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第七章 異世界であろうと、夢は見るようです

1.繰り返すはじめましてに、さすがにへこみます

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 この世界に来てからの最初の転移は、ククルージャから雪原へ。今思えばそれがいわゆる「現在」だったのかどうか、私に知る術はない。

 次が、ギィと過ごしたビエチアマンからユーリオットさんの故郷のカラブフィサ。これは過去へのもので間違いない。

 そしてカムグエンへ。過去から未来へと、大人の月花ユエホワとの再開だったわけだ。

 過去だろうが未来だろうが、ユーリオットさんも月花も私のことを忘れていた。

 なのに私の名前を知っていたナラ・ガルさん。つまりこれは、ククルージャで四人と過ごした「現在」へ戻ってきたことになるのだろうか?







 私はナラ・ガルさんに名前を呼ばれて嬉しかった。過去のユーリオットさんにも未来の月花にも、「あんた誰」扱いをされてけっこう寂しかったのだ。

 こみ上げる嬉しさとともに目の前のナラ・ガルさんを見る。彼は最後に見たときとそう変わっていないように思えた。

 刈り上げた赤髪は少し伸びているけどさっぱりと短いし、傭兵のお手本とばかりに鍛え抜かれた身体も維持されている。こうして見ると二メートルくらいありそうな長身だ。
 何より手に持っている槍は見慣れたもので、彼の身長ほどもある鈍色にびいろのそれはククルージャのときとまったく同じ。

 見慣れないのはその服装だ。

 ゆったりとした膝あたりまで長さのある茶色っぽい上着に、これもだぼっとした黒いズボン。いつかテレビで目にした、インドとかネパールあたりの服装に似ているかもしれない。色褪せたようなムラもあって草木染めっぽくも見える。
 どちらの布地も見慣れた木綿とは違う質感で、もふっとした感じ。もしかしたら羊毛を加工したものなのかな。
 足元は雪国の女子高生が履くようなもこもこブーツ。フード付きの外套マント芥子からし色で、首のあたりのボタンで留められている。いかにも高原地帯っぽい伝統衣装は、赤髪の彼にとても馴染んで見えた。

 そんなナラ・ガルさんの私を見る瞳が、しかし少しずつおぼつかないものに変わっていく。生まれて初めて与えられた絵本の名前を思い出そうとするかのように。

 その不吉さに気づかずに、私はナラ・ガルさんに駆け寄ろうとした。聞きたいこともたくさんあったし、何より彼のまとう雰囲気はいつでも穏やか癒し系なのだ。
 ククルージャで別れてから四人がどうなっているのかもこれでわかると期待もする。

 だけど次の瞬間それはトンカチで粉々に砕かれた。

「……いや、失礼。旅の方かな」
「えっ」
「こんな辺境を通るなんて珍しい。仲間とはぐれた?」
「なっ」
「迷子かな」
「かっ、からかってるんですか。私です私、私ですって。縁子ゆかりこです」

 はやりの詐欺みたいなことを叫びながらも私は恐慌状態だ。
 鳩に豆鉄砲どころの騒ぎではない。というか再会したとき、私の名前を呼んだじゃないか! その直後にこの仕打ちってどういうこと? 上げて落とされたかんじ。

予知プロヴィシマの影響の波が追いついたのだろう。このあたりの場、どうにも魔力が響きにくいようだ)

 つらい! さみしい! かなしい! と思っていると、巾着に入ったままの頭輪たまの声もまた今までよりも遠い。携帯の電波が悪いときにぷつぷつ途切れるような。

 魔力が響きにくいって?

(何をするにも適する場所、適さないという場所は存在するものだ。雲は低い土地では生成されず山の上で成るように。あるいは火が燃え続けるには適切な空気の通り道が必要なように。わかるか?)

 あまりよくわからないのはきっと私が混乱してるせいなので、黙っておく。

(それと似ていて、ここでは魔力の性質を遠くまで保つのが難しい。ばらばらにほどけてしまう) 

 たまは説明してくれたけど、目に見えるわけでもないし私にはいまいちぴんと来ない。

 だいたい、と私は唇を尖らせる。
 だいたい非科学的なことが多すぎるのだ。日本生まれ日本育ち、小説は読むがSFは得意じゃない。映画だって金曜日の夜のを気が向いたら見る程度だ。魔力うんぬんを理解できるほうがおかしいではないかと、この切ない現状の八つ当たりをしたくもなる。

(とにかくここでは我輩の力も通りにくい。魔力を行使することは自身の体重が数倍にもなり、立っているのも辛いほどだと想像すればいい)

 それは大変そうだ。魔法ってこの世界で絶対的な力があるのかと思っていたけど、やっぱり便利なぶんの制約とかはあるのかもしれない。ものごとには代償が必要なのだ。

 魔力を保てない――もしかしたら霧の中で車のライトが遠くまで通らないのと似ていたり? ちょっと違う気もするが、だからって他にしっくりくる想像もできなかったので私はあいまいに受け止める。

 ナラ・ガルさんはひとりでわたわたしている私を困ったように眺めて、小さく首を振る。
 
「そう言われても……どこかでお会いした気が、しないでもないが」

 お会いした! お会いしたって!

 何か言おうと口を開いた私は、眉間を押さえて目を細めるナラ・ガルさんを前に、もどかしくも沈黙した。

 ククルージャでの彼を思い出す。控え目ながらも、困ったことがあると誰よりも早く察して手を貸してくれていた。お礼を言うとほんのり頬を染めてはにかむ。
 裁縫が趣味で、レースやフリルの話になると目をきらきらさせながら熱く語っていた。ある意味では誰よりも乙女で、でもユーリオットさんと月花あたりがちょっと諍いとか口げんかをしそうになると、しょうがないなと言わんばかりに間に入って。
 苛立つことだってあるだろうに、その負の感情をあまり外に出さない自制心の強い人。ときどき冷淡すぎるように見えてしまう阿止里あとりさんをさりげなくフォローできる、頼れる兄貴分。

 少なくとも五人で過ごす中では、そういう役割に満足しているようにも見えていた。
 
 私が目にしたそれらの記憶は、彼の中から失われたのだろうか。

 唇を引き結ぶ。たまの予知プロヴィシマの力は絶対だ。たまが望む未来を実現するのに一番いいように、自動的に状況を作り変えてしまうすさまじい力。

 私はここでもはじめましてなのかと落胆した。四人と過ごしたククルージャでの生活は平穏でやさしく時間とともに美化もされ、私の拠り所になっている。

「いえ……あの」

 何か言いたいのに、まともな言葉は出てこない。ナラ・ガルさんの眉が、彼の困惑を表すように寄せられている。

 さすがに落ち込みかけた。俯いて下を見そうになったけど、それでも、とぐっとこらえる。

 それでも必要な天珠はあとひとつで、拓斗と日本への道のりはあとわずかなのだと自分に言い聞かせる。
 そう、着実に進んでいるのだ。肝心なのは今後どうすればいいかの一点で、そうすればいよいよ拓斗に会えて、嫌われようが何しようがこれでもかと抱きしめて、もふもふライフに戻れるのだ。というかポジティブに考えないと無理!

 私は思い出したように大きく息を吸う。上を見上げれば、腹立たしいほどに空が青い。日本の秋の色によく似ていて、私は今さらながらに本当にここは異世界なのかなとか考えた。やっぱり本当は夢を見ていて、くしゃみをした拍子に家のアパートで目が覚めて拓斗がごはんをねだるように甘えてくれるとか。頭輪たまが首を横に振る雰囲気をにじませてくるが、黙れと言いたい。現実逃避くらいさせてほしい。

「あの、いえ。すみません。私の勘違いです。知っている人に似ていたもので」

 どうしようもない。切り替えていくしかない――。私は心の中では子どものようにもうやだと駄々っ子よろしく叫んでいたけど、一方でこの状況をどうするべきかも必死に考えた。私のことを覚えていないとは考えもしなかったので頭は真っ白である。誰かプランBを授けてほしい。

 記憶がすっぽりないのなら、と私は何度も瞬きをしながら冷静に考えようとした。

 私は彼にとって通りすがりの怪しい女だし、まして軽装で連れもいないし、詐欺じみた言いがかりをつけてる……のか? これ警察呼ばれてもおかしくないような。

 そんなことを考えていると、ナラ・ガルさんは去り時だと思ったのだろう。エレベーターに乗り合わせた他人にするように儀礼的に唇を上げて、足早に高原を下り始めてしまった。
  
 なす術もなくその背中を視線で追って、彼が進む先に目を凝らせば、草原の緑のじゅうたんに埋もれるようにして山麓の中ほどに豆粒くらいの小屋があると気づく。私はさらに何度も瞬いて、すばやく現状とこれからを計算する。

 今の私の格好はニグラが恵んでくれた薄手の麻布の服(適正は熱帯雨林地帯)。
 足元はユーリオットさんのところで支給されたサンダル(カムグエンで酷使されてぼろぼろ)。
 腰には付けたままの巾着(魚の干物と小さいマンゴーみたいな果物、それからたま入り)。

 リゾート地仕様なこれらが私の今の財産だ。ナラ・ガルさんの格好から察するに夜は相当冷え込むらしい。というか今も陽が傾いてきて刻々とに寒くなっていってる。

 まずいやつだ。精神的にもやばいけどこのままだと肉体的にもやばいやつだ。

「あっ、あの!」

 私が叫べば、ナラ・ガルさんはそのまま数歩進んで、聞きなれない動物の鳴き声を聞いたように硬直して、それから無表情に振り返った。
 高い位置から見下ろせば、その頬は以前よりも痩せているように見える。
 穏やかな瞳は光の角度によって茶色にも金色にも写るのだけれど、今はどこか疲労や諦めを乗せているようにも見える。何もわからない状況が焦れったい。

 しかし何より、このままでは私はここで飢え死に(あるいは凍死)してしまう。様子がおかしいナラ・ガルさんも気になるけど、彼は私を知らない。どうしたらいいだろう?

「かっ」
「か?」
「家政婦、いりませんか!」

 結局、馬鹿の一つ覚えみたいに押し売りをするのだなと呟くたまは、一回火にかけて溶かしてやってもいいかもしれない。




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