醜く美しいものたちはただの女の傍でこそ憩う

ふぁんたず

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第四章 異世界でも、借りた貸しはきちんと返しましょう

4.兎の目、針の先

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 そしていよいよ、決行の日が来た。

 この三日の間は、昼間の間は自由に過ごさせてもらった。私は念願の市場をうろうろしたり、坂と階段で構成される町並みを堪能した。食事も私が作った。異なる食材や香辛料はとても刺激的で、思いのほか充実していた。やっぱり寒冷地は味が濃くて辛いものを好むらしい。唐辛子に似た色の粉末は想像の十倍辛かった。
 ひりつく舌とのどに喘ぐ私を、ジウォマさんは微笑んで(Sかな?)、ギィは冷ややかに(どSかな?)見ていた。ふたりとも水を差し出すなんてことはしてくれなかったので、自分でそっと注ぎました。

 夜ご飯を食べ終わったあとは、念入りに計画の概要を教え込まれた。
 なんといっても、私は文字が読めない。ククルージャでようやく幼稚園低学年のレベルまで月花(ユエホワ)に教えてもらったが、ここビエチアマンではその言葉自体が異なっているのだ。お手上げです。
 なので、耳で聞き頭で覚え再度口に出し、というアナログな記憶をするしかない。
 高校生のころならまだしも、パソコン業務でルーチンな仕事に慣れきった私にはなかなか辛いものがあった。

 昨日の夜をまるまる使って、なんとか詰め込んだ。くしゃみしたら抜けてしまいそう。

 そこまでして必死に記憶した内容はどんなことかというと。
 いつどこでどんな道具を使ってどうふるまうか、という単純なことではある。
 しかしながら時間というものの計り方から、場所の地名、道具の名称や使い方など、未知に過ぎた。
 誰だっていきなりオーストラリアのど真ん中に落とされて、「丑寅うしとらの方角にあるユーカリの葉っぱの葉緑体だけ、昼四ひるよっツの時間に取ってきて」と言われたら固まるはずだ。
 そういう、何から覚え込んでいけばいいか混乱する感じ。私はがんばったと思う。うむ。

「時間だ」

 ギィに促され、ジウォマさんの家を出る。
 ジウォマさんを見ると、さすがに血の気を失った面持ちをしていた。けれどしっかりと私の目を見て、うなずいた。

 私は口元だけで微笑んで、ギィの後へ続く。

 この「お手伝い」が終われば、誰にも後ろ暗いところなく、アレクシスのもとを目指せる。これは対価だ。ギィに助けてもらったことへの。それをきちんと果たして、四人にも借金の残りを返済して、拓斗に会う。私は自分を鼓舞するように言い聞かせる。

 真っ暗な闇。ぽつりぽつりと灯る街灯のランプ。

 ふと私は、どうしてこんな、今しかないというようなタイミングでギィに出会ったのだろうと、すこしだけ考えたりした。
 そもそもの転移はたまのせいだ。へたくそな転移という一言で片付けだが、はたしてそれでよかったのだろうか。夜の空気に冷やされた腕輪は、ひんやりと私の左腕で沈黙している。たまねぎ色のそれへの微かな不審は、しかし緊張のせいで頭の隅へと追いやられた。







 ギィの主人が所有するその屋敷は、この世界の常識のない私から見ても権力者のそれとわかった。

 とにかく大きい。この城砦都市の中にあって、さらに小さなひとつの城のようにすら思える。
 じっさいそれは見上げるような高さの塔まで備えている。捕らわれのお姫さま、何人かいそう。ギィにそう言えば、物見の塔はたいてい物置とか非常用の備品が置いてあるだけだと呆れた様に言われた。
 日本のお城の本丸のようなものだろうか。あそこも有事以外はただの倉庫だ。
 建物は、ほかにもあらゆるものの質が高いようにも見えた。
 石造りの街にあって、これだけ大きな石材をぜいたくに使った建物は、私はここ以外にないと思う。
 門は黒光りの鉄製で、私兵と思われる兵士が二名両脇に立っている。

 ギィにひどい内容の仕事をさせる主人。
 ギィの妹を地下に閉じ込め続ける主人。
 この堅固な小城は、きっと主人そのもののありようも表しているのだ。暗く陰湿で、隙のない男。家と住む人間はどこかしら似ているものだから。

 ギィは特に変装はしていない。なぜなら彼の存在は下っ端の私兵たちなどには知られていないからだ。
 彼は灰色の地味なローブを全身にまとい、目だけを出している。このあたりでは年配のおじさんはこういう格好をしているのを市場で見かけた。逆に若い男たちは、派手な毛皮や皮のコートを好んで見につけていたようだった。
 ギィは女の格好をした私を従えて、その建物の裏手へ回る。 
 教え込まれた話では、裏口には人は常駐せず鍵だけが二重に掛けられているのだという。

 今回の流れはおおまかに言うとこうなる。
 裏口の鍵をあらかじめ作っていた合鍵ではずし、二人で忍び込む。そのまま地下牢へ移動し、ギィは衛兵をひきつける。
 私はほかの魔法、飲むと野球ボールくらいの大きさに縮むやつを使い、檻をすり抜ける。
 すぐに通常の大きさに戻り、今度はニグラさんを小さくする。
 彼女を瓶に詰めて、排水溝に流す。
 下水の出口でジウォマさんが彼女を拾って、決めていた場所へと逃げる。
 ギィは私を檻へ誘導した直後、怪しまれないように主人へ仕事のことを報告に行く。

 実は私を拾った、あんな獣も通らない雪原を通った理由は、仕事を前倒しにするためのショートカットだったのだ。無理やり時間を作り、こうやっていつも計画を練っていたのだろう。つまり主人からすれば、ギィは仕事から帰ってきたばかりでその報告をされるというかたちだ。
 ギィいわく、今夜もまたすぐに次の仕事も言いつけられるだろうから、その足でニグラさんたちの逃亡を手助けする――という。

 あとはひたすら時間稼ぎだ。そこが肝心。逃げ出すだけならいつでもできたのだ。
 ニグラさんは足が悪いのだという。
 そりに乗ってしまえば関係ないが、運動もできない環境なため身体はすっかり弱っている。何をするにも時間がかかる。
 安全なところまで彼女たちが行ける時間をつくることこそが、ギィの私への頼みごとなのだ。
 それから二日間、私がばれないように身代わりをすれば、最初と同じ手筈で私も排水溝から脱出する。小さくなって自分で瓶のふたを閉めて、排水溝まで転がるという練習まで何度も繰り返しやらされた。いまや成功率は九割五分を超える。

 ほんとに映画っぽくなってきたなあと思うと同時に、やっぱりこれって夢なのかな? と未練がましく思ったりもする。
 いやしかし、不安しかないです。私のような気の小さい人間には、すごく不適な案件では……。

「ぼさっとするな。はやくしゃがめ」

 気づけばギィは、すでに裏口まで来ていた。懐に手を差し込んで鍵を取り出そうとしている。
 私がしゃがもうとしたとき、叩かれるように怒鳴られた。

「誰だ、そこで何をしている!」

 巡回をしていたのだろうか、屋敷の私兵が憤慨したようにこちらへ向かってくるのが見えた。
 ど、どうしよう! と思いギィを見下ろせば、錠前から鍵を懐に戻して、面倒くさそうにため息を吐いた。
 いやっ、いまの、私のせいでしたかね? そんな心底呆れたようにしないで、と思いながらも、私の心臓がばっくんばっくんいっている。全校集会で、名指して呼ばれるよりもたちが悪い。
 頭が真っ白になったとき、ギィが急に立ち上がった。
 それから私の腰に片腕を回し、もう一方の手を頬へ当てた。裏口の壁とギィの身体とに、はさまれる格好である。いや、ぴったりと密着しているから、私は今サンドイッチのハムみたいになっている。

「きさまら、いったい――」
「無粋だな。ようやく口説き落としたところなんだが」

 そう言ってギィは私の首筋に唇を這わせる。腰に回した腕に力を込めて、ぎゅっと更に密着させてくる。
 私の位置からは、裏口の壁と扉しか見えない。全身の神経が首筋に集まったような心地になる。

 だからってな、と戸惑いと苛立ちを混ぜたような声。

「ここをアブドロ様のお屋敷と知ってのことか? せめてよその家の裏口でしろ」
「口説いて口説いて、ようやく肌を許された。今を逃せば俺は砂のようになっちまうな」

 アブドロ? それはギィの主人のことだろうか。
 耳元で熱っぽく囁かれる。頬に当てられた手はうなじから頭皮へと差し入れられ、ゆるゆると首筋をなぞった。私はびくりと身体をゆらし、唇を食いしばる。一言だって声を漏らしたくはない。
 ギィはうっとりと――あくまで演技として――私の額に口付けた。唇を離し、ギィの唾液で濡れた額を、指先でそっとなぞる。まるで彼の唾液を、私の皮膚に塗り込めるように。
 
「ゆえに見過ごしてほしいものだ。ちなみにこれは、さっきそこで拾ったものだが」

 そう言って腰につけていた巾着から、小さな白い布袋を取り出して、男へと投げたようだった。ちゃりん、という布越しの金属音は、落し物という名の贈賄ぞうわい
 一拍の間のあとで、今回だけだぞと言いつつ去っていく足音が聞こえた。

 ギィは足音が遠ざかってからも、しばらく私を注意深く抱きしめたままだった。
 遠くで夜鳥の鳴く声が聞こえて、ようやく解放してくれる。その表情はひどく硬い。
 ようやく少し顔を離してくれた。正面にある黒々とした目を見て、私はほとんど無意識に問いかけた。

「もし見逃してくれなかったら……どうするつもりだったの」

 冴え冴えとした美貌は、三つの月明かりを受けて輝いている。

「針がある」

 理解できないという顔を、私はしていたのだろう。ギィは懐から長い針を取り出す。いや、それは針というには凶暴すぎた。
 割り箸くらいの長さの、釘のような太さの針。あらゆる生物に絶望を与える切っ先。
 ギィは、ここに、と私の後頭部、うなじの5センチ上あたりをそっと触った。

「ここに穴がある。骨がないんだ。ここに針を差し込んでちょっとだけかきまぜる。そうすると一言も話すことなく絶命する」

 そう話す瞳にあるのは、なんだろう。私はこの瞳を知っている。

 昔、小学校で飼われていた兎の目だ。
 基本的には人懐こく、おとなしい兎だった。白毛に黒い目の小さなメスの兎。その子は寿命で息を引き取ったが、死ぬ間際に私に与えた印象は鮮烈だった。
 私はおそろしく狭く低いケージに押し込められた兎を、いつも哀れんでいた。哀れんで、餌当番で教室に一番乗りしたときは、こっそり籠の入り口を開け、出入りできるようにしてやっていたのだ。でも兎は出てくることは一度もなかった。鼻をひくひくさせながら、静かな瞳で私を見返すだけだった。
 そして老衰で死ぬというときに、私を見たその瞳。みんなにも囲まれていたのに、兎は確かに、私を見た。
 好きにすればいい、という瞳だった。
 兎は自分が死ぬことを、ちゃんと知っていた。その上で、好きに哀れめばいいし、悲しめばいい。そういう、去り行くものの傲慢と歓喜に満ちた瞳だった。少なくとも私にはそのように感じられた。

 狭い檻に閉じ込められて愛玩動物として死んだ兎。私はその兎を、とても気高い生き物だと感じた。

 ギィの瞳は、それと酷似していた。

 奴隷になったばかりのころのギィを想像する。
 十年以上前、きっと中学三年生くらいのギィと小学生くらいのニグラさん。彼女を守るために彼はすべてを捨てたのだ。
 いったいいつ、人の脳みそのかき回し方を教わったのだろう。健全な中学生が、ありとあらゆる人の殺し方を、喜んで実践するだろうか?
 きっとそのころからこういう瞳になったのだ。
 軽蔑するなら好きにしろ。好きに同情するがいいと。あの兎のように。
 誰に何を言われようと、自分の掲げる大切ものがあれば、心が損なわれることはないのだと。
 その誇り高さに私はおののいた。そして同時に哀れんだ。

 危険だ、と思う。
 あの四人の過去にわずかばかり触れそうになったとき。私は意志の力で、私の心をしっかり閉ざした。彼らに心を傾けないように。いつでも離れることができるように。あえて卑怯でいようとしたのに。

 けれどここまで近づいてしまえば、それは難しい。たま、と心の中で呼ぶ。どうしてアレクシスは私を呼んだの。どうしてたまはギィのところへ転移したの。いったい私に何をさせたいの。それともすべては偶然の重なりで、そこに他意はないのだろうか。

 ギィ、と呟く。

 すでに二個目の鍵を空け切ったところだったギィは、こちらを見ずになんだ、と返事をした。

 彼の真後ろにしゃがみこみ、そっと背中に額をあてる。
 ギィは驚いたように身をこわばらせたが、どうでもよかった。

 うまくいきますように。とそれだけを願った。

 妹のために無理やりに大人にならざるを得なかった、孤独な少年のために。




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