第一章

二十一 栄達とは遠き者達

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 跳は石走と藤田と共に、京橋にある牛鍋屋にいた。死地から生還した喜びをわかち合うはずだったが、場は明るくない。切支丹の処刑は阻止したものの、条約の改正には失敗し、書状を届けるという任務は一応の成功を収めたが、途中でかなりの損害を出したので、跳達への評価は芳しくない。
「石走が橋を壊したのがいけねえんだ」
「お前も一緒にやっていただろう」
 藤田と石走は、跳を逃がした後、自分達も退却しつつ、野毛橋を落としたのだ。おかげで追撃をかわし、二人は生き延びることが出来た。橋はかけ直され、都橋と名を変えたそうだが、神奈川県令から川路邏卒総長に苦情がきたそうだ。それにしても、老朽化していたとはいえ、刀で橋を落とすという離れ業には舌を巻く。
「邦護連の主要人物を石走が叩き斬っちまったから、組織全体のことが良くわからなくなっちまった。川路邏卒総長殿からは、切支丹の代わりに、お前らを処刑したいと言われたぜ」
「お前も斬りまくっていただろう」
 あれだけ危険を冒したのに、藤田と石走に警察官としての栄達はなさそうだ。不貞腐れたくもなる。
「郵便屋は、切支丹の女とはどうなんだ?」
「助けてくれてありがとうございますって言われたよ……。碑轍先生が」
 場の空気がさらに重くなったが、跳はさらに愚痴をこぼし続ける。
「あれだけ必死に走ったのに、開通した鉄道に乗れば、あっという間にたどり着くそうだ。俺の努力は何だったのだ……」
 開通した鉄道は、新橋横浜間を半刻(一時間)もかからず走り切るという。それと比べると、何時間も走り続けた跳の努力は、無駄骨とも思えてしまう。
 他の客が楽しく談笑する中、三人を取り巻く空気だけが暗く湿っていた。
 運ばれてきた牛鍋をつつき始める。
「うまい。生きて文明開化出来たな」
 気は沈んでいても、うまいものはうまい。
「世の中が変わって良いことなんて、これくらいしかねえな」
「世の中が薩摩隼人に追いついてきたな」
「前にも聞いたよ」
 時代に乗り損ねた男達は、半分自棄になりながら牛鍋を口に運んだ。
 
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